♦️120『自然と人間の歴史・世界篇』世界宗教(ヒンドゥー教)

2017-09-19 09:32:50 | Weblog

120『自然と人間の歴史・世界篇』世界宗教(ヒンドゥー教)

 ヒンドゥー教の源は、遠くインダス文明の末期に遡る。インダス文明は、紀元前2000年から同1700年頃にかけて、衰退していく。何らかの原因により、都市機能が弱体化していき、地方の文化に吸収されていった。おりしも、おそらく紀元前1500年頃から、アーリア人がイランかにインド北西部に移住してくる。この人々は、インド・アーリア語族という言語集団に属していた。この語族とは、「ヨーロッパ語族の一分派であるインド・イラン語属から、さらに分派して南アジアへと移入してきた言語集団」(上杉彰「インダス文明以降の南アジア」:近藤英夫・NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト『四大文明「インダス」』NHK出版、2000)と言われるのであるが、他ならぬこの語族が編集したのが『リグ・ベーダ』なのである。
 この聖典に基づき成立したのがバラモン教であった。誰が最初に唱え、開いた宗教なのかは、わかっていない。おりしも、紀元前五世紀頃に仏教の隆盛が始まり、バラモン教は変貌を迫られる。そこでバラモン教は民間の宗教を受け入れ、ついには同化してヒンドゥー教へと変化して行く。つまり、ヒンドゥー教というのは、特定の人物が創造、開削したのではない、古代インド文化の滔々たる流れにおいて、無名の人々によって寄せ集められ、形成されてきた宗教なのである。
 こうして成立したヒンドゥー教は、バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぐとともに、土着の神々や崇拝様式を吸収したものとなっていく。つまり、多神教なのである。
事の成り行きの次第は、わけても、三大神「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」に始まる。そして、追々に仏教などの神も採り入れていく。まずは、ブラフマー(「梵天」と訳される)だが、この神は宇宙の根本原理とされるブラフマン(梵)を人格化していて、天地創造の神となっている。そういうことなので、神々の中心に座っていてよさそうなものだが、後から出たヴィシュヌ神やシヴァ神が勢力を伸ばすようになると、だんだんと「ご老体」の地位に甘んじていく。つまり、若々しい後続の神々によって、隅に追いやられていった。ヴィシュヌは、元はアーリア人が崇拝していた太陽の化身であって、後には創造神にも仲間入りした。またシヴァといえば、バラモン教の文献で説かれる暴風神ルドラと同一視される、荒々しい男性の神である。以上の3者とも、后(妃)がいて、いやこの両者がそれぞれの相手である「配偶神」と交合することによって、はじめて神々として機能するということになっている。わけても、これら女神たちにはそれぞれ独特の存在理念、価値が教義上備わっているらしい。宮本久義氏は、そのことをこう描いておられる。
 「ブラフマーの妃サラスヴァティーは学問と技芸の女神、ヴィシュヌの神妃ラクシュミーは富と幸運の女神で、仏教にも取り入れられて、それぞれ弁才天(弁財天)、吉祥天として尊崇されている。またシヴァの神妃たちは大地母神信仰の流れをくむ宇宙の根源的力シャクティと同一視された。現在では女神信仰は以前にもまして熱烈な尊崇を集め、シヴァ神、ヴィシュヌ神信仰とともに三大勢力を形成している。」(宮本久義「ヒンドゥーの神々」:小西正捷(こにしまさとし)・岩瀬一郎編「図説・インド歴史散歩」河出書房新社、1995)
 さて、ヒンドゥー教はインドの風土に合ったのか、紀元後四~五世紀になると仏教を凌ぐようになる。 その発展の劃期を形成したのが、紀元300年より少し後に始まったグプタ王朝下でのことであった。この王朝の出身は来たインドであって、450年にはインド亜大陸の大半を支配し、西のササン朝ペルシャ(イラン)や東ローマ帝国に劣らない大国となった。グプタの歴代の王たちは、ヒンドゥー教を保護し、多くの寺院が建設された。国家という権威による庇護下にあったことは、現代に伝わる「クマーラグプタ一世の金貨」にまつわる話からも明らかだ。この王の治世は、この金貨が鋳造されたであろう415~450年の期間をカバーしている。金貨に彫られているのは、ヒンドゥー以前の生け贄(対象は馬)の儀式であって、馬は王によって捕獲され、ころされてしまう。代わりに王は、自分の権力の正当性と優越性を満場の人々の前で誇示するという具合であったらしい。王は、また新たな多額の費用をかけて多数のヒンドゥー教寺院を建設した、とある。そんな情況下で、インドの多民族を束ねる宗教として、ヒンドゥー教は民衆に広く信仰されるようになっていく。
 その第一の特徴は、ヒンドゥーの神々が人間的な体や感情を持っていることだ。つまり、人と同じように、神々も血と肉を持っている。なんだか、温かな気持ちにもなってくるのが、人の自然な感性というものであろうか。二つ目の特徴点は、他の同類のものへの対応が排他的でないことだ。インド古代の宗教的な伝統、その中の仏教もジャイナ教の「良い」と思われるところを取り込んだという。これらの宗派の神々も、形や表情などを変えてヒンドゥーの神に加えている。だから、人々が午後の陽がややわらかとなる頃(現代では午後4時)から教会にやって来る。そこにおいては、神々は目覚めている。そして、きらびやかに飾った神々が「いらっしゃい」と迎え、臨場感を高める音楽の演出にも余念がない程だ。グプタ朝時代、当時のインドの多くの人々の目と耳には親しみやすい信仰内容として、個人差や地域差は相当あったても、布教に当たっての大きな軋轢を生むことなく、比較的すんなりと受け入れられていったのではないだろうか。
 
(続く)

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