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チェンマイ都城は中国風水か?

2014-11-06 13:27:21 | チェンマイ
 チェンマイに『CHAO』なる無料の日本語情報誌がある。いきなり横道で恐縮である。中国では上海と無錫しか知らないが、マニラ、セブ、シンガポール、バンコク、クアラルンプール、ハノイ、ホノルルの日本語情報誌の中で、このCHAOの質の高さは群を抜いている。地域密着の足で稼ぐ地道な、質の高い情報と云うか記事に彩られている。

 2012年8月25日発行の第225号に、『風水師チェンマイを行く!』との特集記事が掲載されている。記事は、NY在住の日本人風水師S氏が、チェンマイの都つくりの秘密に迫るとして、中国風水(玄空飛星派)での謎解きの噺である。
 
 この玄空飛星派風水が歴史上、何時まで遡るか不勉強で承知しないが、S氏の見立てを以下、概要ながら紹介する。『北、東、西の城壁にはそれぞれ、門が中央辺りに1箇所あるのに対し、南だけが中央を外して2箇所設けられている。これは、運気が20年毎に変わるという玄空飛星派風水によると、建国時の1296年4月は南に悪しき気の流れがあったと云う。そして、南西が吉方位であり、その方角に門が設けられているという。
 またS氏によると、旧市街が南北軸に対して、僅かに傾いているのは、『良い気』が流れ込む方角だという。』
・・・以上が見立ての結果である。
 その見立てのとき、羅盤と共に風水で用いる9つの升目にS氏は、何やら数字を書き込んでいたと“記事”は紹介している。それと同じような升目が、各門の石碑に描かれており、それを中国風水による一つの根拠としている。


 写真は、都城の南西にあたるスアンプルン門の石碑である。なるほど9つの升目に数字が描きこんである。これを見ていると、中国風水と思えなくもない。
 しかし、中国風水と云えば、なぜ現在地に都城を建設したのであろうか? 都城を建設するからには、いわゆる四神相応の地である必要がある。四神相応の地とは、背後に山、前方に海ないしは湖沼、河川などの水が配置されている背山臨水の地を、左右から砂と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで、蔵風聚水の形態となっているものをいう。この場合の四神は背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎である。
 チェンマイ都城の位置はドイ・ステープ(ステープ山)の東麓で、都城の東にはピン川が流れているが、どう見ても四神相応の地とは思えない。都城の位置選定に中国風水の影響が覗えない中で、都城の建設は中国風水によると指摘されてもピンとこない。

 話は飛ぶ。写真を見て頂きたい。これもチェンマイ発刊のフリー・ペーパー『SUVANNAPHOUM September 2008』の記事に添えられている写真である。

 指に隠れているが、ヤントラ(神聖な図形)の刺青で、その図形は9つの升目となっている。『SUVANNAPHOUM September 2008』によると、アンコール時代にカンボジアで始まった仏教やバラモン僧侶によって彫られる刺青は、御守りの役目を果たしていた。インドのヒンズー圏で普及していたヤントラの文様は、仏教と一緒にクメール人に受け入れられていった。ヤントラの中には仏教の前身でもあるシャーマニズムや動物の神から生まれたものもあった。炭やイカ墨から採られる墨とハーブ、樹液、水牛の胆汁を混ぜた原料はヤントラに秘められた魔力を呼び起こす儀式で呪文に反応すると信じられていたと云う・・・と、このように解説されている。
 9つの升目は、中国風水というよりも、古来からのインドの影響と考えることができ、こちらとのつながりで、チェンマイ都城は建設されたと考える方が、妥当性が高いように思われる。

参考文献
 CHAO225号 2012年8月25日発行
 SUVANNAPHOUM 2008年9月発行





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