「サロメの純情 浅草オペラ事始め」斉藤憐(而立書房)
今から19年前の平成元年6月30日の日本経済新聞のコラムにあった記事
“大正八年三月、九州巡業中に二十八歳の若さで狂死した浅草オペラ女優、高木徳子”
“十五歳で結婚後すぐに渡米、夫とアメリカ放浪中に食いつめてボストンの寄席小屋に飛び込み、手品師となり各地を巡業、ニューヨークで舞踏を学んだ後、ロンドンで活躍するが、モスクワ出演中に第一次大戦が勃発して帰国した―という彼女の波乱の半世紀”
“気がついてみると、彼女は初物ずくめだった。日本人バレリーナの第一号でポップス歌手のさきがけ。日本のモダン・ダンスの先駆者で現代社交ダンスの最初の紹介者、ミュージカル女優のの最初。そして、なんと言っても徳子は浅草オペラの創始者であった。”
それを読んだ時、こんなすごい女優がいたのかと強烈なインパクトを受けた。高木徳子、当時の女優としては松井須磨子、川上貞奴らが有名であるが彼女の影に隠れて徳子は無名の存在、その伝記をまとめたのが日経新聞のコラムも書いた明治大学教授・曽田秀彦。何とかこの歴史に埋もれた女優にスポットを当てられないかと思った若きボクは、イベントの企画書をセッセセッセと書いてプレゼン、曽田先生にもコンタクトを取り会いに行ったが、残念なことに実現直前でポシャッてしまった。秘蔵の写真など収集を始めつつあった曽田先生に申し訳なく頭を下げてお詫び申し上げたことがあった。
そんな苦い想い出がある中で、7年後の1996年、劇団「地人会」が前田美波里が高木徳子を演じる芝居を上演するという。やっと徳子にスポットが当たったか!曽田先生もさぞうれしいだろうと、喜び勇んでその芝居を観に行った。
その公演のタイトルは「サロメの純情」、そして曽田先生の著書のタイトルが「私がカルメン」。サロメ、カルメンとそれらのタイトルについているが、いずれも魔性の女として語り継がれてきている女性の名前の冠がついているところに、彼女が関わった仕事以上に高木徳子という女性の生き様が現れているのだろうと思う。
では、なぜサロメか?それは当時「サロメ」が輸入され、松井須磨子が日本人としては初めてそれを上演し大好評を得、彼女の代名詞のようにもなったという。その松井須磨子に対して七つのヴェールの踊りの振り付けをしていたのが、高木徳子なのであった。なんせ、彼女は繰返すが“日本人バレリーナの第一号でポップス歌手のさきがけ。日本のモダン・ダンスの先駆者で現代社交ダンスの最初の紹介者、ミュージカル女優のの最初。そして、なんと言っても徳子は浅草オペラの創始者”の肩書きが付く最先端の女優であったからだ。一方、観客の方は芸術性を観に来ているわけではなく、まだまだタブー視されていた女性の肌の露出ということに歓喜し集まっていたようなのだが。エロ・グロ・ナンセンスといわれた時代の風潮に、サロメはよく似合ったのだろう。サロメの純情とは、過激に波乱に生きた高木徳子そのものなのだ。
■伊庭:徳子さん。あなたは、貞奴や須磨子にサロメを振り付けながら、どうしてご自分では踊られないのですか?
