チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

プルメリア(フランジパニ)

2013年06月20日 | 

晴れ、28度、87%

 亜熱帯から熱帯にかけて夏に咲く花は、目にも鮮やかですが香り高い花が沢山あります。東南アジアのリゾート地のホテルの宣伝写真によく使われている、水槽に浮かべ白い花弁に中央が鮮やかな黄色い花、これがプルメリアの花です。見るからにたおやかな花ですが、香りが空気を包み込むように濃厚です。香港では、かなり高い木に成長し上向きに花をつけます。この木の下を通っても、花の匂いはしません。落ちている花を拾い上げて、やっとその香りに触れることが出来ます。 左上に小さく白く見えているのが、プルメリアの花です。葉姿も、葉の濃いグリーンも暑さにも関わらず、凛としています。花弁の色は白が一般的ですが、濃いフューシャーピンクの花もあります。香港では、暑い間半年ばかりも咲き続ける花です。

 6月に入ると、暑さがひとしお強くなります。もう20回以上も香港の夏を経験しているのに、なぜかこの6月は、体が重く感じます。もっと暑くなる7、8月には、暑さに慣れてかえって調子がいいくらいです。

 朝走り始めて5、6年目のことですから、もう10年も前のことです。まだ40代半ばでしたから、今よりずっと体力がありました。あの頃は今より遅く走りに出ていました。朝日の強い日差しを顔に真っ向から受けて、東に向かいます。ちょうどこの6月、走りながら明日から走るのをもう止めようと、何度も思いました。気力も低下していたのだと思います。毎日、止めようと思うわけです。私がUターンしてくる辺りには、ちょうど目線の当たりに木を植えるスペースがあります。ところが灌漑施設はない上に、水はけの悪い土なのでどんな苗木を植えてもすぐに枯れていました。何も植わっていないその花壇に、あるとき30センチ程の真っ直ぐな木が2本、ポツンと立っていました。どう見ても苗木ではなく、挿し木です。しばらくすると、その裸の木から小さな芽が吹きました。その芽は、6月の暑さで瞬く間に先細りの緑の濃い葉に成長しました。Uターンする場所ですから、そこまで走らなければ、その葉の成長が見られません。そのうち、小さな芽の間に、白いつぼみを付けました。Uターンするその場所は直線で随分手前から、ポツンと立っている2本の木の様子が見えます。あら、またつぼみを付けたわ、とか、葉が多くなったわねとか。その2本に会える楽しみが、あの年の6月、私が走り続けることが出来た大きな理由です。

 実は、その時まで、本にも良く出て来るプルメリア、またはフランジパニと言われるその花を実際には知りませんでした。横を通っても香りがしません。立ち止まり花に顔を近づけてやっとその甘い香りに出会えます。花の名前が解ると、朝の挨拶に走りに出るようになりました。走るのを止めたい気持ちを、いつの間にか忘れていました。秋口になった頃、ある朝行くと花壇の土が全部掘り起こされて、プルメリアの2本の木は姿を消していました。その後植えられたブーゲンビリアとカポックが、元気に根付いています。

 誰かがあそこに2本のプルメリアを挿したのだと思います。その2本が、暑くて辛いなと、走るのを止めようとした私を、数ヶ月の間、励まし続けてくれました。今朝も、Uターンするときあの2本のプルメリアがポツンと立っていた様子が、目の前に浮かびました。

 

 

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お米の虫

2013年06月19日 | 日々のこと

晴れ、26度、91%

 香港に来て、まだ1,2年目のことだったと思います。ご飯を炊こうとお米びつの蓋を取ると、黒いものがチロチロ動いています。すぐにお米の中に隠れますが、間違いなく虫です。お米の中に虫がいるなんて、生まれて初めての体験です。日向に新聞紙を拡げて、米びつを逆さにしました。ビックリというより鳥肌がたつくらいたくさんの虫です。思っていた数の何倍もいます。日向が苦手なのか、お米に隠れようとします。お米は大切と叩き込まれていますから、私は虫退治におおあらわでした。この虫の名前はコクゾウムシです。もっと大きくすると解るのですが、鼻が長く出ています。

