<続き>
出雲と古代朝鮮に関して、須佐之男命との関連でやや妄想めいたことを記述している。その続編を宇佐神宮との関係で考察する。
宇佐八幡の創祀は明らかではないが、正和二年(1313年)選修の『宇佐八幡託宣集』なるものが残存している。八幡神は、鍛冶(ここでも鍛冶が登場するのだが・・・)の翁の姿で現れ、「辛国ノ城ニ、始メテ八流ノ幡ヲ天降シテ、吾ハ日本ノ神トナレリ」と宣したとする。この宇佐八幡託宣集の一文は、後世の付会として片づけることも出来るが、「辛国」は「韓国」であり、かつて宇佐八幡の奉祀者は辛嶋氏であった。この辛嶋氏は半島からの渡来人であろうとの説がもっぱらである。
(宇佐八幡宮 写真出典:ウキペディア)
この半島渡来の辛嶋氏が祀ったのは、八幡神と共に宗像三女神と、その背後に控える須佐之男命であった。
出雲国風土記の国引き神話には、八束水臣津野命が新羅より杵築の御𥔎を引き寄せたとあり、新羅との関係は深いものがあったものと思われ、それらのことどもを背景として、須佐之男命をボスとする韓鍛治集団が、出雲へ渡来したと推定される。須佐之男命は渡来神であったと思われるが、その出自より大国主命を凌ぐ存在にはなり得なかった。
・・・と云うことで、長々と須佐之男命と新羅の関係をみてきたが、結論としては、須佐之男命は渡来神であったと考えられる。
尚、蛇足ながら『日本のなかの朝鮮文化34号』所載の『高天原は新羅の慶州』とのテーマで寄稿した井上重治は、次のように寄稿されている。”日本のなかの朝鮮文化をたずねる時、その中心に神社がある。そしてその起源が新羅にあることに想いを致す時、これこそ高天原新羅慶州説を証明する確かな証拠であるということができると思う”。・・・う~ん。話しを面白くすれば良いとの類の噺で、信憑性はゼロに等しい。高天原を朝鮮半島・新羅に飛ばすには、確たる証拠が必要であろう。
参考文献)神社の起源と古代朝鮮 岡谷公二著 平凡社
<続く>