チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

数十年ぶりにストレッチャーに乗りました。

2015年02月28日 04時50分06秒 | 日々のこと

小雨、17度、90%

 この2月、私はめまぐるしい生活をしました。先月終わりまで続いた、朝から一心にチクチクをする穏やかな毎日が嘘のようでした。この四週間、時間は飛ぶように過ぎて行き、実際に私も幾度も飛行機に乗り飛びました。

 月初めに見た不正出血、日頃病気もしない私ですが、年齢も考えて、即座に病院で診断を受けました。子宮頸癌の細胞検査、エコーによる検査は全てクリアーでした。当然、何が出血の原因かと考えます。見てくださった先生は、最悪の子宮体癌の心配があるとして、内視鏡と内膜掻爬による細胞検査をするとおっしゃいます。以前も書きましたが、この病院の常駐の婦人科の先生ではありません。たとえ手術をするにしても、明日というのではなく、予約が必要です。その上、香港は旧正月のお休みが入りました。

 不正出血を見たときから、いざのときは全摘も自分の視野の入れて考えていました。不思議と心が騒ぎません。その反面、どうしても、体に異常があるとは思えないほど、私の体を尋常と同じに感じます。それでも、年齢、今まで病歴が全くない事、やはり、きちんと調べてもらう事にしました。

 主人は日本ですべてを運びたいと言ってくれます。けど、私はこの香港人の女医さんを信頼できると感じます。ありがたい事に、私は、歯医者さんをはじめ、香港で出会った医者に恵まれています。どんな事になろうと、この土地で地元の先生にみてもらおうと、一人心に決めていました。

 内膜掻爬のための手術は、旧正月明けに決まりました。半日の入院で退院できます。朝からの手術に備えて、半日の絶食です。主人は日本、病院は歩いて10分もかからない所にあります。モモさんにちょっと長いお留守番を頼んで家を出ました。

 半日の絶食のせいで、お腹は空きに空いています。空き腹ですから、体温が下がって寒く感じます。ストレッチャーののせられて、病院の廊下を手術室に向かいます。病院の廊下の天井を見ながら、最後にストレッチャーに乗ったのはいつの事だったかと思いますが、思い出せないほど昔の事です。

 麻酔の医師が注射をしてくれて目が覚めるまで、時間にしたら40分ほどでした。7人の大部屋で横になっているのは、2人だけ。お向かいのベットの女性はスヤスヤお休みです。私も寝たいと思いながら、お腹があまりに空いているので、目が冴えています。看護婦さんにお腹が空いたと、幾度言った事やら。麻酔が効いている間の飲食は危険が伴うのは知っていますが、寝れないのでかえって食べ物の事ばかり考えます。

 やっと出してもらったのは、お丼一杯のおかゆでした。がっついて食べる私に、看護婦さんも掃除のおばさんまでが、ゆっくり食べなさいとおっしゃいます。お腹が空いていたらどんな食べ物でも美味しいといいますが、その事は嘘だと思って食べました。ちっとも美味しくなかった。

 お腹が一杯になったら元気になって、家に帰ろうと思いました。少し頭の奥が霞んでいますが、足取りは大丈夫。そんなわけで、家に返してもらいました。もちろん歩いて帰ります。帰り際に、くれぐれも2日間は運転をしないようにと注意されました。自分では、普通のつもりですが、なんだか車の運転は危険だと頭のどこかで声がしています。

 この内膜掻爬の手術は、慌ただしかった東京への帰国の2日後、そして、この手術の2日後には、またしても飛行機の乗って福岡に帰りました。

 福岡から香港に戻る前の夕方、香港から電話が入りました。番号から病院だと分かります。でも、バスの中、電話をとることが出来ません。下りてすぐにナースステーションに電話をしますが、5時過ぎでクロウズしていると音声が流れます。電話がかかるという事は悪い知らせではないと内心思っていました。悪い知らせなら、次の週に予約している先生との面談のときのはずです。そうこうするうちに、主人から電話です。私が繋がらないので、家に電話をくれたようです。検査結果は、クリアーでした。

 病気を殆どしませんが、小さな痛みですら、気付いた事はメモするほど敏感に体の管理をしています。その反面、体の持つ自浄力や自然な治癒力も信じています。

 不正出血を見て、全ての検査結果がクリアーするまで、三週間。家族の者に心配をかけました。一人一人の顔を思い浮かべては、ありがとうと言います。もちろん、モモさんにも。最後に浮かんで来たのは、ある道でした。私が毎朝走る道、あの道の木々、小さな動物、空気が私の体だけでなく心も育んで来てくれました。ありがとう。