 たった2日家を空けて帰ってみると、残り少ない私用のタイ米の中に黒いものがいます。もう20年ぶりくらいにお目にかかりました。お久しぶり。

 食品に虫が付くなんて、今の日本では考えられないことかもしれません。でも、ここは東南アジア、お店で売っている物にだって虫付きがあります。一番注意は、もちろんお米です。シンクパックが膨らんでいると必ず、中の様子を確かめます。時間をかけないと解りません。最近はパックに印刷が多くなって、中がよく見えないものもあります。次は、スパゲッティ、これは、イタリア産であろうと中国産であろうとお構いなしです。スパゲッティを外から見て白い部分が見えたら虫食いの後ですから、買わないように。お次ぎは、干したきのこ類、イタリアの高いポルチーニを買って大事に少しずつ使っていました。それが、ある時瓶の蓋をとると、フワッと煙が上がりました。何事かと思ったら、中のポルチーニの影も形もなく粉々に食べ尽されていました。ポルチーニの粉がフワッと舞ったわけです。

 これらの虫は、お米ならお米の中に幼虫がいる場合もあるようです。でも発生するのは、いつも決まってこの6月。湿度と気温が急に上がるからでしょう。もちろん虫を退治すれば食べることが出来ます。お米は洗うと虫が食った米は軽くて浮きますから、捨てればいいわけです。椎茸などは熱湯をかけると、虫退治が出来ます。

 大変なのはここからです。何かに虫を見つけると、違う場所になおしてあるものも全て点検しなくてはなりません。日本から大事に持ち帰った昆布に煮干し、乾麺、蓄えてあるパン用の小麦粉。大掃除も兼ねて台所の隅から隅まで、頭を突っ込みます。

 不思議なことに虫の付きやすいタイ米、バスマティライスの横に置いている日本米、これにはなぜか虫が付いたことがありません。日本米の方が美味しそうに思うのですがね。

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お茶屋、お米屋がある街

2013年06月18日 | 旅行

曇り、26度、95%

 東京新宿からJRで数駅目の街に、今回は宿を取りました。私にとっては、馴染みの少ない街です。考えてみれば、東京を離れてそろそろ30年になろうとしています。毎年戻って来るとはいえ、この大きな町は、来る度に変わって行きます。

 新宿の副都心のビル街を背に、青梅街道を宿のある街へと向かいます。住み慣れた人にとっては当たり前でしょうが、東京の街は、それぞれのJRや私鉄の駅を中心に、商店街が延びその周りに住宅街が拡がります。バスでの足しか持たない町に育った私にとって、東京に住み始めた40年前はそのこと自体が新鮮でした。新宿を離れるにつれ、木々の茂みが多くなり町並みが少しずつ落ち着いて行きます。同じ東京でも、成田から新宿に向かうバスから見た街とは、趣が違っています。

 今回もたった2泊、しかし、主人が全く仕事を入れていません。主人との旅でこんなことはほとんどありません。私と違って、宿のある街をよく知る主人は、朝夕の散歩に私を案内してくれるコースまで考えてくれているようです。大きな街道を一本裏に入ると、住宅街です。マンションも少しはありますが、それぞれに門構えを持った家が続きます。環状線と街道に挟まれた一角にも関わらず、街に音がありません。からすの時折鳴く声、どこかの家の勝手の戸の開く音。

 緩やかに続く道は、平坦ではなく僅かですが上り下りが見て取れます。道の先に見える緑の茂みが木陰を作っています。庭木には大木は見られませんが、所々に大樹があります。私が抱えることが出来ないようなメタセコイヤの木。メタセコイヤの柔らかな新芽が私の頭の上から見下ろしています。武蔵野の面影を残す大きな木たちです。

