世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

縄文土器特別展(3)・兵庫県立考古博物館

2019-07-24 07:39:44 | 博物館・兵庫県

今回は『Ⅲ祈りの道具と装身具』についての展示品を紹介する。

いずれも数は少ないが土偶、石棒、列島各地の石材で製作された石器が展示されている。

勾玉は縄文・弥生・古墳の各時代に営々と製作された。石棒は男根以外の何物でもないが、古代には世界の各地で作られた。台湾でもタイ王国でも見ることができる。

 

<続く>

 

 

 

 

 

 

 


縄文土器特別展(1)・兵庫県立考古博物館

2019-07-22 08:40:45 | 博物館・兵庫県

前回、兵庫県立考古博物館で開催の縄文土器特別展を紹介したので、今回から数回に分けてその内容を紹介する。

いきなり火焔土器である。これを見るとThe Jyomonを感じ、岡本太郎に想いが馳せる。何かエキサイティングな気分になるから不思議である。

なぜかこの手の火炎土器は、新潟県を中心とする地域のみとのこと。あまりにも鮮烈なので、日本の縄文はすべてこの手かと勘違いする。それにしても越後の縄文人は、なぜもこのように造形能力に長けているのか?

越後に関東、何故東国の縄文人は芸術的感性が豊かであろう? 西国の縄文人と人種が異なるのであろうか?

淡路の佃遺跡からは、様々な形をした縄文土器が出土した。それらが一群形で展示されている。

先に紹介した火炎土器やS字状文様をもつ注口土器ほどのインパクトはないが、様々な形状の土器が並んでいる。見方によっては弥生人ののっぺらぼうより、縄文人の顔形は彫が深かったか?

 

<続く>

 

 

 

 


播磨の縄文と縄文土器特別展

2019-07-20 09:14:36 | 古代と中世

博物館の最初の展示物は縄文時代の展示物であった。それらを解説なしで紹介しておく。また博物館を観覧した時に縄文の土器とそれに関する特別展が開催されていた。そのさわりを併せて紹介しておく。

上写真は佃遺跡(淡路島)出土の縄文後期の土器群。約1万5千年前、初めて土器が作られてから縄文人は1万年以上にわたり縄文土器を作り続けてきた。その造形は地域や時期により大きく異なる特徴をもっている。この特別展については別途紹介したい。

 

<了>


内行花文鏡の文様は日輪?それとも中国の宇宙観?

2019-07-19 09:29:43 | 古代と中世

過日、岡山・倉敷の古代遺跡と関連博物館を観覧するにあたり、過去に訪問した各地の古代遺跡・関連博物館の資料を再読していた。糸島市立伊都国歴史博物館の常設展示録もその一つである。

その中で内行花文鏡の文様は、太陽と光芒を表したのが一般的な見方だと云う。個人的には八光芒をもった日輪と思っていただけに、さもありなんと思い、SNS上で種々検索すると、そのものズバリは検索できなかったが、曽布川寛氏の『漢鏡と戦国鏡の宇宙表現の図像とその系譜』なる優れた論文がヒットした。そこには『鏡背の円い形を伝統的な宇宙観である「天円地方」の天に見立てて、そこに何を如何に表現するかが漢族の課題であったとして』先ず方格規矩鏡は、古代中国の宇宙論であったとしている。

そこで内行花文鏡の論考である。それを述べる前に、大阪府立弥生文化博物館に展示されていた内行花文鏡の写真をみながら、以下の説明文を御覧願いたい。この説明文も曽布川寛氏の論文から転用している。

『内行花文鏡の内区文様は、全体として内側の円圏と外側の円圏の二部分に分かれる。内側の円圏は、半球状の鈕を中心として周りに四弁花文を一つ大きく配し、その周りに短い直線の輻射文帯、更にその周りに幅の広い無文帯の圏帯をほどこす。また外側の円圏には、いわゆる内行花文、即ち内向きの半円の弧文八個を連環状にめぐらした連弧文を配し、その弧文と弧文との境目には、内側円圏の側から半円の山形とその頂から三本線が伸びる文様と、外側円圏の側から結ばれた三本線の紐が左右に分かれて垂れる結び目文とを交互に四つずつ配し、更に八個の弧文と内側円圏とを短い三本線で繋いでいる(筆者注:分かりにくいので該当箇所に赤丸をつけた、視認できない箇所が2箇所あった。詳細は写真を拡大して御覧願いたい)。』・・・この説明文は、写真を見ながら御理解頂けたと思われる。

