♦️540『自然と人間の歴史・世界篇』戦後の中南米の出発(ホンジュラス)

2017-11-14 22:12:54 | Weblog

540『自然と人間の歴史・世界篇』戦後の中南米の出発(ホンジュラス)

 1502年、コロンブスが、第四回の航海で現在のホンジュラスの地を発見する。この地の西部に住んでいたマヤ系原住民と接触したとされる。1539年、スペインのグアテマラ総督領に編入される。1821年、独立する。1823年、中米諸州連合(中央アメリカ連邦)を結成する。1838年、中米諸州連合より分離独立を果たす。1859年には、イギリスが占領地を返還することで、この地に権益を持つイギリスとアメリカアメリカとが和解にいたる。アメリカは、この地のバナナ栽培と、その輸送手段とての道路や鉄道を支配するにいたる。1902年にはユナイテッド・フルーツ社が、1905年にはスタンダード・フルーツ社がバナナ栽培に加わる。
 1933年、T・カーリアスが大統領となり、アメリカの庇護の下で独裁政治を敷く。
この独裁は、1949年まで続く。カーリアスが失脚した後、ガルベスが大統領職を継ぐが、1954年の大統領選挙では過半数を得た者がなく、ロサノが臨時の大統領となる。1956年、軍事クーデターがあリ、ロサノ政権が崩壊する。これが二度目のもので、彼ら軍部は過去の失敗から学んだ結果といえる。この暫定政権は選挙を実施し、ラモン・ビィエダ・モラレスが大統領に当選する。この政権の時、ホンジュラスの鉄道の部分的国有化や労働法の制定、さらに土地改革の準備に取りかかる。また、外交では、キューバと断交するのであった。
 1963年、ラモン・ビィエダ・モラレス大統領の再選が確実視される状況の下で、再び軍が政治に介入して大統領を追い込む。このため、ラモン・ビィエダ・モラレス大統領は亡命を余儀なくされる。1965年には、米国と米国資本の息のかかったオズワルド・ロペス・アレヤーノ大佐が政権を力づくで継承していく。今にして思えば、この政変劇の仕掛け人の直接の動機として、グアテマラに比べてより緩慢かつ穏健ながらも、「農地改革」というものへの恐怖心があったことは確かなこととされて然るべきだ。

(続く)

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