6月22日(土) アカプルコ・テオティワカン(メキシコ)
テオティワカン遺跡・太陽のピラミッド
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国です。
米墨戦争でアメリカ合衆国はかつてメキシコに属していたテキサス州やカリフォルニア州など広大な土地を
わずかな金額で買収したのでした。
その後、これらの地はゴールドラッシュや石油の一大産地となりました。
歴史に"もし"は無意味ですが、USAがこれらの広大な領地を略奪しなければ、今日のUSAはあり得なかったことは確かです。
アカプルコには、正午に着きました。
アカプルコ港の案内人 警備艇
私は、2泊3日のオーバーランドツアー『テオティワカン遺跡ツアー』に参加しました。
集合時間は、12:15分でしたので、慌ただしい昼食でした。
集合場所には、ペルー人クルーのネストレが待っていて、私の荷物を舷門まで運んでくれました。
日本公園・支倉常長像
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコ空港
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。このホテルの連泊です。
シェラトンホテルは有名なホテルですが、ここは建物も古く、設備も古く、やたらダブルベッドだけが豪華で、私の部屋はそれが二つもありました。
私は、9000円の割増料金を払って一人部屋ですので、何とも滑稽でした。
クローゼットのドアを開け放しにいておくと中の電灯が、その前を通ると
点灯するするので、これはトイレに起きたときは便利でした。
インターネットは、光ケーブルのランケーブルなので早く便利なのですが、
料金が24時間20米ドル(米ドルは使用できないのでカード決済です)と高かったです。
ホテルの部屋から
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
メキシコシティは大都会で、道路には車があふれていました。
メキシコシティは、盆地になっているので自動車の排気ガスは、この盆地内のとどまり、大気汚染に悩まされているようです。
メキシコは貧富の差が激しい上、それが目に見える形で見えるようです。
一番は、住んでいる地区であり、どんな家に住んでいるか、次が交通手段のようです。
そして子どもの通う学校の格差だそうです。
教員の給料が非常に安いため、教員のなり手が少なく、公立学校の教育レベルがとても低いので、
中間層は私立の学校に子どもを入れるのですが、その私立学校にもたくさんのランクがあるそうです。
スクールバスは交通渋滞のため時間が当てにならないのと安全でないので、子どもの学校の送迎に親たちが自家用車を使うので、
メキシコのラッシュは、早朝、学校の帰宅時間である昼過ぎと夕方の通勤の帰宅時間の3回あるそうです。 【一日目終わり】
6月23日(日) グアダルーペ寺院・テオキワカン・国立人類学博物館
早朝8時にホテルを出発しました。
グアダルーペ寺院を初めに訪れました。
ここは、カソリックの三大奇跡の一つです。
一つは、フランスのルルドの泉、 ポルトガルのファーティマの聖母とこのグアダルーペ寺院です。
かつてそれがあった教会は、地盤沈下のため傾いてきたので、その隣にバシリカを建てられました。
新しいバシリカ
奇跡を起こした褐色のマリア像、着衣が本物と言われています。
聖母の絵の前は動く歩道です。写真撮影のためずっと立ち止まると大混雑し、後の人が参拝できないからでしょう。
有料トイレ
同じ敷地内のある教会 跪いて参拝する人
その教会からの展望 グアダルーペ寺院の壁の大砲(教会は要塞も兼ねていたそうです。)
バスで、テキーラと黒曜石のお店に
黒曜石の加工職人 タイヤの空気圧を調節する道具だそうです。
サボテンの一種類、繊維質で紙の材料ともなるそうです。テキーラの材料となる竜舌蘭とは別種とのことでした。
正直なところ、このお土産屋への立ち寄りは私には不要で、その時間を次の二つの観光に当てるべきでした。
テオキワカン遺跡 は、「すごい」の一言でした。 上:太陽のピラミッド 下:太陽の神殿から死者の道・中央入口
私達は、月のピラミッドの入り口から入りました。
住居跡
月のピラミッドから、月のピラミッド広場、死者の道[中央]、太陽のピラミッド[左端]
月のピラミッド
ジャガーの神殿
