風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

浜松町・旧芝離宮庭園、八丁堀、九段下を歩く

2011年03月27日 | ウォーキング
3月26日、浜松町・旧芝離宮庭園、八丁堀・九段下駅周辺を散歩した。
北風が強く吹き、放射能も心配でちょっと寒く、散歩日和ではなかったかったが、
原発事故で気持ちがイライラしていたので出かけたかった。
午前中は強い北風が吹き荒れ、午後になって少し風が弱くなったので思い切って出かけた。

JR浜松町駅前に、都立旧芝離宮庭園がある[入園料150円]。
この公園は知らなかった。たまたま地図を見て発見した。
江戸時代、老中の大久保忠朝が4代将軍家綱からこの地を拝領し、後、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となり、
明治になると有栖川宮家の所有になり、更に宮内省が買上げ、昭和になって東京に寄付されたという。
 
 
  
 
 
 
 
   
浜松町からツバル名誉領事館を目指して、新橋駅まで歩いた。
文化放送[浜松町駅前]      ツバル名誉領事館の住所のビルにはそれはなかった。
                    ビル内に太平洋地域の開発を行う南洋貿易株式会社があり、
                    この会社内にキリバスとツバルの名誉領事館がおかれていると思われる。
   
キリバス共和国

ツバル


港区立エコプラザ

都営地下鉄浅草線新橋駅から東銀座に行き、地下鉄日比谷線に乗り換え八丁堀駅まで行った。


日比谷稲荷神社            徳船稲荷神社
  

鉄砲洲稲荷神社
  

サモア大使館
 
ビル内には入れない、どの部屋かはわからない。
八丁堀駅に戻り、茅場町まで行き、地下鉄東西線に乗り換え、九段下駅に行った。


タイ大使館
 

チュニジア大使館
  

パラグアイ大使館                         イギリス大使館の塀[裏側]、パラグアイ大使館の前
  
半蔵門駅まで歩き、半蔵門線で永田町に行き、地下鉄南北線に乗り換え、王子駅に出、JR王子駅経由で帰って来た。

冷たい風であったが、出かけてとても良かった。
旧芝離宮庭園があることは知らなかった。とても落ち着いた公園で、浜松町駅から徒歩2分、150円、お勧めです。
ツバル大使館、キリバス共和国大使館は日本にはなく、それぞれの名誉領事館が南洋貿易株式会社内にあると思います。
ビル内は入れませんでした。サモア大使館もビル内に入ることはできませんでした。
タイ大使館、チュニジア大使館、パラグアイ大使館は大きな建物でした。
土曜日でしたが、震災後の都心はやはり人通りは少ないと思います。
地下鉄東西線はかなり混んでいましたが、他の鉄道、メトロは空いていました。
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【福島原発について、やはり触れておきたい】
福島原発の危機が増大している。
東電・原子力保安院・政府の事故・事実の公表が、後出しになっていることが我々の不安を拡大させている。
中央制御室が使用できなかったこと、従ってあらゆる計器類が作動していなかったことはこれまで全く言われていなかった。
それらが、明らかにされたのはつい先日のことであって、事故後10日も過ぎてからである。
それなのに当初は、東電も原子力保安院も政府も学者も全くの根拠なしに重大な事故にはならない等と言っていたのである。
放射線量の数値や電力需要・供給量などが東電のホームページに公表されたのも同様に最近のことである。
私は、日常的に放射線については関心を持っていなかった。
そもそも野菜や水道水の放射線量測定は今回だけでなく、普段も行われているのかどうかについても私は知らない。
理科の知識が少しある妻は、放射線と一口に言っても色々あって、
拡散しやすいもの、水に溶けるもの、半減期が短いものや長いもの、重度の危険性があるもの、
また障害にも急性のものと晩発性のものがあり、また内部被曝と外部被曝の違いもあるし、
それらの一々の分かり易い説明と、それぞれの放射線ごとの個別のデータと経時的変化が大事だという。
多量の放射性物質や悪質なプルトニウムを持つ使用済み核燃料が、ほとんど無防備の状態で保管されていたなんて信じられないし、
タービン建屋内での被爆がもし今回生じず、明らかにならなかったら、
建屋内が水浸しになっていて、強度の放射能で汚染されていることも公表されなかったのではないだろうか。
自主避難とはなんとも曖昧・無責任である。
つまり、移動の手段も、費用もすべて自分でしなさい、政府や役所は何の責任も負わないよ、というものだろう。
職場は、病院は、学校や保育園は、病人や高齢者は、そして何より住居はどうしろと言うのでしょう。
自治体や政府は、どうして放射能防護服や装置を提供しないのでしょうか。

ささやかな朗報は、
政府の震災ボランティア連携室室長に、反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠さんが就任したこと。
その湯浅さんの言葉 {毎日新聞から、3/25}:
今後長い時間をかけていく復興過程の中で、私たちが目指すべきものは何だろうか。
私にとってそれは貧困や自殺に追い込まれない社会であり、一人一人の力が発揮される条件を整える包摂型の社会である。
今まで求めてきた物と別の物ではない。……
本当にしんどい人は「しんどい」とは言わない。周囲に遠慮し、何より重荷になることを恐れ、自分に食べる価値があるのか、
飲む価値があるのかと自問している。その人の隣に、それと気づく「誰か」はいるだろうか。
私たちの社会は誰もがその「誰か」になれる社会を築いてきただろうか。十分築いていないとしたら、
これから築いていかなければならないのではないか。……
せめて学びとれる全てを学び取りたい。それが「この社会」に生き延びた私たちの責任でもあるだろう。

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