♦️307『自然と人間の歴史・世界篇』アイルランドのジャガイモ飢饉(1845~1847)

2018-05-12 08:59:03 | Weblog

307『自然と人間の歴史・世界篇』アイルランドのジャガイモ飢饉(1845~1847)

 1845年、ジャガイモに疫病が発生する。これを「ジャガイモ飢饉(Potato Famine)」という。西ヨーロッパ全体が被害を受けた。とくに、アイルランドの被害が大きかった。3~5年におよぶ飢饉となる。当時、農民や農業労働者たちの暮らしは、下層にいくほど相当に厳しかったろう。そもそも、イギリスの支配によって小麦の取れる肥沃な大地をすべて接収されていた訳であり、その人々の唯一とも言える主食はジャガイモであった。
波多野裕造氏による説明には、こうある。
 「1845年の夏、アイルランドは長雨と冷害に祟られ、それだけならまだしも、この年の8月、イングランド南部に奇妙な病害が発生した。それは三年前に北アメリカの東岸一帯を荒らしたウィルスによる立ち枯れ病の一種であった。しかもヨーロッパにはなかったこのジャガイモに取りつく菌は、9月に(中略)アイルランドに上陸するや、またたく間に全土に拡がり、その被害は三年間にも及んだのであった。」(波多野裕造「物語アイルランドの歴史」中公新書、1994)
 その被害は甚大であったらしい。一説には、「こうして、飢饉とこれに伴う各種の疫病により、1840年代末までに100万人以上が死亡した」(山本正「図説アイルランドの歴史」河出書房新社、2017)といわれる。つまるところ、この飢饉による人口減少数でいうと、1841年のアイルランド島の総人口は約800万人なのであったというから、如何に多くの人命が失われたのかがわかろう。
 被害がかくも大きくなったのには、行政の問題も介在していた。連合王国の首相のピール(保守党)は、アメリカからトウモロコシの緊急輸入を行ったり、公共事業の創出に努めたともいわれる。さらに、1815年のものを含め、穀物法の撤廃を実現させている。
それで瓦解したピール政権の後を襲った自由党ジョン・ラッセル政権が行う対策も、有効に機能したとは言えない。
 そればかりではない。かなりの数のアイルランド人が、新天地を求める移民となってアメリカ、カナダ、オーストラリアなどに渡る。その数は、一説には150万~200万人もがやむにやまれずに祖国をみかぎって海外へ去った、とも言われるのだが。
 1870年、ウィリアム・グラッドストーン首相がアイルランド人の小作農の法的権利を強め、土地所有を認める新しい法を成立させる。

(続く)

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