風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

三里塚40年の“たすきわたし”12.3集会

2006年12月05日 | 学習
空港建設に反対し、この台地に生きてきた!三里塚40年の“たすきわたし”12.3集会

パネラー:左から、柳川秀夫(反対同盟世話人)、平野靖識(東峰地区・らっきょう工場)、菅野芳秀(山形・百姓)、水原博子(日本消費者連盟)、松尾康範(アジア農民交流センター)、中川憲一(元管制塔被告)、鎌田慧(ジャーナリスト)、の各氏、司会の大野和興さんは写っていない。
三里塚に空港を建設すると閣議決定して40年にあたるとのこと。

素晴らしい人は、いるものである。
・柳川さんは、三里塚反対同盟青年行動隊で活躍し今は世話人、1970年代から微生物有機農法に取り組んできた。最近はやりだした有機農法とは年期も志も違う。三里塚の地で壮大だが地道で確かな“地球的実験村”を試みている。
・菅野芳秀さんは、山形県長井市で有機農法のみならず「レインボープラン」を実践し、昨今いろんな農業賞などを総なめにした今話題の人。
では、そのレインボープランとは、
【レインボープランの概要】[ホームページから転載]
○一般家庭の台所からでる生ゴミや豆腐工場のおから、農家のモミガラなど、これまで役に立たないものとしてすれられるか、燃やされていたまちじゅうの有機質資源を堆肥にする。
○農家はその堆肥を使い、なるべく農薬、化学肥料を使わずに作物をつくる。無理をせず、土がよみがえった度合い、技術を習得した度合いに応じてそれらを減らしていく。
○できた作物は、食べものの流通の基本である「地域内生産、地域内流通」にそって地域社会に還元される。学校給食、病院食、一般家庭で消費され、地域の自給を満たしたうえで、同じ物が地域外へと送られる。
 <田畑―台所―堆肥塚―田畑……>かつてどの農家でもくるくると循環の輪が回っていた。レインボープランではそれを自治体レベルで回そうということである。
 まちの市民が堆肥原料である生ゴミの分別という役割を通じて、農業の土つくりに参加をする。農家はたんなる食料の生産者ではなく、まちの台所の健康な食生活をまもる役割を担う。「まちとむらが一緒だよ」という田舎の特性を生かし、市民みんなが参加してつくりだす「面」としての有機農業と、それを基礎とする食環境――これをつくりだすのがレインボープランの目的である。
 
 長井市は人口3万人で、農村地帯4000、都市世帯5000人で、町での生ゴミ回収は週2回、回収率は何と100%だそうである。
 菅野芳秀さんは百姓がイヤで都会・大学に逃げ出したが、三里塚と触れあうことになった。20才の時逮捕されたが、26才の時一念発起して実家に帰って、一番嫌っていた農業に復帰したそうだ。当初は自宅前にパトカーが常駐していたが、体力づくりの土方から、つまりゼロからではなく、マイナス100の地点からの出発だったという。それから30年、今や日本中から熱い視線を浴び、期待されている。
 これまで、テレビでお顔は見たことのある菅野さんは穏やかにやさしく「土」について語り、そのお話は感動的だった。小学校などの講演で話すそうである。岩や石は物の塊だが、土は違う。土には生き物(植物・動物)の死骸でできているのだ。ただの死骸でなく、それが次の新しい生き物に受け継がれていく。土は死んだもの・生きるものを途絶えることなく結びつけて来たもの、結びつけていくものなんだ、と言うのである。
 また、化石は、石で土ではないが同じように動植物の死骸を今に伝えているな。これにはこれで味わいがある。
 菅野芳秀さんのブログは、http://lavo.jp/kakinotane/

・中川憲一さん、管制塔で捕まった時、ミスターXと言われた。中川さんは、原勲[同じ管制塔被告で保釈後自死した]さんの自死を聞いた時の獄中の日記を紹介した。泣き続ける中川さんを心配して看守が何度も声を掛けたそうだ。生きている者も死んだ者も三里塚を通してつながり、会話し続けていると結んだ。

その他の人の発言も、どれも素晴らしいものであった。
 シンポジウムの前に、映画が上映された。
「抵抗の台地」~1971年強制収容阻止闘争記録、「どっこい闘魂ここにあり」~1989年労農合宿所再建の戦い、「この台地に生きている 三里塚東峰地区の人々」、やっぱりいらない静岡空港」の4本。
 映画は人影でよく見えないし、音声も映像もひどく悪い。これでは見てもらうというより見せてやる、というか観客サービスはどうでも良い、と言うことかしら。
これでお金を取るのはひどいが、素敵なお話を聞けたのだから1000円は安いと言うべきなのだろうか。でも、やっぱり見やすい会場にすべきと思うよ。

・会場で知人の西村さんにばったりあった。
本を出したそうだ。
タイトルは『女たちの共同体』。

書名が何とも固いが、定年退職後大学に行って勉強し、こんな立派な本を出すなんて素敵を通り越して尊敬です。
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