チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

シマトネリコの木

2023年06月30日 04時58分34秒 | 

雨、26度、89%

 「シマトネリコの木」に花が咲いています。遠目には木の頭頂部に白い大きな雲のように群れている小さな花です。下を通ると草臭さの次にふっと甘い香りがします。いい匂いではないという友人がいますが、私は好きです。

 6年前に30年離れていた日本に帰国しました。新しい家や建物、物珍しく見ていると昔とは違うことに目が行きます。その一つが家の植栽でした。新たに自分の家にも木を欲しいと思っていたので、どんな木を植えているか興味津々でした。今風のお家のシンボルツリー、大きなビルやマンションの入り口にすっと姿の良い高木をよく目にします。「何の木かな?」当時よく出入りしていた植木屋さんに尋ねました。「トネリコですね、シマトネリコ。」

 冬場は落葉しますが、裸になっても枝の伸ばし方が綺麗です。新築のビルや住宅には「シマトネリコ」の姿が必ずあります。今風の建物に似合う木姿、流行の木です。我が家に新しく植えた木は果物や欲しいと思っていた「オリーブ」「ユーカリ」などです。古いこの家には昔からの木がたくさんあります。私より歳老いた木たちです。

 植栽にも流行があることを知りました。木々の種類や適応力も昔のそれとは違います。我が家の近所の昔からある家の庭には同じような木が植わっています。昔の流行だった木です。「松」「マキ」「モチノキ」「びわ」「梅」福岡の古い家の定番の植木です。新築のお家には似合わない木たちです。

 流行の「シマトネリコ」は花の季節を終えると小さな種を飛ばして、そこら中に芽生えがあるそうです。それが迷惑だと「シマトネリコ」の植樹を禁止している自治体があると知りました。「木には罪がないのに。」もうすぐ「シマトネリコ」が種を飛ばす季節になります。

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「カサブランカ」百合

2023年06月29日 05時10分56秒 | 

曇、26度、89%

 庭の「カサブランカ」が咲きました。大きな白い百合です。香りの強さは「咲いたよ。」と知らせてくれます。「カサブランカ」も帰国前から庭に植えようと決めていた花でした。

 10年前のお盆、母が逝きました。生前から血の繋がりのある私と息子にだけ見送って欲しいと言っていたので、二人だけで母を送りました。この家はちょうど改築中、屋根と柱しかない状態でした。お骨をお寺に預けて、私は香港に戻りました。

 香港の家に着いたのは夜、ドアを開けると「カサブランカ」が家中に飾られていました。五十本はあったかと思います。その白さ、その香りに疲れを引きずっていた私は安らぎました。主人の母への弔いでした。翌年もその翌年も命日には「カサブランカ」を抱えて主人は帰ってきました。

 九龍「太子」にある香港の花市、今思い出すと「カサブランカ」が一年中ありました。花までも輸入に頼っている香港です。早朝には世界中から集まって花が荷降ろしされます。「カサブランカ」はどこからきていたのかしら?確かめた記憶がありません。わざわざ花市まで出向き、主人は「カサブランカ」を求めてくれました。

 母の命日のお盆には我が家の「カサブランカ」は咲きません。日本に帰って以来花屋に行くことが滅多になく、果たして、真夏に「カサブランカ」が売っているのか知らない有様です。帰国後、仏壇を始末しました。「仏壇仕舞い」です。そのあとに大きな黄色い花の絵を飾っています。 昨日、母へ一輪供えました。

 たった一輪の「カサブランカ」が家中に静かな香りを漂わせています。私の大事な思い出の花です。

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りんご、アボガド、アンズそしてレイシ

2023年06月28日 04時59分00秒 | 庭仕事

曇、27度、89%

 以前から、食べた果物の種を土に埋める、つまり種を蒔く癖があります。香港の頃は「パパイヤ」、「レイシ」、「ドリアン」、「マンゴー」、「りんご」と土に埋めました。どれも発芽してくれました。「マンゴー」を除いては数センチで消えてしまいました。「マンゴー」は天井に届くほど大きく育ちました、成長が早く、大きくなり過ぎて手に負えなくなって捨てました。

