風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

スペインの旅、トレド

2011年06月29日 | スペインの旅
6月1日 トレド1日目




6月1日、10時20分発の特急でトレドに向かった。
トレドは、二日間取ったので気分的にすごく楽だ。
マドリッドからノンストップ、30分であっという間に着いた。
トレドの駅

まさに新市街地、駅前にはBARもほとんど無い。
車両は6両くらいだったか、ほぼ満席だった。
駅の中に、インフォがあり、カウンターに着くや、マップをくれ、きわめて手短にわかりやすく説明してくれた。
駅を出て右に150mほど行くと旧市街地中心地に行くバス停がある。0.95ユーロ。往きはバスで行ったが、帰りは歩いた。
歩いも10分ちょっとなので歩いた方がいい。

さて、今日の目標は、冒頭の写真を撮れる所に行くことだった。旧市街地が一望できるポイントだ。
このポイントまでは、1時間に1本の7.1バス[これも0.95ユーロ]に乗るのだが、アルカサル前がバス停だという。
場所が分からず、途中で時間待ちしていたバスの女性運転手に聞いたら、最初のバスで降りた所の目の前だった。
でも、11:45発のバスがあり、15分ほど待つとバスが来た。
運転手に、もらった地図で絶景ポイントらしき“Emita del Vaalle”を示し乗車。
すると、そこに着くと、バスの乗客の何人もが、私を指さし、「ワイワイ」、ここで降りろと言うことらしいので降りた。
どうもそこはバス停ではないらしかったのだが、どうやら運転手が私に「ここだ」と教えてくれたらしい。
すると私としては、バス停でないので、帰りのバスの時刻が心配であったが迷わず、降りた。
しばらく川に沿って歩くと、このポイントに着いた。
アルカサルなどが見えるので、バスで戻らず歩くことにした。
川と旧市街地を左に見てなだかな坂を下ると、
新アルカタンタラ橋[手前]とアルカンタラ橋が目に入ってくる。
 
おそらく30分はかからず、旧市街地に入ったと思う。
アルカンタラ橋                                
  
新市街地からの門     橋の中程の金具にソウルで見かけたのと同様の鍵 旧市街地側の門
  

旧市街地に入ると急な坂を上り、アルカサルの近くの木陰のベンチで、いったサンドイッチや果物の弁当をで食べた。

サンタ・クルス美術館[小さな考古学博物館も併設され、無料]、展示場が十字になっているので、
右回りに回っていくと一周できとても見やすい。         中庭
 
博物館
 
二階もある                               グレコの絵が多い
   
   
  
  
                                     二階から、教会を見る
 
サンタ・クルス美術館前庭の彫刻[同様の作品を市内でいくつか見た] 市中心地ソコドベール広場への門 
  

この後は、特別の目的場所を決めないで、旧市街の北側をあちこち歩いた。
左は自動車道、右は広場方向       ここから壁の外の新市街地の街並
 

太陽の門                                                      その近くの教会
  

ビサグラ新門[これから先は新市街地]
 
旧市街地に戻り
 
   
 

アルカンタラ橋に戻るとトレド駅はすぐ先だ。
アルカンタラ橋を見下ろす丘の上に建つ城跡[Castillo de San Servando ]、現在はユースホステルとして使われているようだ。


天気予報では、トレドは25度・快晴であったが、冷たい風が吹き、長袖ティシャツ2枚でも寒く、更に長袖ワイシャツを着た。
もちろん、歩き出せばワイシャツは脱いだが。
不思議なのは、電車賃、行きは10.60ユーロ、帰りは14.99ユーロ、行きが3分だけ時間が長かっただけなのだがぁ。
トレドは二日間にして、良かった。のんびり出来ることと、目的を決めないで街を歩くのも良いものですから。
夕食(12.45ユーロ)                夕食後の散歩
  
 

6月2日 トレド2日目
昨日と同じ電車でトレドに向かう。二日目となると余裕で、最後に電車を降り、ゆっくり歩いて旧市街地に向かった。
歩いて10分足らずで、アルカンタラ橋に着く。門を潜ると旧市街地=城壁の中だ。
ここからかなり急勾配の坂を上るか、もっと急な階段を上るかすると、中心地ソコトベール広場に着く。
市内を一周し、昨日の絶景ポイントまで行くソコトレンというミニ観光バスがある。昨日は乗れなかったので、午後3時のチケットを購入した。
ここから市内観光に出たのだが、すっかり道に迷ってしまった。
エル・グレコ美術館ともいえるサント・トメ教会を私が混同したことにあるのだが、
とにかくガイドブックの地図は小さいし、マップはスペイン語でとてもわかりにくいのだ。
San Ildefonso教会                              Visigoth and culture博物館
  
サント・トメ教会の表・教会側 教会入り口 この建物もサント・トメ教会で、いわばグレコ美術館[私はグレコの家=グレコ美術館と思ってしまったのだ。]
     
迷いに迷い町外れのサン・フアン・デ・ロス・レイエス教会にたどり着き、そのチケット売り場で、
「ここはレイエス教会ですか」と聞いて、やっと自分のいる地点がわかったと言う次第であった。
この大きな教会がサン・フアン・デ・ロス・レイエス教会 中に入る余裕もなく、引き返したのであった。教会の入り口
 
サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会(4.40ユーロ)、ユダヤ人教会
 

トランシト教会                             Victorio Macho美術館
 
トランシト教会の前の公園のベンチでお弁当を食べた。遠足の小学生もここでお弁当。公園内にトイレがあった。

エル・グレコの家の裏門                      これこそエル・グレコの家(7ユーロ)の入り口
 
エル・グレコの生家[『エル・グレコの家』の中にあります。]
 
  
   
 
  
カテドラル[7ユーロ、撮影禁]                     カテドラル参道、夏に向けて日除けを作っている
  
                     中を見ることが出来る入り口[無料]
   
ソコトレン[404ユーロ]で市内を一周 以下、その上から撮ったもの
 
嬉しいことに、例の絶景ポイントにも行きました
  
 
その後、ソコトレン出発の時間が来て入れなかったカテドラルの先にあるサンマクロスカルチャーセンター[無料]に行った。2枚目は背後から撮影。
   
  
アルカサルの一部 アルカサルは修理、改築され軍事博物館になっている
  

その後、ゆっくり駅に向かい、昨日と同じ電車で帰った。                             夕食(12.45ユーロ) 
   【続く】 

スペインの旅、アルカラ・デ・エナーレス

2011年06月29日 | スペインの旅
6月3日 アルカラ・デ・エナーレス

 
今日は、マドリードでの予備日。そこでなじみがないかもしれないが、15世紀に作られたアルカラ大学がある街、
また、『ドン・キ・ホーテ』作者セルバンテスが生まれた街=アルカラ・デ・エナーレスを訪れた。
エナーレスはローカル線なので、電車の切符の予約も必要ないし、10分間隔で走っているので気分は楽だ。
スペインの国鉄=rennfeは、日本の新幹線のような特急路線と近郊ローカルがある。
マドリッド・アトーチャ駅も、特急用のプエルタ・デ・アトーチャ駅とローカルのアトーチャ・セルカニアスの二つの駅が隣接してあり、
北部5kmほどに、近郊線の他、バルセロナ夜行列車や国際列車などの駅・チャマルチィン駅がある。
同じアトーチャ駅だが、切符売り場も、改札ももちろんプラットホームも全く別で、次のような感じ。 
  
