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風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/エリザのために

2017年08月01日 | 映画


原題:Bacalaureat、英題:Graduation、狭義のバカロレアはフランスの大学入学資格のこと、
ちなみにバカロレアの語源はラテン語の「月桂樹の実」だそうです。
珍しいルーマニアの映画です。私は初めてかもしれません。フランス、ベルギーの会社がお金を出したのでしょう。
可もなく不可も無く、と言ったところでしょうか。
ストーリーは単純で、サスペンス調映画です。
舞台は、チャウシェスク後のルーマニアです。
冒頭、ロメオの家の窓ガラスが石を投げられて割られます。
このシーンは、この映画の謎解きを暗示しています。
医師のロメオは娘のエリザの英国留学に大きな期待を持っています。
奨学金を受けられるかどうかの最終試験の日、エリザは、街中で強姦未遂を受けます。
そのショックで、エリザは試験を受けられませんでした。
ロメオは、かつてのコネ・賄賂の習慣を駆使して再試験と採点をよくする為の違法な工作を始めます。
彼は、エリザが閉塞するルーマニアを脱することが彼女の唯一の幸福で、その実現には奨学金が絶対必要だと言います。
しかし、このストーリーの設定・前提が無理筋で、説得性がありません。
社会的地位もあり、裕福なロメオですから奨学金など無くとも娘を留学させることは出来るはずです。
なのに彼は、若いシングルマザー・サンドラと不倫関係にあります。
こんな設定ですから、背後にかつての社会主義ルーマニアのコネ・賄賂の「残滓」が潜んでいる何て言われても、です。
ロメオに検察の手が伸びてきます。なんだ、ルーマニアは結構まともじゃないか、何て思わせます。
なのに、もっと深刻な真っ昼間の強姦騒ぎは?のまま、です。
エリザが乱暴された場に、エリザの恋人マリウスが居たか居なかったか問題にされますが、本筋ではありませんし、
このエピソードが挿入された意味が私には全くわかりませんでした。
ロメオの車の窓ガラスも石で割られ、その後、家の窓ガラスが再度割られます。これらの謎は最後まで明らかにされません。
石を投げた人間は、ロメオの不倫相手の息子で言語障害を持つマティであることは間違いありません。
公園で遊具の順番を待つ子ども達の列に割り込んだ子に、彼が石を投げるエピソードが唐突に挿入されました。
彼は、「順番を守らない人をどうすればいいの?」、つまり「法を守らない人をどうすれば良いの?」と言うわけです。
言語障害を持つ子が、言葉の代わりに「石を投げる」かは私は知りませんが…。
エリザは、不正を働いてまで奨学金試験に受からなくても良いと、高校を卒業します。
卒業写真のエリザは、吹っ切れたように明るい顔です。
彼女は人生の一つの過程で父とは違う卒業を選んだと言うわけでしょうか。
私は、風景としてのブカレスト以外はルーマニアについては知りません。
この映画が、今日のルーマニアの現状をどのように反映しているかは想像もつきません。
エリザ、妻、サンドラ、そして彼女の息子達は、「卒業」しつつあるのに、彼だけがチャウシェスク時代のルーマニアや、
その残滓を彼の心の中に引きずり、決別できないのです。  【2017.7.24】

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映画/たかが世界の終わりに、Juste la fin du monde