 3回程、道を代えて散歩をしました。昔からこの街に住む人も多い辺りです。駅前は、どこも同じ銀行やら商業ビルがあり、大きなスーパーやチラシだらけの薬局があります。でも、ほんの2,3分歩くと、お米屋さん、お茶屋さんが昔のままと思われる間口で商いをしています。それが一軒だけではありません。表具屋さんのガラス戸を覘くと、ふすまの張り替えの後でしょうか、ふすま紙の切れ端が散らかっています。見出し写真は、表具屋、お茶屋、そして葬儀屋が並んでいるところです。

 実家のある福岡では、古い街に行ってもお米屋さんを見ることがほとんどありません。スーパーでお米を買う人が増えて、お店は立ち行かなくなったのでしょう。

 半日雨が降ったあとの朝、駅に向かう勤め人たちと逆行して散歩をしました。古い店屋が軒を並べる街道の裏には、武蔵野の大木を抱えたままの住宅街が拡がります。雨上がりの武蔵野の土の匂いを胸に吸い込みながら、人が土地に根付くってこんなことなのかな、とふと思いました。

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35年前

2013年06月17日 | 日々のこと

晴れ、24度 東京 

 35年前の今日の東京もお天気のいい暑い日でした。そして、思いがけず、2ヶ月も早く私が母になって日です。昭和53年のことです。

 夜半過ぎからの背中が割れるような痛みで、ほとんど眠れずに朝を迎えました。ちょうどお腹の子供は、8ヶ月に入った日でした。夜遅く仕事から帰った主人を起こすまいと、痛みをこらえているのですが、我慢出来ません。この痛みがまさか陣痛だとは思いもいきませんでした。その日は土曜日でした。8ヶ月の検診を月曜日に予約していたので、2日我慢するつもりにしていたのですが、下着に鮮血を見た時は、さすがに異常を感じて、病院行きを決めました。寝ている主人に声をかけると、疲れているだろうのに、付いて行くと言ってくれました。

 土曜日の午前中の病院は、いつものようにごった返しています。お腹が痛いと訴えたにもかかわらず、通常の検診の手順を踏みます。当時には珍しく、都内に2台しかなかったスキャナーにかかりました。2ヶ月前の検診の時と同じく、スキャナーに写るのは女子でした。痛み出したときから、口に出来ずに心配していた死産でないことはスキャナーに写る子供の様子でで解りました。いよいよ先生の診察です。診察台に上がるや、先生が一言、お産が始まってますとおっしゃいます。心底驚きました。

 それから2時間後、1978年6月17日午後2時4分、1900gの男の子を産みました。早産です、万が一を考えて、私は出産後すぐに麻酔をかけられました。どのくらい経ったか、主人が枕元で、生まれた赤ん坊を広尾の日赤病院に連れて行くと言います。理解は出来るのですが麻酔の眠気で、どこか遠くのことのような不思議な感じでした。それなのに、日赤に向かう救急車が産院から出る時にならしたサイレンの音で、麻酔の深い眠りから一遍に目覚めたのは、母親の本能だと思っています。

 一人しか子供に恵まれませんでした。私にとって、母としてからだの痛みを感じたのは、この日だけです。おかげさまで、35歳の誕生日を迎えました。

 35年間、いろいろなことがありました。その後、香港に住むようになった私たちは、息子を高校で日本に戻しました。一緒に生活した時間より、今では息子は一人で生活した時間の方が長くなってしまいました。そんな息子も結婚を決め、8月には入籍をすることになりました。

 昨日は、相手のお嬢さんのご両親にご挨拶も兼ねた、お顔合わせでした。相手さまのご両親、結婚する二人、そして、私たち二人です。昼過ぎには朝からの雨も上がりました。新宿のビルに用意した部屋からは、遠くディズニーランドの花火が見えました。

 母になれたことに感謝しています。喜びごとも、子供が一人ですから、一度だけです。二人の将来のこと、私たち夫婦のこれからのこと、親たちの今後、考えると喜びばかりではありません。それでも、ほんのひととき、しみじみと良かったと感じています。

