🔶1173『自然と人間の歴史・世界市篇』社会主義経済の進行中の事例はあるか(~2022)

2022-02-18 19:01:00 | Weblog
1173『自然と人間の歴史・世界市篇』社会主義経済の進行中の事例はあるか(~2022)

 社会主義経済とは何であるかを決める要素とは、いったい何だろうか。ソ連や東欧の社会主義がまだ健在もしくは命脈を保っていた間は、公有制や計画経済、資本主義とは異なる労働市場のあり方などを挙げ、それらの要素が合わさって社会主義経済を構成させている、と言われていた。だが、それらは1990年代初頭までに大方瓦解・消失してしまい、今はほとんどが存在しない。
 そうなると、現在、社会主義国は皆無なのかというと、「中国があるではないか」という向きがあるかも知れない。だが、現時点で見るに当たっては、かつての社会主義というものへの理解とかなり違った形となってくるのではないか。筆者としては、新しい観点が導入されないかぎり、従来思考に固執していては、なかなかその資本主義に対する優位性を理解し難い。というのも、新たな要素が色々と国民経済に混入してきていると考えている。
 それと、その体制が全体としてどの方向に向かっているかにつき、政治権力の動きに大きく影響されることもあろう。すなわち、これからは国家の果たす役割との兼ね合いがどうなっているか、「堅忍不抜」とでも形容しようか、その方向性を読み取ることが重要だと考えている。そして思うに、そうした意味をも込めて現在中国は、一個の実験場となっているのではないだろうか。
 と、いささか回りくどくなってしまったが、私見として提案したいのは、21世紀の魅力ある社会主義というのは、公有制や計画経済(市場を活用してよい(注))、資本主義とは異なる労働市場のあり方に加え、構成員全体への生活保証が伴ってはじめて実質的な意味をもつ、それと、政治・経済がそのことに向かって前進しているという姿勢を安定持続していることが必要なのではないだろうか。

(注)市場の一部利用によって引き起こされる競争は、そのことによる利益(効用の増大)ばかりに目が行きがちだが、同時に当該市場の独占傾向が強まり格差を拡大するなどの弊害も伴うことに留意するべきだ。そのことは、体制の如何を問わず起こり得る。

 こうしてみると、今の中国を、「新しい形での社会主義」とは名付けることはできなくなっている(ただし、どちらかというと資本主義の方を向いている「国家資本主義」とは違う方向性をもっていると思われる。またサミュエルソン(米・経済学者)が述べた、私有財産制度を前提とした「混合経済」とも異なる)。とはいえ、現代中国は、その官民合わせての集中力が持続するかぎりにおいて、市場の力を活用することで新たな時代の要請(前述)に応えるべく、そちらに向かって歩んでいる経済、いうなれば「準社会主義経済」とでも呼んだらいいのかも知れない。

(2022.2.18~続く)

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