211の31『岡山の今昔』岡山人(20世紀、山羽虎夫)
山羽虎夫(やまわとらお、1874~1957)は、岡山の生まれ。横須賀の海軍工廠、神戸の小野浜造船所、東京の沖電気や逓信省の電気試験所を渡り歩き、電気や機械に関する知識や技術を積む。
1874年(明治27年)には、岡山に帰る。その翌年には、岡山の街中、天瀬可真町に工場を営む。商売では、電気器具の製造、修理などをよくする。
やがての1903年(明治36年)には、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会に出かけ、アメリカ車の展示に刺激された岡山の資産家、森房造
が、かれに「やってくれないか」の話を持ちかけ、山羽が快諾したらしい。
それからは、協力者と夢中で開発に没頭する。そしての翌年、最初の国産自動車で、10人乗りの蒸気自動車をつくる、日本発初の国産自動車の誕生である。それというのも、1902年(明治35年)に国産の自動車は完成していたらしいのだが、それはエンジンをドイツから輸入したものであったのだから。
(続く)
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