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稲作漁撈文明(拾壱)

2021-08-17 07:29:55 | 日本文化の源流

平野から山への民族移動

以下、安田教授の記述内容の抜粋である。“中尾佐助氏は、雲南から長江流域そして西日本にいたる照葉樹林帯に共通の文化的要素を認め、照葉樹林文化と呼んだ。森の生態系と人間の文化や文明との間に深い関係があることを認めた学説である。ただし1点の難点があった。それは雲南を中心とする山岳地帯に稲作の起源地を設定したことであった。

このため長江流域の稲作文化は、山岳地帯から中下流域の低湿地帯へと伝播したものであるとされた。それは少数民族の理解にも大きな誤謬をもたらすことになった。

雲南や貴州の山岳地帯に暮らす苗族は、ハレの日に水牛を沢山生贄にする。山岳地帯では本来、水牛は生息しにくい家畜である。低湿地を好む水牛を何故山岳地帯に暮らす苗族は、ハレの日に生贄にするのか、この問いに、これまでの山から平地への理論では答えられなかった。

明らかになったことは、稲作の起源地は長江中下流域で1万年以上前まで遡ることであった。城頭山遺跡では、6000年前の水田跡が発見され、さらに古い7000年前の水田跡の可能性も指摘されている。これに対し、雲南省では4000年前までしか、稲作の起源は遡れない。その稲作を最初に行った人々こそ、山岳地帯に暮らす少数民族の人びとであった。“・・・以上である。

個人的な話であるが、1995年4月から1999年10月までタイ北部工業団地のM社へ出向した。その時知り合ったのがHmong(モン・苗)族のC氏である。彼の故郷はターク県南部の山奥で、タークからシーロで2-3時間もかかると云う。その集落では歌垣(嬥歌・かがい)の習慣がのこっており、モン族正月にそれが観られるとのことで、下の写真を示しながら来ないかと誘われたが、最低でも2泊3日を要し断念した。

(C氏の故郷モン族村の歌垣)

(若い男女の盛装)

そのハレの日に水牛を生贄にするのかどうか、楓香樹は分布しているのか、当時は尋ねるための知識もなかった。過ぎた話であるが、行ってみておけばよかったと思っている。過去に写真を掲載した、ルワ族の水牛生贄と似たようなものであろうかと勝手に考えている。

<続く>

 



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