ローカル線とはいえ、車両はきれいだった。   上記アトーチャ駅構内図の右端【写真駅舎】とある部分
  
 
特急路線は、改札の時セキュリティ検査[空港と同じシステム]があり、有人の改札口で入念な切符の改札を受ける。
一方、ローカル路線はすべて自動改札であり、しかも料金がほとんどメトロ並み、アルカラ・デ・エナーレスまでは2.65ユーロであった。
エナーレス行きはエナーレスを終点とする線とより遠くまで行く二本あるが、自動販売機で切符を無事買うことが出来た。
そして、日本の笛のような発車の合図音と次の駅名の車内アナウンスもあった。
10:30にアトーチャ駅を発ち、アルカラ・デ・エナーレスに着いたのは、7、8駅で35分後であった。
アルカラ・デ・エナーレス駅の出札は無く自由であったが、
帰りのアトーチャ駅では出る時は、日本と同じように自動改札口に切符を入れる必要があったので切符は捨てない方が良い。
                                  
 
エナレスの駅(駅前モニュメントの後方)
 
『地球の歩き方』の地図は、小さすぎてまるで役に立たない。
通りの案内を頼りに、町の中心地・セルバンテス広場のインフォを目指した。
インフォはとても小さくわかりにくかった。広場に面して警察署があったので、訪ねると教えてくれた。
インフォの女性は、トレドのインフォ職員と同様とてもてきぱきとわかりやすい説明だった。  セルバンテス広場 セルバンテスの像
  
セルバンテス広場前、インフォ前のサンタ・マリア塔
 
コーラル・コメディアス
 
セルバンティス生家[中に入れるのわからず、後に再訪した]       これが入り口で、工事中の道路の左路地を入った右にあるのです。
  
                                     この隣は彼の父親が勤めていたアンテサナ病院
  
この入り口を恐る恐る入り、「セルバンテスの家ですか?」と聞くと、そうだと言って、無料チケットをくれ、
大きいジェスチャーで、「写真はここだけ、後はだめ」と言うことであった。2階もある。

公園の木陰のベンチでゆっくりお弁当を食べ、ベンチで少し昼寝をし、カテドラルに向かった。
するとカテドラルはシエスタのため中には入れなかった。カテドラルの鐘楼にコウノトリの巣が。
 
続いて、サン・イルテフォンソ学院[大学]に向かったが、ここはスペイン語ガイド付きでないと入れない。
やはりシエスタ中で次の案内は夕方4時からだというので、入れなかった。
インフォの人がシエスタについては言ってくれ、また彼女がくれた栞にも書いてあったのだが、よく読めなかった。
サン・イルテフォンソ学院[アルカラ大学]             入り口にある街の模型。
 
この後、のんびりあちこち散策した。
この町はコウノトリの街とも言えそうで、見上げるとあちこちにコウノトリが巣を作っていた。
町の人には珍しくない風景なのだろう、見上げるのは数少ない観光客のようであった。
スペインの他の町では、上ばかり見て歩いていると、犬の糞を踏んでしまうかもしれない。
だが、エナーレスの町はとても綺麗で、犬の糞も紙くずも落ちていないので安心して上を向いて歩けます。
ほとんどのスペインの愛犬家が犬の糞を放置していくし、パトロールしている騎馬警官も馬糞は放置です。
昔のヨーロッパでは、家の中にトイレは無く、ゴミや糞尿は通りに捨てた。
この不衛生が、中世の暗い側面=ペストやコレラの大流行の原因となったとも言われている。
また、ヨーロッパ人はかなり愛煙家も多く、しかも路上で吸い、通りに捨てていく。
日本なら、「マナー・道徳」とうるさいが、ヨーロッパでは気にしない様だ。
それは、通りはゴミ捨て場であったという中世の慣習もあるが、個人と社会に関わる問題が潜んでいると私は思っているのだが、
だが、こうした事態は、人々に雇用の機会[街の清掃人]を生み出している、とも言えるのではないだろうか。
清掃人を多く雇用するのは税金の無駄遣いなのか、それとも雇用の創出なのか、見解は分かれるかもしれないが、
町中に清掃人が多いのはよく目に付くことである。
だが、ゴミ収集車の数が少ないのか、ゴミを収集仕切れず、集積場所の回りはゴミが氾濫し、きれいではない。
古代ローマ人は水洗トイレを持ち、極東の江戸では糞尿は回収して肥料とした。
とまれ、エナーレスはさしずめ「コウノトリの町」と言えそうである。
 
 
 
 
 
 
                         マドリッド門
 
この回廊も味わい深い
 
                                セルバンテス広場に面する警察署
 
サンタ・マリア・イグレシア大学
 
ドンキホーテ風モニュメント                    Cisneriano博物館
 

エナーレスは大都会・マドリッドから25kmほど、電車で30分足らずである。
そんな町に、コウノトリが巣を持ち子育てができる自然環境のある都市がある。
日本の"トキ"のように特別な対策をしているとは思えない。
人々にとって、コウノトリは大事だけど、特別のことではなく、当たり前のように共存していることが私には驚きであった。
私は、市外には行かなかったが、鳥たちが生活できる自然が豊富にあるのだと思った。
そんな鳥と人々がありふれて生活する"風景"は、貴重だ。 そこで [Google] を調べたら、

この町は人々の歩き方も少しゆっくりで、静かで、通りもゴミが落ちていなくてきれいだった。
それは学園都市と言うこともあるかのかもしれないが、観光の街ではないことも関係しているのかもしれない。
BARに入って、辞書片手にカフェオレ[熱いミルクとコーヒー]を注文したのだが、お店の人もゆっくり聞いてくれた。
さて、BARについてだが、日本にいた時、新聞でラーメン店で客がナプキンをカウンターに放置したのはマナー違反だと老人が怒り、
その女性に注意したと言う投書が載り、"賛否"の論争していたが、
スペインのBARなどでは、ナプキンを足下に捨てて行くのは何の問題でもないらしい。
それどころか、店にとっては、店が繁盛していると言う一つの証にもなるので、良いことらしい。
  