土台に勾配があるのは水はけを良くするためです。 太陽のピラミッドに向かう壁の中にきれいなジャガーが
太陽のピラミッド
太陽のピラミッドのてっぺんからの眺望
ケツァルパパロトルピラミッド(遠いので行けませんでした。) 太陽のピラミッド前広場
博物館、ケツァルパパロトルピラミッドゲート方向 月のピラミッド
月のピラミッドと死者の道
漆喰跡・木片の先まで漆喰が塗られたいたそうです。30~50cmはあるでしょうか。
漆喰を作るには大量の熱源が必要で、そのために木々が大量に伐採され、森林が荒廃したそうです。
ケツァルコアトルの神殿は遠いので行けませんでした。
テオキワカン遺跡は高度2000メートル以上あるので、ピラミッド登坂は息が苦しくなり、踊り場に着く度に、休憩して昇りました。
ピラミッドは何代かに渡って作られるのが一般的ですが、太陽のピラミッドは一代で作られたそうです。
当時、力を持った権力者が存在し繁栄した時代でした。
太陽の神殿は、高さ65m、底辺225m,エジプトのギザのピラミッドより少し小さく低いですが、世界で三番目の巨大建築物です。
遺跡全体の広さはテオキワカン遺跡の方が広大と言えそうですが、太陽の神殿は、トップまで歩いて昇ることが出来、遺跡群を360度眺望できます。
ギザのピラミッドは、一つの石が何十トンもある巨石で作られ、人力では昇ることが出来ませんが、
テオキワカンは元々、人々はより天に近いところで宗教的儀式が出来るように作られたので上り下りできるのです。
しかし、このまま、多くの観光客が訪れると遺跡が傷んでしまうので、将来は立ち入りが制限されるかもしれません。
市内のレストランで、音楽演奏付きのランチでした。
レストラン中庭
午後は、メキシコ市内に戻り、歴史地区であるソカロ地区を30分散策しました。
ソカロ広場、その横に国立宮殿があります。
国立宮殿の一部は博物館でありまた大統領官邸もあるそうです。
国立宮殿の鐘
その横にメトロポリタン大聖堂、サグラリオが右側に併設されています。
この部屋は特別料金が取られましたが、いくらかは忘れました。
サグラリオ メトロポリタン大聖堂の右に隣接します。
国立人類学博物館に向かいました。 ここは写真が多いので、項を変えます。【テオティワカン終わり・続く】
テオティワカン遺跡・太陽のピラミッド
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国です。
米墨戦争でアメリカ合衆国はかつてメキシコに属していたテキサス州やカリフォルニア州など広大な土地を
わずかな金額で買収したのでした。
その後、これらの地はゴールドラッシュや石油の一大産地となりました。
歴史に"もし"は無意味ですが、USAがこれらの広大な領地を略奪しなければ、今日のUSAはあり得なかったことは確かです。
アカプルコには、正午に着きました。
アカプルコ港の案内人 警備艇
私は、2泊3日のオーバーランドツアー『テオティワカン遺跡ツアー』に参加しました。
集合時間は、12:15分でしたので、慌ただしい昼食でした。
集合場所には、ペルー人クルーのネストレが待っていて、私の荷物を舷門まで運んでくれました。
日本公園・支倉常長像
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコ空港
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。このホテルの連泊です。
シェラトンホテルは有名なホテルですが、ここは建物も古く、設備も古く、やたらダブルベッドだけが豪華で、私の部屋はそれが二つもありました。
私は、9000円の割増料金を払って一人部屋ですので、何とも滑稽でした。
クローゼットのドアを開け放しにいておくと中の電灯が、その前を通ると
点灯するするので、これはトイレに起きたときは便利でした。
インターネットは、光ケーブルのランケーブルなので早く便利なのですが、
料金が24時間20米ドル(米ドルは使用できないのでカード決済です)と高かったです。
ホテルの部屋から
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
メキシコシティは大都会で、道路には車があふれていました。
メキシコシティは、盆地になっているので自動車の排気ガスは、この盆地内のとどまり、大気汚染に悩まされているようです。