 これからは、まだまだ、こういう体の不具合が出て来ると思います。どんな時も、慌てずに平常心でその時を迎える事が出来るようにと、祈ります。

 私の体調以外にもたくさんの大きなことがあった2月でした。無事にこの月を過ごせた事に感謝します。

 

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お墓の前のスイートピー

2015年02月27日 04時13分39秒 | 日々のこと

晴れ、5度、66%

 先週、福岡に東京から戻ったときは、なんと福岡滞在5時間でした。羽田の始発に乗って、午後一時の便に乗ってまた羽田に帰りました。5時間の間、大事な用事を済ませる事が出来ました。しかも、福岡の空港から地下鉄に乗り、終点まで。この往復のみの移動でした。私にしては珍しく、実家のお墓参りには行きませんでした。

 最後にお墓に行ったのは、そうそう、12月の初旬でした。年末だからと、墓周りの伸びすぎた千両やシキミを刈り込んでおきました。もっさりしているのはどうも良くありません。大きな大きなクスノキの下に、まるでそのクスノキに抱きかかえられるように建つ実家の墓です。夜半からの雨も朝には止みました。午前中の大事な用事も恙無く終わりました。いつものように、お墓にすっ飛んで行きました。

 墓地の奥手のクスノキ、お寺の中には見上げる程のイチョウの木が何本もあります。このイチョウの四季折々の変化を子供の頃からずっと見てきました。今は新芽をしっかり育み真っ裸。可愛い新葉をつける時、深い緑が映える時、紅葉を始める時、ぽてぽてとギンナンを落とし始める時。どの時期のイチョウも私は好きです。母の逝った後、残務整理を終えて墓地に足を踏み入れた私が見たのは、長い長いまっ黄色な道でした。一晩で落ちたたくさんの黄色の葉っぱをそっと踏みながら墓に向かいます。この黄色い道は、私へのご褒美だと思いました。お疲れさん、って。

 昼下がり、静かな墓地でした。墓の前に立つと、花束が花立てに、正面にはお酒のカップが一つ。

 私が12月の初めにこの墓を訪れた後、主人と息子がそれぞれ一人で墓を参ってくれています。年初め、忙しい仕事の合間を縫って、主人が墓に参ってくれました。父の好きなお酒を一つ。

 先週、福岡に来ていた息子は、飛行機に乗る前のほんの短い時間を使って、墓に参ってくれたようです。線香立てには、息子があげてくれた線香の一束が、夜の雨を吸って残っています。私が墓の前に立つ時、花がある、供え物がある事はありません。掃除も始めず、墓を見つめていました。その時、小菊の花束の中に優しいクリーム色のスイートピーが一本、目に留りました。

 色も形も優しいスイートピーの花です。思わず微笑みたくなるようなその姿に、この私、涙が出てしまいました。この花束を持って来てくれた息子は、きっと、墓の中の者に話しかけながら、線香に火をつけたでしょう。お酒を供えてくれた主人も、きっと墓の者に話しかけてくれたはずです。いつも私がするように。

 この墓に眠る人たちは幸せね、と思いながら、その墓を見る私も、暖かなものにフワッと包まれるのを感じました。

 香港にはスイートピーの花がありません。久しぶりに見たスイートピーの花でした。

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しょうてんどん  上天丼

2015年02月26日 07時36分05秒 | 日々のこと

雨、8度、92%

 昨日の事です。おそば屋さんのお品書きを見ていました。ある方は鍋焼きうどんがいいとおしゃいます。ある方は、カツ丼が食べたいとおっしゃいます。丼物は上から安い順に、卵丼、親子丼、木の葉丼、天丼、他人丼、上天丼と書かれていて、その方が食べたいカツ丼がありません。「カツ丼がないなんておかしいね?」と幾度も上から見ますが、ないのです。そのうちに、私が「木の葉丼、ってどんなの?」と尋ねます。また私、「他人丼って、どんなの?」そしてまた私、「しょうてんどん、ってどんなの?」と上天丼の文字を指差して、尋ねます。

