◻️192の4『岡山の今昔』岡山人(19世紀、安原玉樹)

2019-09-14 20:11:34 | Weblog

192の4『岡山の今昔』岡山人(19世紀、安原玉樹)

 安原玉樹(やすはらたまき、1806~1876)は、歌人。彼女は、備前国岡山の森知乗尼、備前国邑久郡豆田村の松原三穂子と共に、「吉備の近世3女流歌人」として名高い。

 本名を安原ひさという。備中玉島新町東綿屋七代の中原理左衛門正徳の第三女というから、綿花などの取引で潤った新町界隈の商家の中でも、かなり上位であったのではないか。「お嬢様」として、何不自由ないようなスタートであったらしい。

 そんな中でも、13歳にしてはや和歌に長じていたというから、驚きだ。玉島(倉敷市玉島)の東綿屋中原家から、総社の醤油と油を商う角清水屋に嫁ぐ。子ども3人のすべてが、幼くして病気で亡くなる。さぞかし、気落ちしたことだろう。

 それからは、移りゆく時代の荒波を見ながら、好奇心を失うことなく、歌人として油がのっていく。

 同時に、歌人のたしなみとして、かなりの古典に通じていた由、その歌には、静寂の中でも、しなやかな旅情のような空気が漂うかに感じられる。
 「夏むしのほかげほのかに見てしよりいとどおもひやもえわたりなむ」
 さびしはいづこも同じ秋風のわきて身に沈むあまの家じま」

など多数。

(続く)

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