メキシコは貧富の差が激しい上、それが目に見える形で見えるようです。
一番は、住んでいる地区であり、どんな家に住んでいるか、次が交通手段のようです。
そして子どもの通う学校の格差だそうです。
教員の給料が非常に安いため、教員のなり手が少なく、公立学校の教育レベルがとても低いので、
中間層は私立の学校に子どもを入れるのですが、その私立学校にもたくさんのランクがあるそうです。
スクールバスは交通渋滞のため時間が当てにならないのと安全でないので、子どもの学校の送迎に親たちが自家用車を使うので、
メキシコのラッシュは、早朝、学校の帰宅時間である昼過ぎと夕方の通勤の帰宅時間の3回あるそうです。 【一日目終わり】
6月23日(日) グアダルーペ寺院・テオキワカン・国立人類学博物館
早朝8時にホテルを出発しました。
グアダルーペ寺院を初めに訪れました。
ここは、カソリックの三大奇跡の一つです。
一つは、フランスのルルドの泉、 ポルトガルのファーティマの聖母とこのグアダルーペ寺院です。
かつてそれがあった教会は、地盤沈下のため傾いてきたので、その隣にバシリカを建てられました。
新しいバシリカ
奇跡を起こした褐色のマリア像、着衣が本物と言われています。
聖母の絵の前は動く歩道です。写真撮影のためずっと立ち止まると大混雑し、後の人が参拝できないからでしょう。
有料トイレ
同じ敷地内のある教会 跪いて参拝する人
その教会からの展望 グアダルーペ寺院の壁の大砲(教会は要塞も兼ねていたそうです。)
バスで、テキーラと黒曜石のお店に
黒曜石の加工職人 タイヤの空気圧を調節する道具だそうです。
サボテンの一種類、繊維質で紙の材料ともなるそうです。テキーラの材料となる竜舌蘭とは別種とのことでした。
正直なところ、このお土産屋への立ち寄りは私には不要で、その時間を次の二つの観光に当てるべきでした。
テオキワカン遺跡 は、「すごい」の一言でした。 上:太陽のピラミッド 下:太陽の神殿から死者の道・中央入口
私達は、月のピラミッドの入り口から入りました。
住居跡
月のピラミッドから、月のピラミッド広場、死者の道[中央]、太陽のピラミッド[左端]
月のピラミッド
ジャガーの神殿
土台に勾配があるのは水はけを良くするためです。 太陽のピラミッドに向かう壁の中にきれいなジャガーが
太陽のピラミッド
太陽のピラミッドのてっぺんからの眺望
ケツァルパパロトルピラミッド(遠いので行けませんでした。) 太陽のピラミッド前広場
博物館、ケツァルパパロトルピラミッドゲート方向 月のピラミッド
月のピラミッドと死者の道
漆喰跡・木片の先まで漆喰が塗られたいたそうです。30~50cmはあるでしょうか。
漆喰を作るには大量の熱源が必要で、そのために木々が大量に伐採され、森林が荒廃したそうです。
ケツァルコアトルの神殿は遠いので行けませんでした。
テオキワカン遺跡は高度2000メートル以上あるので、ピラミッド登坂は息が苦しくなり、踊り場に着く度に、休憩して昇りました。
ピラミッドは何代かに渡って作られるのが一般的ですが、太陽のピラミッドは一代で作られたそうです。
当時、力を持った権力者が存在し繁栄した時代でした。
太陽の神殿は、高さ65m、底辺225m,エジプトのギザのピラミッドより少し小さく低いですが、世界で三番目の巨大建築物です。
遺跡全体の広さはテオキワカン遺跡の方が広大と言えそうですが、太陽の神殿は、トップまで歩いて昇ることが出来、遺跡群を360度眺望できます。
ギザのピラミッドは、一つの石が何十トンもある巨石で作られ、人力では昇ることが出来ませんが、
テオキワカンは元々、人々はより天に近いところで宗教的儀式が出来るように作られたので上り下りできるのです。
しかし、このまま、多くの観光客が訪れると遺跡が傷んでしまうので、将来は立ち入りが制限されるかもしれません。
市内のレストランで、音楽演奏付きのランチでした。
レストラン中庭
午後は、メキシコ市内に戻り、歴史地区であるソカロ地区を30分散策しました。
ソカロ広場、その横に国立宮殿があります。
国立宮殿の一部は博物館でありまた大統領官邸もあるそうです。
国立宮殿の鐘
その横にメトロポリタン大聖堂、サグラリオが右側に併設されています。
この部屋は特別料金が取られましたが、いくらかは忘れました。
サグラリオ メトロポリタン大聖堂の右に隣接します。
国立人類学博物館に向かいました。 ここは写真が多いので、項を変えます。【テオティワカン終わり・続く】