 帰国してすぐに「アボガド」を次に「りんご」を食べた後、庭の片隅に種をポイと放っておきました。しばらくすると芽が出ていました。じっと待ちます。取り寄せた「アンズ」の種も同じようにポイ、順調に芽が出ました。

  「アボガド」は2メートルほど、この2年花をつけましたが、受粉が難しい。実を結ぶに至っていません。

 「りんご」は  60センチほどに伸びました。まだ花も咲きません。ある方が「りんご」が花を咲かせて実をつけるのには10年以上かかると教えてくれました。「桃栗3年、柿8年」の後に出てくるりんごは「ニコニコりんごは25年」というのだそうです。まだ随分時間がかかります。でも初めてです、こんなに大きくなったのは!

  「あんず」は3種類取り寄せました。ジャムを作るためでした。内2種類が芽生えて現在1メートル半まで大きくなりました。4年は経っていますが花をつけません。「あんず」は何年ぐらいで実をつけるのか?ご存知の方がいらしたら教えてください。

 そして先月主人が香港から持ち帰った「レイシ」の種を食べた後、庭にポイ。発芽しました。 香港でも幾度もこうして発芽させたのに、いつも消滅してしまいました。生き残ってほしいなあ。「レイシ」は皮の色と同じ赤みを帯びた芽が出ます。地面に這いつくばって、「大きくなって。」と声をかけました。

 寝ながら「レイシ」が大きくなることを考えていました。「どこに植えよう?」すでに私の頭の中では2メートルを越す「レイシ」の木が生えています。

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映画「怪物」

2023年06月27日 04時57分55秒 | 映画

晴、26度、88%

 映画「怪物」を見て来ました。先日、カンヌ映画祭で「脚本賞」をとった、是枝監督映画です。「脚本賞」って何なんだろう?と昔から思っていたことがこの映画を見て「脚本賞」の意味が理解できたように思います。

 先週、香港の主人が「怪物」を見て「いい映画だから見ておいで。」と知らせてくれました。主人も映画好きです。香港でいつも二人して足繁く通った映画館へ行ったようです。是枝監督の「海街daiary」を二人で見たのもこの映画館でした。人が多い土日は避けて、月曜日一番の上映のチケットを取りました。

 今を描いた映画です。子供の頃のことを思い出す映画です。主人公はと聞かれたら二人の男の子だと答えます。監督も脚本家も男性だから主人公は二人の男の子、もし女性監督、女性脚本家なら女の子が主役だっただろうと思います。小学高学年という年齢、微妙に心身ともに変化が起きる年代の子供です。自分自身がわからなくなるそんな年代の子供が描き出されます。

 安藤サクラさんの演技は是枝監督「泥棒家族」でもいいものを見せてくれました。今回も「お母さんってこうよね。」と子供を抱きしめる手を見ながら安藤サクラさんの実生活を感じます。

 諏訪湖を背景に映像が綺麗です。諏訪湖を山から俯瞰した景色は緑と湖面の香りを感じます。映画って五感に響きます。エンディングに流れる「坂本龍一さん」のピアノは心が静まります。

 「脚本」の良し悪しが映画を左右するんだと初めて感じました。意識して見たからでしょう。「脚本」=「お話」ではないのです。どう見せるか、どう訴えるか、「お話」を映画に仕立てるのが「脚本」なんだ、とこの歳で理解しました。

 怖い映画ではありません。「怪物」は誰の心の中にもいます。

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20代の湯のみ 40代の湯のみ 60代の湯のみ

2023年06月26日 04時58分30秒 | 身の回りのもの

雨、23度、92%

 食器棚を見ていると自分のこの40年間が見えて来ます。小さな小皿一つでも何処でいつ頃買い求めたものか覚えています。時にはその器を見た時の興奮まで蘇ります。女ですから皿小鉢が好きです。家計が大変な時でも遣り繰りして買ったものもあります。服の方が優先という友人もいました。私は皿小鉢だったかもしれません。

