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ハノイ・玉山祠は中華と大越のフュージョン?

2018-10-07 06:55:12 | ベトナム・ハノイ

 少し古い話を掲載するようで申し訳ないが、Yahooはジオシティーズのサービスを2019年3月末日をもって終了するという。ジオシティーズには2013年から記事をUP Dateしていた。今回終了にあたり、備忘録の意味合いも含めて幾つかの記事を転載しておく。その中心は2013年4月26日から2013年10月25日までのベトナム・ハノイ滞在中の記事である。

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Fusionと云うより中華そのものに見える。ホアンキエム湖北岸に近い玉山島に建つ、過去からの変遷により儒教の廟であろうか?
黎朝以前にも歴史があるようだが、黎朝末期(1746年)に関羽を祀る武廟が建立され、その後変遷を経て19世紀前半に嚮善会(キョウゼンカイ)が儒教教育を道場にし、今日に至っているとのことである。
写真は前堂で、一番手前で顔が赤く、緑の着衣が関帝(関羽)、その後ろが呂祖(中国の神仙で、ベトナムでは医神)、その奥が文昌帝君である。後堂には元寇を撃退した陳興道(チャンフンダオ)が軍神として祀られている。ベトナムの歴史のなかでは、最も著名な将軍である。ベトナム戦争時には、多くの人々が参拝におとずれたであろうと、勝手に推測している。
ベトナムは漢以降重畳的に中国の圧力や圧政に苦しめられた。人々は中国の影響から逃れたいと、いつの時代も考えていたのであろう。そのような背景で玉山祠を見ると、Fusionと云うより中華そのものである。中華の圧政に耐えながらも、文化的影響を排除することはできなかったと思われる。

<了>

 


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