風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/はじまりへの旅・Captain Fantastic

2017年06月22日 | 映画


原題は、Captain Fantastic、邦訳の「はじまりへの旅」は何とヘンテコ、陳腐です。
見る前は、「キワモノ」と思っていたのですが、何とも「Fantastic」でした。このFantastic、何と訳せば良いでしょう?
まるで1960年代後半のヒッピーにタイムスリップしたような生活をして居るベン一家のお話。
一つのキィワードはベトナム反戦運動の時代が生み出した哲人=ノーム・チョムスキー、
彼は現代アメリカの偉大な「巨人」ではありますが、彼の評価は大きく割れています。
もう一人は、母・レスリーです。双極性障害(躁うつ病)のレスリーは入院していたのですが、自死してしまいます。
仏教徒イコール火葬では決して無いのですが、彼女の遺言は、「仏教徒としての葬儀・海への散骨」でした。
彼女の実家は、大富豪でまさに「アメリカの価値」そのもの、彼らは土葬された彼女を奪い返します。
この映画を、「人生いかに行くべきか」などというシリアスで文明批判と捉えると面白さは全くなくなります。
制作者を含めた彼らが屁理屈をこねればこねるほど、おかしくなって行くと言うコメディなのです。
確かにアメリカへの皮肉や批判が込められているのですが、「やはりアメリカは良い」のアメリカ賛歌なのです。
その中途半端さがいかにもアメリカ映画らしいです。
しかし、そのおかしさの背後に、やはり不気味な「アメリカ」が潜んでいるように私は感じました。
カンヌで「ある視点賞」を受賞したそうですが、やはりカンヌはカンヌでやはり変です。  【6月19日】


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