6月24日(月)最後の寄港地・メキシコのマンサニージョ出航後、18日間、どこも立ち寄らず、陸地も見ません。
18日間、どこも立ち寄らないなんて、このクルーズ計画は明らかに失敗です。
マンサニージョ出航 アリッサ CK
エデゥー、アンジェラ、サラ ヨハンナ、シンディ マウイ
数回のGETのクラスとGETのイベントなど以外何も無く私は、特別なこともせず、読書とウォーキングと筋トレをしました。
操舵室見学 6月27日、希望者は操舵室を見学できました。(数日に分けて)
貧弱ですが、船長が座る席とのこと
速度表示器 ブラインド 地図
震度計 水準器
レーダー 舵 スタビライザーの表示 方位計
旗による信号置き場
舵(自動運転です) 海に投げ込む非常通知装置
メキシコ以降の夕飯の一部
7月2日 TOEICテストを受けました。テスト時間は2時間、はリスニングテスト45分、とても難しいです。休憩なしの2時間はとても長く、
すごいストレスでした。1時間20分間ほどは集中していたのですが、以降はトイレに行きたくなったり、伸びをしたくなったりでした。
模擬テストの時は、時間切れで30問近く解答できませんでした。
今回は、15問ほど解答できませんでした。授業で教わった受験テクは、「当てずっぽうでもいいから全問解答しろ」でした。
残り5分で適当に解答しました。テストの目的は実力を測定するためですから、当てずっぽうの解答は正しいとは言えないと思うのですが。
解答は三つか四つの項目から一つ選ぶ形式ですので、当てずっぽうでも「正解」となり得るので点数は誤差が計上されるべきです。
解答総数は200問、1問5点、満点は990点です。模擬テストより80点ほどはプラスだったと思うのですが果たしてどうでしょうか。
[帰国後、採点されて郵送されました。だいたい予想通りの出来でしたが、500点には遙かに及ばずでした。]
点数はともかく、こんなに集中するのは何十年ぶりかで、終わったときはどっと疲れが出ました。
7月2日 インドネシアディ(夕食後、インドネシア人スタッフによるパフォーマンスがありました。)
7月4日 日付変更線通過(7月3日0時を過ぎると、瞬時に7月5日となります。)
7月5日 GETスピーチフェスティバル
ブレーキ エデゥー アリッサ ニコラス
7月6日 GET 卒業式
7月6日 GET 卒業パーティー
7月7日 GETクラスでの飲み会
7月9日 検温、下船説明会、船長主催のフェアウェルパーティ、フェアウェルディナー
夕食時クルー達による合唱のパフォーマンスがありました。
私の大好きなハウスキーパー三人組
7月10日 パッキングデーです。
7月11日 宅配便荷物と大きい手荷物の運び出し。これらを港のターミナルまで運んでくれます。
そうしないと、下船当日、通路やエレベーターが大混雑になり、大変な時間がかかってしまいます。
来るときは段ボールが三つと大小二つのスーツケースとリュック一つでした。帰りは、段ボールが一つ減りました。
お酒や食べ物そして日常消耗品(オーバーランドではシャンプーや石けん、ティッシュ、トイレットペーパーなど必要ですが、
キャビン内では不要です)は使って無くなったからです。洗濯用バケツとシャワー用椅子などは捨てて来ました。
7月12日 10時過ぎ、東京湾に入り、11時30分横浜港に着岸しました。
スポーツジム清掃のペルー人ネストル
1時30頃パスポートが返却され、14時頃から下船が始まりました。上の階から順です。私は5階なので4時過ぎでした。
ターミナルで、前日運ばれた荷物を受け取り、検疫・税関検査がありましたが、書類を出すだけでした。
入国面接審査は日本人はありません。
宅配便を頼むのに少し行列しましたが、10分位でした。JRの関内駅までタクシーで行きましたが、全く並ばず、ワンメーターでした。
電車は、きれいですいていました。ほとんどの乗客がスマートフォンで遊んでいて、日本人の大人がすごく幼く見えました。
と言う私も、MR3で音楽を聴きながら、うとうと、ですが車内アナウンスが何と子供じみていて騒々しいことか。
電車の中で寝ても、スリの心配も無く、乗り過ごしてもすぐ引き返せば良いのですから、本当に安心でリラックスできます。
公共の場、特に通りがきれいなこと、公共交通機関の安全、そして至る所にある無料できれいなトイレ、これらは日本のとても良いところです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
持ち忘れた必需品
湿布剤とうがい液(無料のイソジンが一つ配布されましたが、風邪の大流行で足りず、追加で買いました)、スペイン語の辞書、
果物ナイフ(私は持って行ったのですが小さすぎました)、世界地図(私は、抜粋しか持って行きませんでした)、小銭入れ、
マスク(風邪の大流行で足りませんでした)、筆記用具(沢山落としたので)、セロテープ、メモパッド、お湯を入れる魔法瓶
持って行って重宝した小物:
マイ枕、両面テープ、大きいカレンダー、厚手のシーツ(毛布だけでは寒いとき便利でした)、MP3(二つ持って来て大正解でした)、