 湯のみ一つとっても、その年代の私の嗜好が見て取れます。 20代初めに買った湯のみ、薄もので自分用というより来客用です。5客無傷で揃っています。海を渡る引越しをしたにも関わらず健在です。20代に集めた食器はその後、手放した物が多いのですが、この「蓼」の絵と薄さ軽さで大事な湯のみです。手放した器たちも派手なものは少なかったのですが、地味な「蓼」の湯のみです。

 40代の頃は日本を離れていましたが、帰国すれば帰りの荷物に和食器が入っていました。並行して住んでいた土地では洋食器をセットで揃えていました。一番物欲が大きかった年代です。 この渋い「鉄赤」に惹かれて手に取った湯のみ、小向としても使えますが、冬の湯のみとして使います。あいにく2客しかありません。金銭で描かれた「松葉」を飽かず眺めます。

 60代に入ってすぐに帰国しました。「もう食器はいらないわ。」とうそぶいていましたが、折につけ心の琴線に触れるものを一つ二つと買い求めてしまいます。来客を意識せず主人と二人分、二個求めるようになりました。 たった一つしかなく形も歪なこの器、ここ1年ほど私の湯のみとして使っています。描かれているのは鳥、緑の木。大ぶりなので日本茶ばかりか紅茶も入れてしまいます。手のひらに包み、鳥の様子に微笑みます。

 磁器だけでなく土ものの「粉引」などの湯のみもその日の気分で出して来ます。それぞれの年代で買った「湯のみ」を並べるとこれはまた私の歴史です。色目の違いこそありますが好きなものは変わらないと実感します。今、食器棚にある器たち、どれもが愛おしいと感じます。大事にそして大いに使って残された時間を共にします。

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ユーカリの木

2023年06月25日 04時56分16秒 | 庭仕事

晴、23度、89%

 5年ほど前、北に庭を広げました。かねてから欲しかった「ユーカリの木」を植えてもらいました。「ユーカリの木」も種類豊富ですが昔からある小葉の「ユーカリの木」です。すでに大きく成長した木を植えてもらいました。翌年、台風で「ユーカリの木」は根を見せて倒れました。突っかい棒をしてもらいました。

 「ユーカリの木」がこんない大きくなるとは知らず、年々背が高くなります。春、必ず刈り込みます。今年も先月、切ったばかりです。梅雨に入り雨が降り気温が上がりました。切ったはずの「ユーカリの木」はまた電線に届くほど伸びました。長さにして2メートルです。切り口から脇芽がたくさん出ます。脇芽もグングン伸びます。その上、隣の「ミモザ」や「ツツジ」が一向に大きくなりません。一年に3回ほど私が枝を落とします。

 「チェーンソウ」を使わなくなりました。軽いよく切れる「手鋸」で切ります。 これをゴミ袋に入れるときは、 小型の「チェーンソウ」で切り分けます。庭仕事、大工仕事の便利な機械が今はたくさんです。

 「ユーカリの木」や月桂樹を切るとその香りに重い仕事も気が紛れます。ついでに私の通行の邪魔になっていた「青紅葉」も大枝を落としました。

 庭の木を切った後には必ずいく枝かを家の中にいけます。庭があるので、家の中の観葉植物を置かなくなりました。窓から見える緑で目を休めます。香りのある枝を家のそこかしこに置くと、空気が清浄化されたように思います。

 「青紅葉」は涼しげに床の間を飾りました。 玄関の間にも、

食卓にも、 

 「ユーカリの木」は玄関入ってすぐに目につくところに挿しました。私のデスクにも、 

 木ですので、長く緑を湛えてくれます。木を切った私へのご褒美です。

 腕の力が心もとなくなって大きな「チェーンソウ」をやめたのですが、軽い「手鋸」での作業、一晩明けると手指がガシガシです。「ユーカリの木」の枝落とし、今年もあと2度ほどやらなくては。そのたび家の中は緑に溢れます。

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義母の買い物

2023年06月24日 04時57分02秒 | 義母とのこと

曇、22度、89%

 お風呂掃除には液体洗剤を使わないのに手元に「マジックリン」の詰め替えが3つもあります。主人に家の家財道具の整理の終盤、封を切っていない洗剤のストックや調味料などでまだ使えそうなものは全て持ち帰りました。