■徳子:だって、みなさん、原作の筋はほっといて、あの七つのヴェールの踊りでお客様を引きつけていらっしゃるだけ。
■伊庭:そう、そのとおりです。踊りの場面だけならストリップティーズだ。
■徳子:本当よ。
※「サロメの純情 浅草オペラ事始め」斉藤憐(而立書房)より引用
“「京都日出新聞」(大5.7.4)の劇評は、再開された徳子の舞台を、次のように評している。『サロメダンス』は(中略)蛇のやうに匍匐する両腕、曲線的な美事な挙止、全く軽快な動作、すべてデリケートに働いてゐる肉体の美は一種凄艶である。トーダンスに至ると天女の舞と云った軽さが快く現はれてゐる。爪先で身体を支へて浮動すると云った様は驚異に値する。”
※「わたしがカルメン マダム徳子の浅草オペラ」曽田秀彦(晶文社)より引用
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今から19年前の平成元年6月30日の日本経済新聞のコラムにあった記事
“大正八年三月、九州巡業中に二十八歳の若さで狂死した浅草オペラ女優、高木徳子”
“十五歳で結婚後すぐに渡米、夫とアメリカ放浪中に食いつめてボストンの寄席小屋に飛び込み、手品師となり各地を巡業、ニューヨークで舞踏を学んだ後、ロンドンで活躍するが、モスクワ出演中に第一次大戦が勃発して帰国した―という彼女の波乱の半世紀”
“気がついてみると、彼女は初物ずくめだった。日本人バレリーナの第一号でポップス歌手のさきがけ。日本のモダン・ダンスの先駆者で現代社交ダンスの最初の紹介者、ミュージカル女優のの最初。そして、なんと言っても徳子は浅草オペラの創始者であった。”
それを読んだ時、こんなすごい女優がいたのかと強烈なインパクトを受けた。高木徳子、当時の女優としては松井須磨子、川上貞奴らが有名であるが彼女の影に隠れて徳子は無名の存在、その伝記をまとめたのが日経新聞のコラムも書いた明治大学教授・曽田秀彦。何とかこの歴史に埋もれた女優にスポットを当てられないかと思った若きボクは、イベントの企画書をセッセセッセと書いてプレゼン、曽田先生にもコンタクトを取り会いに行ったが、残念なことに実現直前でポシャッてしまった。秘蔵の写真など収集を始めつつあった曽田先生に申し訳なく頭を下げてお詫び申し上げたことがあった。
そんな苦い想い出がある中で、7年後の1996年、劇団「地人会」が前田美波里が高木徳子を演じる芝居を上演するという。やっと徳子にスポットが当たったか!曽田先生もさぞうれしいだろうと、喜び勇んでその芝居を観に行った。
その公演のタイトルは「サロメの純情」、そして曽田先生の著書のタイトルが「私がカルメン」。サロメ、カルメンとそれらのタイトルについているが、いずれも魔性の女として語り継がれてきている女性の名前の冠がついているところに、彼女が関わった仕事以上に高木徳子という女性の生き様が現れているのだろうと思う。
では、なぜサロメか?それは当時「サロメ」が輸入され、松井須磨子が日本人としては初めてそれを上演し大好評を得、彼女の代名詞のようにもなったという。その松井須磨子に対して七つのヴェールの踊りの振り付けをしていたのが、高木徳子なのであった。なんせ、彼女は繰返すが“日本人バレリーナの第一号でポップス歌手のさきがけ。日本のモダン・ダンスの先駆者で現代社交ダンスの最初の紹介者、ミュージカル女優のの最初。そして、なんと言っても徳子は浅草オペラの創始者”の肩書きが付く最先端の女優であったからだ。一方、観客の方は芸術性を観に来ているわけではなく、まだまだタブー視されていた女性の肌の露出ということに歓喜し集まっていたようなのだが。エロ・グロ・ナンセンスといわれた時代の風潮に、サロメはよく似合ったのだろう。サロメの純情とは、過激に波乱に生きた高木徳子そのものなのだ。
■伊庭:徳子さん。あなたは、貞奴や須磨子にサロメを振り付けながら、どうしてご自分では踊られないのですか?
■徳子:だって、みなさん、原作の筋はほっといて、あの七つのヴェールの踊りでお客様を引きつけていらっしゃるだけ。
■伊庭:そう、そのとおりです。踊りの場面だけならストリップティーズだ。
■徳子:本当よ。
※「サロメの純情 浅草オペラ事始め」斉藤憐(而立書房)より引用
“「京都日出新聞」(大5.7.4)の劇評は、再開された徳子の舞台を、次のように評している。『サロメダンス』は(中略)蛇のやうに匍匐する両腕、曲線的な美事な挙止、全く軽快な動作、すべてデリケートに働いてゐる肉体の美は一種凄艶である。トーダンスに至ると天女の舞と云った軽さが快く現はれてゐる。爪先で身体を支へて浮動すると云った様は驚異に値する。”
※「わたしがカルメン マダム徳子の浅草オペラ」曽田秀彦(晶文社)より引用
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