卓上ファイルボックス(=紙で出来た本立てみたいなもの、これは必需です)、卓上棚(眼鏡などの小物を置くのに便利でした)、SDメモリー、
薄手の軍手(ウォーキング時)、パソコン用スピーカー(1000円ほどで買ったのですが、大正解でした)、
シャワー用椅子、洗濯用バケツと洗濯板(ランドリーサービスを利用しましたが時には使いました)、便座シート、除菌アルコール、ペン型ライト、
目覚まし時計、マイカップ(持参した日本茶ティバッグを飲む)、はさみ、カッターナイフ、爪切り、ヨガマット(キャビンでストレッチをしました。)
不要だった物:
洗濯グッズ(私はランドリーサービスを利用したので洗剤、ロープなど)、でも時々洗濯ししたので大きめのバケツは良かったです。
船には、プールやジャグジーがあります。私は、水着は持って行きましたが使いませんでした。
卓上扇風機を準備しましたが全く不要でした。キャビン内は冷房が効きすぎで、私は送風口ノズルを最小にしていました。
絶対必要な物:
海外保険:私は幸い保険を請求する事態は生じませんでしたが、保険は絶対に必要と思います。
3ヶ月間、船内は風邪とインフルエンザが大流行でした。
インフルエンザと診断されると隔離され、治療費の他に、個室利用料や食事配達料が必要となります。
私は、一人用キャビンで多くの人が人が集まる講演会などは参加しませんでしたので感染のリスクが少なかったと思います。
私は、死亡保険はオプションせず、治療救援費用2000万、賠償責任5000万などを主とし、保険料⇒39,810円でした。4ヶ月なので少し高いです。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
日常の生活
私は、十分この船旅を楽しみました。旅は、いつでもどこでも楽しいです。
今回一番痛切に感じたのは、妻への思いです。私は、わがままで偏屈でその上怒りやすい性質です。
家では、些細なことに腹を立てて怒っていましたが、妻は「どこ吹く風」で、私のわがままを見逃しています。
私は、5年前に乗ったピースボートでは、このことは感じませんでした。
疑いも無く私が歳を取ったから生まれた感情であることは疑いの余地はありません。
また、私の娘と息子がとても大人でしっかりしていると感じました。
船にはかなりの若者が乗っていました。私は彼らと積極的に話そうとは思いませんでした。
夕食は彼らと相席になることがたまにあるのですが、面白い話はほとんどありませんでした。
それはアダルトも同様なのですが、食事やツアーや同室人々への不満などが話題の中心で、それを聞くのは退屈で苦痛でした。
旅の楽しみ方は、人様々なのですが、分刻みに行動している人も結構いました。
早朝のラジオ体操、日中行われる様々な行事・例えばダンス講習会、講演会、映画会、卓球、麻雀、碁などです。
若者は、エイサーや運動会やミュージカルの練習です。
多くの人が四人部屋です。狭いキャビン内では読書したり、音楽を聴いたり、勉強することはできません。
キャビン内は、机もシャワーも一つだけですし、荷物と洗濯物が所狭しです。
他人に煩わされないで読書したり勉強したりリラックスできるスペースはありません。
通路にわずかに置かれたソファーと講演会などで使用されないときの共用スペースしかありません。
ジムも、ランニングマシンが1台とクロスカントリーが2台、わずかなダンベルとベンチが2台あるだけです。
仕方なく、ウォーキングは甲板を歩くのですが、1周250メートルほどで、それも直線では無く、階段を昇ったりです。
でも、私は、1日2万歩ほど歩きました。レストランへ行ったり疲れて気分転換のため甲板や廊下をのんびり歩いたりなど全てを含めてで、
ウォーキングは1万3千歩くらいだと思います。
朝食前40分、夕方1時間ほど歩きました。一日目はダンベルで上半身の筋トレ、二日目はキャビン内で器具を使わない下半身筋トレ40分、
三日目は筋トレをしないでウォーキングを少し多めにし、寝る前にストレッチを毎日30分するのが日課でした。
それでも筋肉は衰えました。
本は20冊ほど用意して来たのですが、塩野七生さんの『ローマ人の物語』のカエサル編とその他数冊を読んだだけでした。
GETと通訳者
GET(英会話教室)は30回ありました。私はオーバーランドツアーなどで5回欠席しましたが、1回20分の補修がありました。
難しい宿題がほとんど毎日出て結構大変でした。やっていかなくてもペナルティはありませんが。
その他、個人の日記とクラスの日記がありました。私は、個人日記を少しとクラス日記を2回書きました。
先生は、文法上の間違いを訂正してくれるのですから大変でした。
私のクラスは、男性3人女性3人の六人でした。年齢は、64~70歳でした。
英語力が一番無かったのは私でしたので、後半は私は正直疲れてしまいました。
クラス分けの時の面接で、私がスムーズに受け答えできてしまったため、私はアドバンスクラスに入ってしまったのです。
それに最初の2回はオーバーランドツアーで欠席でしたので、クラス替えの機会も逸しました。
クラスメートは英語力がある上に、とても穏やかで、自分の考えをしっかり持っていて、とても良かったです。
