♦️244の1『自然と人間の歴史・世界篇』近代立憲思想の系譜(ルソー)

2018-11-23 09:16:36 | Weblog

244の1『自然と人間の歴史・世界篇』近代立憲思想の系譜(ルソー)

 おりしも、政治的な大衆運動に参加する人々の脳裏には、後に近代の立憲思想と呼ばれるものが芽生えつつあった。これを先導し、あるいは力づけたものとしては、知識階級からの働きかけがあったろう。

 啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソー(1712~78)は、こう説き起こしている。

 「私は、不平等の起源と進歩、政治的社会(国家)の設立と弊害とを、それらの物が、もっぱら理性の光によって、そして、統治権に対して神権の裁可を与える神聖なる教義とは無関係に、人間の自然から演繹されうるかぎりにおいて、説明するようにつとめてきた。

 その説明の帰結として、不平等は自然状態においてほとんど無であるから、不平等は、われわれの能力の発達と人間精神の進歩によって、その力をもつようになり、また増大してきたのであり、そして最後に所有権と法律との制定によって安定・正統なものとなる」(ジャン・ジャック・ルソー著・本田喜代治、平岡昇訳『人間不平等起源論』岩波文庫、1933、第二部)

 これにある「統治権に対して神権の裁可を与える神聖なる教義とは無関係に、人間の自然から演繹されうるかぎりにおいて、説明するようにつとめてきた」とは、社会をか神という絶対的存在抜きに見る先駆となった。

 この考えが、台頭しつつあった市民、中でもブルジョアジーに受け入れられていったことは、想像に難くない。続いて、国家の運営につき、こう述べている。
 「国家がよく組織されるほど、市民の心の中では、公共の仕事が私的な仕事よりも重んぜられる。私的な仕事ははるかに少なくなるとさえいえる。なぜなら、共通の幸福の総和が、各個人の幸福のより大きな部分を提供することになるので、個人が個別的な配慮に求めねばならぬものはより少なくなるからである。

 うまく運営されている都市国家では、各人は集会にかけつけるが、悪い政府の下では、集会にでかけるために一足でも動かすことを誰も好まない。なぜなら、そこで行われることに、誰も関心をもたないし、そこでは一般意志が支配しないことが、予見されるし、また最後に、家の仕事に忙殺(ぼうさつ)されるからである。」(ジャン・ジャック・ルソー著・桑原武夫、前川貞次郎訳『社会契約論』岩波文庫、1954、第3編第15章)

 

 (続く)

 

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