ソウルの大衆食堂でも同じ様で、トイレットペーパーロールがテーブルの下に吊してあり、ナプキンとして使用され、床に捨てていた。
日本のラーメン店でナプキンを捨てた女性は、ヨーロッパ人か韓国人だったのかもしれない。
ホテルのレセプションに父親がこの町に住んでいる職員がいた。彼にエナーレスに行って来たと言うととても嬉しそうに感想を聞いてきた。
静かでゴミの落ちていないとてもきれいな良い町でした、ホントのことを言った。
昨日は、別の職員が私の部屋の番号209について、ニ・ゼロと日本語で言いその後の9は何というのか、と聞いたきたので、
しばらく彼と日本のことを話した。
彼の名はニコラスと言うので、その名のカタカナ表記を教えてあげた。
10日も連泊すると、レセプションの職員とはすっかり顔見知りになって、部屋番号を言わなくてもキィーを出してくれた。

午後4時頃にはホテルに戻り、ビールを飲んで洗濯を少しした。
〔エナーレスのマップは、スペイン語なので上記写真の説明には間違いがあるかもしれない。〕
夕食

スペインの旅、マドリッド最終日

2011年06月29日 | スペインの旅
6月4日・土 マドリッド最終日
今日は多くの計画を入れず、かなり気ままに街を歩くことにした。
土曜の2時半以降は、国立考古学博物館とソフィア王妃芸術センターが無料なので、考古学博物館を見た後、
もう一度ピカソのゲルニカを見に行くことにした。
その前に、午前中は、ラス・ベンタス闘牛場に行こうと思った。ところが、理由はわからないのだがメトロ2号線はストップしていた。
マドリッドのメトロもだいぶなれたので、迂回して行くことが出来た。
   
 
教会                                     アメリカ通り
 
在スペイン日本大使館まで歩いた。土曜なので国旗は掲揚されていないので、よほど目の前に行かないとそれとはわからない。
建物の壁に、小さな菊の紋章が付いていた。
  

地図によると大使館の隣が国立歴史文書館なのだが、どの建物なのかわからなかった。
 
 
自然科学博物館
 
自然科学博物館前の公園
 

ホテルに戻ってランチと昼寝をした。
午後2時半過ぎ、ホテルを出て地下鉄コロン駅に向かった。
コロン駅構内から「蝋人形館」の入り口が続いていたが、写真だけ。
 
国立考古学博物館は期待して行ったのだが、工事中で公開されていたのはごくごくわずかであった。
職員がいたので、「展示はこれで全部ですか?」と聞くと、そうだ、後はインターネットで見て下さい、と言われた。
国立図書館が博物館と併設されているようなのだが、これもよくわからなかった。
  
 
  
    
   

コロン広場 コロンブスがアメリカ大陸を発見した記念のモニュメント"発見の庭"。[背後は国立考古学博物館]
 
 
 

地下鉄で、ソフィア王妃芸術センターに向かう。

地下鉄事情
これまで回数券(10回券)を二度買ったが、使い切ったので1回券切符を買おうとした。
1ユーロ入れたのだが機械が作動しない、この自動販売機はどうもカード専用機械のようだった。
スペインでは現金用にも使うためなのか、コイン挿入口にお金も入ってしまう。奥を見ると、コインが3枚ほど詰まっていた。
係員呼び出しボタンがあるが、押しても何ともない。
スペインの地下鉄の良いところは、ほとんどの駅に職員とガードマンがいること。
私は、勇気を振り絞って職員にあの機械にコインを入れたが切符が買えないと訴えた。
すると女性職員は仰々しいつぎのような書類を書いてくれ、ガードマンに見せろ、と言う。
  
ガードマンに見せると、彼は改札口をあけてくれた。
実は、私はその前に別の機械でコインで切符をすでに買ってしまっていたので、払い戻しできないかと聞いたら、それは出来ないという。
ソフィア芸術センターの帰りにその切符を使ったので、無駄にはならなかったのだが。
わずか1ユーロですが、勇気を出して言って見るもので、良い経験でした。
赤い切符はマドリッドのもので日本の切符と同じ大きさ。上は使うと裏に回数と日付が印字され10回使える回数券、中は1回券、
下はrenfeのローカル券
右の緑の切符は、バルセロナもので大きさは名刺大、上は回数券・下は1回券
 
フランス・イタリア・スペインの三カ国の地下鉄では、スペインが一番良かった。
まず、ほとんどの駅に職員とガードマンがおり、ガードマンは時々車両にも乗っていた。
運行間隔は概ね5分おきで、駅間はすこぶる短く300m位の所もあったと思う。
また、エスカレータ・エレベータの設置率もスペインがダントツで、6~7割の駅にあったのではないだろうか。
上りホームと下りホームをつなぐ通路が多かったのもスペインであった。
パリやローマでは、ホームを間違えると一度駅を出て入り直さなければならない駅が圧倒的だ。
バルセロナの車内では、現在走っている場所と次の駅名が電光表示されるのでとても良かった。
プラットホームでの標示もバルセロナが一番良かった。進行方向が矢印で示され、次の駅名の標示もあった。
 
マドリッドでは、進行方向の標示は無かったが、進行する駅名一覧が標示されていた。
値段はマドリッドが1ユーロで安い。
ローマの地下鉄の多くは、落書きが多く汚かったが、スペインは古い車両も多かったが落書きは少なかった。

では、鉄道事情にも触れておこう。
今回私は、1ヶ月間有効・5日間使用の"ユーロパス"を使った。
ユーロパスは、日本にはない切符で、有効期間と使用日数で料金が異なる。
1ヶ月間有効・5日間使用だと、26,700円である。
特急に乗る時は、座席指定券が必要だが、距離に関係なく特急だと1200円、AVEだと1300円と驚くほど安い。
また、同一日は何度鉄道を利用しても良い。つまり、長距離で同一日に何回も乗る場合にはとても安い。
そして、ユーロ圏ではもはや国境はないから、数カ国を巡るユーロパスもある。
今回、私はバルセロナ~グラナダ、ロンダ~コルドバ、コロドバ~セビーリャ往復、コロドバ~マドリッド、マドリッド~バルセロナ間、
5日間使用のユーロパスを使ったのだが、特急券(7,500円)をプラスしてトータル34,200円であった。
これがユーロパスである。