私がわからないときは、面倒がらずに親切に援助してくれました。
CCと言う通訳者集団が十数名船に乗っていました。
通訳技術は、5年前より遙かに優れていましたが、彼らの何人かにはとてつもなく辟易しました。
たまたま両親の仕事の関係で外国で生活して英語を習得する機会に恵まれただけなのに、自分はさも優秀であると自慢話をする人が多く、
どこのサーモンはおいしかったとか、つまりたくさんの外国を訪れたことをとにかく自慢するのでした。
私が英語に関してわからないことがあって彼らに質問すると、早口の英語でまくし立てて、その後日本語で言い、実にイヤミでした。
英語を話せることは有意義なことですが、だからと言ってそれだけで格段にその人が優れているとか素晴らしいと言うことでは決してないのに、
とんでもない勘違いをしている人が多いと思いました。
私は、彼らと夕食の席が相席になりそうだと、少し時間を置いて行き、相席にならないようにしました。
素敵な人々
数カ国語を操れるのは素敵で頭の良さではありますが、それだけでその人が格段に素晴らしいとは言えません。
そうした中で、私が素敵だと思った人は、ブレイキと言う男性でした。若い外国人なのですが、
日本人以上のきれいで美しい日本語を使い豊富なボキャブラリーと日本と世界の歴史と文化について深い造詣を持っているのです。
更にスペイン語も堪能でした。
私が手話について話したとき、彼が通訳を担当しましたが、とても謙虚に私に質問しました。
GETの先生は、クルーズ費用が無料とは言え、生徒一人当たり12万円取っているのに報酬がなくボランティアとはおかしな話です。
カナディアンディのスナップと、イングリッシュディを宣伝するGETの先生(5月なのに寒そうです。)
それでもGETの先生の希望者は多いらしく大変な競争を勝ち抜いて来た人々なのですが、ここでも英語を話せ、教えることと
豊富な知識と豊かな人生経験の持ち主かどうかは別の問題です。
後者は、英語を教えるテクニック以上に必要で大切なことなのですが、この点では私はあまり魅力を感じませんでした。
GETの先生で私は、特に二人の先生に魅力を感じました。
シンガポールのシンディさんとアメリカのアリッサさんの二人です。二人ともアメリカ手話が出来ます。
シンディは、シンガポールで企業のヘッドハンティングとリクルーターの経歴の持ち主です。
アリッサは、スペイン語ができ、インドネシア語も少し出来ます。
彼女の素晴らしさは、仲間だけで群れること無く、多くのクルーの名前を覚え、彼らと不断に挨拶と言葉を交わしていることです。
彼女は、日本語は出来ないのですが、とにかく単独で歩き回り、レストランで廊下で彼らに挨拶し会話していました。
私は、アリッサを見習って、出来るだけ多くのクルーの名前を覚え、彼らと交流しようとしました。
英語、インドネシア語、トルコ語、エジプト語、スペイン語、の挨拶を覚え、彼らと挨拶しました。
シンディは、手話の挨拶だけでいいから自主企画を持つべきだと何回も勧めてくれました。
私がOKすると、GETの先生達シンディとアリッサでどんどん話が進められ、ニュージーランドのマオリのパニアさんも合流し、
会場確保もしてくれました。
私のことをGETの先生の仲間入りだとの褒め言葉は、脱帽ものです。
ニュージーランド人のパニアは、ピースボートの職員で、漢字は読めませんが、平仮名は読め、日本語は流暢です。
日本の手話も少し出来ます。そして、マオリ人らしくナチュラリストで、ジェンダーフリーのアクティビストでもあり、とても魅力的な人です。
素敵なクルー達
覚えやすい簡単な名前は覚えられるのですが、難しい名前は最後までだめでした。
クルーには、インド・インドネシア・中南米出身者が多く、その他ネパール・トルコ・エジプト人と一人ずつ親しくなりました。
英語、スペイン語、インドネシア語、トルコ語、エジプト語で挨拶だけ交わしました。
時々こんがらがって間違ってもうれしがってくれました。
私のKeiと言う名も覚えやすいのでしょう、気軽にKeiと呼んでくれました。
英語が出来る人は、時々日本のことを聞いて来ました。
気候や物価など日本の生活ついてです。インドは、言語がたくさんあってとても難しいそうです。
私が、特に仲良くなったのは、ハウスキーパーのエリアス(インド)、エコ(インドネシア)、レストランのロビー(インド)、
マニュエル(インド)、アータン(トルコ)、ダフレ(インド)、アプリアニ(インドネシア)、カルティニ(インドネシア)、レディ(グアテマラ)、
プラサド(インドネシア)、プディアルタ(インドネシア)、そしてジムと10階の清掃のネストル(ペルー)などです。
特にエリアスとネストルは別格でした。 エリアスがバスタオルで作ってくれました。
ネストルは、私がオーバオランドに行く時はスーツケースを舷門まで運んでくれ、帰って来たときは舷門で待ち構えていて
スーツケースを部屋まで運んでくれました。
7月に入ると、私と目が合うと彼はもう涙目でした。
ペルー人の彼の言葉は、スペイン語。スペイン語の辞書を持ってこなかったのは大失敗でした。
簡単な挨拶は、電子辞書に載っていますが、難しい文の翻訳は、アリッサかエデゥーに頼みました。
