世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

鳥取砂の美術館・南アジア編#2

2019-05-18 09:58:38 | 因伯二州

<続き>

〇仏陀の入滅・インド

以下、リーフレットより。『悟りを開いた仏陀は、人々に教えを説く決意をします。現在のインド北部を中心に広く説法の旅を続け、やがて立場や身分に関係なく多くの人々が帰依しました。季節が雨期になると一箇所に留まって説法をし、その拠点として祇園精舎がよく知られています。仏陀は布教活動を約45年間続け、80歳のときにインド北部クシナガラにある沙羅双樹のもとで横になり、最後のときを迎えました。。後の時代に描かれた涅槃図には菩薩や弟子たちだけでなく、様々な動物たちも仏陀の入滅を嘆き悲しむ様子が描かれています。』

祇園精舎と云えば、六波羅入道清盛の『祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ。』・・・をどうしても思い出してしまう。

 

<続く>


鳥取砂の美術館・南アジア編#1

2019-05-17 07:06:51 | 因伯二州

春の10連休中の1日、砂の博物館で開催の南アジア編の砂像を見物に行ってみた。今回を皮切りに一場面毎に紹介したい。初回は<仏陀の出現と悟り>である。

以下、当日配布されたリーフレットより、「紀元前5世紀頃、ネパールの釈迦族の王子として生を受けたゴウダマ・シッダルータ。ある日、城を囲む四門より外出しようとしますが、東西南北それぞれの門で『老い』『死』『病』『修行僧』に出会います。それによって生老病死について自問するようになり、その答えを求め王族の地位を捨てて出家します。出家したシッダルータは苦行など様々な修行を繰り返しますが、自分を苦しめるだけのものでは悟りに至らないことに気付きます。苦行をやめ菩提樹のもとで瞑想していたとき、ついに悟りを開くのでした。仏陀の誕生、仏教の始まりです。

砂像はシッダルータが菩提樹の下で悟りを開く場面、それに合掌等をしている5人の像。この5人は五比丘と呼び、阿若(あにゃ)、阿説示(あせつじ)、摩訶摩男(まかなまん)、婆提梨迦(ばつだいりか)婆敷(ばしふ)である。この五比丘に悟りをひらいた釈迦が、法をといている場面で、これを初転法輪と呼んでいる。それにしてもリアリティー溢れる彫像である。

 

<続く>

 


甘夏柑の花が咲くまで

2019-05-16 08:44:47 | 日記

我が家の裏庭に甘夏柑の木が成長し、6年前から実をつけるようになった。今朝見ると満開で芳香を放っている。蕾から咲くまでの記録である。

<4月22日>

<5月8日>

<5月13日>

<5月15日>

なにかジャスミンの花のようにも感じられ芳香を放っている。早咲きの花は花弁が散り始めた。

 

<了>

 


二彩唐津か?

2019-05-15 07:43:35 | 陶磁器

少し古い噺の再掲で恐縮である。2016年5月17日の当該ブログに『現川焼ではなさそうだ』と題して一文を掲載していた。それは以下の双耳瓶である。

入手した骨董店主は現川焼だと説明してくれた。別に共箱などあるわけでもないし気になっていた。2016年4月の平戸紀行、2017年10月長崎紀行の都度、佐世保等の現川焼を展示している施設を見学したが、それらしき焼物は展示されておらず、謎は深まるばかり。

其の時入手した古武雄展のカタログというか出展目録をみると、それらしきものが掲載されていた。それが下の写真である。

成程、櫛目文は同じであるが、どことなく異なる。古武雄ではなさそうだ。

過日、写真の京都・古裂会オークションカタログを思い出したように眺めていると、二彩唐津なる花器(瓶)が掲載されているではないか。

う~ん。耳の形状を含めて似てはいるようだが、どことなく異なる気もする。当該ブログをご覧の方で詳しい方が居られるとすれば、アドバイス願いたいものである。

 

<了>

 


古墳文化の珠玉展#3

2019-05-14 08:27:07 | 古代出雲

<続き>

企画展は写真撮影禁止であったので、以降論じようとする朱色ビーズの首飾りの写真は掲載できず残念である。おまけに出土した弥生・出雲の遺跡名も失念してしまった。近々、再度見学してみたいと考えている。

キャップションによると、「偽りの真珠」と呼ばれるインド・パシフィックビーズとあり、インドや東南アジアで作られ、中国・朝鮮半島経由で渡来した・・・とある。

何でも中国・朝鮮半島経由との文言に多少なりとも違和感を感ずる。遼東半島や朝鮮半島からも同じようなビーズの首飾りは出土しているのか? 南海経由は考えられないのであろうか?

そのインド・パシフィックビーズなる弥生の首飾りをみると、佤族(別名ルアないしはラワ)の首飾りと同じように見える。写真の朱色の首飾りはラワ族のもので、チェンマイ山岳民族博物館に展示されている。これにはビックリした。朱色ビーズとともに展示されているのは貫頭衣である。古代出雲の風俗展示かと・・・。

何度も取り上げて恐縮だが、鳥越憲三郎氏は佤族=倭族だと論じられている。このような単なる語呂合わせには違和感を感じざるを得ない・・・と云うのが従来の立場であった。ところが古代東南アジアで作られたインド・パシフィックビーズが佤族の風俗であると共に、古代出雲でも用いられていた様子から、その立場・見解に影響を与える企画展であった。

 

<了>