♦️578『自然と人間の歴史・世界篇』戦後の資本主義(アメリカの産軍複合体)

2017-09-06 09:38:19 | Weblog

578『自然と人間の歴史・世界篇』戦後の資本主義(アメリカの産軍複合体)

 今日では当たり前のように語られる「軍産複合体」なる言葉を、広く公の場で初めて唱え、これに警鐘を鳴らしたのは、1961年1月に退任に臨んだアイゼンハワー大統領であった。その演説の一節には、こうある。
 “Until the latest of our world conflicts, the United States had no armaments industry. American makers of plowshares could, with time and as required, make swords as well.”
(Dwight D. Eisenhower,“Farewell Address”,delivered 17 January 1961)
 「第2次世界大戦まで、アメリカは軍需産業というものを持ったことがなかった。というのも、アメリカでは、時間的な余裕があったため、必要に応じて(戦時に)剣を作ることですますことが出来たからである。
 “But we can no longer risk emergency improvisation of national defense. We have been compelled to create a permanent armaments industry of vast proportions.”
 しかし現在では、急に国防の備えをなすという危険を冒すわけにはいかなくなっている。私たちは、大規模な恒久的な軍需産業を創設することを余儀なくされている。
 “Added to this, three and a half million men and women are directly engaged in the defense establishment. We annually spend on military security alone more than the net income of all United States cooperations -- corporations. ”
 「このことに加え、50万人の人びとが軍事産業に従事している。私たちは、アメリカの全会社の年間純総所得を上回る額を、軍事費だけのために年々消費するまでになっている。」
 “Now this conjunction of an immense military establishment and a large arms industry is new in the American experience. The total influence -- economic, political, even spiritual -- is felt in every city, every Statehouse, every office of the Federal government. We recognize the imperative need for this development. Yet, we must not fail to comprehend its grave implications. Our toil, resources, and livelihood are all involved. So is the very structure of our society.”
 「こうした大規模な軍事組織と巨大な軍需産業との結合という現象は、アメリカ史上かつてなかったものである。その全体の影響力、すなわち経済的な政治的なさらには精神的な影響力までもが、あらゆる都市に、あらゆる州政府に、連邦政府のあらゆる官庁に認められる。私たちとしては、このような事態の進展をいかんとも避けられないものであることはよく解っている。」
  この演説で言及された、軍産複合体(ぐんさんふくごうたい、Military-Industrial Complex)とは、通常は軍部と軍需産業を中心とした結びつき・癒着構造のことをさしている。この用語は、アイゼンハワー演説の起草者の一人であるマルコルム・ムース(元ミネソタ大学総長)が作り出したと言われる。
この軍産複合体が生まれる端緒となったのは、第二次世界大戦中における原爆開発のため政府によって組織されたマンハッタン計画(1942~46)であった。そのコストは当時のカネで約22億ドルともいわれる。この計画に動員された人々は約12万人、その中でもダウケミカル社、デュポン社、ロッキード社、ダグラス社などの軍需産業やシカゴ大学、カリフォルニア大学、ロスアラモス研究所など多くの大学・研究機関が参加・協力したという。
 これへの着手とともに形成・確立されてきたものが、戦後になった途端に消滅することはなかった。このような結びつきは、第二次世界大戦の終結直後からの東西の冷戦状況下で、さらに発展していった。米ソによる核軍拡競争の展開や宇宙・原子力開発政策の推進によってさらに肥大化することになった。政府はこれに従う産業、学術研究に対し、大量の武器製造・軍事技術の革新を軍需産業に委任していく。そうする一方、軍事に傾く産業すなわち軍需産業は、利潤拡大と企業存続のための巨大な軍事支出と恒常的な注文生産を政府に期待・依存することになり、ここに相互の永続的な癒着構造が生まれた。そのことによって客観的な軍事的脅威や真の仮想敵国の有無に関わらず、戦後一貫した形での軍と軍事産業の肥大化がアメリカにおいて突き進んでいく事になったのである。

(続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


コメントを投稿