私は、この旅で他の人と特別に近しくなることは求めませんでしたし、意識的に避け、食事も相席となりましたが一人でした。
私のこの試みは良かったです。運動会や文化祭やGETのイベントやアクティビティも参加しませんでした。
私は、GETのクラスメートとオーバーランドでいつも一緒になったTさんとFさん以外は個人的に親しくなった人はいませんでした。
最初の夕飯の時ごたまたま一緒になった徳島のOさんは、キャビンが近くオフィシャルディナーにつきあってもらいました。
カメラ
私は、今回の旅行のためにパナソニックコンパクトデジカメ・ルミックスDMCTZ18を買いました。
水戸、岐阜、静岡、北海道旅行などで事前に使いこなせるように練習しました。
広角でとても使い勝手が良いのですが、買って3ヶ月もしないのにゴミが入り、無料修理しました。
その3ヶ月後またもごみが入って、無料修理したのですが、今回の旅でまたもゴミが入ってしまい、残念でした。
予備に、ルミックスDMCFX500とPIXL21も持って行ったのですが、FX500はピンぼけしやすく、PIXL21は広角でないなど、
使い勝手が良くないので、一部使いましたが、結局ゴミ入りカメラを使うことにしました。
一眼レフやミラーレスは私には重く荷物になるので、コンパクトデジカメが良いです。
電圧について
船内の電圧は220Vです。日本の多くの電気機器は変圧器なしでOKなのですが、だめなものもあります。
私は、変圧器も準備したのですが、変圧器は電気容量が小さいのでいくつかの電気機器がショートして故障しました。
充電池充電器、シェーバー、簡易ケトルなどがすぐ使えなくなり、大ショックでした。
私は行く前から顎髭を生やしているのですが、仕方なく他の髭も生やすことにしました。
―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐
今回のクルーズの全体の印象
中国は初めて行きました。やはり広いです。そして、自由な個人旅は難しいようです。
スリランカは、内戦が終わり穏やかさを取り戻し、豊かな自然と人々が魅力的でした。
スエズ・パナマの運河は、雄大で魅力的でした。
ナポリでクルーズを離脱し、フランス小旅行を楽しみました。この小旅行は大成功でした。
最も、スイス国境越え鉄道の旅は薄氷ものでしたが。パリとパリ郊外の旅を十分楽しみました。
北欧とバルト二国も十分堪能しました。オプショナルツアーをキャンセルし、フリーの街歩きにしてとても良かったです。
ユーロが使えない国があるなど事前の調査が必要ですが、個人旅行は十分可能で、再訪したいです。
カマイマ(エンジェルフォール)は、アクシデントの連続でしたが楽しかったです。
ティカル遺跡は、迫力不足でした。テオティワカン遺跡は、素敵でした。国立人類学博物館ももう一度訪れたい所です。
ベルファスト~ベネズエラ間、メキシコ~横浜間はどこも立ち寄りませんでした。
これは明らかにクルーズ計画の失敗です。カリブ諸島、ハワイ諸島に寄港するべきです。思い切って小笠原なども良いです。
また、寄港地の停泊は1日がほとんどですが、2~3泊し、そのぶん寄港地数を少なくするのも良いかもしれません。
ポートチャージがかさむと言ってもたいしたことはありませんし、オーバーランドツアーの内容もベターになるでしょう。
オーバーランドツアーのホテルはピースボートに不釣り合いなほど豪華です。もっとリーズナブルなホテルで十分です。
クルーズの一人部屋の料金は高すぎます。もっと安くすれば希望者は増えるはずです。それにキャビンが大幅に空いているのですから。
レストランの席も余裕があるのですから、一人分のスペースをもっと広くし、席も自由にした方が良いです。
ジムは狭すぎで、全く不満でしたす。少なくとも今の倍は必要です。
五年前と大きく違ったのは、五年前はベトナム反戦運動や全共闘運動を経験した人が少なからず乗っていて、彼らはそのことを語ったのですが、
今回のクルーズでは、彼らはいなかったのか、居ても彼らはそのことについて語らなかったのか、その当たりは私にはわかりません。
また、そのことがテーマになったり、話題になったり、若者から問われたりすることは皆無でした。
多くの人が脱原発や戦争反対がを口にするのですが、ステレオタイプのことを言うだけ、うわべだけというか、薄っぺらい感じがしました。
その反面、高齢者の中に改憲、原発推進、集団的自衛権の見直しなどを言う人が少しですが乗っていて、様変わりを感じました。
おおざっぱな費用(単位:円)、無粋ですが。
一人部屋:2,970,000(定価は3,130,000のところ早割160,000引きとなります。)
経 費:103,650(ビザ:10,750、ポート料:41,400、チップ:51,500)
オプショナルツアー:1,034,000 英 語:120,000 以上クルーズ合計:4,227,650
カ ー ド:252,300(内、ホテル:79,365、鉄道:45,840)[船内諸費用;飲食、ツアー追加、現地飲食、チケット、宅配便代、海外保険など]
