◻️191『岡山の今昔』岡山人(19世紀、山田方谷、その経済思想)

2021-01-25 22:44:42 | Weblog
191『岡山の今昔』岡山人(19世紀、山田方谷、その経済思想)

 山田方谷(やまだほうこく、1805~1877)は、それ、儒学の中でも、中国の明代の頃、活躍した王陽明(おうようめい)が打ち立てた陽明学によるものと聞く。

 そればかりではない、なかなかの経済にも通じた理論家であることは、例えば、次のような寓話を用いての話からも、かなりが窺えよう。
 なお、この論文は、佐藤一斎塾の塾頭をしていたときに書いた経済政策論にして、「事の外に立ちて事の内に屈せず」のみならず、「義を明らかにして利を図らず」ともいう。

 「財の外に立つと、財の内に屈するとは、已に其説を聞くことを得たり。敢へて問ふ、貧土弱国は上乏しく下困しみ、いま綱紀を整へて政令を明らかにせんと欲するも、饑寒死亡先づ已に之に迫る。其の患ひを免れんと欲すれば、財に非ざれば不可なり。然れどもなほ其の外に立ってその他を謀らずとは、またはなはだ迂ならずや。


 曰く、此れ古の君子が義利の分を明らかにするを務むる所以なり。それ綱紀を整へ政令を明らかにするものは義なり。饑寒死亡を免れんと欲するものは利なり。君子は其の義を明らかにして其の利を計らず。ただ綱紀を整へ政令を明らかにするを知るのみ。

 饑寒死亡を免るると免れざるとは天なり。それサイ爾の滕を以て斉楚に介し、侵伐破滅の患ひ日に迫る。而るに孟子の此に教ふるには、彊て善をなすを以てするのみなり。侵伐破滅の患ひは饑寒死亡より甚だしきものあり。而るに孟子の教ふるところはかくの如くに過ぎず。

 則ち貧土弱国其の自ら守る所以のものは、また余法なくして、義利の分の果して明らかならざるべからざるなり。義利の分一たび明らかになれば、守るところのもの定まる。日月も明らかとなすに足らず、雷霆も威となすに足らず、山獄も重しとなすに足らず、河海も大なりとなすに足らず。天地を貫き古今にわたり、移易すべからず。また何ぞ饑寒死亡の患へるに足らんや。

 しかして区々たる財用をこれ言ふに足らんや。然りといへどもまた利は義の和なりと言はずや。未だ綱紀整ひ政令明らかにして饑寒死亡を免れざる者あらざるなり。なほ此の言を迂となして、吾に理財の道あり、饑寒死亡を免るべしと曰はば、則ち之を行ふこと数十年にして、邦家の窮のますます救ふべからざる何ぞや。」(山田方谷「理財論」)


 これの初めの問いに、「貧土弱国は上乏しく下困しみ、いま綱紀を整へて政令を明らかにせんと欲するも、饑寒死亡先づ已に之に迫る」とあるのは、いかにも切羽詰まった話なのだが、方谷の返答としては、最終の部分で、「然りといへどもまた利は義の和なりと言はずや。未だ綱紀整ひ政令明らかにして饑寒死亡を免れざる者あらざるなり」とあるのは、いかにも捨てがたい。
 それというのも、ただ義を明らかにして、利を計らないことが、かえって、その利にいたる道を万人に指し示すのだといいたいのだろうか。いづれにしても、方谷本人は、かのフェニキア人の「汝の道を歩め、人をして語るに任せよ」との格言にも蔵されているのであろう、絶対の自信に裏打ちされての、気迫の決意表明だとも受け留められよう。

 その後の1868年(明治元年)に64歳で引退するまで、その要職にあったとされるので、文字どおり藩の財政を立て直した救世主と考えてもよいのかもしれない。
 そんな引退してからの彼の詩の一つには、こうある。
「暴残、債を破る、官に就きし初め。天道は還るを好み、○○(はかりごと)疎ならず。十万の貯金、一朝にして尽く。確然と数は合す旧券書」(深澤賢治氏の『陽明学のすすめ3(ローマ字)、山田方谷「擬対策』明徳出版社、2009に紹介されているものを転載)
 彼ほどの不屈の精神の持ち主が、いかに幕府の命とはいえ、10万両もの貯金を食いつぶしてしまったことへの悔悟の念が、心の底に巣くい、沸々と煮えたぎっていたものと見える。
 できたばかのり明治新政府の要人として出仕するよう誘いを請けたとも伝わる方谷なのだが、固辞したらしい。すでに隠居の身の上にて、いまさら宮勤めは勘弁してくれというのであったのかもしれない。この点、今更ながら、断らなければより有名な身の上になったのではないかとの評にも出くわす。けれども、彼の名声の真骨頂は政治事に臨んでの勇断実行のほかにもあったはずで、それは上から目線で人に相対しなかったことにあるのではないか。
 新政府に出たら出たで、「富国強兵」が国是となる中、財政を担当する者には、終わりなき修羅場に違いあるまい。旧と新が激しく混ざり合う、混濁の世での対応には、気力と体力の消耗を強いられよう。必ずや出くわしたであろう、有象無象の政敵などに足元を狙われることもありうる。のみならず、晩年の方谷にとって、表舞台にて功なり名誉をほしいままにすることが人生の最終目的ではないことを、何かしら読み取ってのことだったのではないか。

 (続く)

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