今回、私は日本の代理店「ミキツーリスト」を通じて購入した。
ミキツーリストの手数料は極めて安く、ユーロパス・ユーロパスを使用しない鉄道チケット7枚を含めトータルの手数料は1050円だった。
1.は有効期間、2.は使用日、3.は使用開始許可スタンプ、4.使用者の名前です。
3.は、「この切符の使用を開始します」という承認のスタンプで、駅事務所か旅行代理店で押してもらいます。
この承認スタンプがないまま使用すると、やはり不正使用でペナルティが取られます(確か50ユーロ)。
ローマで初めてユーロパスを使用した時、このスタンプをもらうのを忘れて大慌てしました。
その時は、駅事務所が混んでいて電車の発車が近づき、私は駅のインフォメーション事務所の人に泣きついて押してもらったのでした。
このスタンプを押してもらってしまうと、キャンセルは出来なくなります。
使用日の記入はボールペンでしなければなりません。鉛筆はダメです。間違えても訂正は出来ません。
ナイフで削ったりして訂正した場合は不正使用と見なされ罰金です。
間違えて訂正が必要な場合は、手数料(確か3000円?)が必要です。
4.の個人情報は、パスポート番号などは購入時に印字され、1.の使用期間は、スタンプを押してもらう時にを記入されます。
日本にはこの種の切符はありませんが、もしあっても日本ではもっとルーズで、間違えても訂正が許されるのではないでしょうか。
私は、なぜこんなにシビアなのかなとつくづく考えました。
ヨーロッパでは、「個人の責任」だ、と言うことではないかと私は思いますが、果たしてどうでしょうか。
割引なのだから、自分の責任で、不正することなく正直に記入しなさい、と言うことだろう。
日本では、スタンプを押してもらう時、駅職員に口頭で言って職員に記入してもらってしまうのではないだろうか。
ヨーロッパで駅職員に頼んでも、それは私の仕事ではなく、お客さんが自分でしなければなりません、と言われるだろう。
私は、鉛筆で下書きして何度も確かめて記入しました。
ヨーロッパで鉄道をたくさん乗る人、特に長距離や一日に何回も乗る人は、安いのでお勧めです。
【rennfe(スペイン公有鉄道)[英語]】、【Rail Europe(日本語)】のホームページから直接買うことも出来ます。
【ミキツーリスト(みゅう)】を通し、また【地球の歩き方】からも買うことが出来る様になったようです。
現地で買うことも出来ますが、その場合は、自動販売機がある駅もありましたが、窓口で購入が一般的で、
行列を覚悟し時間がかかる場合が多いと思います。
私は、地方都市に行く時も鉄道を使いましたが、都市によっては鉄道よりバスの方が本数も料金も安いこと場合も多いようです。
ただ、バスステーションは、一般的に市の郊外にある場合が多いこと、バス会社が多くバス会社のホームページは日本語ではなく英語であること、
申込出来る時期が、1ヶ月以内のことが多いこと、バスの時刻表の検索が難しいように思いました。
もちろん、現地で買うこともできます。

ソフィア芸術センターはかなり混んでいましたが、3階のゲルニカを始めとするピカソとダリの作品のいくつかだけを見て帰りました。
ソフィア王妃芸術センター前庭
  
早めにホテルに戻り荷物の整理をし、いつもより早めに通っているレストランに行った。
この日は、お水をもらい日本から持って行って少し残っていたウイスキィを飲んだ。
帰りに、顔見知りのボーイと明日バルセロナに行き、日本に帰るなどとしばらく話した。
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さて、いよいよスペインの旅も終わりに近づいた。
天候・時間
はじめの頃は、これも見ようあれも見たいと少し欲張った感があったが、そのうちだいぶ落ち着いてのんびり観光した。
とても多く歩いたと思う。道に迷ったりしたせいもあるが、簡易歩数計で一日1.5万歩以上は歩いたと思う。
スペインは暑いと思っていたのだが、コルドバ・セビーリャを除いて朝晩は、ちょっぴり寒いくらいで、カーディガンを着るくらいだった。
日中の日差しは少し強いのだが、木陰に入るとひんやりするので羽織る物を持ち歩く必要があり荷物が多くなってしまった。
何回か雨に降られたが大雨に遭遇したのは一日だけであった。
雨は一日中ずぅっと降るのではなく、日本の夕立・雷雨のような感じで、さぁっと降ってすぐ止むことが多かった。
スペインのテレビの天気予報は、回数も少なく、内容も貧弱で参考程度って感じだった。
インターネットの天気予報サイトの方が詳しく断然便利であった。
天気予報で、雨・雷マークがあればカサも手放せず、これまた手荷物が多くなった。
健康については問題は全くなく、便通についても何の問題もなかった。
最初の一週間ほどは時差の関係か、夜中に目が覚め、熟睡感が得られなかったのはちょっとつらかったが。
イタリアに行った時は、日本を夕方発ち着いたのは同じ早朝だったが、夜中に排便をもよおし、つらかった。
今回は深夜出発だが、乗り換え時間が短く、着いたのはやはり早朝で同じだったがその現象はなかった。
その理由はわからないが、とても良かった。時差から生じる体調の不調は日本に帰って来てからの方が大きかった。
特に、真夜中に目が覚めて暫くの時間眠ることが出来ない睡眠不良があり、通常に戻るまで10日間ほどかかったと思う。
食事については、特に問題はなかった。
一つ誤算といえるのは、「時間」についてだ。
ガイドブックでは、夜の外出は控えた方が良いというが、かなり誤解というか正確ではない。
レストランの中には、夜の7時半や8時から開店する店も多い上に、夜10時過ぎないと暗くならない。
もちろん、人通りのない夜道は絶対に通るべきではない。
私は、電車の切符を予約するとき帰りは、概ね5時頃にしたのだが、これは大失敗で、8時頃にすれば良かったと思う。
その分、出発を少し遅らせた方が良かった。
金曜・土曜の夜などは、子ども連れで深夜までわいわいがやがやである。
夕食が遅い分、朝食は軽く、そして昼食は1時とか2時とか、時にはビールやワインを飲み、
時間があればシエスタし、そして夕方はBARやカフェでお茶一杯でのんびり過ごし、その後で夕食という感じだ。
美術館や教会などは午後はシエスタしてしまうところもあるので、ぜひ訪れたい・入りたい時は開館時間などの事前の調査がぜひ必要である。
土曜・日曜無料の博物館や美術館もいくつかあるので、これも調べる価値は十分にある。        【続く】

スペインの旅 最終日

2011年06月29日 | スペインの旅
6月5日 スペインの旅も最終日になりました。
アトーチャ駅9:30発の電車でマドリッドを発ち、1時ちょっと前にバルセロナに着いた。
朝食は、7:30から食べることが出来るので、きちんと食べました。
ホテルから地下鉄を使って、アトーチャ駅に行きました。

バルセロナで地下鉄に乗った時、奇妙な行動を取る若い女二人がいた。
私より先に乗り込んだ一人の太った女は私の行く手を阻むように邪魔するのである。
私は、スーツケースを引っ張り、肩にはショルダーバッグを背負っているのだから、十分自由にはなれない。
もう一方の女がおそらく私の財布をねらったのだろう。
だが、今回私は、きちんと備えていた。
バッグの中に小さいポッシェットを縫い込み、その中に財布を鎖でつないでチャックをしていたのである。
発車間際二人の女は車両から出ていった。被害は無かった。
近くいた外人旅行者が怪訝な顔をして私を見たので、ジェスチャーで"スリ"のマネをしたら、なるほどの表情であった。
今回、スリらしき物に遭遇したのは今回だけであった。

ホテルでチェックイン後、昼食を取り、日曜日は無料なのでカタルーニャ美術館に向かった。
スペイン広場からバルセロナ見本市会場入り口のゲートを見る。 見本市会場の一施設
 