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eボーディングパス

2013年06月16日 | 旅行

雨、24度   東京

 ほんの2ヶ月程前に、やはりボーディングパスのことを書きました。飛行機に乗る時に、座席が書かれたあの横長の紙です。eチケットを、空港のカウンターに持って行くと座席を決めてボーディングパスをくれ、荷物を預かってくれます。このボーディングパスを2月前は、家でプリントアウトすることが出来ました。つまり、家でチェックインしたわけです。家で、チェックインするとその紙を持ったまま、空港のゲートに直行で来ます。もちろん、荷物を預けたい人はカウンターで預けなければいけません。一人で旅行の時は、ほとんど荷物を預けない私には便利でした。

 昨日、香港から東京に戻ってきました。3日前にはまた、キャセイパシフィックからメールがやって来ました。 家でのチェクインを進めて行きます。座席も空いているところを自分で好きに選べます。今回は、最後の段階でeボーディングパスを選んでみました。

 見出しの写真のように、ボーディングパスが携帯に送られてきます。飛行場に着いて、パスポートコントロールに入る前に、まず、ボーディングパスのチェックがありますが、携帯のこの画面を係員に見せると、ORコードを読み取って中に入ります。ゲートでのボーディングパスのチェック時も同じです。

 国際線に乗る時は2時間前までに飛行場に着かなくては、とずっと思い続け来ました。でも、この、eボーディングパスのおかげで、ゲートに30分前に着けばよくなりました。ただ、知らない空港ではゲートまでの時間が測れません。時期によっては、パスポートコントロールや荷物のチェックにかかる時間が違います。やはり空港に着くのは早め早めが、理想です。

 それでも、並ぶ並ぶのストレスから少し解放されたように思います。ORコードのおかげです。

  

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雑炊を食べました、モモ

2013年06月15日 | もも

雨、25度、99%

 随分以前に日本からのお土産で、モモさんにぞうすいをいただきました。 初めて見る犬や猫さん用のぞうすいです。パッケージも可愛いので、特別な時にでもと思って、ついついしまい込んでいました。いけません賞味期限が、、、。 まるでカップラーメンのようです。 乾燥の野菜が幾種類か入っていて、お湯をさすと野菜の香りがします。トッピングはおかかです。失礼して味見を、野菜の出しでさっぱりしたスープです。

  モモさん、どうぞ、いかがですか?

  あー、そうですか、美味しいのね。

  あれまー、お口に野菜が付いてますよ。

  モモさん、こうした、小さいものを食べるのがとても下手です。お椀の周りはご飯粒とお野菜だらけ。お野菜も、おかかも大好きなモモさんです、お椀もペロペロなめて、ぜーんぶ食べあげました。遅くなりましたが、ごちそうさまでした。

 モモさん、今日から2日間、おとうしゃんとおかあしゃんは、家を留守にします。いい子で、お留守番していてくださいね。

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新藍塘麺飽餐廳 香港

2013年06月14日 | 香港

雨、23度、93%

 香港で同じ場所でずっとお店を開いているのは、大変なことです。家賃の急騰もありますが人の好みの変化のはやさもまた、頗るはやい街です。香港島セントラルの路面店はここ2、3年でがらっと変わってしまいました。家族経営の店などやって行けない家賃の高さです。しかも、皆さん中国からの観光客の好きそうなものばかり並べた店になりました。

 堅道(ケインロード)は、そんなセントラルから上向きに15分も歩くとたどり着きます。この堅道から下セントラルまでは、SOHOといって一大飲食店街です。世界中の食べ物屋さんが結集しています。このSOHOですら、以前は、普通の住宅街でした。堅道の辺りも、新しい店ができては、つぶれて行きます。そんな中、20年以上も店の造りも変わらずやっているパン屋兼軽食屋が「新藍塘麺飽餐廳」です。看板が以前は、藍の色つまりブルーだったのが黄色に変わったぐらいで、店の造りは一向に変わっていません。向かって右手にパン屋、左手が軽食、ご飯の上にカツをのせたようなものを作っていて、店の奥で食べることが出来ます。そのまた奥でパンを焼いています。

道に面したパンのケースです。 このパンの種類だってちっとも変わっていません。昔からある香港のローカルのパンです。どのパンも柔らかくて甘め。柔らかすぎて食パンは中折れ、つまりちゃんと立っていませんでした。

