318『自然と人間の歴史・世界篇』マルクスの歴史認識(労働配分の方法)
マルクスが、友人のクーゲルマンに宛てた手紙には、どんな社会でも共通に取り組まれるべき労働配分についての、次の記述がある。
「価値概念を証明する必要がある、などというおしゃべりができるのは、問題とされている事柄についても、また科学の方法についも、これ以上はないほど完全に無知だからにほかなりません。どんな国民でも、一年はおろか、二、三週間でも労働を停止しようものなら、くたばってしまうことは、どんな子供でも知っていると言えます。どんな子供でも知っていると言えば、次のことにしてもそうです、すなわち、それぞれの欲望の量に応じる生産物の量には、社会的総労働のそれぞれ一定の量が必要だ、ということです。
社会的労働をこのように一定の割合に配分することの必要性は、社会的生産の確定された形態によってなくなるものではなく、ただその現われ方を変えるだけのことというのも、自明のところです。自然の諸法則というのはなくすことができないものです。歴史的にさまざまな状態のなかで変わり得るものは、それらの法則が貫徹されていく形態だけなのです。そして社会的労働の連関が個々人の労働生産物の私的交換をその特微としているような社会状態で、この労働の一定の割合での配分が貫徹される形態こそが、これらの生産物の交換価値にほかならないのです。
価値法則がどのように貫徹されていくかを、逐一明らかにすることこそ、科学なのです。」(「マルクス・エンゲルス全集」第32巻454~5ページ)
この中で言われる、「それぞれの欲望の量に応じる生産物の量には、社会的総労働のそれぞれ一定の量が必要だ」ということでは、それらの労働配分をどのように行うのかが肝要となるだろう。そして、その全体を市場の動きを借りて行うのか、目的意識的に市場以外の要素を可能なかぎり取り込みながら行うのかが考えられる。マルクスは、資本主義の次に来る社会での労働配分のあり方については、特段のことは何も語らなかったし、文章に残さなかった。あるいは、新たな社会の運営の一環としての労働配分のあり方について何か腹案を持っていたのかも知れないが、今となってはそのことを知るすべが見あたらない。
(続く)
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