六本木で開催中の「ラファエル前派展」を見てきた。1848年、イギリスのロイヤル・アカデミー美術学校に通う3人の学生、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが中心となって、現行のお仕着せのアカデミズム、美術感にノーを突き付け結成された「ラファエル前派兄弟団」。これがラファエル前派のスタートであり、今見ると綺麗な絵と片付けられそうな作品が前衛として存在したという事実。当時の彼らの年齢は19~21歳という若さで、まさにそのエネルギーがこうして100年以上経った日本という異国の地で、この春の目玉展覧会として開催されているという現実。それを考えるとラファエル前派兄弟団を結成した彼らの出会いは奇跡に近かったのかもしれない。全く比較にならないと思うが、イギリスにビートルズやローリングストーンズが出たのと同じような現象に近いと想像したくなる。
彼ら画家たちが描いた女性のモデルは身近な女性であったという。もっと言えば、彼らが美しいと思う女性を描きたいと自分達でスカウトしてきたという(ナンパということか?)。彼らは彼女たちを「スタナー」と呼んだそうで、意味は<気絶するほどの美女>であるという、これではどこかの歌の文句ではないか?しかし女もしたたかなもので、下層階級の出身が多い彼女らにはろくな仕事なんかない。下手すりゃ娼婦ということもありえる。なぜなら、当時イギリスは産業革命により未曾有の発展も遂げたものの、同時に貧富の格差も広がり、街では生活のために娼婦となった女性で溢れかえっていたそうだ。だからモデルになることで人生の展開が変わることもあり、別の生き方が待っているかもしれないのだ。事実、玉の輿に乗って貴族となった女性もいる。そうした彼女らともっとも交遊というか関係を結んだのがロセッティで、随一のプレイボーイと言えるのだろう。
しかし、彼らラファエル前派としての活動は短くて数年で終わってしまうことになる。続く若者たちが第2世代を築くも、それぞれが別々の道を歩んでいくことになったという。彼らが残した足跡の痕跡は大きく、やがて唯美主義という流れへと繋がっていく…というのがイギリス美術史の流れと理解できそうなのだが、それが正しいのか、勝手な解釈なのか、にわか知識の私にはわからない。その唯美主義をテーマとした展覧会が同時に丸の内の三菱一号館美術館で開催されている。はっきり言えることは早春の東京には19世紀末へと至るイギリスの美学のエッセンスが集約されいるのは間違いなさそうだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます