飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

「私を見て! ヌードのポートレイト」展(東京都写真美術館)を見た

2010-09-16 | 美術&工芸とその周辺
東京都写真美術館で黒澤明監督の画コンテ展と同時に開催していた企画展「私を見て! ―ヌードのポートレイト―」(10/3まで)を見ました。内容は、東京都写真美術館にコレクションされているポートレイト写真からヌードの写真を厳選して展示したもの。駆け足でヌード写真の歴史を見ることができます。

展示されている作家にはボクがその名前を知っているもの、知らないものが当然混在していたのですが、見ていて力があるというのか、存在感のある写真だなと思うものは、なるほどボクなどでも知っている作家が多かったです。過日見たマン・レイの作品、ファッション写真の大御所ヘルムート・ニュートン、一斉を風靡したロバート・メイプルソート、異端の写真家ジョエル・ピーター・ウィキントン、細江英公、荒木経惟、立木義浩、篠山紀信、などなど。それぞれの写真には個性が際立っています。一目みただけで誰それの写真とわかります。

ところでそうした作家達が、時代の空気を象徴し、最先端の感性で映しだしたヌード写真を見ていて、逆にボクらは、現代はかつてないほどにヌード写真が氾濫した時代を生きているのだということを感じました。今という瞬間を想像すると、街中に、あるいはあらゆる個人的空間にヌード写真は入り込んできていると思えるのです。それにより、ヌード写真を撮る、撮られるという概念もどんどん変化していっているんじゃないでしょうか?どんどん敷居はさがりお手軽になってきているような。おそらく展示されたそれぞれの写真は、それが発表された時は見るものにインパクトをもたらしたに違いないのでしょう。しかし、今それをこうして見るとそれが、懐かしいものに見えてしまうのです。それほどの速度でヌード写真は氾濫し感性が変化していると感じざるえないのです。

写真という装置は、カメラの前の現実をある意味正直に切り取ってしまいますし、簡単に模倣されやすく、簡単に追随することができる宿命を背負っているからこそ起こり得る現象なのかもしれません。ましてやデジタルカメラの出現で、写真は印画紙に焼き付けて見るという概念はくずれ、パソコンの画面で、携帯電話の液晶画面でみられることが多くなってきています。アルバムに写真を張るということが懐かしい行為なのです。そうした機器の変化に伴い素人カメラマン(カメラマンと呼べない程度の人も)によるヌード写真がネット上で増殖し氾濫する時代になっているのです。写真史においてはそうした現象は大事件なのではないでしょうか。

なぜなら、今こうした時でも、世界のそこかしこで携帯のカメラで気軽に美術館の枠に収まらないヌード写真の傑作が撮られているかもしれない??のです。

◆クリック、お願いします。 ⇒
◆関連書籍DVDはこちら↓↓
ヌード写真 (岩波新書)
多木 浩二
岩波書店

このアイテムの詳細を見る

ヌード写真の展開 (横浜美術館叢書)
二階堂 充,倉石 信乃,天野 太郎
有隣堂

このアイテムの詳細を見る
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「週刊ブックレビュー 特集... | トップ | NHKドキュメント「ヤノマ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

美術&工芸とその周辺」カテゴリの最新記事