さらにこの文様を以下のように理解すると云う。一部省略をしながら要点を記載する。

『鈕の回りの四弁花文は、天の中心に位置する天極星を蓮の花を借りて象徴的に表したものと考えられる。―略―。魯國の霊光殿の天井には、蓮の花を天極星に見立てた天文図が表されていた。―略―。幅広の無文の圏帯は、その上に山形の文様がのり、天を表す外圏円周の方を向いて聳えているところから、明らかに大地を表している。因みに、中心の半円球状の鈕は、山状にかたどられっていることに注目すると、大地の中央にあたり、中国神話における崑崙山を表していることになろう。崑崙山は大地の中央にあって、天の中心の北極星めがけて一万一千里の高さで聳える聖山である。北極星の真上から俯瞰すれば、まさに天極星を象徴する四弁花文の花托と崑崙山の山岳がオーバーラップしてみえることになる。―略―。八個の弧文は上から俯瞰した時の、天の八つの分野を示しているであろう。しかし天の八つの分野とは余り聞いたことがなく、九野という言葉が思い当たる。そこで鏡文を詳しく見ると、八つの弧文は中央の円圏と短い三本線で繋がれ、互いに密接な関係があることが知られ、中央円圏を併せれば九つとなる。(ここで氏は淮南子・天文訓をひきだして九天を説明するがその記載は略)中央に鈞天を配し、周囲に八天を配した九天の形式は、内行花文鏡の内側円圏を鈞天、八つの弧文を八天とみなせば、鏡文の九つの分野の配し方と合致する。』・・・以上である。そこで最後に内行花文鏡の天極及び九天概念図なるものが掲げられている。それが下の概念図である。

(論文より)

太陽と日輪を表すとの糸島市立伊都国歴史博物館の常設展示図録記載の文言が思わぬところに展開した。してみれば、内行花文鏡の文様の意味は、太陽と日輪論以外に古代中国の宇宙観も存在することになる。

ここで九天と云えば、古代インドの宇宙観である須弥山説の九山八海が脳裏に浮かんでくる。宇宙の中心は須弥山であるとの説である。内行花文鏡の中央に配されている鈕を須弥山とすれば、八つの弧文は須弥山を除く八山ではないか。どちらが先かということになれば、容易に結論は出せそうもないが、古代インドの宇宙観が中國にもたらされ、崑崙山云々に繋がったであろう?

ところで、この内行花文鏡によく似た文様をもつ東南アジア古陶磁が存在する。この文様はアラベスク文やインドで見る文様に似ていることから、西方の影響を受けたであろうことまでは理解できていたが、それが何なのかは不明のままであった。先ず文様が似ている古陶磁から紹介する。

(富山市佐藤記念美術館:東南アジアの古陶磁図録より)

始めはミャンマー錫鉛釉緑彩花文盤である。中央の花芯に相当するところを須弥山に見立てれば、八つの山形は須弥山を除く八山で、谷に相当するところに見える蕨やゼンマイ状の曲線は、八海の波濤に見えなくもない。但し波濤云々については、こじつけの感じがしないでもない。

次のサンカンペーン四弁花文鉢は当該ブロガーのコレクションであるが、中央の四弁花を須弥山とすれば、八つの山形は八山となる。これは最初の写真である内行花文鏡のモチーフと似ている。

現段階で断言はできないが、東南アジア古陶磁の文様で見ることができるアラベスク文と思われる八光芒に見立てられる文様は、日輪の光芒文様と思っていたが、須弥山を表している可能性も考えられる点を気づかせていただいた、曽布川寛氏の論文に感謝したい。

 

<了>