風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/闇の列車、光の旅・ペルシャ猫を誰も知らない

2011年02月03日 | 映画
予告遍を見て、ぜひ見たいとは思わなかったのだが見に行った。佳作とは言えないがけっして駄作では無かった。
「闇の列車、光の旅」だけ見て帰ろうと思っていたのだが、「ペルシャ猫を誰も知らない」も見た。


私は中米についてまるで知らないので、この映画が中米の実態をどれほど正確に描いているのかはわからない。
しかし、真実の一部は反映されているのだろうと思う。
貧困とそこから来る、アメリカへの憧れと子ども達がギャング・マフィアに流れていく、そんな事情である。
ギャングのちんぴらカスペルは組に秘密にして女友達とつきあっていた。
そのことを組のリーダーが知り、襲われた彼女は事故で死んでしまう。
だが、カスペルにはなす術がない。
一方、ある人々はアメリカに行きさえすればここよりはましな生活が出来るとアメリカへの脱出に希望を托す。
だがそれは命がけの旅でもある。
カスペルとリーダー達は、貨物列車の屋根の上に乗ってメキシコを通ってアメリカへの脱出を試みる人々を襲う。
リーダーが少女・サイラに暴行しようとする。
カスペルはとっさに彼の首にナタを振り下ろし、彼を殺害してしまう。
こうしてカスペルは組に追われることになる。
助けられたサイラは彼と逃避行を共にすると言うストーリー。
虐げられたもの同士が、より弱いものを襲い、痛めつけるという出口の見えない悲惨さだ。
それはあまりに不条理で絶望的だが、おそらく現実の縮図なのだろう。
逃避行を続けるカスペルには一縷の望みもないのだが、彼の表情が次第に穏やかになってくるのが印象的であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


見ないで帰ろうと思っていたのだが、見始めたら結構面白かった。
現代音楽がそれほど好きではない私には、流れる音にかなり騒々しさを感じたのだが、
礼拝を呼びかけるアザーンのような音楽や、穏やかでしみじみした音楽も流れてこちらは良かった。
ネガルとアシュカンの男女は、国内ではこの種の音楽活動が禁じられているので外国に脱出しようと計画している。
彼らに共感し、手を差し伸べる音楽仲間の素朴な優しさがこの映画をさわやかに穏やかにしている。
臭い牧場で音楽の練習をし、牛の乳の出が悪くなったと言われるシーンには思わず笑ってしまう。
アパートの住民が警察に通報するので、ただひたすら彼の外出を待つ彼らなのだが、彼を決して非難はしない。
この種の音楽活動をすると逮捕されることが真実かは私は知らないが、彼らが悲壮さで音楽するのでなく、
ただ音楽したいだけなんだと穏やかに語る彼らはしなやかで強いなと思った。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 白金台・六本木を歩く | トップ | 平林寺/新座・朝霞を歩く »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画」カテゴリの最新記事