バルセロナ見本市会場からカタルーニャ美術館入り口を見る。    カタルーニャ美術館正面 
 
振り返って、カタルーニャ美術館正面からバルセロナ見本市会場とバルセロナの町
 
 
だが、私がカタルーニャ美術館に着いたのは2:40、だが、カタルーニャ美術館は日曜は午後2時半で閉館だった。
しかし、前回来た時は、スペイン広場からカタルーニャ美術館に向かうバルセロナ見本市会場の通りは閉鎖されていた。
その事情は、私にはわからないが、今日は通ることが出来るのでいい写真が撮れたと思う。
次に、海岸のオリンピック村に向かった。地下鉄の路線を間違えてしまい、1km位歩いた。


   
おそらくここは埋め立てた人口海岸なのだろう。海水浴を楽しむ人々がいた。
1992年のオリンピックを機に開発され、他のバルセロナとはちょっと違ったイメージで、カジノや魚をイメージしたモニュメントなどがあった。
カジノ
 
トイレに行きたくなったので、BARに入ってビールを飲んだのだが、なんと、その店にはトイレがなかった。
海岸の売店で聞くと、ビーチにあるという。近いかと聞くと、1分だという。4分はかかった。
  
                                     左はArtsホテル、右はTorre Mapfre(保険会社)
 
                                     近くには、動物園もある
 
その後、サグラダ・ファミリアに行った。
サグラダ・ファミリアは正面前の通りを渡って所に池があり、その先からこのポイントがある。
だが、私はデジカメの画素数を豊かにしなっかったので、少し貧弱な写真になってしまい残念でした。
 
夕焼け時のサグラダ・ファミリアを見たいのだが、スペインでは夕焼けは10時半過ぎではないだろうか。
それまで待てないので、ぐるっと一回りして帰った。
ホテル近くに少し勝手を知った安い食堂があるので向かったのだが、3週間が経っていて記憶が曖昧で、海側に行ってしまった。
夕食(23.45ユーロ)                           アイスクリームのトッピング
 
冷たいレッドワインをハーフボトル飲んで、いい気分でおみやげを探したがいいのが無いので結局買わなかった。
それでも、黄昏迫るカタルーニャ広場は名残惜しい雰囲気を持っていた。 スペイン一のデパート・エル・コルデ゛・イングレス
 
男性同士が路上でキス、ちょっと失礼ですが撮らさせていただきました。ただ、カメラが少しぶれたようで。
 
カタル-ニャ広場は、夜遅くまでアフリカ系の人が店を開き、1ヶ月前には無かった「より良き社会を15M運動」のテントも建てられていた。
 
 
カタルーニャ広場には、たくさんの簡易トイレが設置されていました。
  
                                     バルセロナ一の繁華街・ランブラス通りを海側に。
 
BARの様子


ホテルでシャワーを浴びようとしたら、お湯が出なかった。
レセプションにそのことを言うと、すぐ見に来てくれた。湯の調節弁が左右逆だけだった。
洗面所では左、シャワーは右に回すとお湯でした。レセプションのお兄さん優しく、ありがとうに「ユーアーウエルカム」と言ってくれました。

6月7日 帰国へ、
11:05発の飛行機だったが、良い席を取りたいので早起きし、前日に用意した朝食を部屋で食べて出かけた。
ゆっくり歩いてカタルーニャ広場の空港行きバス停に行きました。空港行きバスはたくさん出ていて、4.30ユーロ。
バルセロナ空港では、エコノミー症候群に備えて散歩をたくさんしました。
アムステルダムの空港は警備が厳しく、スキャンするのだろう機械に入れられ3秒ほど万歳をし、その後、ボディタッチチェックが行われた。
オランダのスキポール空港は、小国オランダですが、私の印象ではパリ、バルセロナ空港より広かったように思いました。
成田や羽田はパリやアムステルダムと比べるとホントに狭いなという感じ、これでは国際競争には勝てないですね。
オランダ空港内のお店                         広場
 
搭乗手続きは日本語モードの機械で出来るのだが、座席指定はかなりインチキで、画面上では広い席だったのに実際は違っていて残念。
パスタの夕食と                             オムレツの朝食
 
隣の席が、空席だったのはとても幸いであった。ソ連上空を通るため飛行距離、飛行時間は10時間10分と短くとても良かった。
私は、約3時間に一回程、ジムのヨガ教室で習ったストレッチをし、手足のマッサージ、トイレも頻繁に行き、時々飛行機内を歩いた。
ぐっすり眠ることが出来る人は良いが、眠れない人は眠ろうとしないで飛行機内でトイレ・ストレッチ・散歩をする方が良いと思う。
私は、旅行中もストレッチを朝1時間ほど欠かさず行ったのも良かったと思う。
横に10座席もあり、2階もある巨大な飛行機が、時速950kmで飛ぶのだから驚きであり、危険この上ない。
乗ってすぐウイスキー、夕方5時頃の夕食にはワイン、その後夜8時頃にはアイスクリーム、飴などいろいろ配られた。

1ヶ月のスペイン旅行の終わり頃には、このままずっと外国にいても生活できるかななんて気分になった。
私のヨーロッパへの旅は、これでひとまず区切りである。
イギリス、ドイツはあまり興味が無いから。でも、イタリア・フランスは再訪したいと思う。
その時は、もう少しのんびり街歩きを楽しみたいと思う。
アジア、特にベトナムは訪れたい。ベトナム・ホーチミン市にトランジットで二日、ダナンに一日だけだったから。
韓国も地方都市を訪れたい。中南米は遠すぎるかな。

ホテル・朝食・買い物について
今回のスペイン旅行でのホテルは、二つ星・三つ星の安い(一泊5500~7000円)ホテルであった。
日本語で申し込めるインターネットサイトが数多くあり、手数料は料金に含まれているが決して高くなく、安いと思う。
日本語での説明ではバスタブ付きとあったが、実際はシャワーのみの所がほとんどであった。
私がバスタブにこだわる理由は、バスタブがあると洗濯が簡単だからだ。
外国でコインランドリーを使ったのは、フランスで一回だけだった。
イタリアでは、洗濯屋の一角にセルフランドリーの機械を置いてある店がいくつかあったが使わなかった。
安いホテルでは、コンチネンタル朝食付が多いようだ。
コンチネンタル朝食とはネーミングはよいが、パン(ジャムやバター)と飲み物(コーヒー・お茶・ジュース)が基本で、
スライスチーズやハム、ヨーグルトなどが付く場合もあり、場合によっては卵や果物が付くアメリカンタイプのこともある。
日本の旅館やホテルなどのいわゆるバッフェ=バイキング形式のスタイルではなく、いたってシンプルである。
ヨーグルトや果物などは、近くのスーパーやミニマーケットで買うことができる。
韓国や台湾には、日本のようなコンビニは結構あったが、ヨーロッパにはない。ローマやパリには超ミニスーパーがあった。
その経営者は中国系、韓国系、インド系が多かったように思う。
まだツテや語学が出来ないアフリカ系の人のように路上のお土産売りから、屋台や小さなお店からだんだん大きくして行ったのだろう。
バナナやリンゴなどの果物や野菜は一つ単位の測り売りで買うことが出来る。
だが、紙パック入りのジュースやミルク、ヨーグルトなどの小さい一つ売りはなく、大きいかいくつかのパックだった。
いずれにしても、これらの食べ物飲み物は、町中で簡単に手に入れることが出来る。
自動販売機もあるが私は、使わなかった。
冷蔵庫があれば申し分ないが無くても町中で安くくことが出来るので困ることは無かった。
ホテルでは、遠慮していてはダメである。相手から進んで情報を提供してはくれない。
例えば、インターネットを使うにはどうすればいいか、マップはあるか、地下鉄・バスの乗り方は、
タクシーは幾らか、〇〇に行くにはどうしたらいいか、など何でも遠慮無く聞いた方が良い。
聞かなければ相手からすすんでは言ってくれないが、聞けば親切に教えてくれる。
出来ないサービスは出来ないとはっきり言ってくれる。
言葉が十分ではないと遠慮したり恥ずかしがらずに、どんどん聞き、頼んだりした方が良い。

