風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第100回ピースボート船旅㉕/ボラボラ島(タヒチ)

2019年05月13日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ







3月14日 木 朝8時ボラボラ島ヴァイタペ沖に到着、大型クルーズ船が接岸できる桟橋が、ラパヌイ同様ありません。
しかし、ここはたくさんの人が一時に乗ることのできる大型テンダーボートです。
私は、午前は島をバスで一周するツアー、午後は小さなボートで海から島を眺めるツアーに参加しました。

ボラボラ島はサンゴ礁で囲まれた島で、出入り口は一ヶ所しかありません。
ファアヌイ教会
 
ツアーバス             太平洋戦争時アメリカの軍事基地跡、その後も海軍が居座りました。
 
海岸沿いにかろうじてマラエが残っていました。 
 
ポリネシアの伝統的衣装・パレオ(巻きつけるという意味で巻きスカート、スカーフなどとして使われます。)の
染め物工房、テキパキした実演と即興ファッションショウは面白かったです。染料の多くは草木、彩色・デザイン後
天日で乾燥させると定着するそうです。布は、中国製だそうです。
 
 
来店を歓迎する楽団
 
音楽を聴いて踊る少女
 
この周辺の風景      ボートは、サビやペンキの剥離を防ぐために海水に触れないように保管します。
 
海水の色は、水深によって変化するそうです。     ボラボラ島特有の海上コテージ
 
海辺に落ちているヤシを採取している人がいました。私は、近寄って話しかけると、彼は陸上に落ちているより
波に洗われたヤシの方が熟していて良いのだ、と言いました。
 
ドライバーが葉を投げると、カニが穴から出てきて食べ始めました。     ヤシ園
 
ボラボラ島の代名詞のようなコテージホテル
 
コンクリート製の高層ホテルにしないのは、単に環境との融合という景観の問題だけではないようです。
一番の意義は、産業と雇用の創造と言うことです。屋根は葺き替えの必要があります。屋根材となる植物を育て、
製品とし、屋根を葺かなければなりません。その人材を育成し、雇用を創出つまり地場産業を作り育て持続させる
と言う素敵な思いがあると言うのです。ホテル経営は、大資本だそうですが…。
オテマン山と巨大ケーブルの見えるポイント
 
マティラビーチ 私は、サンダルを脱いで、ズボンを脱いで着て来た水着になり海水につかりました。ツアーでは、
スイミングしないように言われていましたので泳ぎませんでした。
 
ブラッディ・マリーズ(ホテルやレストラン、トイレ)
 
 
ほぼ島を一周し、11:15バイタペ港に戻りました。午後のラグーンクルーズは15:25から、そのまま島にとどまって、
昼食を取り、港周辺を散策するのもアリですが、港周辺はそんなに広くないし、気温が30度以上もあったので、
私は一度船に戻り、無料の船の食事を取り、少し昼寝をすることにしました。
ボラボラ島のテンダーボートは大型のため、乗船は制約が少なく時間などの自由があるので、ツアー開始より少し
早い時間に島に渡り、暑い中、港周辺の散策を少ししました。道でばったり仲間と一緒のハウスキーパーのマニに
会いました。こんなところで会うとは思っていなかったのでお互い少し驚きましたが、彼も気づき、ハイタッチで
別れました。たった2時間だけのフリータイムだそうです。港には、インフォメーションがあったので、地図をもら
いました。また、船着き場には、ピースボートのテント設置されていて、無料の冷水提供サービスをしていました。
汗びっしょりのペルー人の清掃係・ネストルが水をくれました。
インフォメーションセンター
 
 
消防署                      タヒチは黒真珠の一大産地です。
 
教会
 
ラジオ局がありました。               クルーズ船、客は8人ずつ2艘でした。
 
私のボートには日本語通訳者が乗らなかったので、ドライバーの時々の英語説明を私が片言通訳をしました。
 

 
 
 
エイです。
 
ビーチに上陸                   女性たちが、さばいた小魚の内臓を洗っていました。
 
 
ラム酒と果物のおやつでした。
 
ドライバーが面白いことを言っていました。島全体が少しずつ沈んでいること、毎年1cmほど日本方向に近づいて
いるというのです。日本にぶつかる時は島は沈んでいるのでしょうか。自然の時の流れは実に雄大です。
17:30港に戻り、ボートで帰船しました。沖に停泊している外国のクルーズ船、私たちが出航すると汽笛を鳴らして
くれました。
 

ボラボラ島は、小さな島ですが、美しいサンゴ礁と険しい山が海に迫っています。高層ホテルではないコテージホテル
は安くはないようですが、新婚旅行者や家族連れに人気だけでなく、地場産業・雇用促進の役割を果たしています。
アメリカは、太平洋戦争中、軍事基地を建設しました。そのプラスの側面は、飛行場や島周回道路などのインフラを
整備したこととも言われています。幸いなことにここでは戦火はありませんでした。
ボラボラ空港、辺野古米軍基地を連想しました。

私は、短い時間の午前・午後の二つの、決して安くないツアーを申し込みました。陸上から海を眺め、海上で海の美しさ
と刻々と変わる山々の姿を楽しみました。海で泳ぐ誘惑は強くはありませんでしたので、つかるだけで充分でした。
気温が高く、冷え冷えの水を買いました。 【終わり】
 

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