世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

埴輪と装飾古墳で考えた(2):お化けの三角頭巾

2022-12-25 09:59:35 | 古代日本

<続き>

お化けと云えば額に三角頭巾をつけヒュードロドロドローンと出てくるのが相場であろう。今回は、そのお化けの三角頭巾が話題である。

弊ブログ『刺青「胸形」と鱗文』で、三角文が龍や蛇の鱗の形を象徴する文様であることを記してきた。この三角文や向い鱗文、更にはそれが連なる鋸歯文は、弥生時代の銅鐸文様に用いられて以降頻出する。それは福岡・王塚古墳奥壁や熊本・大坊古墳奥壁など、多くの装飾古墳壁画で目にすることができる。つまり三角形を基本とする文様は辟邪文である。

王塚古墳玄室

大坊古墳玄室

その辟邪文を、関東地方から出土する人物埴輪に見ることができる。その埴輪は、頭に鉢巻状のものを巻き、その正面に三角形の頭巾を取り付けている。それは千葉・山倉1号墳や埼玉・酒巻14号墳の人物埴輪が代表例である。

三角形の頭巾は、先述の人物埴輪だけではなく、大阪・高井田横穴群の『人物の窟』とも呼ぶべき線刻壁画でも見ることができる。

高井田横穴墓線刻壁画

そこには5人(線刻途中と思われる人物を含めると7人)の人物が刻まれているが、4人の人物の頭部に三角形の文様が刻まれている。これは、先の埴輪の頭部の三角頭巾と同じものであると理解したい・・・とすれば、高井田横穴群は死者を埋葬する墳墓である。線刻壁画の7人の人物は、葬送に会同した人々で、その人々が被葬者を葬送するにあたり三角頭巾をつけていたことになる。

現代日本でも死装束の一つに三角頭巾がある。これを天冠(てんかん・てんがん)と呼ぶが、そのルーツはここらにありそうだ。お化けが成仏できずに迷い出る際の三角頭巾(天冠)も、同じルーツとみることができる。

ここまで、我が国の三角頭巾のルーツらしきものは、古墳時代の埴輪や古墳の線刻壁画にみられることを説明してきた。さらなるルーツは、やはり中国であろうか。

中国の死装束は、周王朝(前1100年頃―前479年)に制定された儒教の五経典の一つ『儀礼(ぎらい)』に、被葬者の頭をくるむ掩(えん)があるという。この掩がどのようなものか知る由もないが、その掩が三角頭巾のルーツかと思われる。

古代漢族の習俗は、周辺に残るとも云われている。過去、ベトナム・ハノイに半年ロングステーした時の記憶が蘇って来た。路線バスに乗っていると葬送場面に出会ったのである。それは親族と思われる人々の額に三角頭巾をみたのである。その時の写真が無いので、下に動画の一場面を借用して掲載する。

動画・『ベトナムのお葬式の基礎知識』の一場面を借用

ハノイの葬送場面で見た三角頭巾、日本の死装束の天冠、お化けの三角頭巾、かたや古墳時代の線刻壁画と埴輪の三角頭巾、これを同じとするのは、牽強付会であろうか。やはり出所は同じで、周時代からであれば約3000年、古墳時代からとすれば、1500年に渡って続く習俗であろう。

<続く>

 


中之島の朝焼け

2022-12-23 09:15:38 | 日記

今回の京都紀行では、帰りに大阪の古代関連遺跡を巡り、中之島に宿をとった。三井ガーデンホテル大阪プレミアから眺めた中之島の朝焼けである。

残念ながら曇り空だがこの程度で、我が田舎山陰に戻るとミゾレ交じりの雨であった。

<了>


埴輪と装飾古墳で考えた(1):刺青『胸形』から想いを馳せる

2022-12-22 05:48:42 | 古代日本

過日、”予祝・ブログ開始3000日記念”(ココ参照)と題して一文をupdateした。いよいよその4回シリーズを掲載する。第1回目は、”刺青『胸形』から想いを馳せる”との命題にて記述したいと考えている。

