◻️192の4の2『岡山の今昔』岡山人(19世紀、浮田幸吉)

2019-09-22 20:26:43 | Weblog
192の4の2『岡山の今昔』岡山人(19世紀、浮田幸吉)

 浮田幸吉(うきたこうきち、1757~1847)は、日本で初めて、空を飛ぼうとし、かつまた、そのことを本気で試みたのでしられる。鳥人幸吉、表具師幸吉、表具屋幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸吉、備考斎(びんこうさい)などの別名をもつ。
 備前国児島郡八浜(現在の岡山県玉野市八浜)の浮田(櫻屋)清兵衛の次男に生まれる。7歳で父を亡くし岡山の紙屋兼表具屋に奉公に出る、そこで表具を習う。
 面白いのは、日々の修行のかたわら、空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを熱心に研究するのであった。伝承によれば、鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出す。それを「人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と考えたらしい。
 やがて表具師の技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張る。それをもって、柿渋を塗るなど強度を持たせたる工夫を施し、翼を製作する。
 しかし、なかなかにうまくできない。試作を繰り返すうちの1785年(天明5年)夏、旭川に架かる京橋の欄干から飛び上がる。頼みの風に乗って数メートル滑空したとも、直ぐに落下したとも言われる。
 おりしも、河原で夕涼みをしていた町民の騒ぎとなり、岡山藩から咎めを受ける。時の藩主池田治政により岡山を所払いとされてしまう。「世間を騒がし、けしからん」というのであったろう。この出来事については、同時代の漢詩人菅茶山の著書『筆のすさび』などにも取り上げられる。
 その後は、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)に移り、「備前屋幸吉」の名で郷里児島の木綿を扱う店を開く。軌道に乗ったところで兄の子に店を継がせる。さらに、自身は歯科技師「備考斎」と名乗り、晩年を、遠州見附宿(現在の静岡県磐田市)で暮らす、はしなくも「やるべきはやった」の境地であったのだろうか。

(続く)

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