使用した現金:345ユーロ(44,850)、618ドル(61,800) 【終わり】
18日間、どこも立ち寄らないなんて、このクルーズ計画は明らかに失敗です。
マンサニージョ出航 アリッサ CK
エデゥー、アンジェラ、サラ ヨハンナ、シンディ マウイ
数回のGETのクラスとGETのイベントなど以外何も無く私は、特別なこともせず、読書とウォーキングと筋トレをしました。
操舵室見学 6月27日、希望者は操舵室を見学できました。(数日に分けて)
貧弱ですが、船長が座る席とのこと
速度表示器 ブラインド 地図
震度計 水準器
レーダー 舵 スタビライザーの表示 方位計
旗による信号置き場
舵(自動運転です) 海に投げ込む非常通知装置
メキシコ以降の夕飯の一部
7月2日 TOEICテストを受けました。テスト時間は2時間、はリスニングテスト45分、とても難しいです。休憩なしの2時間はとても長く、
すごいストレスでした。1時間20分間ほどは集中していたのですが、以降はトイレに行きたくなったり、伸びをしたくなったりでした。
模擬テストの時は、時間切れで30問近く解答できませんでした。
今回は、15問ほど解答できませんでした。授業で教わった受験テクは、「当てずっぽうでもいいから全問解答しろ」でした。
残り5分で適当に解答しました。テストの目的は実力を測定するためですから、当てずっぽうの解答は正しいとは言えないと思うのですが。
解答は三つか四つの項目から一つ選ぶ形式ですので、当てずっぽうでも「正解」となり得るので点数は誤差が計上されるべきです。
解答総数は200問、1問5点、満点は990点です。模擬テストより80点ほどはプラスだったと思うのですが果たしてどうでしょうか。
[帰国後、採点されて郵送されました。だいたい予想通りの出来でしたが、500点には遙かに及ばずでした。]
点数はともかく、こんなに集中するのは何十年ぶりかで、終わったときはどっと疲れが出ました。
7月2日 インドネシアディ(夕食後、インドネシア人スタッフによるパフォーマンスがありました。)
7月4日 日付変更線通過(7月3日0時を過ぎると、瞬時に7月5日となります。)
7月5日 GETスピーチフェスティバル
ブレーキ エデゥー アリッサ ニコラス
7月6日 GET 卒業式
7月6日 GET 卒業パーティー
7月7日 GETクラスでの飲み会
7月9日 検温、下船説明会、船長主催のフェアウェルパーティ、フェアウェルディナー
夕食時クルー達による合唱のパフォーマンスがありました。
私の大好きなハウスキーパー三人組
7月10日 パッキングデーです。
7月11日 宅配便荷物と大きい手荷物の運び出し。これらを港のターミナルまで運んでくれます。
そうしないと、下船当日、通路やエレベーターが大混雑になり、大変な時間がかかってしまいます。
来るときは段ボールが三つと大小二つのスーツケースとリュック一つでした。帰りは、段ボールが一つ減りました。
お酒や食べ物そして日常消耗品(オーバーランドではシャンプーや石けん、ティッシュ、トイレットペーパーなど必要ですが、
キャビン内では不要です)は使って無くなったからです。洗濯用バケツとシャワー用椅子などは捨てて来ました。
7月12日 10時過ぎ、東京湾に入り、11時30分横浜港に着岸しました。
スポーツジム清掃のペルー人ネストル
1時30頃パスポートが返却され、14時頃から下船が始まりました。上の階から順です。私は5階なので4時過ぎでした。
ターミナルで、前日運ばれた荷物を受け取り、検疫・税関検査がありましたが、書類を出すだけでした。
入国面接審査は日本人はありません。
宅配便を頼むのに少し行列しましたが、10分位でした。JRの関内駅までタクシーで行きましたが、全く並ばず、ワンメーターでした。
電車は、きれいですいていました。ほとんどの乗客がスマートフォンで遊んでいて、日本人の大人がすごく幼く見えました。
と言う私も、MR3で音楽を聴きながら、うとうと、ですが車内アナウンスが何と子供じみていて騒々しいことか。
電車の中で寝ても、スリの心配も無く、乗り過ごしてもすぐ引き返せば良いのですから、本当に安心でリラックスできます。
公共の場、特に通りがきれいなこと、公共交通機関の安全、そして至る所にある無料できれいなトイレ、これらは日本のとても良いところです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
持ち忘れた必需品
湿布剤とうがい液(無料のイソジンが一つ配布されましたが、風邪の大流行で足りず、追加で買いました)、スペイン語の辞書、
果物ナイフ(私は持って行ったのですが小さすぎました)、世界地図(私は、抜粋しか持って行きませんでした)、小銭入れ、
マスク(風邪の大流行で足りませんでした)、筆記用具(沢山落としたので)、セロテープ、メモパッド、お湯を入れる魔法瓶
持って行って重宝した小物:
マイ枕、両面テープ、大きいカレンダー、厚手のシーツ(毛布だけでは寒いとき便利でした)、MP3(二つ持って来て大正解でした)、
卓上ファイルボックス(=紙で出来た本立てみたいなもの、これは必需です)、卓上棚(眼鏡などの小物を置くのに便利でした)、SDメモリー、