 帰国しても、おそば屋さんなどには滅多に行きません。ましてや丼物のメニュウなど見もしません。知らない丼物ばかりです。カツ丼を食べたい方は、私の質問なんかには上の空、必死でカツ丼の文字を探しています。そのお品書き、半分上は写真で、お勧めのおそばや丼を紹介していて、やっとその中にカツ丼を見つけました。「やっぱりあるじゃないねえ。」そこで、他人丼、木の葉丼、しょうてんどんはどんな食べ物かと談義が始まりました。

 他人だから、卵とブタよとか、卵と牛よとか。でも木の葉丼は分かりません。この葉の形をしたかき揚げがのってるに違いないなどと、私ひとりで喜んでいます。でも、しょうてんどん(上天丼)は想像もつきません。お値段も一番高くて800円。しょうてん、上の天だからすごいものがのってるねえ、とこれまた一人はしゃいでいる私です。カツ丼を頼んだご仁も、木の葉丼、他人丼、もちろん、しょうてん丼も分かりません。

 スマホで検索すると、他人丼はやはり、ブタや牛肉を卵でとじてのせたもの。木の葉丼はかまぼこやさつま揚げを卵でとじてのせたもの。ふむふむ。納得。

 そこで、しょうてん丼とひくと、天丼の小さいもの。小天丼と出てきます。「字が違うわよ、上天丼よ。」と叫ぶ私です。そこで、やおら、鍋焼きうどんのご仁がお品書きを見て、私に「真奈さん、これ、上 天丼よ。」と言われても、まだ何がなんだか分かりません。「天丼の上よ。」と言われて初めて、納得する私です。

 上、を「しょん」や「しょう」と広東語読みする私。天ぷらやお鮨には上や並がある事すら、忘れかけている私です。さんざんみんなで笑い転げました。どんなすごい丼かと思いきや、「何だ、天丼の少しいいものね。」と自分でもおかしくなります。

 日本を離れて永いとはいえ、しょうてん丼を短い時間夢見た私は、日本に帰ってもやって行けるのでしょうか。自分の将来が急に不安になった昨晩でした。

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2015年02月25日 05時04分50秒 | 日々のこと

ガス、19度、97%

 私のブログが、FacebookやTwitterと連携されたのは何時の事だったでしょうか。ブログの投稿ボタンを押すだけで、FacebookやTwitterにアップされます。TwitterやFacebookを非常時の連絡網にと開設したものの、投稿しないとこんなお友達がいますなどとメールがやって来ます。毎日ブログが自動にアップされれば、そんな事もないだろうと鷹を括っていました。つまりFacebookやTwitterの本来の使い方をしなくても済むわけです。

 ところがFacebookは、コメントを書き込んでくださる方がいます。少ないお友達のうちの一人や全く知らない方からのコメントも入ってきます。コメントを頂けば、お返事します。書き込まれるコメントは、意外に皆さん長い文章で書いてくださいます。「可愛い!」とか「いいですね。」とかではなく、こう思うと書いてくださるわけです。ですから、私も勢い長いお返事を書いてしまいます。

 数日前、ブログにしばらくブログのアップをお休みします、と書きました。実は、私の間違い、Facebookのコメントの返事をお休みしますという意味でした。だいたい、毎日同じ時刻にアップされる私のブログ、時間が遅くなっても、私の健康を気遣ってくださる方がいます。ましてやアップされない日があると、ご心配のメールや電話まで頂きます。

 自宅にいるときは、インターネットの接続の問題はないのですが、旅先では屢々、ネット環境の悪いところを通過します。いつものアップの時間帯に飛行機に乗っていることもあります。いろんな理由で、ブログのアップが遅れたり、スキップしてしまいます。

 この3日程、Facebookを全く開けませんでした。その時の、携帯の表紙です。ずんずん増える赤丸の数字に、やっと昨日、お返事を返す事が出来ました。私のような年のものが、携帯のFacebookを開けてパチパチと打ち込む事が不謹慎な場面もあります。

 それなら、FacebookやTwitterを止めればいいものですが、未だに、3年前の大震災の時、東京にいる息子の安否を心配してると、Twitterで息子のメッセージが入ってきました。あの時の安堵感が忘れられません。電話も、メールも通じなかった時に、Twitterだけは唯一の情報手段でした。

