風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画・母なる証明

2009年12月04日 | 映画
 
を見た[12/3]。韓国映画。銀座シネスイッチ、シニア1000円。
この間しばらく映画鑑賞に失敗していたからかもしれないが、文句なしにおもしろかった。


このシーンはおそらく冒頭だと思う。
というのは、後半にも同様のシーンが出てくるからだ。
荒野の中の母の表情は非情に複雑だった。
そして静かに踊り始める。
このシーンがかなり続き、なぜ踊るの?、退屈な映画かなと思ってしまう。
後半、母はある老人を殺す。
その時彼女の顔や衣服は返り血を浴びて赤く染まる。
だが、彼女がその現場から荒野に向かうシーンでは彼女の顔には血は無かった。
私は、「おい、それはないじゃない」、と初めはディティールに欠けると思わず思ってしまった。
つまり、場面が変わったため、以前のメイクなどが直前とは引き継がれないというのは映画ではありがちですよね。
水に落ちてずぶ濡れになったのに、次のシーンでは服が乾いているとか、
吸っているたばこの長さが違っていたり、となどという言うことが。
でも、この映画の場合は、そうしたミスとは違って、このシーンが冒頭のシーンとなるわけです。
つまり冒頭シーンで血が出ていたら興ざめですよね、て訳です。


女子高生が殺害されます。かなり「猟奇的」姿で死体が発見されます。
実はここにも深い伏線が隠されているのです。
このシーンからは、犯人は残虐で、変質者に違いないと。
だが、決して猟奇的ではなかったのです。
母の息子が逮捕されます。

この息子は軽度の知恵遅れを持つ青年です。
ですが、この息子と母との関係はかなり「異常」です。
いかに知恵遅れであっても、息子と母親が同じ寝床で寝、乳までさわらせるのです。
母親は、息子の健康を心配して、息子が立ち小便をしている時それを覗きこみながら
息子に煎じ薬を飲ませたりするのですから。
この近親相姦みたいな濃厚というかかなり異常とも言える母・息子関係にも深い伏線が隠されています。

また、この息子は「馬鹿」と言われると、条件反射的にその相手に殴りかかるなど暴力的行動を取ります。
ここにもかなり深い伏線が隠されています。

もう一つの伏線は、その母親は薬剤師であり、闇の鍼灸師でもあります。
忘れた記憶を呼び起こすためには、太ももに針を刺すと効果があるという台詞が何度も出てくるのです。

こうして沢山の伏線をベースに、息子の無実を信じる母が真犯人を捜すサスペンスの旅が始まります。
だが、韓国映画では、サスペンスでも喜劇的人間関係・エピソードや人情話が盛り込まれます。
サスペンスと言っても、複雑な人間関係やもつれがそんなにはないので、
謎解きだけでは映画は持たないと言う事情もあるのかもしれませんが。

殺された女子高生は、貧しいため「売春」をし、その相手を携帯に撮っていた。
この女子高生は、彼女を買い、彼女をむさぼる男達、男を憎んでいた。
この全ての男を憎んでいる彼女は、見知らぬ相手にとっさに「馬鹿」と言ってしまうかもしれない。



写真で紹介できないのは残念だが、私にとても印象的シーンがあった。
母が警察署から、土砂降りの雨の中をずぶ濡れで自宅に帰るシーンである。
彼女は、その時、廃品回収の老人とすれ違う。
リヤカーの後ろに破れ傘があり、彼女はその傘を求める。
彼女は彼に紙幣2枚を差し出す。
彼はそのうちの一枚だけを受け取る。
このシーン、私はいいな~と思った。
だが、実はそんなセンチメンタルではない意味=伏線があったのだ。
彼女は、後日この老人を殺すことになるのだから。
この映画では、雨のシーン、土砂降りの雨のシーンが多かった。
雨に特別な意味があるのだろうか、私にはわからない。

ストーリーはそれほど複雑でなく、いくつかの驚きのどんでん返しで終わるのだが、
映画の原題は"母"である。
日本語のタイトル"母なる証明"の「証明」はその語感が強すぎ、
このゆがんだ母性を擁護しているように私には思えてしまう。
だが、この親子の行き末は心安らぐものでないことだけは確かだ。

私には一つ謎が残っている。
母親は、最後に自らの太ももに針を打って踊り出す。
この針のツボの意味は何なのか?、そして踊りにはどんな意味が込められているのか? と言うことである。
繰り返された針のツボはふくらはぎの後ろだったか、腿の後ろだったか、
実はそれをはっきり覚えていないのだ。
映画の途中では、それには深い意味が込められているとは思わなかったから。

ポン・ジュノ監督は、前作・"グエムル=漢江の怪物"でも、
鋭い文明批判・社会風刺とユーモアの交錯した刺激的作品を提供したのだが、
その作品でも障害者・知恵遅れの人物を登場させたと思う。
その登場人物に特別な意味があるのだろうか、と考えたがよくわからない。
[それは、私の記憶違いかもしれない。その場合は陳謝。少しネットで調べたのだが……。]
だが、今回の場合はちょっと禁じ手のような気が私はする。

まっ、屁理屈はいいか。
私もいい加減だから、私がおもしろいと思う時はリアリティーやつじつまは求めない。
おもしろさは、絶対ではなく相対的なものなのだから。
おもしろくない映画を見た後は甘くなるのかも。
見たい喜劇があるので楽しみにしている。

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