薄手の軍手(ウォーキング時)、パソコン用スピーカー(1000円ほどで買ったのですが、大正解でした)、
シャワー用椅子、洗濯用バケツと洗濯板(ランドリーサービスを利用しましたが時には使いました)、便座シート、除菌アルコール、ペン型ライト、
目覚まし時計、マイカップ(持参した日本茶ティバッグを飲む)、はさみ、カッターナイフ、爪切り、ヨガマット(キャビンでストレッチをしました。)
不要だった物:
洗濯グッズ(私はランドリーサービスを利用したので洗剤、ロープなど)、でも時々洗濯ししたので大きめのバケツは良かったです。
船には、プールやジャグジーがあります。私は、水着は持って行きましたが使いませんでした。
卓上扇風機を準備しましたが全く不要でした。キャビン内は冷房が効きすぎで、私は送風口ノズルを最小にしていました。
絶対必要な物:
海外保険:私は幸い保険を請求する事態は生じませんでしたが、保険は絶対に必要と思います。
3ヶ月間、船内は風邪とインフルエンザが大流行でした。
インフルエンザと診断されると隔離され、治療費の他に、個室利用料や食事配達料が必要となります。
私は、一人用キャビンで多くの人が人が集まる講演会などは参加しませんでしたので感染のリスクが少なかったと思います。
私は、死亡保険はオプションせず、治療救援費用2000万、賠償責任5000万などを主とし、保険料⇒39,810円でした。4ヶ月なので少し高いです。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
日常の生活
私は、十分この船旅を楽しみました。旅は、いつでもどこでも楽しいです。
今回一番痛切に感じたのは、妻への思いです。私は、わがままで偏屈でその上怒りやすい性質です。
家では、些細なことに腹を立てて怒っていましたが、妻は「どこ吹く風」で、私のわがままを見逃しています。
私は、5年前に乗ったピースボートでは、このことは感じませんでした。
疑いも無く私が歳を取ったから生まれた感情であることは疑いの余地はありません。
また、私の娘と息子がとても大人でしっかりしていると感じました。
船にはかなりの若者が乗っていました。私は彼らと積極的に話そうとは思いませんでした。
夕食は彼らと相席になることがたまにあるのですが、面白い話はほとんどありませんでした。
それはアダルトも同様なのですが、食事やツアーや同室人々への不満などが話題の中心で、それを聞くのは退屈で苦痛でした。
旅の楽しみ方は、人様々なのですが、分刻みに行動している人も結構いました。
早朝のラジオ体操、日中行われる様々な行事・例えばダンス講習会、講演会、映画会、卓球、麻雀、碁などです。
若者は、エイサーや運動会やミュージカルの練習です。
多くの人が四人部屋です。狭いキャビン内では読書したり、音楽を聴いたり、勉強することはできません。
キャビン内は、机もシャワーも一つだけですし、荷物と洗濯物が所狭しです。
他人に煩わされないで読書したり勉強したりリラックスできるスペースはありません。
通路にわずかに置かれたソファーと講演会などで使用されないときの共用スペースしかありません。
ジムも、ランニングマシンが1台とクロスカントリーが2台、わずかなダンベルとベンチが2台あるだけです。
仕方なく、ウォーキングは甲板を歩くのですが、1周250メートルほどで、それも直線では無く、階段を昇ったりです。
でも、私は、1日2万歩ほど歩きました。レストランへ行ったり疲れて気分転換のため甲板や廊下をのんびり歩いたりなど全てを含めてで、
ウォーキングは1万3千歩くらいだと思います。
朝食前40分、夕方1時間ほど歩きました。一日目はダンベルで上半身の筋トレ、二日目はキャビン内で器具を使わない下半身筋トレ40分、
三日目は筋トレをしないでウォーキングを少し多めにし、寝る前にストレッチを毎日30分するのが日課でした。
それでも筋肉は衰えました。
本は20冊ほど用意して来たのですが、塩野七生さんの『ローマ人の物語』のカエサル編とその他数冊を読んだだけでした。
GETと通訳者
GET(英会話教室)は30回ありました。私はオーバーランドツアーなどで5回欠席しましたが、1回20分の補修がありました。
難しい宿題がほとんど毎日出て結構大変でした。やっていかなくてもペナルティはありませんが。
その他、個人の日記とクラスの日記がありました。私は、個人日記を少しとクラス日記を2回書きました。
先生は、文法上の間違いを訂正してくれるのですから大変でした。
私のクラスは、男性3人女性3人の六人でした。年齢は、64~70歳でした。
英語力が一番無かったのは私でしたので、後半は私は正直疲れてしまいました。
クラス分けの時の面接で、私がスムーズに受け答えできてしまったため、私はアドバンスクラスに入ってしまったのです。
それに最初の2回はオーバーランドツアーで欠席でしたので、クラス替えの機会も逸しました。
クラスメートは英語力がある上に、とても穏やかで、自分の考えをしっかり持っていて、とても良かったです。
私がわからないときは、面倒がらずに親切に援助してくれました。