 まだ、ここ数日、私のブログのアップの時間帯がずれ込む事になりそうです。どうか、ご心配なく、相変わらず元気にしています。

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キャセイパシフィックラウンジ 羽田国際空港

2015年02月24日 05時44分35秒 | 旅行

ガス、18度、96%

 先日の帰国は久しぶりに羽田空港でした。関東に帰るのも、お家の場所によっては成田が便利な方もいらっしゃるでしょうが、羽田の便利さは、都心部へのアクセスの良さです。そのせいで、今や香港、羽田便は予約殺到の便です。今回、羽田にタッチダウンして、羽田から飛び立つまでの正味の時間は、2日弱、しかもその間に、福岡に5時間程行きました。

 いよいよ、香港に帰る為に羽田に着くや、ゆっくりする為にキャセイパシフィックのラウンジに向かいました。主人からキャセイのラウンジが独立してきれいになった事を聞いていました。それまでは、同じワンワールドグループの日本航空のラウンジを使っていました。

 空港建物の6階、受付を過ぎるなり、前面ガラス張りの窓から見える景色は最高です。お天気が良かったせいもあり、スカイツリーも見えています。主人は富士山を見たそうです。おそらく200°近い広角を持っている景色です。早速、オットマンの付いた深い椅子を占領。

 まずは、コーヒーマシーンへ。豆を碾き同時にコーヒーを入れてくれるこの機械は、今やどこのラウンジにも見る事が出来ます。豆もいいのでしょうが、このコーヒーマシーンの前で、エスプレッソにミルクを入れて2杯立て続けに飲むコーヒーは、一遍に目を覚ましてくれます。

 キャセイのラウンジには、ヌードルコーナーが必ずあります。ヌードルと小さな点心。頼むとそこから作ってくれるヌードルです。コーヒーマシーンの横のカウンターがそのヌードルコーナーになっています。 こちらがメニューです。メニューを見ていると、横から、お姉さんが、「オークラホテルのシェフが香港と同じレシピでお作りしております。」と声をかけてくださいました。嬉しや嬉しと、一番香港らしい、雲呑麺とチャーシュウパオを頼みました。頼むと、 こんな機械を渡してくれます。これも香港と同じ。この機械がビリビリと赤い信号を発すると、注文したものが出来上がっていますので、カウンターに向かいます。

  はい、こんな感じです。わー、香港のより随分きれいに盛りつけられています。もうワクワクの私です。もちろん麺から頂きます。スープを一口、まず、ここでガックリ。あの深い海老の香りがしません。次に雲呑をガブリ、ここでたいそうガックリ、雲呑の中身はパサパサの豚肉です。香港の雲呑はプリンとした海老が入っています。次に、麺をすすります。この段階で頭が垂れ下がってしまう程、ガックリしました。麺の細さはいいのですが、あのやや堅めの芯が感じられません。茹で時間が長いのか、日本で作られた麺かも知れません。

 はい、気を取り直して、チャーシューパオにかぶりつきました。飲茶を売り物にする店で味の決め手、そこ店の善し悪しを決めるのはチャーシューパウなのよ、と香港人の友人が教えてくれて以来、初めての店に行くとシャーシューパオを頼みます。香港のチャーシューはやや甘めですが、ご飯にもパンにもそしてこんな饅頭にも、相性のいいチャーシューです。しかもやや脂がのっていなくてはなりません。これまた、最初のガブリで、ガックリ。甘さも脂身も感じません。品がいい?品が良くて美味しければいいのですが、この2品、品の良さばかりが先行しています。

 全体に、香港のラウンジに比べるとメニューが大幅に少なく感じます。香港のキャセイのラウンジは、ほぼビュッフェスタイルです。どうぞお好きなだけ、といったおおらかなラウンジですが、この羽田のラウンジは、いかにも日本的。小さく盛られたフルーツ。小さく盛られたサラダ。まるでデパートの個食総菜売り場を思い出します。

 香港のラウンジでは、果物は丸のまま、ケーキは切られてラップに包まれています。サンドイッチも薄紙に丁寧に包まれています。このラウンジから、長距離飛行便に乗る人もいるわけです。そういう方は、果物、サンドイッチを出掛けに荷物に入れて行かれます。