2017年07月26日 | 映画


ひどい駄作です。
更に、この大仰な題にはもう二の句がありません。
さて、有名作家のルイが12年振りに帰省した一日のお話。
彼はゲイで12年前に家を出、歳はたしか30代前半です。
理由はわかりませんが死期が近づいた彼は家族にそのことを言いに帰ったのです。
ところが、彼が家に入ると、妹はどうして高いタクシーを使ったのかと延々と大げんか。
次は、兄嫁が子どもの話をすると、兄は下らない話しをするなと大激怒。
母親は、マミキュアをドライヤーで乾かしながら、何か大声で叫びます。
家族中が、全く下らない内容で大声で怒鳴り合いの喧嘩を延々と続けるのです。
ウッデイ・アレンの様にしゃれている会話なら面白いのですが、下らないの一言の内容ですから、もうウンザリ辟易です。
そして、ルイは、何故か激怒した兄の「帰れ」の一言で、ルイは「世界の終わり」を言い出せず帰り、映画は終わります。
この映画では、登場人物の生活感が全く無いばかりか、お互いを思いやるなどという感情も皆無、
おまけにマリファナを吸いまくっています。
カナダ・フランス映画で言葉は、フランス語なのですが、舞台がどこなのか私には、はっきりわかりません。
そして冒頭と最後に英語の歌が流れる奇妙さなのです。
家族は、ルイからたくさんのポストカードをもらっているのに、長い間詳しい音沙汰がないと文句を言っています。
そもそも子どもが成長すれば、家を出るのは当たり前、頻繁に連絡などしないものです。
たった12年なのに、なぜ連絡しないのだと大怒りしているのです。
と言うのに、第69回カンヌ国際映画祭でグランプリ受賞と言うのですから、驚きを通り越して「何てこった」、です。
やっぱカンヌって感じ。カンヌはこうした意味不明の駄作に賞をあげることに自らの存在価値を感じているのでしょう。
「Juste la fin du monde」(ちょうど世界の終わり)と、大それた題を恥ずかしげも無く付けられたものです。
映画は、つくづくギャンブル、大いなる失望・落胆でした。     【7月24日】
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映画/わたしは、ダニエル・ブレイクL,Daniel Blake

2017年07月17日 | 映画


秀作です。
大工のダニエルは、59才、心臓発作で倒れます。妻は、数年前に他界し、一人暮らしです。
さて、これから彼はどうやって生きていけば良いのでしょうか?
「ゆりかごから墓場まで」を謳う歌うイギリスの田舎町・ニューカッスル、彼は職安や社会福祉事務所に行きます。
職安では、「心臓病で仕事は出来ない、福祉事務所に行け」と言われ、福祉事務所では「求職活動をしろ」と言われます。
手続きは「オンライン」=コンピュータを通してと言われます。「マウスを画面上で動かして」と言われます。

受け狙いでイヤ味なシーンでしたが、桂文珍の新作落語・「老楽風呂」を思い出しちょっぴり笑いました。
社会福祉事務所で彼は、ロンドンから移住してきた若いシングルマザー、ケイティが事務所で「冷たい仕打ち」を
受けているのを見て、「何故手を差し伸べないのだ」と、大声をあげます。
屈強な職員とガードマンによって彼らは排除されます。
私は、「福祉の国」と言われるイギリスやユーロ諸国の福祉の実態については全く知りませんが、
日本と同じように、役所は「貧者、弱者に冷たく」、窓口をあちこちたらい回しさせられます。
それを契機にダニエルとケイティは親しくなります。もちろん男女の関係ではありません。
ケイティを巡る印象的三つのシーンがありました。
一つは、フードバンク(食糧支援施設)で、ケイティはもらった缶詰の封を開け手づかみで食べてしまうシーンです。
何日も食べてこなかった彼女でした。ここの職員の彼女への何とも暖かく優しい態度は感動的でした。
二つは、スーパーで万引きしてしまうシーン。ガードマンに呼び止められ、「困った時は電話を」と言われます。
頑張った彼女ですが、子どもが貧しさの故にいじめられ、彼に電話をし「危うい仕事」に手を出してしまいます。
三つは、ダニエルが倒れた時、彼女は敢然と「福祉事務所」と渡り合い、支援のボランティア団体を紹介するシーンです。
ダニエルは、福祉事務所の「お情け」を拒否し、「俺は、誰でもない、ダニエルだ」と福祉事務所の壁に落書きします。

それは、「オレは其の他大勢」ではない、名を持つ、一人の人間なんだと言う、強烈なメッセージです。
それがこの映画の"題名"となりました。
ボランティア団体での面接の時、トイレに立った彼は、そこで心臓発作で倒れ、死にます。
ハッピィエンドでない、残酷な結末でしたが、映画としてはそれはとても良かったです。
ケイティは、葬儀で、「敬意ある態度」こそ大事だと言います。
葬儀の場には、福祉事務所の女性が参列していました。彼女は、パソコンが使えない彼に優しく接するのでしたが、
上司は、「特例を作ってはダメだ」と指示されたりして居たのです。
その他、彼のアパートの隣人や、職安で職を求める人々、街頭の庶民など、「貧しき大衆」の優しさと、人への共感、
そして最後に敢然と前を向いて歩いていくケイティに、私達は勇気づけられるのでした。
弱者に目を向ける作品を撮り続けてきたケン・ローチ監督の面目躍如の作品でした。      【7.10】
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映画/未来を花束にしてSuffragette[女性参政権]