CCと言う通訳者集団が十数名船に乗っていました。
通訳技術は、5年前より遙かに優れていましたが、彼らの何人かにはとてつもなく辟易しました。
たまたま両親の仕事の関係で外国で生活して英語を習得する機会に恵まれただけなのに、自分はさも優秀であると自慢話をする人が多く、
どこのサーモンはおいしかったとか、つまりたくさんの外国を訪れたことをとにかく自慢するのでした。
私が英語に関してわからないことがあって彼らに質問すると、早口の英語でまくし立てて、その後日本語で言い、実にイヤミでした。
英語を話せることは有意義なことですが、だからと言ってそれだけで格段にその人が優れているとか素晴らしいと言うことでは決してないのに、
とんでもない勘違いをしている人が多いと思いました。
私は、彼らと夕食の席が相席になりそうだと、少し時間を置いて行き、相席にならないようにしました。
素敵な人々
数カ国語を操れるのは素敵で頭の良さではありますが、それだけでその人が格段に素晴らしいとは言えません。
そうした中で、私が素敵だと思った人は、ブレイキと言う男性でした。若い外国人なのですが、
日本人以上のきれいで美しい日本語を使い豊富なボキャブラリーと日本と世界の歴史と文化について深い造詣を持っているのです。
更にスペイン語も堪能でした。
私が手話について話したとき、彼が通訳を担当しましたが、とても謙虚に私に質問しました。
GETの先生は、クルーズ費用が無料とは言え、生徒一人当たり12万円取っているのに報酬がなくボランティアとはおかしな話です。
カナディアンディのスナップと、イングリッシュディを宣伝するGETの先生(5月なのに寒そうです。)
それでもGETの先生の希望者は多いらしく大変な競争を勝ち抜いて来た人々なのですが、ここでも英語を話せ、教えることと
豊富な知識と豊かな人生経験の持ち主かどうかは別の問題です。
後者は、英語を教えるテクニック以上に必要で大切なことなのですが、この点では私はあまり魅力を感じませんでした。
GETの先生で私は、特に二人の先生に魅力を感じました。
シンガポールのシンディさんとアメリカのアリッサさんの二人です。二人ともアメリカ手話が出来ます。
シンディは、シンガポールで企業のヘッドハンティングとリクルーターの経歴の持ち主です。
アリッサは、スペイン語ができ、インドネシア語も少し出来ます。
彼女の素晴らしさは、仲間だけで群れること無く、多くのクルーの名前を覚え、彼らと不断に挨拶と言葉を交わしていることです。
彼女は、日本語は出来ないのですが、とにかく単独で歩き回り、レストランで廊下で彼らに挨拶し会話していました。
私は、アリッサを見習って、出来るだけ多くのクルーの名前を覚え、彼らと交流しようとしました。
英語、インドネシア語、トルコ語、エジプト語、スペイン語、の挨拶を覚え、彼らと挨拶しました。
シンディは、手話の挨拶だけでいいから自主企画を持つべきだと何回も勧めてくれました。
私がOKすると、GETの先生達シンディとアリッサでどんどん話が進められ、ニュージーランドのマオリのパニアさんも合流し、
会場確保もしてくれました。
私のことをGETの先生の仲間入りだとの褒め言葉は、脱帽ものです。
ニュージーランド人のパニアは、ピースボートの職員で、漢字は読めませんが、平仮名は読め、日本語は流暢です。
日本の手話も少し出来ます。そして、マオリ人らしくナチュラリストで、ジェンダーフリーのアクティビストでもあり、とても魅力的な人です。
素敵なクルー達
覚えやすい簡単な名前は覚えられるのですが、難しい名前は最後までだめでした。
クルーには、インド・インドネシア・中南米出身者が多く、その他ネパール・トルコ・エジプト人と一人ずつ親しくなりました。
英語、スペイン語、インドネシア語、トルコ語、エジプト語で挨拶だけ交わしました。
時々こんがらがって間違ってもうれしがってくれました。
私のKeiと言う名も覚えやすいのでしょう、気軽にKeiと呼んでくれました。
英語が出来る人は、時々日本のことを聞いて来ました。
気候や物価など日本の生活ついてです。インドは、言語がたくさんあってとても難しいそうです。
私が、特に仲良くなったのは、ハウスキーパーのエリアス(インド)、エコ(インドネシア)、レストランのロビー(インド)、
マニュエル(インド)、アータン(トルコ)、ダフレ(インド)、アプリアニ(インドネシア)、カルティニ(インドネシア)、レディ(グアテマラ)、
プラサド(インドネシア)、プディアルタ(インドネシア)、そしてジムと10階の清掃のネストル(ペルー)などです。
特にエリアスとネストルは別格でした。 エリアスがバスタオルで作ってくれました。
ネストルは、私がオーバオランドに行く時はスーツケースを舷門まで運んでくれ、帰って来たときは舷門で待ち構えていて
スーツケースを部屋まで運んでくれました。
7月に入ると、私と目が合うと彼はもう涙目でした。
ペルー人の彼の言葉は、スペイン語。スペイン語の辞書を持ってこなかったのは大失敗でした。
簡単な挨拶は、電子辞書に載っていますが、難しい文の翻訳は、アリッサかエデゥーに頼みました。