 羽田のラウンジは、どこを見ても、そうした持ち運びできそうな品はありません。私、随分とこの羽田のラウンジに長居したのですが、パソコンと携帯片手に仕事ならぬ仕事を片付けておりました。気が付くと、、もう、搭乗時間が迫っています。そこからがさすが、60も近い厚かましい私のする事です。チーズなどの小さなバーがあります。パンに生ハム、スイーツがあり、カウンター内のお姉さんがサーブしてくれます。そのカウンターに行き、ケーキをキッシュを持って行ってもいい?と尋ねました。いえ、半強制的です。尋ねながら、片手にはナプキンを拡げています。はい、もう片手にはトングも握っています。お姉さん、「そう仰る方もいらっしゃいますので、そっと」と言ってくださいます。ところがそのお姉さん、カウンターの下に手を伸ばしたかと思うと、取り出して来たものは、なんと、サランラップでした。「油染みが付くといけませんから。」と控えめに、私が取り分けたものを包んでくれました。こればっかりは、さすがオークラホテル、いえ、さすが日本です。大事にバックの一番上に入れました。

 シャワー設備のありますが、もちろんお手洗いは必ず行きます。 香港の四角いトイレに嫌気がさしている私です、普通のトイレを見ると、何やらホッとします。シャボンやハンドクリームはジュリークのもの。左に見える真鍮の丸いものに手をかざすと、水が出ます。蛇口も真鍮で、このトイレは頗る感じよく思います。トイレの掃除のおばさんはいませんでしたが、きれいなトイレです。

 さて、もう3日も前に行ったラウンジの事を急に書く気になったかというと、昨晩、 こんなメールが送られてきました。羽田のラウンジの調査アンケートです。新しくオープンしたばかりのラウンジです。これから、利用客も増えるはず。かなり長いアンケートに真摯に繕わずに思った事を書いて送りました。

 頂戴して行ったケーキやキッシュは、まずい機内食を殆ど食べずに、両隣の方に気を使いながら、パクパク。

 チキンキッシュとほうれん草のキッシュです。大きさは、三センチ程の一口サイズ。チキンはまずまず。ほうれん草のキッシュは青汁を固めたようなものにアクセントにナッツが入っています。見出し写真が、キャラメルコーヒーケーキ。これも三センチ程の小さなもので普通に美味しく頂きました。

 ラップに包んでくれたお姉さんの感じの良さとトイレのデザイン、景色の良さが印象に残るラウンジです。

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おひな様を飾りました。

2015年02月23日 05時08分17秒 | 日々のこと

雨、18度、97%

 昨日から、この時期にしては珍しく、まとまった雨が降ります。雨に霞んで見える香港の高層ビルを見ていると、急におひな様の顔を見たくなりました。

 このおひな様を実家の整理の時に見つけるのに、一苦労をした事は幾度も書いてきました。どこにもそれらしきものが見つからない、母は、整理やものを維持する為の手入れが全く出来ない人でした。本も服も家具も買うばかり。大きな茶箱にガラスケースとともに、ひっくり返って入っているのを見たときは、情けないと思いました。何十年ぶりに出会ったおひな様です。

 おひな様の御髪は乱れて抜け毛が見えます。そんな事言っていられません、私のおひな様です。和紙にそっと包んで、私のトランクに入れて香港に持ち帰ったのは2年前の事でした。

 牛車などのお道具も見つかりましたが、塗りは剥げて傷みがひどいので捨てました。私に手元に残ったのは、このお内裏様とおひな様だけです。最近のおひな様、住宅事情で小ぶりになっています。おひな様も時代時代で、流行があると聞きました。目の描き方一つ、その時代の目があるのだそうです。とはいっても、バービーちゃんのような目のおひな様は、生まれるはずもありません。

 私のこの木目込みのおひな様、結構大きな物です。お内裏様などは持ち重みがあります。一年に一度、この一度を大切にするのが日本人のよい所。しかも、女の子にまでその子の将来の幸せを祈る民族です。今なお、女の子は虐げれれている多くの国がある事を思います。幸せな国に生まれました。雨のせいでしょうか、とりとめのない事を考えてしまいます。

 もう一つ、18歳で家を離れたときから、ずっと一緒のおひな様が、 あわせ雛です。蛤の裏に描かれた一対のお内裏様とおひな様、ピッタリと合わせることが出来ます。ゆかしい日本の伝統です。

 日本に帰国したら、おひな様の御髪を修理に出そうと思っています。いつか、ボサボサ頭でないおひな様をお見せする日が来ると思います。私のおひな様も、半世紀以上の歴史を身に纏っています。