2017年07月13日 | 映画


とても刺激的でした。
イギリスの女性参政権運動に関する映画です。
舞台は1912年、ロシア1905年革命、第一次世界大戦、1917年ロシア革命の直前の時代です。
先進国では、猛烈な帝国主義が席巻し始め、たくさんの農民が都市に流入し労働者となりました。
彼らは、職と食を得るため、資本による苛烈で劣悪な労働・生活環境を強いられました。
特に、女性と子どもを取り巻く環境は凄まじいものでした。
女性参政権運動を展開するWSPU(女性社会政治同盟)は"言葉より行動を"と直接行動をよびかけ、活動も活発となり、
アイルランドでテロ対策に辣腕をふるったスティード警部が赴任してきます。
彼は歴史上初となるカメラによる市民監視システムを導入した人物だそうです。
WSPUのカリスマ的リーダー、エメリン・パンクハーストをメリル・ストリープが演じていますが、
その演説はまるで詩の朗読の様にきれいで、力強かったです。
イギリス英語は私には耳触りがとても優雅できれいですが、階級間でその違いはあったのでしょうか?
しかし、運動は行き詰まります。彼女たちの中の一人が選んだ戦術は、「ダービーのレースの馬の前に飛び出る」でした。
このシーンと音響はとても素晴らしいものでした。
今日、こうしたシーンをや運動を描くことは商業的にはかなり勇気が要ることは疑う余地がありません。
しかし、当時先進国では、共産主義運動や無政府主義者の運動やテロリズム運動など今日から比べるとかなり過激な
行動が行われていました。
Suffragetteは馴染みの薄い英語で、ちょっと前までは「婦人参政権」と訳されていました。
ところが、邦画の題名は"未来を花束にして"、これは陳腐を通り越して、二の句が継げない、です。
しかし、残念ながら映画の出来としては、傑作とは言えません。
主人公モードの視点からストリーを展開しているのですが、この種の映画として参政権運動の啓蒙・紹介を
どうしても避けて通れないことから、彼女の内面の葛藤や苦闘を充分に描くには少し時間が足りないのです。
当時置かれた男性労働者、女性・子ども労働者の苛酷さをことさら描かなかったことも良かったです。
映画の最後に、女性参政権を獲得した国々が獲得順に紹介されます。
トップは、ニュージーランドでなんと1893年です。
女性参政権運動は、18世紀からフランスで始まったそうですが、オーストラリア(1902年)、フィンランド(1906年)、
ソビエト=ロシア(1917年)、カナダ・ドイツ(1918年)などと続きます。
日本は、何と1945年12月でした。スイスは、1970年になってでした。
モードは、子どもを夫に奪われ、さらに彼は息子を養子に出します。
映画は子どもの養育権についても最後に少し触れています。それは、女性の参政権よりはるかに遅れています。
女性、子ども、人の人権についての「不条理」は今なお強固に存在しています。  【2017.7.10】
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映画/淵に立つ・Harmonium