私は、この旅で他の人と特別に近しくなることは求めませんでしたし、意識的に避け、食事も相席となりましたが一人でした。
私のこの試みは良かったです。運動会や文化祭やGETのイベントやアクティビティも参加しませんでした。
私は、GETのクラスメートとオーバーランドでいつも一緒になったTさんとFさん以外は個人的に親しくなった人はいませんでした。
最初の夕飯の時ごたまたま一緒になった徳島のOさんは、キャビンが近くオフィシャルディナーにつきあってもらいました。
カメラ
私は、今回の旅行のためにパナソニックコンパクトデジカメ・ルミックスDMCTZ18を買いました。
水戸、岐阜、静岡、北海道旅行などで事前に使いこなせるように練習しました。
広角でとても使い勝手が良いのですが、買って3ヶ月もしないのにゴミが入り、無料修理しました。
その3ヶ月後またもごみが入って、無料修理したのですが、今回の旅でまたもゴミが入ってしまい、残念でした。
予備に、ルミックスDMCFX500とPIXL21も持って行ったのですが、FX500はピンぼけしやすく、PIXL21は広角でないなど、
使い勝手が良くないので、一部使いましたが、結局ゴミ入りカメラを使うことにしました。
一眼レフやミラーレスは私には重く荷物になるので、コンパクトデジカメが良いです。
電圧について
船内の電圧は220Vです。日本の多くの電気機器は変圧器なしでOKなのですが、だめなものもあります。
私は、変圧器も準備したのですが、変圧器は電気容量が小さいのでいくつかの電気機器がショートして故障しました。
充電池充電器、シェーバー、簡易ケトルなどがすぐ使えなくなり、大ショックでした。
私は行く前から顎髭を生やしているのですが、仕方なく他の髭も生やすことにしました。
―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐―‐
今回のクルーズの全体の印象
中国は初めて行きました。やはり広いです。そして、自由な個人旅は難しいようです。
スリランカは、内戦が終わり穏やかさを取り戻し、豊かな自然と人々が魅力的でした。
スエズ・パナマの運河は、雄大で魅力的でした。
ナポリでクルーズを離脱し、フランス小旅行を楽しみました。この小旅行は大成功でした。
最も、スイス国境越え鉄道の旅は薄氷ものでしたが。パリとパリ郊外の旅を十分楽しみました。
北欧とバルト二国も十分堪能しました。オプショナルツアーをキャンセルし、フリーの街歩きにしてとても良かったです。
ユーロが使えない国があるなど事前の調査が必要ですが、個人旅行は十分可能で、再訪したいです。
カマイマ(エンジェルフォール)は、アクシデントの連続でしたが楽しかったです。
ティカル遺跡は、迫力不足でした。テオティワカン遺跡は、素敵でした。国立人類学博物館ももう一度訪れたい所です。
ベルファスト~ベネズエラ間、メキシコ~横浜間はどこも立ち寄りませんでした。
これは明らかにクルーズ計画の失敗です。カリブ諸島、ハワイ諸島に寄港するべきです。思い切って小笠原なども良いです。
また、寄港地の停泊は1日がほとんどですが、2~3泊し、そのぶん寄港地数を少なくするのも良いかもしれません。
ポートチャージがかさむと言ってもたいしたことはありませんし、オーバーランドツアーの内容もベターになるでしょう。
オーバーランドツアーのホテルはピースボートに不釣り合いなほど豪華です。もっとリーズナブルなホテルで十分です。
クルーズの一人部屋の料金は高すぎます。もっと安くすれば希望者は増えるはずです。それにキャビンが大幅に空いているのですから。
レストランの席も余裕があるのですから、一人分のスペースをもっと広くし、席も自由にした方が良いです。
ジムは狭すぎで、全く不満でしたす。少なくとも今の倍は必要です。
五年前と大きく違ったのは、五年前はベトナム反戦運動や全共闘運動を経験した人が少なからず乗っていて、彼らはそのことを語ったのですが、
今回のクルーズでは、彼らはいなかったのか、居ても彼らはそのことについて語らなかったのか、その当たりは私にはわかりません。
また、そのことがテーマになったり、話題になったり、若者から問われたりすることは皆無でした。
多くの人が脱原発や戦争反対がを口にするのですが、ステレオタイプのことを言うだけ、うわべだけというか、薄っぺらい感じがしました。
その反面、高齢者の中に改憲、原発推進、集団的自衛権の見直しなどを言う人が少しですが乗っていて、様変わりを感じました。
おおざっぱな費用(単位:円)、無粋ですが。
一人部屋:2,970,000(定価は3,130,000のところ早割160,000引きとなります。)
経 費:103,650(ビザ:10,750、ポート料:41,400、チップ:51,500)
オプショナルツアー:1,034,000 英 語:120,000 以上クルーズ合計:4,227,650
カ ー ド:252,300(内、ホテル:79,365、鉄道:45,840)[船内諸費用;飲食、ツアー追加、現地飲食、チケット、宅配便代、海外保険など]
使用した現金:345ユーロ(44,850)、618ドル(61,800) 【終わり】