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豚肉屋の赤い灯り 香港

2015年02月22日 12時41分53秒 | 香港

曇り、22度、88%

 香港、今日は年初四、お正月4日目です。暦の上では、正月三が日が公共の休日です。今日は日曜日、おまけのお休みです。公共の休日のみがお休みなのは、公共機関だけ。長いお休みは10日から20日まで続きます。学校も、暦通りではなく、中国大陸に戻って親戚と正月を祝う子たちが戻って来る、来週からという学校すらあります。

 見出し写真はお店のシャッターに貼られた、いつからお店を明けるという知らせです。このお店「初5啓市」と書かれていますから、暦通り明日からお店が開きます。この旧正月のお店の休みも、昔に比べると短くなりました。「初十日」などと書かれている店が少なくなりました。日本も昔は、お正月長いお休みでしたものね。

 来た当初は、どこもかしこも閉まります。買い置きはもちろん、食べ物の作り置きもしました。バナナなんて、旧正月が明けて入って来ても食べれない程真っ青でした。今ではセブンイレブンもいつものように開いています。スーパーも元旦の午后からは開きます。「利是」と呼ばれるお年玉を目当てに、デパートもお店を開けるようになりました。買い置きもしません。レストランも特にイタリアンやフレンチは旧正月関係なくお店を開けています。

 個人でやっている商店や市場のお店は、やはり閉まる所が多くあります。以前はどこも閉まって寂しくなる市場に、ただ豚肉屋さんだけが赤々と電気を付けて商売していました。 毎年、香港人の知人に何故豚肉屋だけ開いてるのか聞こうと思いながら、今になりました、今年こそは聞かねば。この豚肉屋の灯りは普段は感じないのですが、人が殆どいない市場に煌々と見えます。それが明るい印象かというとそうではないのです。逆さまで、うら悲しく見えるのです。私だけの印象かもしれません。

 香港の大きなブランドものが並ぶモールは、人出がまずますです。黙って歩いていると、耳に飛び込んで来るのは殆ど北京語、地元の広東語ではありません。観光客だらけの香港の街です。

 旧正月にしか上がらなかった花火も、年に三回もあがります。獅子舞も時間が短くなって、生きた魚などが投げられるシーンはもう見られません。確かにクリスマスよりきれいなイルミネーションです。真っ赤なチャイナドレスを着る女性も少なくなりました。

 私が将来、香港の旧正月を思い出すとしたら、豚肉屋の赤い灯りのような気がします。ちょっとセンチな気持ちです。

 

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数日お休みします。

2015年02月21日 05時36分42秒 | 日々のこと

小雨、17度、94%

 おはようございます。昨晩、無事に香港自宅に戻りました。モモさんが体を半分に折るようにして、しっぽフリフリのお出迎えでした。もちろん、その後ベロベロ攻撃。

 数日、ブログを休みます。私は元気ですので、どうかご心配なく。

 香港、年初三、お正月の3日目です。

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忙しい一日 羽田に3日続けて

2015年02月20日 04時37分43秒 | 日々のこと

晴れ、3度、東京

 今回の私の帰国の予定、18日の旧正月大晦日の午後、羽田行きに乗る事から始まりました。もちろん目的は、おひな様の刺繍の額を孫に届ける為でした。予定通り行くと、昨日は孫と会って、今日の午後香港に戻るつもりでした。これだけでも、かなりきつい予定です。ところが出発の日の午前中、予定を変更するはめになりました。

 香港から羽田に着いたのは、夜の10時近くでした。今回の一番の目的は、おひな様の額を届ける事、もしかしてそれが出来ないかもしれないと思い、空港には、息子が迎えに来ていました。まず、おひな様の額を渡しました。これで、私は一安心。ホテルに入ったのは、もう日付が変わろうとする頃でした。

 明けて、つまり昨日、私が起きたのは朝の3時半、モーニングコールを頼んでいましたが、電話が鳴ったとき、一体なんで電話が鳴っているか分からない程、短い眠りです。でも、ピコンと飛び起きます。

 高層ビル街の早朝、4時過ぎにはホテルの前でバスを待ちました。行く先は、羽田。急遽の予定変更です、私は福岡に行く為のチケットなど持ちません。まあ、この時期ですから、始発には乗る人も少ないはずです。6時15分発の飛行機、20分前に羽田に着きました。チケットを買って、飛行機に滑り込みました。飛行機はガラガラ。

