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津和野藩亀井家入府(城)400年展・#1

2019-04-23 06:35:11 | 石見国

約2年前の話で恐縮である。亀井家は尼子の家臣であったが、毛利元就に攻め滅ばされ、亀井玆矩(これのり)は尼子氏再興を目指し、秀吉に仕える形で各地に転戦した。秀吉が天下を平定すると琉球に出陣したいと願いで、琉球守をなのることを許された。琉球は薩摩に先取りされ、それは夢におわったが、シャムと朱印船交易を行った。つまり小なると云えども海外雄飛を企てる男であった。そのようなことで亀井玆矩には興味があり、二代・玆政(これまさ)の嫡男で家督を譲られる前に亡くなった玆朝の感状が我が家に伝わっていることから関心事が高い。

その亀井家が玆矩の息子・政矩(津和野藩初代)の代に、津和野藩主として因幡鹿野から入府して400年になり、その関連行事として幾つかの展示施設で『400年展』が開催された。その幾つかを思い出しながら紹介したい。先ずは津和野町郷土館の展示から紹介する。

かの高橋由一の筆になる『西周肖像』である。津和野のような小藩は人材育成に力を注いだ。津和野は八代・矩賢(のりかた)により、天明六年(1786)に創設され、儒学・漢学・医学・数学・兵学が設けられた。十一代・玆監(これみ)は嘉永二年(1849)に、新たに国学や蘭医学を設け拡大した。ここから先の西周、森鴎外、福羽美静等を輩出したのである。

このフランキ砲は朱印船貿易で入手したとある。シャムで入手したのであろうか?

キャップションには、玆矩二百五十忌大祭とある。先頭から二人目は十一代・玆監である。

津和野藩江戸上屋敷絵図で、外桜田の一等地に上屋敷を設けた。赤色の屋根は地元・石州の赤瓦を江戸まで運んで用いたものである。

藩校・養老館に祀られた孔子像。養老館からは多くの逸材が輩出されたが、西周の家は九十石取りで、田舎の小藩としては上等の部類であった。

その西周がオランダのライデン大学留学時に受けた講義を翻訳した『万国公法』が展示されていた。

 

<続く>

 


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