ヨーロッパの石の建物・都市
さて、スペインの観光だが、その評価は簡単ではない。
私は、自然の景勝地よりどちらかというと人が作ったものの方に興味がある。
ヨーロッパは、なんと言っても"石"の文化・都市である。
日本では100年前の建物はもうほとんど目にしない。
ヨーロッパでは、1000年前の建物が今なお現存し、そこに人々が今日もなお住んでいる。
町中の路地は、車一台がやっと通れる広さのでこぼこの石畳である。
ヨーロッパは古来より内乱や戦争が繰り広げられて来たのに、このように古い町並みが残されていることは驚きである。
日本で「もったいない」が流行語になったが、私はヨーロッパの古いものを大事に使う精神は、日本との比ではないと思う。
日本の"スクラップ&ビルド"はすざましい。住宅はリフォームするのではなく、30~40年で建て替える。
封建貴族や名家や王家帝国主義や教会権力が人々を搾取して蓄積した冨や財宝などには怒りも覚えるが。
日本の鉄道駅はどこも同じ、日本の町はコロニアル式の屋根・新建材の同じ家並み、どの町を歩いても同じ風景である。
ヨーロッパは、諸民族・王族の支配が入り乱れてきた。支配者の領土の境や国境は極めて変動的で、統一国家はなかなか形成されなかった。
国と言っても人口10万人ほどの都市国家が郡立し、それよりはるかに小さな村落がミニ国家のようにあった。
ヨーロッパの旧市街地の基本思想は「防衛」、「相互の不信」、「相互の相違」である。
外的の侵入に備えて、自分たちの住居を小高い丘の上や川や渓谷に囲まれた所を城壁で囲んで作った。
従って、町は狭く、万一敵に進入された時、敵が進みづらいように住宅は密集させ、迷路のように路地を作り、農地はその外に作られた。
庭は、道路に面さない中庭となり間口は狭くなった。
最も戸口が狭くなったもう一つの理由は、封建領主が間口の広さに応じて税を取ったという説もある。
[江戸時代、この政策が取られ、京都江戸の間口は狭くなったと言われる。]
新たに住宅やインフラを作る余地はほとんど無かった。
後の時代の鉄道や幹線道路は旧市街地の外を通るしかなく、そこに新市街地が作られるようになった。
新市街地と旧市街地の風景・雰囲気は大きく異なる。
おそらく若い世代の多くは徐々に交通の便の良い新市街地へ移入し、旧市街地は過疎化が進んで行くのではないだろうか。
だが、"便利"についてもヨーロッパには独特の考えがあるように思う。
私たちは、「安く・便利」を優先して、小売店より、巨大スーパー・量販店・ディスカウント店を優遇・多用している。
ヨーロッパでもちょっと大きく安いスーパーが出来はじめているが、小売店・専門店の方がはるかに多い。
多くの店のシャッターが閉じられている日本の商店街の風景をスペインで見ることはなかった。
刃物だけ売っている店とか、ブラシだけの店とかが店を構えて成り立っていることに驚く。
様々な日常品をを修理する店・工房のような店もある。
日本なら、古くなったり使い勝手が悪くなったら修理しないで捨てて、「百均」で簡単に済ませてしまう。
道路もそうだ。日本では、60年代後半の反戦平和運動で敷石が投石用の石に使われてから、歩道は全て舗装アスファルトに変わってしまった。
ヨーロッパの古い町では、歩道も車道も石畳が圧倒的に多い。
石畳の道は、ゴミがたまりやすく、車椅子は通れないし、車の乗り心地は悪く音がうるさいが今なお修理して使われている。
車と言えば、ヨーロッパも車社会ではある。
だが、フランスでは、歩行者が横断歩道の前で立ち止まると車はほとんど止まる。スペインは80%、イタリアは70%位の感じだった。
車が黄色信号で止まらないで横断歩道に入ろうものなら、年寄りの歩行者にものすごい剣幕でドライバーを怒る。
そのくせ、歩行者は赤信号でも車が来なければ信号無視して渡るし、信号のない所でも大いばりで横断する。
だがそんな場合でも、クラクションを鳴らす車はほとんど無かった。
駐車場が少ないのか、駐車場料金が高いのかは分からないが、ちょっとでも隙間があれば路上駐車する。
私には、道路・道はみんなのものだから勝手に使って良いという考えがあるのではないかと思う。
例えば、広場や歩道にイスやテーブルを数多く置いて、屋外カフェの店がたくさんある。
そこの店を出す権利は誰が認め、賃料や税金はあるのだろうか。
狭い所に止めるので、入庫・出庫の時に前後の車に触れることも多々あるようで、多くの車は前後左右に接触傷があった。
サイドミラーをガムテープでくっつけている車を多く見た。
日本の中古車市場や下取り制度などが普及しているとはとうてい思えない。
他方、ベトナム・カンボジアでは交通信号がほとんど無く、韓国も少ないので道路の横断は至難の業であった。
シンガポールは車ステータス社会で、猛スピードで走り、横断歩道などで止まる車は少なかった。
ちょっと脱線してしまったが、支配者が変わっても石の建物は残ることが多い。
キリスト教時代、イスラーム時代、そしてキリスト教時代と宗教も変化したが、町の一番大きい建物である教会は、
破壊して建て直すより、リフォームの方がはるかに安かった。
そんなわけで大聖堂[スペイン語でカテドラル、英語でカシィードラ]の外観はそのままに、内部が建て替えられた。
スペインのイスラームの最後の拠点だったコルドバには、メスキータが残っている。
メスキータとは、スペイン語でモスクのことである。内部にはモスクの柱の広間が残っているが、祭壇はキリスト教様式である。
メスキータを出るとユダヤ教の教会・シナゴーグとユダヤ人街があり、アラブ浴場跡もあり、キリスト教会があり、独特の街を作っている。
そこから30分も歩くと新市街地で今日的高層ビルが建ち、並木道の歩道の方が車道より広い、道幅40m位もあるメインストリートがある。

