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卑弥呼は何者だ・その3(卑弥呼は出雲族神であった)

2022-06-15 10:36:27 | 古代日本

<続き>

〇卑弥呼は出雲族神であった

卑弥呼は日御子で天照大御神とも云われている。日御子即ち天照大御神は太陽神であろうと云われている。卑弥呼の時代、つまり弥生時代後期に太陽・太陽神信仰と思われる考古学的物証は少ない。一つは纏向遺跡の宮殿配置で、東西配置となっている。残る一つは、福岡県糸島市の平原王墓と隣接する巨大柱である。平原王墓は東の方の日向峠を望む。その日向峠に昇る日の出ライン上に、巨大柱が位置しており太陽あるいは太陽神と何らかの関連が考えられる。しかし弥生時代後期の太陽・太陽神に関する考古学的物証は、他にもあると思うが、この2点しか思い浮かばない。それと比較し、青銅器を用いる弥生祭祀遺跡は、神体山を望む地で執行されていたことを、前回までに説明した。

さて卑弥呼についてである。大和・箸墓古墳の被葬者は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)と云われており、それは卑弥呼であるとの論説も耳目にする。倭迹迹日百襲姫命は大物主命とのロマンスも語られている。姫は、第七代孝霊天皇の皇女とされ、曾祖父である第五代考昭天皇陵は、葛城山を拝する御所市の三室に在る。何よりも箸墓の軸・前方部は葛城山を指し示している。

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこかむよごと)によれば、『阿遅鋤高日子根神の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ』・・・とある。つまり、葛城山は神奈備とある。この御所市長柄は、三角形状の葛城山を拝する地であるが、そこから銅鐸と銅鏡が共伴出土している。この葛城の一帯は、鴨族の祖神(阿遅鋤高日子根神)を祀る高鴨神社や出雲族神の八重事代主命を祀る鴨都波神社(かもつば)があり、鴨族の本拠地であった。

(高鴨神社 出典・Wikipedia)

鴨族は出雲族神を祖霊に祀る神奈備、つまり葛城山を拝する御所市長柄で銅鐸と銅鏡を用いて祖霊祭祀を行っていたことになる。蛇足ながら阿遅鋤高日子根命の父神は大国主命なる出雲族神のTOPである。何故、三輪山の麓にある箸墓古墳が、葛城山を向いているのか、お分かりいただけたものと考える。

卑弥呼の時代に大和・出雲に限らず、各地で出雲族系と思われる祖霊信仰が行われていた。それは神南備を拝する地で行われていたのである。決して太陽神信仰ではなかったのである。

その出雲には媛神である宇夜都弁命(うやつべのみこと)が天降りされた。『出雲国風土記・出雲郡建部郷』の由来を述べるに、“先に宇夜里と名づけたわけは、宇夜都弁命がその山の峰に天から降っていらっしゃった。その神の社の主が今もこの場所に鎮座していらっしゃる。だから、宇夜里といった”・・・とある。出雲にも媛神が天降られていたのである。その山の峰とは出雲郡の神名火山(仏教山)であり、簸伊川を一望に眺めることができる神体山であった。

もうお分かりいただけたと思う。卑弥呼は日御子ではなく、宇夜都弁の媛神であり、簸伊川を望む峰に天降りされたことから簸御子と呼んだ。想像を逞しくすれば、簸伊川を望むと暴れ川であり、いつしかスサノオの八岐大蛇伝承が生まれたものであろう。・・・と云うことで、最後は『とんでもない』話になってしまった。証明不能の語呂合わせかつ荒唐無稽の話しに、お付き合い頂き有難うございました。

<続く>