 この3つの「マジックリン」家のあちこちから出て来ました。流しの下や洗濯機の横、使いかけの歯磨き粉などと一緒にありました。一つは真っさらなふきんの中に、もう一つは流し下の包丁の傍でした。義母が家を出て入院、その足で老人施設に入所して4年になります。4年前は「ヘルパー」さんに買い物、掃除をお願いしていました。「ヘルパー」さんに物が重複しないようにお願いしていたにも関わらず、こうして同じものがいくつも出て来ました。

 「義母の買い物」の癖です。この家の嫁になって46年、当初義母は50歳になったばかりでした。東京から戻ると一緒に買い物に行きます。スーパーで手当たり次第に商品をカゴに入れる義母を見てびっくりでしました。家に帰ると開けてもいないケチャップが三本あるのにまた買っています。買い置くつもりではないようです。つまり、「義母の買い物」の癖です。冷蔵庫を開けると生物が腐っていたことも度々でした。義父が逝って一人暮らしになっても、買い物の量は変わりませんでした。主人が幾度も無駄にしないように話していました。私も腐った食べ物を見ては溜息。

 家財道具の片付け中、いろんなものでこの「義母の買い物」の癖を見つけました。使いかけてはまた新しいものを次々に買う癖です。口紅、洗剤、調味料は蓋を開けたままのものまで出て来ました。50年近く変わらなかった「義母の癖」です。

 以前の私はうんざりしていました。ところがこうして「マジックリン」を三本並べて、今は大笑いです。「お母さんらしいなぁ。」

 先日、義母を街に連れ出す機会がありました。住み慣れた街を車で走っているのに「ここ何処ね?」会う度会う度、記憶の欠落が進んでいると感じます。折り詰めに入った「鰻」が膝の上に乗っています。「忘れずに今日中に食べるのよ。」ほんの5分もしにうちに「これ何?」と折り詰めを見ています。

 施設に戻ると丁度昼食の時間でした。テーブルに「鰻」の折詰をのせました。いつものように「また来るからね。」と義母を抱きしめます。「最後までそばにいるからね。」と呟くと「わかっとる。」

 「義母の買い物」の癖を思い出して涙する日がいつかやって来ます。46年、私も変わりました。

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グラッパグラス

2023年06月23日 04時54分26秒 | きれいな形

曇、22度、88%

 年々ワインの量が減っています。それでも毎晩いただきます。大きな「ボルドー」用のワイングラスはお安いワインでも美味してくれます。 グラスを近づけるとワインの香りが立ちます。薄いグラスです。よく割りました。

 量が少なくなったので一昨年、小さなワイングラスに変えました。「ファンファーレ」という名前を持つグラスです。 雫のような彫りがワインの色に弾けます。大きすぎず、手頃な大きさでした。

 そしてまたワインの量が減っています。以前から「グラッパ」用のグラスの姿が好きでした。「グラッパ」はイタリアの食後酒です。ワインの搾りかすから作られるそうですが、度数の高い蒸留酒です。「グラッパ」を飲むわけではありません。あれだけ好きだった「ウォッカ」もここ数年、全く口にしていません。ただ「グラッパ」グラスの形と手にした時の感覚が好きです。それに入る容量がずいぶん少ないグラスです。私のワイン用にと買い求めました。 一番手前が「グラッパ」グラスです。

 お酒は酒器によって、味が変わります。日本酒も盃の広がり方で香り方が違うそうです。少なくなったワインの量には「グラッパ」グラスは最適です。さてお味は?いつものワインを注ぎ口に持って行きました。くびれのある「グラッパ」グラスから香り立ち。あれ、美味しい。ついついいく杯も飲んでしまいます。少なくなったはずのワインの量がまた増えてしまいました。

 主人に日本酒に使ってもらったことがあります。主人、首を傾げていました。日本酒には向かないのかもしれません。暑くなると白ワインも登場します。「グラッパ」グラスは白ワインには合うはずです。

 グラス類は洗うのに気を使います。それがまたいいのかもしれません。重いカットグラスでワインを飲んでいた頃もありました。グラス専用の食器棚にはカットグラスのワイングラスも並んでいます。一人のお夕飯に添えるワイン、好きなグラスで適量を、数年前まで思いもしなかったことです。お客様がみえたら久しぶりにカットグラスをずらりと並べましょう。しばらくは「グラッパ」グラスが私のワインのお供をしてくれます。

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いちじく!