 香港のパン事情、日本のパン屋が一大貢献しています。大手の工場生産の山崎パン、インストアーベイカリーならドンクにパナッシュ、リトルマーメイドなどがあります。日本のパン屋のパンは高くてもおいしいので、やはり人気です。こうした日本のパン屋の食パンはもちろんちゃんと立っています。ここ10年程、やっと香港の食パンも立つように焼く技術を学んだようです。日本のパン屋の進出前は、本当にたくさんの地元のパン屋がありました。立ったまま、歩きながらでも調理もしないで食べられるパンは、香港の生活にマッチしています。

 この新藍塘麺飽餐廳の近くに、日系の東海道アロームというパン屋さんが出来ました。でも、2年と続きませんでした。その次に、地元大手のマキシムのパン屋が出来ました。そこもつい最近店じまいしました。依然、新藍塘麺飽餐廳は堅道にドンと構えています。久しぶりに中に入ってみました。 中のケースには、ケーキが入っています。新製品のくるみのパイが紙皿にのせられて売られています。こういう気安がなんともいえません。下の段中央は、ココナッツのパイです。その右横はくるみ入りのパウンドケーキ、この2つ、香港のケーキの定番みたいなものです。

 パンのケースの一番上パンは、$8(90円ぐらい)で売られています。私が初めて買った時は$2,5でした。甘くて柔らかくて、歯にクッチョと付きそうなパンばかりです。お昼間は近くの学校の生徒たちで一杯です。夕方にもなれば、明日の朝のパンを買う人が並びます。

 モモさんが我が家に来る前のことですから、10年以上になるでしょうか、大きな台風がやって来ました。香港のシグナルで10でした。全ての交通機関は止まります。当然、デパートから銀行全部閉まっています。主人と家にいたのですが、天井の照明器具が揺れ始めました。なんだか怖くなって、台風の街に出てみました。人も車も通っていません。堅道まで降りて来ると、この新藍塘麺飽餐廳はお店が開いていて、湯気が立ちこめています。家族経営ですから、こんな悪天候だってお構いなしです。パンが焼けて出てきます。近所のおじさんたち奥で朝ごはん中です。こんな日ですから、パンが売れ残るかもしれません。主人と二人にしては多めにパンを買いました。

 日系のパン屋さんに行けば、見た目もきれいなパンがこの店の4倍ぐらいの値段で買えます。フランスのポワラーヌのパンだって飛行機でやって来ます。でもね、いつまでもここでこうしてお店をやっていて欲しいと、つくづく思ってしまいます。

 

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蓮のちまき

2013年06月13日 | 料理

曇り、24度、86%

 昨日は、端午節で香港はお休みでした。香港の数カ所で、ドラゴンボートのレースがありました。日本と同じように端午節にはちまきを食べます。日本の青笹のちまきとは違って、乾燥した笹の葉に包みます。甘いものからご飯代わりになるものまで、数種類あります。茹でて作るので中がべっとりとしています。鹿児島の灰汁巻きのような感じです。べっとりが苦手なので、滅多に買いません。

 そこで、我が家のちまきの登場です。30年近く作り続けて来た蓮のちまき、息子の運動会、お客時には欠かせないちまきです。季節やその時の体調によって味の濃さが変わります。

 餅米、3カップは、洗って水に30分程漬けておきます。干しえび、貝柱はケチらないで、沢山使います。 干しえびと貝柱、干した椎茸は、水で充分戻します。干し椎茸は大きさにもよりますが、5枚程。チャーシューは、香港なら街に出れば売っていますが、ブタの固まりを煮て作ります。

  今回はさっぱり目のブタ煮です。黒の粒こしょう、しょうがとお酒、お醤油で2時間ほど煮ます。これは荒くみじん切りにしておきます。しょうがはみじん切り、香港では葱頭というタマネギの赤ちゃんのようなものを微塵にしますが、なければ入れなくてもかもいません。