2017年07月06日 | 映画


69回カンヌ「ある視点」審査員賞を受賞したそうですが、よくわからない映画でした。
深田晃司の同名の小説が原作で、脚本も彼の手です。
日本フランスの合作映画だそうです、英題はHarmonium これまた良く意味がわかりません。
元の意味は、リードの付いたオルガンらしいのですが、日本語のハーモニー・調和も意味するのでしょうか。
八坂と利夫は何年か前に人を殺します。八坂だけが服役し、服役後、彼は利夫の家に転がり込みます。
映画では、何時、どんなわけで殺人を犯し、八坂だけが服役したのか、そもそも八坂と利夫とはどのような関係だった
のか等の重要なことについて全く説明しません。
この事情にこそ、この映画で登場する人物とその関係を解き、理解する重要なカギがあるのに、です。
おそらくサスペンス仕立て・謎解きに観客をミスリードする意図としか思えません。
あるいはそれらに触れれば以後の一人よがりで無理なストリーを展開することが出来くなるからかもしれません。
ともれ、リアリティ、現実性の無さ、どうにでもなる勝手な筋書きがこの映画の致命的失敗です。
「崖の淵に立つ、人間の心の奥底の暗闇をじっと凝視する」等と言いますが何と虚ろなことか。
映画の途中から、サスペンスから八坂と利夫の妻・章江との関係、いつ二人は肉体関係に入るのか
に興味・焦点を移行させます。
口づけまでしていた章江ですが、土壇場で八坂を拒否します。
拒否された彼は、小学生の娘を乱暴するんです。もう何をか言わんや、です。
しっちゃかめっちゃか、です。
それを「淵に立った人間の奥底の暗闇」というのですか。
その事件後、八坂は一家の前から消えます。その8年後、八坂の息子なる男が、彼と同様に一家の前に突然、現れるのです。
この展開には、もうあきれて、「口あんぐり」です。
事件以来、男を娘に近づけ無かった章江なのに、その息子にも好意を抱き、彼を娘の部屋に入れ、絵を描かせます。
たまたま電話がかかって来て、彼女は何と彼だけを残して部屋を出て行きます。
その直後のシーンは、彼が娘に口づけしているようなシーンです。
娘の服の汚れを取る為に彼女に近づいただけというのですが、思わせぶりの信じられないシーンです。
映画では、赤と白の色がかなり象徴的に使われます。

「普通」の時は白、「異常」な時は赤が使われている隠喩のように感じましたが、映画ではシーンは「巻き戻し」出来ません。
後でどんな場面だったかなどと振り変えられません。
八坂の服が、赤色になる時、彼は統合失調症のように「異常」なるように思いました。
章江の娘が彼に乱暴された時、彼女は真っ赤なドレスを着ていましたが、その意味は何だったのでしょう。
その後も、橙とピンクの服を娘が着てました。おそらく意味があったのでしょうが、私にはわかりませんでした。
何度か、自分に、相手に、ほほを平手打ちするシーンがあります。
このシーンと意味も不明というより、余分としか言いようがありません。
最後に、自殺は罪であるクリスチャンの章江が娘と無理心中を試みるなど、最初から最後まで安易な筋書きでした。
彼女らが川に落ちた後、車椅子の娘が、一瞬、息を吹き返し、自分の力で泳ぎ出すシーンがありました。
ほんの数秒です。実際に起きたことなのか、誰かの頭に浮かんだ幻影なのか、全く意味不明なのです。
何度も途中で席を立って帰ろうかと思うほど、何とも「むかつく」作品でした。
しかし、「カンヌ」は、この作品に「ある視点」審査員賞を与えたというのですから…。 【6月26日】
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映画/沈黙・Silence

2017年06月29日 | 映画
 

面白いですが、秀作とはとても言えません。
遠藤周作の原作をイタリア系アメリカ人・マーティン・スコセッシが監督しました。
冒頭から不思議を通り越して違和感いっぱいでした。
いかにアメリカ映画と言っても、スペイン人のカトリック司祭が英語を話し、日本の役人、牢屋の看守、農民も皆
流ちょうな英語を話すんです。
何とも不自然、言語そして音は大事です。私は出だしで「転ばされた」感じでした。
ただその一点で、この映画は大失敗作です。
そのことは置いて、日本へのキリスト教の伝搬と普及、そして在来の日本の宗教、仏教・神道の関係は、
私には複雑過ぎて良く理解できないことが多いです。
一口に日本の仏教と言っても密教、鎌倉時代以降の新興・大衆仏教と支配階級の武士の禅宗など様々な宗教があります。
キリスト教が、日本と日本人の一部であっても広がることが出来たのはどうしてでしょうか?
日本へのキリスト教の伝搬について、当初、支配階級はとても緩やかだったそうです。
それは、貿易などの経済活動から得る利益の方がはるかに大きく、キリスト教に改宗した大名もたくさんいました。
しかし、西洋と日本の生活習慣の違いは大きく、言葉の壁は厚く高いものでした。ゼウス・神は大日と説明したそうです。
仏教の大日の意味は色々あるようですが元は宇宙の真理ということで、決して太陽を意味してはいません。
八百万の神の日本でも、太陽信仰・天照大神は特別です。ゼウス・神は太陽と同じだと言うわけです。
また日本に入ってきたのは、プロテスタントではなくキリスト像や十字架など偶像崇拝を認めるカトリック
だったことの意味も大きいと思います。
文字を知らない民衆にとって、目に見える偶像・絵の存在は大きいです。
とりわけ日本では、仏像、絵巻などは大きな力を持っていました。
戦国末期から江戸初期にかけて、在来の仏教勢力は大きな力を有していました。
石山本願寺、比叡山などは封建体制・大名を脅かし、武家秩序を根底から覆すほどの力、持っていました。
一向宗では阿弥陀様に帰依し、南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、死後極楽浄土に行くことが出来ると信じられました。
それは、あたかもムスリムの一部のジハードや、カトリックの殉教精神にもつながるのではないでしょうか。
とまれ、悪政・身分制の現世は苦痛が多く、苦しむ民衆にとって、死後天国に行ける浄土・阿弥陀信仰とキリスト教殉教は
同じような精神構造だったのではないかと私は思います。
さて、映画に戻ります。
スペインからかつて来た宣教師のその後が不明で、「棄教」したと本国では噂されていました。
その真相を探るために、彼の弟子二人が日本に派遣されます。
そこで彼らが目にしたのは、苛酷に弾圧される民衆でした。
二人の司祭も捕まり、棄教すれば、目の前の日本人切支丹を助けると言われ、苦悩します。
信仰に生きる彼らにしては、棄教より殉教の方が選択しやすいのですが、目の前で信徒が殉教して行きます。