2023年06月22日 04時58分19秒 | おやつ

曇、23度、93%

 私の好きな「いちじく」!おやつにたくさん食べました。まだお店に「いちじく」は並んでいません。庭にある「いちじく」の木には大きな「いちじく」がぶら下がっています。 一つ200グラムほどの大粒です。「いちじく」は花を咲かせないで実を結びます。「いちじく」の中のジャリジャリしたところが花だそうです。それだけでも不思議なのに、旧い枝についた実は「夏果」と呼ばれこうして早い時期に大きく育ちます。 商品化される「いちじく」は今年伸びた新しい緑の枝につく「秋果」と呼ばれるものです。

  ひと月前からネットをかけてカラスから実を守っています。成長の早い「いちじくの木」は今年は一番上には手が届きません。そこでトッペンのいちじくの実はカラスに上げることにしました。今年伸びた緑の枝にはすでに大小の「秋果」がついています。

 雨を吸うと甘さが薄くなると、一昨日の夕方いくつも収穫しました。もちろん昨日のおやつは「いちじく」でした。雨を見ながら、「ジャリジャリ」、私の夏の大事なおやつです。実が熟れ始めると木の側に寄っただけでも甘い香りがします。

 今から11月ごろまで、毎日ネットの中を覗きます。生で食べる、炒める、煮る、保存用に乾燥させる、ぬか床に放り込む、今年も「いちじく」さん、たくさん実ってください!楽しみな季節が始まりました。

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スズメの死

2023年06月21日 05時11分09秒 | 

雨、23度、84%

 昨日の朝、いつものように庭をぐるりと回りました。北側の庭、梅の古木の下に「スズメの死骸」がありました。前日の夕方にはなかったのに、「スズメの死骸」は傷みがひどいと感じました。 庭のどこかに葬ってやろうと思いましたが、鳥インフルの可能性もあります。ビニールに包んでゴミに入れることにしました。小動物の死を見るのは久々のことです。

 家に入り、気が沈んでいる私を見つけます。床の間には青梅のなった梅の木に親子スズメが3羽の掛け軸がかかっていました。 今年も梅の木にこうして集まって来ていたスズメたちです。掛け軸を外しました。

 スズメの寿命がどのくらいかは知りません。野生の動物の「死」は日常的にどこかで起きているはずです。ただ私たちが知らないだけ、目にしないだけのことです。「死」はいつも身近にあることだとすっかり忘れていた私です。カラスにいじめられたのでしょうか?死骸が梅の木から落ちたのでしょか?スズメの最期を一人思います。

 一羽一羽、顔を知っているわけではありませんが、ぐるりの庭にはスズメが一年を通してたくさんやって来ます。北の庭には何かしら小さな実があります。水を飲む甕もあります。私の出入りの少ないこの庭で寛ぐスズメを目にします。嬉しい光景です。裏庭に来るスズメも数知れません。布袋草が浮かぶ甕で水を飲むスズメ。この春先は芝の種を蒔きました。ある時大勢のスズメが地面を突いて行進しています。「?ミミズかな?」どうも芝の種を食べていたようです。おかげで今になっても芝は芽生えません。「まあいいや。」

 裏庭の「枇杷の木」は背が高く毎年実を鳥にやることにしました。例年はカラスが目敏いのですが、今年はスズメがゆっくりと枇杷を食べる姿を目にします。群れて来て、小さく枇杷の葉を揺らすのでスズメだとわかります。見出し写真中央にスズメがついばんでいる姿があります。

 自然界の死は当たり前、今更にそのことに気づきます。人間だってその自然界の一部です。「死」と隣り合わせで生きていること、久しぶりに気づかせてくれた「スズメの死」でした。

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