トイレ事情
トイレ事情は、すこぶる悪い。
ヨーロッパに公共トイレがないのには、二つの事情があると私は思う。
一つは、特に中世以降ヨーロッパには建物内にトイレは無く、オマルで用を済ませ、汚物とゴミは路上に捨てた、と言う。
おそらくそれは住居スペースが狭く、また石の高層建物では汲み取りトイレは構造的に作るのが難しかったのではないだろうか。
2000年前の古代ローマ人は水洗トイレを持っていたのにである。
人類の月日の経過は決して、人間社会・文明の進歩や発展では決してないということがよくわかる。
また、ヨーロッパの街は、坂が多いので汚物は雨水と共に坂を流してしまえ、と言うことだったのかもしれない。
こうした習慣・慣習の不衛生がヨーロッパのペストやコレラの蔓延と流行を産んだと言われている。
女性の長いスカートは、簡単にオマルを使えるという説もあるほどだ。
もう一つは、ちょっとややこしい話で、私の考えもまだ十分に整理されていないのだが、「公と個」に関わることで、
通りは公のものだから汚しても構わないと言う考えをヨーロッパ人は持っているのではないかと私は思っている。
トイレは個人の問題なのだから、公的機関が設置したりサービスしたりする必要は無いと思っているのでは無いだろうか。
鉄道とバスのターミナルには小規模なトイレがあったが、鉄道・地下鉄の一般の駅、広場や公園にトイレはない。
駅の中には、トイレの鍵を駅事務所に借りに行く駅もあった。
イタリアの駅は有料トイレが多かったが、スペインの駅では見かけなかった。
イタリア・トルコの鉄道内トイレはきれいでなかったが、スペインのは概ねきれいであった。
 
BARやレストランには、トイレはあるが絶対数が少なく、かつきれいではない。
このきれいではない理由の一つは、ちょっと前までヨーロッパも、水洗トイレの水圧が低くトイレットペーパーは便器に流さず、
備え付けのゴミ箱にすてるのが一般的であった。今日ではそんなことは無いのだが、その習慣の名残が残っているのだろうか。
飛行場やAVAの新しい駅にはきれいなトイレが作られているが。
スペインでは、有料の路上トイレをかなり頻繁に見た。いくらで使えるのか実際に試すべきだったと今は思っている。
    
博物館や美術館にはトイレはあるが、数がとても少なく、とてもわかりにくい所にある。
      
そして私が一番気に入ったコルドバ・メスキータのイスラーム式トイレ[戸が無いので使われていないのかな]

アジアのトイレもそうだったが、男子小便用の便器の高さはとても高く、背の低い私は多くの場合ドア付きの便座を利用した。
ギリシャやトルコ、中南米やインド、エジプト、イースター島などでは有料=チップトイレが多くあった。
それは、それで生活の糧を得ている人々が少なからずいるということで、今でもヨーロッパの一部に残っている。
ガイドブックには、街でトイレに困った時は、ホテルのを借りろと書いてあるが、私にはその勇気はなかった。
1番簡単なのは、BARやカフェやレストランに入って、一番安い水かエスプレッソ(1~2ユーロ)を頼めばいい。
長距離バスの中には、車内にトイレがあるバスもあったが、トイレの掲示はなく普通は使わないようで非常用と思う。
親も小さい子どもなどは車の影でさせるし、「BARを利用できない大人」は路上でしてしまうことになる。
早朝のゴミ集積場周辺はアンモニアの臭いがし、その後クレゾールの臭いがし、店頭は水で洗い流している。
今後ヨーロッパは公的機関・場所には無料の公共トイレを作り、市民も汚さないできれいに使うことが求められると私は思う。
ヨーロッパでは犬を散歩させる人を多く見た。犬はリラックスすると糞をする。
他人が見ていると糞の始末をするが、人がいないとほとんど放置のようである。
私は始末するフリをして立ち去った人も多く見たし、路上にたくさん糞が落ちていることを見れば明らかだ。
従って、町を歩く時は上の景色ばかり見ては行けない。下を見、スリ対策で後方にも目を配る必要がある。
また、ヨーロッパでは観光馬車や騎馬警官もおり、趣味で馬に乗っている人も一人見た。
観光馬車は馬のお尻に袋を付けて糞を回収しているが中には落とすものもいるし、騎馬警官はそのまま立ち去る。
また、ヨーロッパでは路上喫煙者がとても多く、若い男女が目立つ。彼らのほとんどは路上に吸い殻を捨てて行く。
そして、数多くの掃除人が早朝から深夜まで町を掃除している。
   
私には、動物の糞の放置や人が通りにゴミを捨てるなどのことは実は多くの雇用をう産んでいるとさえ思えた。
逆説的に言えば、人々が糞やゴミを捨てず、ボランティアで町を掃除すると多くの清掃人はその仕事を失うことになる。
日本では、ゴミ箱はほとんど撤去されてしまったが、スペインでは歩道、駅構内、公園などにはたくさんのゴミ箱が設置され、
その清掃も頻繁に行われているので、おそらくポイ捨てはだんだん少なくなって行くに違いない。

さて、無粋だが今回の費用
*飛行機:146,000、*ホテル:185,000、*電車代:54,000、*現地ツアー:29,000、*食事その他:142,000、*計:556,000前後か。
*ホテルは、「地球の歩き方」と「楽天トラベル」を使った。「地球の歩き方カード」使用は5%引きとなる。一部屋二人使用だともっと安くなる。
*現地の支払い現金は5、10、20ユーロ紙幣を主に750ユーロほど用意し、650ユーロほど使った。後は、カード支払い。

では、最後にいくつかのおもしろ写真を。
  
  
 
   
  
  
  
    
    
     【終わり】  
 

   

スペインの旅、無事帰国

2011年06月07日 | スペインの旅
6月7日、成田に8時20分頃到着しました。
飛行機の良い席を確保しようと3時間も前に行き、搭乗手続きの画面では良い席だったのですが、
画面と実際の座席表は異なっているようで、望んだ席ではありませんでした。
しかし、隣の席が空席だったことと、後ろが壁の席だったので、まあまあでした。
帰りはの飛行機は、オランダ航空でした。
バルセロナ空港では、運動のため飛行機に乗る前は、出来るだけ歩き回りました。
オランダのスキポール空港はとても巨大で、同時にセキュリティも厳重でした。
体を触るボディチェックは初めてでした。
日本に向かう飛行機にはほとんど日本人アテンダントがいるので言葉の問題は全くありません。
アムステルダムの空港内のお店の名前か、ほとんど「オヤジギャグ」でした。


ヨーロッパに行くには、ヨーロッパ北部の航空会社が良いようです。
と言うのは、それらは北回り、つまりロシア上空を通って日本海から日本に入るため、
南回り、例えばシンガポールやベトナムやドバイなどを経由するより距離・時間がだいぶ短いのです。
今回は、バルセロナからアムステルダムまでが約2時間ちょっと、そして乗り継ぎ時間が約1.5時間、
アムステルダムから成田まで10時間15分ほどでした。
以前、ベトナム航空でパリに行ったときは、ホーチミン市からパリまで15時間ほどではなかったかと思う。