   切支丹が処刑されるこのシーンは雲仙の地獄谷でロケされたそうです。
彼らは、「神にどうするべきか?」と問うのですが、神は「沈黙」でした。
彼らの師と仰ぐ宣教師・フェレイラは、目の前の惨劇を回避することが最善であるとし、棄教しました。
旧約聖書の中で、神がモーゼに自らの息子の命を差し出せと試練を与える話しが思い出されました。
また、釈迦は、前世で飢えた飢えたトラの親子に自らの体を投げ出したと言う「捨身飼虎」の話しも思い出しました。
「神は民衆が苦しんでいるのに救いの手を差し出さない、何も語らない」=沈黙なのです。
ヨーロッパ・キリスト社会では、厳しい異端審問・魔女狩りが行われました。
現代でも、想像を絶する民衆への悲劇が日々起きています。
神と宗教世界そして人々はこの問にどう答えたら良いのでしょうか?
この映画、遠藤周作さんはこの重い問を私達に問うていると思います。
162分はどうしようもなく長過ぎます。これがこの映画の第二の失敗です。
ゆっくりな台詞回しは良いのですが、ストーリー展開が余りにゆっくり、同じようなシーンが繰り返され、冗舌です。
映画の冒頭、音が全くしない真っ暗な画面がながく続きます。「サイレント」の暗示なのでしょうが、安易すぎる演出でした。
所々の印象的な低音の音楽は良かったです。     【6月26日】




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Maggie's plan、幸せのあとしまつ

2017年06月27日 | 映画


面白いです。ちょっと飛んでいてユニークなグレタ・セレスト・ガーウィグあっての映画です。
彼女はアメリカの女優ですが、映画監督、脚本家でもあります。「フランシス・ハ」、「ローマでアモーレ」で好演でした。
恋愛が奥手で下手なマギーは、シングルマザーを目指します。数学好きの普通の男友達の「精子」を空き瓶にもらい、
自分で挿入するという何ともおおらかなものです。
ところが、妻子ある男を奪って結婚し、数字好きな女の子を産みます。
数年、彼と家庭生活を営みますが、どうもしっくりいきません。
彼女は、その男が元の妻とヨリを戻すように、元の妻と策動するお話です。
全くさえないジョン(イーサン・ホーク)に、いい女二人が好きになるなんてのは全くの作り話ですが…。
ガーウィグは、そう遠くないうちに、面白い映画を作ってくれるだろうと私は期待しています。
しかし、邦題「幸せのあとしまつ」はなんとつまらない題でしょう。
私の彼女の映画のブログは、「フランシス・ハ」「ローマでアモーレ」 にあります。   【おわり、6月19日鑑賞】
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映画/はじまりへの旅・Captain Fantastic

