19日の報道番組やワイドショーは生方(うぶかた)副幹事長の解任劇で持ちきり。
どうやら、ことの始まりは、彼が産経新聞のインタビューに答え、「民主党の党運営が中央集権的だ」と小沢批判したのが、「あの人」の逆鱗に触れたということのようだ。
但し、あくまでも、小沢御仁の関知せざる処、13人の副幹事長が総意で決めたことだと、当の生方氏に引導を渡した高嶋筆頭副幹事長が釈迦力に強調する。
その必死振りを見るにつけ、これって、あの野村東宮太夫の愛子さま不登校騒動とまるでそっくりじゃんと思ってしまった。
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即ち、双方に共通するのは、「恐れ多い、大切なお方の心を煩わせず、忖度(そんたく:他人の気持ちをおしはかること)することが万事、側近の役目」と、心得る前時代的な発想なのである。
そして、遇々、事件はその忖度のしそこないというか、行き過ぎが元で起こっているのだ。
では、その忖度政治の実態とそこから生まれる弊害とは一体、いかなるものであろうか?
①先ず、何よりも、「忖度」の行き着くところが忠節心を競うところにあり、守るべき人のためならと、汚れ役を嬉々として買う「愚」にある。
そして、それが仮に裏目に出ても、あくまでも責任は「吾にあり」と、ご主人を擁護することで、ホントの問題が闇に埋もれてしまうことである。
そのことは、生方事件でも、あたかも、小沢氏が「処分に消極的だった」と印象付けようとしていることで明々。又、不登校騒動でも、両殿下に非難が集中しないよう、殿下の関与をぼかしている。
②従って、小沢氏も殿下も国民の前で、堂々と説明責任を果たすことなく、常に、安全圏にいられるわけである。
③又、往々にして、忖度はマトはずれが多く、却って、よけい混乱を招きやすい。
ーたとえば、小沢関連でもかって、側近の山岡国対委員長が法案採決に強硬手段を講じ、こっぴどく親分から叱られたことがある。又、野村太夫も、マッシーパパの「美智子さまと雅子さま」のエントリーで述べたごとく、言わずもがな、皇太子殿下の外国訪問に雅子妃が同行しない理由を記者が質問したことに対するクレームで波風を立てたこともある(http://massypapa.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_5816.html)。
④問題は、こんな忖度を繰り返しいるうちにしまいには、それがエスカレート。こす辛い戦術に化けないとも限らないのである。というより、小沢御仁の場合にはその傾向が極めて顕著になっているようだ。
⑤最後に、両者の「守られる側のお人」に共通するのは、お互い、国民のバッシングが強いと言うこと。
それだけに、一層、側近達は「忖度」と言う巧みな手を弄しながら、できるだけ、世間の風に当てないようお守りするのであろう。
ともあれ、こんなバカを再三、繰り返していれば、国民は決しておろかでないのだから、却って反発。
「何で、自分で言いたいことを言わず、陰でこそこそ細工をするのか」と一層、信頼がなくなるだけ・・と、マッシーパパなどは思うのですが、いかがですかね。
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