さて、今回の旅行記、どのようにとりまとめようか、思案している。
明日から、始めようと思う。

スペインの旅、最終日

2011年06月05日 | 海外旅行
6月6日、いよいよ最終日、でも時間がないので、簡単に。
9時半にマドリッドを立ち、1時にバルセロナに着いた。
バルセロナ美術館は第一日曜日はフリーだというので出かけたが、2時半で閉館、間に合わなかった。


海岸の、オリンピック村に向かった。


最後に、サグラダファミリアを再訪した。


スペイン最終日、夕食後カタルーニャ広場などのゆっくり散策を楽しんだのだが、荷物の整理や、
明日が早いこと、インターネット事情が悪く部屋ではできないなどの事情で、書きたいことは色々あるのだが、
今日はこれで終わり。
書きたいこと、感想は山ほどあります。帰国して、ゆっくり書きましょう。

スペインの旅、アルカラ・デ・エナーレス

2011年06月03日 | 海外旅行
6月3日・金 
マドリード予備日で、ちょっとマイナー気味だがアルカラ・デ・エナーレスという町を訪れた。
ここへは、電車の切符も予約も必要ないローカル線なので、とても気分は楽だ。
マドリッドの鉄道"renfe"は、日本の新幹線のような特急路線と近郊ローカルがあり、
特急路線は、改札の時、空港と同じようなセキュリティ検査があり、有人の改札口で入念な切符の改札を受ける。
一方、ローカル路線はすべて自動改札で、しかも料金がほとんどメトロ並み、アルカラ・デ・エナーレスまで、2.65ユーロであった。
10:30にアトーチャ駅を発ち、アルカラ・デ・エナーレスに着いたのは、35分後であった。
この町は、ドンキホーテの作者セルバンテスが生まれた町であるとともに、
1499年に設立された大学・アルカラ大学の町とも言われ、
他の観光地や大都市と違い、観光客も少なく、通りを歩く人もゆっくり、静かで、
とても落ち着いて、穏やかな感じがした。
通りの案内板を頼りに、町の中心地・セルバンテス広場のインフォを目指した。
インフォの女性は、トレドのインフォ職員と同様とてもてきぱきとわかりやすい説明だった。
セルバンテス広場


セルバンティス生家(左)[中に入れるのわからず、後に再訪]、その隣の彼の父親が勤めていたアンテサナ病院(右)



コウノトリの街と言えるようで、見上げるとあちこちにコウノトリが巣を作っていた。
 

BARに入って、辞書片手にカフェオレを注文したのだが、店員もゆっくり聞いてくれた。
日本のラーメン店で、客がナプキンをカウンターに放置したのはマナー違反だと老人が怒って、新聞に投書し、論争していたが、
スペインのBARなどでは、ナプキンを足下に捨てて行くのもマナーらしい。

「どうだ、これだけ多くの客が来ているんだぞ、ってことらしい」 
さてさて、文化は色々であるようだ。
ソウルの大衆食堂でも同様であった。
そこでは、トイレットペーパーがロールのまま置いてあり、客はナプキンとして使用し、床に捨てる。
それは決してマナー違反ではない。
日本のラーメン店でナプキンを捨てた女性は、ヨーロッパ人か韓国人だったのかもしれませんね。

スペインの旅、トレド2

2011年06月02日 | 海外旅行
6月2日、昨日と同じ電車でトレドに向かう。
二日目となると余裕で、最後に電車を降り、ゆっくり歩いて旧市街地に向かった。
歩いて10分足らずで、アルカンタラ橋に着く。
門を潜ると旧市街地=城壁の中だ。
ここからかなり急勾配の坂を上るか、もっと急な階段を上るかすると、中心地ソコトベール広場に着く。
ソコトレンというミニ観光バスが市内を一周し、昨日の絶景ポイントまで行くので、午後3時のチケットを購入した。


ここから道に迷ってしまった。
エル・グレコ美術館ともいえるサント・トメ教会を私が混同したことにあるのだが、
とにかくガイドブックもマップもとてもわかりにくいのだ。
迷いに迷いサン・フアン・デ・ロス・レイエス教会のチケット売り場で、この場所を聞いて確認し、やっと自分のいる地点がわかったと言う次第。



サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会


トランシト教会


エル・グレコ生家


サント・トメ教会[いわばエル・グレコ美術館]


カテドラル


ソコトレンで市内を一周した後、サンマクロスカルチャーセンターを見、
その後ゆっくりトレド駅まで歩いた。
今日は、日本人のツアーにいくつかあった。

スペインの旅、トレド1

2011年06月01日 | 海外旅行
6月1日、10時20分発の特急でトレドに向かった。
トレドは、二日間取ったので気分的にすごく楽だ。
マドリッドからノンストップ、30分であっという間に着いた。
車両は6両くらいだったか、ほぼ満席だった。
駅の中に、インフォがあり、カウンターに着くや、マップをくれ、きわめて手短にわかりやすく説明してくれた。
行きは、旧市街地中心地まで、0.95ユーロのバスで行ったが、帰りは歩いた。
歩いも15分ほどなので歩いた方がいい。

さて、今日の目標は、次の写真を撮れる所に行くことだった。
旧市街地が一望できるポイントだ。

このポイントまでは、1時間に1本の7.1バス[これも0.95ユーロ]に乗るのだが、アルカサル前がバス停だという。
場所が分からず、途中で時間待ちしていたバスの運転手に聞いたら、最初のバスで降りた所の目の前だった。
でも、11:45発のバスがあり、15分ほど待つとバスが来た。
運転手に、もらった地図で絶景ポイントらしき“Emita del Vaalle”を示し乗車。
すると、そこに着くと、どうもそこはバス停ではないらしかったのだが、何か声をかけた。
するとバスの乗客の何人もが、私を指さし、「ワイワイ」、ここで降りろと言うことらしいので降りた。
私としては帰りのバスの心配があったが迷わず、降りた。
しばらく歩くと、このポイントに着いた。
アルカサルなどが見えるので、これからは歩くことにした。
おそらく30分はかからず、旧市街地に戻ったと思う。

旧市街に入り、用意していったサンドイッチや果物の弁当を木陰のベンチで食べた。

サンタ・クルス美術館[小さな考古学博物館も併設され、無料]

エル・グレコの絵


この後は、特別の目的場所を決めないで、旧市街の北側をあちこち歩いた。
そしてトレド駅に歩いて向かうことにした。
アルカンタラ橋


天気予報では、トレドは25度・快晴であったが、冷たい風が吹き、長袖ティシャツ2枚でも寒く、
その上から、長袖ワイシャツを着た。
もちろん、歩き出せばワイシャツは脱いだが。
不思議なのは、電車賃だ。
行きは10.60ユーロ、帰りは14.99ユーロ、行きが3分だけ時間が長かっただけなのだがぁ。