2017年06月22日 | 映画


原題は、Captain Fantastic、邦訳の「はじまりへの旅」は何とヘンテコ、陳腐です。
見る前は、「キワモノ」と思っていたのですが、何とも「Fantastic」でした。このFantastic、何と訳せば良いでしょう?
まるで1960年代後半のヒッピーにタイムスリップしたような生活をして居るベン一家のお話。
一つのキィワードはベトナム反戦運動の時代が生み出した哲人=ノーム・チョムスキー、
彼は現代アメリカの偉大な「巨人」ではありますが、彼の評価は大きく割れています。
もう一人は、母・レスリーです。双極性障害(躁うつ病)のレスリーは入院していたのですが、自死してしまいます。
仏教徒イコール火葬では決して無いのですが、彼女の遺言は、「仏教徒としての葬儀・海への散骨」でした。
彼女の実家は、大富豪でまさに「アメリカの価値」そのもの、彼らは土葬された彼女を奪い返します。
この映画を、「人生いかに行くべきか」などというシリアスで文明批判と捉えると面白さは全くなくなります。
制作者を含めた彼らが屁理屈をこねればこねるほど、おかしくなって行くと言うコメディなのです。
確かにアメリカへの皮肉や批判が込められているのですが、「やはりアメリカは良い」のアメリカ賛歌なのです。
その中途半端さがいかにもアメリカ映画らしいです。
しかし、そのおかしさの背後に、やはり不気味な「アメリカ」が潜んでいるように私は感じました。
カンヌで「ある視点賞」を受賞したそうですが、やはりカンヌはカンヌでやはり変です。  【6月19日】
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映画/ヒトラーの忘れもの[Land of mine]

2017年06月10日 | 映画


原題は、Under sandet[砂の下]、英題はLand of mine[地雷の大地]、邦題の「ヒトラーの忘れもの」は何とも頂けません。
第二次世界大戦が終わった時、デンマークでは、ドイツ軍が埋めた地雷が放置されていました。
デンマークに派兵された多くのドイツの少年兵は捕虜となり、その地雷の処理をさせられました。
そのほとんど知られていないエピソードの映画です。
ドイツへの憎しみ一杯のデンマーク軍の軍曹ラスムスンは、その一隊の指揮に当たります。彼は彼らに厳しく接します。
少年兵は地雷処理で怪我し、精神を壊し、そして死んで行きます。

彼は、次第に少年兵に心を開きはじめ、「任務が終えたら国に返す」と約束します。
ところが、彼らは与えられた任務を終えると、再び別の地に派遣されるのでした。
そのことに激怒した彼は上官に抵抗し、彼らを取り返し、国に返すのでした。
映画では、その経緯が描かれていないので、どうしてそのことが出来たのか私にはわかりませんでした。
この結末は、明らかに失敗でした。いかに「不誠実・いたたまれなくても」、不条理さに任せるべきでした。
こうした悲劇は、シベリアの日本兵、タイの戦場架ける橋をはじめ世界中でたくさん起きたことでしょう。
英語の"mine"にどうして地雷の意味があるのか疑問に思い調べました。
私達の多くが知っているのは「私のものというmine」ですが、地雷mineの語源は、ラテン語・フランス語のミネラルにあるようです。
そこから鉱山、鉄鉱などへ意味が広まり、"地雷"につながったと辞書にありました。
やはり、言葉は生き物、面白いですね。
この映画、途中に中だるみがありましたが、最後の結末を除いては、とても良く出来ていたと思います。  【5月29日】
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映画/アイ・イン・ザ・スカイ[Eye in the sky]