 オイルをひいた鍋で、しょうが干し椎茸のみじん切り、貝柱をほぐしたもの、干しえびを炒めます。ここに、チャーシューを入れ、大事なのはこれらの具を炒めながら味を付けることです。そうしないと、餅米にまんべんなく味がつきません。味付けは、オイスターソースとブタを煮た時の煮汁を使います。砂糖、お醤油で代用してもいいでしょう。その時は、目安が砂糖は大さじ1、醤油は大さじ4~5。若い方達が食べるなら。味付けはもっと濃くてもいいと思います。しっかりと、味を馴染ませたところで、水を切った餅米を加え、さらに炒めます。餅米が透き通るようになって来たら、椎茸、貝柱の戻し汁カップ1を加えます。さらに炒めると、あっという間に、この水分を餅米が吸ってくれます。餅米が水分を全部吸って重たくなったら、火を止めます。 炒め上がったところです。

 これを蒸し器で40分程蒸します。 

 蓮の葉っぱは中華材料の専門店で手に入ります。日本にいる時は、横浜の中華街で買っていました。ざっと水洗いして、湯がいておきます。 蒸し上がった餅米です。これを、蓮の葉に包みます。餅米3カップで、4枚の蓮の葉を目安にしてください。 このとき、銀杏やウズラのゆで卵を一緒にだかせます。今回、このちまきを冷凍にして、息子に持って行くつもりなので、ゆで卵は省略。傷みが速くなりそうです。包み方は、蓮の葉の大きさや破れ具合がありますので、工夫してみてください。蓮の葉に包んだら、後20分程蒸し上げておしまい。

 蓮の葉が手に入らない時は、アルミホイルで代用出来ます。

 チャーシュー以外は乾物で出来るので、材料のストックがあれば、意外にはやく作ることが出来ます。お客時には、蓮の葉に包んだ段階までを前日に済ませておき、お客様が見えて最後の蒸す作業をすると、台所も散らかりません。

 蓮の葉の香りは、私たち日本人には馴染みが少ないものですが、この香りなくしては、このちまきの魅了は半減です。葉っぱを、テーブルの上で開けるとき、フワッと香りが立ち上ります。 そして、いらしてくださった方が、あら!と声を上げてくださるのが、私の楽しみです。

 お客様の顔ぶれを考えて味付けをします。今回は我が家二人なので、さっぱりとしたちまきにしました。

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パグぐるい

2013年06月12日 | もも

曇り、23度、81%

 我が家にモモさんがやって来たいきさつは、随分前のブログに書きました。私は実は16年程前まで、パグという犬種を知りませんでした。実家にいたのはコリーと私が拾ってくる雑種。結婚して家に迎えた2匹の犬たちも、野良の雑種でした。パグなんて、私の身の回りにいなかったように思います。

 私のパグぐるいのきっかけになったのは、一枚の写真です。ナショナルジオグラフィックの小さな写真です。 マイクロティップを入れてドーバーを渡る犬、みたいな題名でした。ヨーロッパは地続きですから、車でどこでも移動出来ます。動物連れの旅行のために、マイクロチップはアメリカよりもヨーロッパではじめに広まったそうです。おそらくイギリス側でしょうか、飼い主の女性の足元に座るこの小さな犬、いや、全く不細工以外の何者でもありません。さて、この犬は何者?当時の香港、ペットショップなどほとんどありませんでした。とにかく犬を飼う歴史の短い香港です。そこで、この写真を切り抜き、日本に持って帰っては、お店の人に尋ねました。皆さん、パグのようだけどねえ、というお返事。耳はねてますからフレンチブルではありません。決めかねているのは、どうも目のようでした。 もう16年も私の手帖に入っていますから、ぼろぼろですが、この三角の意地悪ばあさんのような目つき、これはパグの目とは違いますよね。でも、パグらしいことが解ってからは、どこに行っても、パグを探します。写真のパグさん程めちゃくちゃひどい顔にはなかなか出会いません。

