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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

「ザ・ビューティフルー英国の唯美主義1890-1900」展(三菱一号館美術館)を見た

2014-04-02 | 美術&工芸とその周辺

「ラファエル前派展」と時を同じくして開催されているのが、東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催されている「ザ・ビューティフルー英国の唯美主義1890-1900」展です。前の「ラファエル前派展」と合わせて見ると1850年代から19世紀末へと至るイギリスの絵画の流れの一端がわかるというものです。ラファエル前派の運動を起こした若手の芸術家から端を発した動きは、“芸術はのための芸術”を標語に、作品に物語性や道徳性を排除し、ひたすら感性的な美、形式的な美を求め、“芸術は、唯、美しくあればよい”とする唯美主義へとつながり、それは絵画のジャンルのみならず文学、建築、室内装飾、デザインに至るまで幅広く展開されたそうです。今回の展覧会は、その唯美主義の流れにスポットを当てたイギリスで開催された「カルト・オヴ・ビューティー」展の巡回として日本でも展示され、絵画以外の作品も展示されたのでした。

  

この展覧会がテーマとした時代の終わりには、私も一時追いかけたオスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリーの「サロメ」も登場し、どこか感性的に響きあうものがあるというのをつかむことができたのでした。私が興味を持ったこの2人の作家が生きた時代には、ラファエロ前派のロセッティがいたし、バーン=ジョーンズがいたということです。唯美の美とはデザイン性であり、官能性であるということ。実用性プラスアルファの要素として、生活の中に美を求め、美を導入するハウス・ビューティーの精神は、日常生活の潤いとして現代ではあたりまえのように思えるのですが、その精神が脈々と生きているということは人間の普遍的な感性の一部なのではないでしょうか?そして、現代のように資本主義が高度に発達してくると必然的に、唯美の感性に近づかざる得ないと言うのがいいかもしれません。経済が発達し、これでもか、これでもかと消費を続けないと社会が最早回回転しない状態で、商品を購入する側は何を基準にして財布の紐をゆるめるのでしょうか?もちろん手持ちのお金があればということになるのでしょうが、デザイン、それも他の人とは差異化されたものを選択し、優位感を抱く、そうした感覚ってどこかにないでしょうか。私はこの展覧会を見て、高度な資本主義の時代へと大きく突入していく100年以上も前に起こった唯美主義の運動に、我々の感性のさきがけを見るような印象を受けたし、そのようなことを想いながら展示された作品群を見たのでした。

唯美主義とジャパニズム
谷田 博幸
名古屋大学出版会
文学と絵画―唯美主義とは何か (英宝社ブックレット)
富士川 義之,松村 伸一,荒川 裕子,加藤 千晶,真屋 和子
英宝社

 

 

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