網創漠蓄

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大日本帝国の二次大戦その3

2010-08-15 12:00:00 | 社会・地理・歴史
やはり終戦記念日なのでこんな記事を。

その2はこちら

戦争責任

毎年この時期になるとよく出てくるこの言葉。
所謂日本が戦争責任を未だとれていない、というもの。

実際罪に対する裁きとは、裁く者と処罰を実行する者がいて初めて成り立つもの。
このことに関してそれは事実上、当初は連合国(アメリカ)だった。
戦後は主に中国韓国などがそれぞれの主観によって「裁き」、
日本自身による実行を迫る構図になる。

天皇



戦争時の日本のトップ、昭和天皇に戦争責任があるのかどうか・・・
実はこの問い自体が論議をややこしくさせている。
問題になるのは「どれだけあって」「どうとらねばならないか」である。

なにしろヒトラームッソリーニのように自明な独裁者であったわけでもなく、
かなりの部分当時の総理大臣が担っていたわけだし。
少なくとも、GHQから「処罰は望ましくない」と判断されるくらいには。

また占領下の行幸の様子を見る限りにおいても
戦後廃されたイタリア王国と違い、多数世論は「存続」だったと判断できます。
そしてその後に「天皇」としての資質が問われる事態が起きなかったことで、
これ以上「裁かれる」可能性は永遠に失われることになります。

もちろんジンギスカンなどにも見られるように
その評価は政治的立場、つまり「裁く立場」に依存します。
そして「王朝」が現在まで続いている以上、対立の火種にもなるという
だけではあります。丁度ローマ法王がおかれた立場のように。
そしてそのことが廃止される理由としては決して用いられないことも。

謝罪



毎年繰り返される日本の戦争謝罪
実際↑にリンクを張った記事にもあるように「国として正式に謝罪する国家は稀」であり
現状が十分か不十分かを判断できるような「諸外国の事例」は皆無で、
論理ならざる感情の問題として水かけ論が繰り返されるしかないのも宿命ではある。

なのでとりあえずは、おもに謝罪を求める中韓の事例を探った限りでは
もっとも参考になりそうなのは丙子胡乱が最も近そうではある。
つまり、誰にもわかるくらいの屈辱を感じさせるくらいの「謝罪」のパフォーマンスと
「誠意」としての毎年の朝貢。国庫を傾けるに十分な位の。

そしてこれが実際に強制されて屈服、謝罪すること以外には
歴史的に実例が見られず、やったとすればそれはそれで
それがまた歴史的遺恨をそのまま作っているわけです。
つまり、本質的に「遺恨の解消」に至る手段にはなりえません。

結局のところ相手が謝罪を重視しなくてすむ社会的状況になるのを待つか、
自身が明確に「ここまで」という線を引くしかないでしょう。
つまりは未知の打開策が示されるまでは毎年の予定調和であるしかないということに。
そしてその状況が変われば再び蒸し返されるのも必然ではある、と。

懸念



日本の「周辺諸国」が現在の日本に抱く懸念とは何か?
それは当然、「また攻め込んでくるかもしれない」ことではある。

よく比較されるドイツやイタリアと違い、
これさえ排除したからというようなわかりやすい個人も団体もなく、
そのために「十分な断罪(処刑)がなされなかった」ため、
またなぜ攻め込んできてなぜ今その理由がないのかが不明確になるため。

そしてその説明は・・・右翼左翼だのに分かれて統一見解ができていない以上、
できるわけがなく必然的に懸念も去らないことになる。
そしてそのことを以てやはり「戦争責任認識が不充分」ということになるわけである。
「集団責任は無責任」ともいうように。

もちろんそれは、あまり論議されることもない「自国を敗戦に導いた責任」をも
問わなければならない・・・もちろん戦争に至ったというところまでを含めて。
あるいは惨劇を拡大させた兵站の欠如なども。

多分続きます