うつし世の乱歩/平井隆太郎
河出書房
先週の金曜日、7月28日は江戸川乱歩の命日だった。そんなこと知らずに、仕事帰りの電車の中でこの本を読み終えた。(帰宅し28日が乱歩の命日と知って、その日の投稿記事に後から命日というコメントを追加したのだった)
素顔の江戸川乱歩に一番近い人々は誰、それは身内にきまっている。ご子息の平井隆太郎氏のエッセイを中心に、乱歩の奥様の平井隆、孫の平井憲太郎氏の文章を収めた本がこの「うつし世の乱歩」、最近書店で見かけ購入。素顔の乱歩は、とても
あの幻想的でそしてエロ・グロ・ナンセンスと形容された作品を書いているとは思えないほど、実直で常識人であったことが伺える。一体どこにあのような小説を書き終える頭脳があったのか。
家族から見たその姿は、紛れも無く人間・乱歩であったのだ。それによると、乱歩の真骨頂であるエロ・グロ・ナンセンスの小説群は、実あまり好きになれなかったこと、以前、このブログでも紹介した松本清張の乱歩論で、その清張が初期短編でのみで筆を置いていたらすごい大天才であったと評価しているように、乱歩自身も初期の短編集を好んでいたことがわかる。
しかし、職を何回も変えながらも日本小説界に燦然と輝く金字塔を打ち立てた乱歩は、その才能もすごいにしてもある意味ラッキーな人だったということが、断片から伺いしれるのである。この本を読み終える金曜日の終電真近の電車の中で、一人笑ってしまったのは、ご子息の隆太郎氏の以下の講演収録の文章であった。
“いずれにしても妙な理屈をこねて子供の扱いには非常に困っていたようです。・・・自分の子供の呼びかけ方もわからなくて、私が幼少の頃は「坊主、坊主」と言っていましたが、そのうちそれでは困るということになって、どういうふうに呼ぼうかというので、しまいには「これ、隆太郎」と言い出して、「芝居みたいなのでよしてくれ」と申しましたが、非常に悩んでいたようです。”
乱歩が呼びかけた「これ、隆太郎」という響きを想像すると周りのの目も忘れ、一人ほくそ笑んでしまうのであった。
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先週の金曜日、7月28日は江戸川乱歩の命日だった。そんなこと知らずに、仕事帰りの電車の中でこの本を読み終えた。(帰宅し28日が乱歩の命日と知って、その日の投稿記事に後から命日というコメントを追加したのだった)
素顔の江戸川乱歩に一番近い人々は誰、それは身内にきまっている。ご子息の平井隆太郎氏のエッセイを中心に、乱歩の奥様の平井隆、孫の平井憲太郎氏の文章を収めた本がこの「うつし世の乱歩」、最近書店で見かけ購入。素顔の乱歩は、とても
あの幻想的でそしてエロ・グロ・ナンセンスと形容された作品を書いているとは思えないほど、実直で常識人であったことが伺える。一体どこにあのような小説を書き終える頭脳があったのか。
家族から見たその姿は、紛れも無く人間・乱歩であったのだ。それによると、乱歩の真骨頂であるエロ・グロ・ナンセンスの小説群は、実あまり好きになれなかったこと、以前、このブログでも紹介した松本清張の乱歩論で、その清張が初期短編でのみで筆を置いていたらすごい大天才であったと評価しているように、乱歩自身も初期の短編集を好んでいたことがわかる。
しかし、職を何回も変えながらも日本小説界に燦然と輝く金字塔を打ち立てた乱歩は、その才能もすごいにしてもある意味ラッキーな人だったということが、断片から伺いしれるのである。この本を読み終える金曜日の終電真近の電車の中で、一人笑ってしまったのは、ご子息の隆太郎氏の以下の講演収録の文章であった。
“いずれにしても妙な理屈をこねて子供の扱いには非常に困っていたようです。・・・自分の子供の呼びかけ方もわからなくて、私が幼少の頃は「坊主、坊主」と言っていましたが、そのうちそれでは困るということになって、どういうふうに呼ぼうかというので、しまいには「これ、隆太郎」と言い出して、「芝居みたいなのでよしてくれ」と申しましたが、非常に悩んでいたようです。”
乱歩が呼びかけた「これ、隆太郎」という響きを想像すると周りのの目も忘れ、一人ほくそ笑んでしまうのであった。
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