 香港に来てからは高層ビルに住みました。当時は、犬なんて飼っている人はほとんどいない香港でした。シャーペイという種類の野良犬は沢山いましたね。犬がいない生活を10年近くも続けました。香港にも、パグの姿見られるようになりました。でも、主人が反対です。主人も犬が好きですが、二人が一緒に家を空けるとき、犬をどうするかを考えなさい、とおっしゃいます。物を買ってくれ、とせがんだことのない私が実に3,4年、買ってくれ、と言い続けました。一度は中国シンセンの町中で、自転車にいろいろな種類の子犬をいっぱい乗せて売っているおじさんに出会いました。パグの子犬もいます。初めて泣いてまで、この時は買って欲しいと、主人に頼みました。目と鼻の先の香港ですが、どうやって連れて帰るのか?とおっしゃいます。いつも主人がいうことは理に叶っています。

 モモさんに初めて私が出会ったのは、彼が4ヶ月の時でした。小さくて、まじめそうで。でも、いつものように主人の反対にあいました。5ヶ月後、偶然通りかかったその店に、あら?まだパグがいます。少し大きくなっていますが、きっと、同じパグに違いありません。日本のペットシャップでは1歳を過ぎると、処分されると聞いたことを思い出しました。香港では、どうなのか知りませんが、あのパグはきっとあと3ヶ月で1歳です。

 このまま置いておくわけにはいかない、という思うで我が家に連れて帰りました。 モモさん9ヶ月、我が家にやって来た日の写真です。

 あのクロパグの写真を見て以来、実に16年、パグパグです。時間があれば、膝にモモさんを乗せて、You Tubeでパグの動画を見ては大笑い。完璧にパグぐるいです。

 でもね、あの写真のクロパグ程不細工な方にはお目にかかりません。

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シャガールを観に 香港

2013年06月11日 | 香港

雨、24度、98%

 今年も、香港はLe French Mayのシーズンがやって来ました。フランス文化祭とでもいう食文化から音楽、舞踊まで幅広くフランス文化の様々な催し物が行われます。5月から6月にかけて、しかも、ここ2年程はマカオを含んでいます。フランス領事館が主催で、数多くの協賛の団体で運営されていて、今年で21回目です。そして、年々催しの幅が広がってきました。昨年は、まさかと思うピカソ展がありました。ピカソ展の時にも書きましたが、絵画においては、音楽や舞踊に比べて香港で紹介される機会が本当に稀でした。大きな展覧会は見逃していないはずですが、私が、香港に住むようになって、まだ5本の指で数えられるくらいです。展示施設の問題があったようです。高温多湿の香港で、絵画を管理出来る文化施設が少なかったからだと、ごく最近知りました。

 今年はシャガールが35点程ですが、我が家から歩いて15分程のギャラリーで、展示されていました。 香港島セントラルから山向きに上がった、ウィンダムストリート、以前はペルシアンカーペットを売る店が建ち並んでいたこの街は、今では、ランカイフォンとソーホを結ぶレストラン街に変わりました。このギャラリーは私設のごく最近出来たものです。

 展示点数も少ないので、入場料は無料。私設なので、なんとドアマンが入り口でドアを開けてくれました。しかも観覧者は私ひとりでしたので、ありがたいことにデスクの女性が、全ての絵の説明をしてくれたという、おまけ付きです。

 「ソロモン雅歌」と日本ではいわれている絵の、ラバーズの部分の試作が色違いで2点ありました。「青い牛」「ニンフ」など初期の作品を見るのは初めてです。色の使い方も、筆致も変化が見られます。 ロシア生まれのシャガールは、結局はフランスの市民権をとって、フランスで亡くなったそうです。構図にしても色遣いにしても、シャガール独特な明るさが好きです。でも、どこかにロシアで育った片鱗が見られないかと目を凝らします。シャガールのように男女が寄り添う姿を書き込んだ画家も少ないでしょうね。

 香港のギャラリーで、まさかこんないい絵画が見られるようになるとは思ってもいませんでした。絵の説明をしてくれた女性の方、初め私に声をかけてくれたとき北京語でした。訪れる人は、地元の香港人より観光の中国人の方が多いそうです。なんだか寂しい話です。

 雨続きの香港、シャガールの深い青、微妙な赤の色が心に残ります。

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