 福岡に着くと、雨は降っていますし、東京よりの気温が低い。空港から地下鉄に乗ります。着いたのは、朝の8時過ぎです。さあ、この地下鉄を降りた場所で用事を済ませました。その間タクシーに2回乗りました。用事を済ませるとまたしても、地下鉄に乗り向かうのは福岡の空港です。時計を見ると、午後一時の飛行機には間に合いそうです。もちろんこの飛行機は東京に戻る飛行機です。朝買い求めたチケットは、当日の往復で帰りはオープンにしてもらっていました。チェックインの時、アテンダントのお姉さんに、「お客様時間がございません、お急ぎください。」と言われ、搭乗口まで走ります。早朝の便とは違って、満席です。一時間半後、又しても羽田に到着。

 さあ、次に向かうのは、そりゃあ、孫の顔を見に、息子の家に急ぎます。やっと会えました。お嫁さんも元気。孫は随分歩くようになりました。4回目のご対面です。

 孫の顔、お嫁さんお顔を見ると、ホッとしたのでしょう。もう頭の中は、眠気でボーッとしています。よく事情をわかってくれているので、夕飯も一緒にせずにホテルに戻りました。

 一晩明けて、今。元気に香港時間でいつもの時間に目が覚めました。さあ、午後の便で香港に戻ります。旧正の2日目です。モモさんお待ちかね。主人とは空のどこかですれ違うはずです。モモさんが我が家にきて以来、この主人と空ですれ違う事、何度あったでしょう。

 午后にはまた、羽田に戻ります。忙しかったなあ。

 見出し写真、2日前に羽田からホテルに向かう首都高の上から見た東京タワーです。そのきれいな姿に元気をもらいました。

 

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トイレのチップ

2015年02月19日 02時56分49秒 | 日々のこと

晴れ、3度  東京

 寒い寒い東京に昨晩戻ってきました。雪が降ると天気予報では言っています。心密かに、雪が降る事を望んでいたのですが、雨でした。旧正月を前にした香港の空港は信じられない程のたくさんの人。しかも、大きな額などを持っている私は、他の人からすれば邪魔以外のなにものでもありません。額のことがあり、いつもより随分早く家を出てきました。地元香港の航空会社、キャセイパシフィックのラウンジに着いた頃には、珍しくクタクタでした。ただ一つ、たった2日の私の留守中、モモさんは主人とずっと一緒です。安心、安心。

 ラウンジでお腹に物を入れ、少し元気になった所でゲートの前に行く時間です。以前にも書いた四角いトイレ、四角い洗面台の洗面所に向かいました。とにかくどこもかしこも人だらけです。キャセイパシフィックのラウンジはさすが地元だけあって、香港の空港内に4カ所程あります。人が多いからでしょうか、トイレの清掃の女性が忙しく働いていました。

 ホテルや大きなレストランのトイレにいる清掃の女性。昔は、この人たちへのチップの硬貨を握りしめてトイレに向かったものです。香港ばかりではありません。ヨーロッパでもやはりトイレにいる清掃の女性にチップが必要でした。その代わり、このトイレの清掃の女性たちは、手を洗えば、手拭きのペーパーを差し出してくれ、使った後のトイレはさっと拭われ、次に使う人は心地よいものでした。それが今では、5星のホテルのトイレにもこうした女性がいなくなりました。ただ、小銭を忘れてトイレに向かった時にはいささか困ったものです。

 こうしたトイレのおばさんは、チップをもらうのが昔は当たり前でした。小さな小皿が洗面台の横に置かれている事もありました。昔のヨーロッパでは、あからさまに手を差し出すおばさんもいた程です。それでも、そういう習慣がある街では郷に行っては郷に従えで、チップを握りしめてトイレに向かいました。

 昨日のトイレのおばさん、手際がいいのはもちろん、笑顔が絶えません。トイレを出て来る人があると、さっと入りトイレを拭き清めます。笑顔で次の人に入るよう合図するわけです。感心しました。これって、プロよね、と。

 ところがトイレを使う香港人は、ありがとうの一言も、チップすらありません。それでも、黙々と仕事をするおばさんです。頭が下がります。私、トイレを去る時、ありがとうって言いました。

 チップって、日本では馴染みがありません。しかも、トイレの事です。レストランのウェイターさんたちは今でもチップをもらう習慣がある香港。トイレのおばさんのチップの習慣がなくなったのは、どうした事でしょうね。

 気持ちよいトイレは、公衆の場でも、もちろん家でも一番大事な事だと思います。

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