先ず、魏志倭人伝の一節から話を始める。赤線の一節をご覧願いたい。所謂“鯨面文身・断髪文身”についてである。赤線部分を読下すと以下のようになる。

男子は大小(貴人と庶民)となく、鯨面文身(顔と体に刺青)している。夏后小康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身(坊主頭で身体は刺青し)して以て蛟龍(ワニ・サメ類)の害を避ける。今、倭の水人(素潜り漁)好んで沈没して魚蛤を捕え、文身(刺青)してまた以て大魚・水禽(ワニ・サメ類)を厭(いと)わしむるに、後ようやく以て飾りと為す。

魏志倭人伝は、倭人の男子は貴人であれ一般庶民であれ、顔と体に刺青している。いわんや漁師も刺青し、ワニやサメの類や大魚から身を守っているが、何時の頃から飾りとなった・・・と、記している。つまり弥生時代は誰彼となく顔と体に刺青をしていたことになる。

では、どのような刺青をしていたのか。鯨面については、弥生時代の線刻絵画土器や顔型土製品で見ることができるが、文身については、線刻絵画土器は存在せずハッキリしない。

大阪府立弥生文化博物館(弥生時代)

下関市・綾羅木郷遺跡(弥生時代)

そこで話しは6世紀の古墳時代に飛ぶ。写真の人物埴輪は八女市立山山古墳出土である。胸の中央に三角の頂点が上下に接する『向い鱗文』を見る。

『向い鱗文』つまり”胸形”について記そうとしている。先ず蛟龍について、蛟龍とは龍種の幼生とされており、水の主とするのが一般的である。古代中国の揚子江以南では、ワニを指すと云われている。龍神とワニは同義語のように扱われている。『日本書紀』に豊玉姫を龍(第十段本文)といい、八尋のワニ(第十段一書三)とも云った。これをトーテムとする氏族(海人族)が胸に刺青したものと思われる。

その刺青の文様は、龍や蛇の鱗の形を文様としたものであろう。いわゆる胸形(ムナカタ)である。金関丈夫氏はムナカタ氏の胸の刺青は、鱗文であるとされている。

立山山古墳の埴輪は、海人族(海部族)をモチーフとしたものではなかろう。明らかに陸上を生業とする人を写したと考えられる。海人族が除魔の目的で胸に入れた刺青文様であった鱗文が、海人族以外に広まったもので、胸の向かい鱗文は除魔の呪的文様以外の何物でもなかろう。

この立山山古墳の『胸形』が、宗像氏に関連する福岡県福津市の新原・奴山古墳群や津屋崎古墳群の古墳等々から発見されたとの報に接していないが、いずれ本場の宗像から出土するであろうことを期待している。

そこで立山山古墳の『胸形』と装飾古墳の関連である。装飾古墳で『胸形・向かい鱗文』をみる代表が、チブサン古墳の壁画である。これを鋸歯文や単なる三角文と見えなくもないが、やはり『胸形』で辟邪文であろう。埴輪の意味するところと、装飾古墳の壁画が意味するところは、各々別物ではなく、関連していたのである。

<第2回へ続く>


菊乃井本店

2022-12-21 05:15:37 | グルメ

菊乃井は十年振り。場所は八坂だが道が狭く難渋する。紅葉も既に終り落葉である。

部屋からは池が、何でも清水が湧いているとのこと、道理で水がきれいだ。

金太郎ならぬ吉弘人形。吉は金刺繍で縁起の良い亀をもつ。正座してはおらず子供の仕草。

まさに菊乃井?

花瓶は備前・・・と、云ったところで室内のご案内を終える。

以下、献立表に従って紹介。尚、猪口の雲子蒸しは写真を撮り忘れ。

流石、菊乃井で器が素晴らしい。名器ではないが嘉靖五彩磁の写しや蓋付陶器に漆彩色碗等々。眼を楽しませる工夫が良い。仲居さんの教育もできている。心落ち着くひと時であった。

<了>


三井ガーデンホテルの水盤アート

2022-12-19 05:29:11 | 京都

京都は三井ガーデンホテル京都四条に投宿。レセプション前には水盤アート。チェンマイでのロングステー先のカンタリーヒルズでたびたび見たのが懐かしい。

花が単に並べられているだけなので工夫がほしい。下にカンタリーヒルズの水盤アートの一例を掲げた弊ブログ(ココをクリック)を掲げておく。

<了>