2017年06月09日 | 映画
 

AIが今日大人気です。その便利さが高く評価されていますが、それの持つ危険さは余り言われません。
ドローンも、自動運転自動車などみな軍事目的で開発され、それが一般に利用されています。
過日、米軍の無人偵察飛行機が紹介されましたが、異常に大きかったのに驚きました。それは訳がありました。
ミサイル搭載が可能なのですね。数多くの無人飛行機の誤爆、市民の爆撃も起きているようです。
そもそも軍事行動に、民間施設・民間人攻撃を避けるなんてことはないのですが…。
さて、この映画はそうしたAIを駆使している現在の戦争の一面を描いています。
カメラを搭載した飛ぶ昆虫がファミコンで操作されているのには笑ってしまいましたが、
その映像に映し出されたのは自爆の準備でした。
無人飛行機のミサイルで建物ごと破壊する作戦が計画されます。
建物の外にパンを売る少女がいます。
さて、ここで突然「倫理」が登場します。
戦場ではない場所で、幹部が集まって、小さな犠牲で大きな犠牲を避けるべきか、
無辜の少女を見殺しにするべきではないのか「小田原評定」を繰り返します。
しかし、その内実は、その攻撃が公表された時、世論の批判をどうするのか、なのですね。
着弾地を少しずらすことによって少女への危険度の割合が減少すると言う数字のマジックで攻撃が行われます。
この映画の新の恐ろしさ、意図は、「安全な場所で行われている現代の戦争」は、市民への誤爆や類爆を避けるべく
最大の「努力・考慮」が、されていると言う"プロパガンダ"にあるように感じました。
しかし、サスペンス映画としては、ハラハラさせられ、良く出来ています。
ただ、会議や、パン売り少女のシーンなどがくどすぎました。          【5月29日】

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映画/湯を沸かすほどの熱い愛

2017年05月28日 | 映画
 
面白かったです。何たって、好きな、オダギリ・ジョーが出ています。
物語は、題名ほど「過激」ではありません。家族の愛、人の愛は、血より不思議なと言うこと程度のお話。
宮沢りえは、まさに末期がん患者のようにやせていました。役作りなのでしょうか、それとも「本当に病気」なのでしょうか。
ストーリー的に二つほど無理がありました。
松坂桃季の唐突・とってつけたような無理矢理の登場と、杉咲花と母親との別離のお話です。
聴覚障害者の母親が娘(杉咲花)を育てられないと捨ててしまうストリーはお話にならない全くダメです。
根性もの、純愛ものにしないでコメディタッチにしたのは大正解でした。
また、「死」や「別離」など不条理などを怖いもの扱いしないで、人の摂理のように扱うのもよかったです。
私としては、宮沢りえより、私の好きな小泉今日子の方が良かったと思います。
もしそうなら、相手役が私の好きな永瀬正敏も良かったなぁ、なんて。
子役の伊東蒼、「とと姉ちゃん」でブレークした杉咲花も良い味でした。もちろん、オダギリ・ジョーもね。

久しくつまらない映画が続いたので、余計に楽しかったのかもしれません。
宮沢人気はさすがで、202の席が満席でした。   【5月15日鑑賞】
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映画/永い言い訳

2017年05月26日 | 映画


西川美和さんの作・監督というのでちょっと期待したのですが、イマイチでした。
竹原ピストルへの演出は、×で、興ざめでした。彼に強面の表情をさせ、一瞬、「殴り合い」と思わせて、
急にお人好しの顔にさせる嫌らしい演出が何度もありました。
この映画も、わざわざ劇場に見に行くほどではないです。  【5/15鑑賞】 
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映画/ジュリエッタ[Julieta]

2017年05月26日 | 映画

一種のサスペンス映画です。どうってことの無い物語なのに、いかにも深い訳ありの様に描き、引き延ばす普通の作です。
わざわざ劇場に足を運ぶ必要は無いです。   【5.1鑑賞】
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映画/ブルーに生まれついて[Born to be Blue]

2017年05月26日 | 映画

イーサン・ホークの歌は下手くそです。懐かしい音楽が流れます。
少し期待していたのですが、駄作でした。   【5.1鑑賞】
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映画/マダム・フローレンス![Florence Foster Jenkins]

2017年04月29日 | 映画


フローレンス・フォスターは、1868年生まれのアメリカ人、76歳の時、カーネギー・ホールの舞台に立ったそうです。
第一次、第二次世界時に活躍した歌手と紹介されていますが、まさに聞くに耐えらえれない音痴でした。
実は、彼女は父親から莫大な財産を受け継いで、そのお金・地位などを駆使して、取り巻きの「ファンクラブ」を作り、
晩年には、カーネギー・ホールを買い占め、音楽批評家を買収し、まさに「裸の女王様」のコンサートでした。
伝記と言うより、彼女の晩年のこの下らないエピソードのコメディ映画です。
しわくちゃでブヨブヨに太ったメリル・ストリープでした。
わざわざ映画館に足を運んで見る映画ではありません。     【4月17日】
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併映の「エブリバディ・ウォンツ・サム!」は、余りに下らない映画でした。
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