晴れ、24度 東京
35年前の今日の東京もお天気のいい暑い日でした。そして、思いがけず、2ヶ月も早く私が母になって日です。昭和53年のことです。
夜半過ぎからの背中が割れるような痛みで、ほとんど眠れずに朝を迎えました。ちょうどお腹の子供は、8ヶ月に入った日でした。夜遅く仕事から帰った主人を起こすまいと、痛みをこらえているのですが、我慢出来ません。この痛みがまさか陣痛だとは思いもいきませんでした。その日は土曜日でした。8ヶ月の検診を月曜日に予約していたので、2日我慢するつもりにしていたのですが、下着に鮮血を見た時は、さすがに異常を感じて、病院行きを決めました。寝ている主人に声をかけると、疲れているだろうのに、付いて行くと言ってくれました。
土曜日の午前中の病院は、いつものようにごった返しています。お腹が痛いと訴えたにもかかわらず、通常の検診の手順を踏みます。当時には珍しく、都内に2台しかなかったスキャナーにかかりました。2ヶ月前の検診の時と同じく、スキャナーに写るのは女子でした。痛み出したときから、口に出来ずに心配していた死産でないことはスキャナーに写る子供の様子でで解りました。いよいよ先生の診察です。診察台に上がるや、先生が一言、お産が始まってますとおっしゃいます。心底驚きました。
それから2時間後、1978年6月17日午後2時4分、1900gの男の子を産みました。早産です、万が一を考えて、私は出産後すぐに麻酔をかけられました。どのくらい経ったか、主人が枕元で、生まれた赤ん坊を広尾の日赤病院に連れて行くと言います。理解は出来るのですが麻酔の眠気で、どこか遠くのことのような不思議な感じでした。それなのに、日赤に向かう救急車が産院から出る時にならしたサイレンの音で、麻酔の深い眠りから一遍に目覚めたのは、母親の本能だと思っています。
一人しか子供に恵まれませんでした。私にとって、母としてからだの痛みを感じたのは、この日だけです。おかげさまで、35歳の誕生日を迎えました。
35年間、いろいろなことがありました。その後、香港に住むようになった私たちは、息子を高校で日本に戻しました。一緒に生活した時間より、今では息子は一人で生活した時間の方が長くなってしまいました。そんな息子も結婚を決め、8月には入籍をすることになりました。
昨日は、相手のお嬢さんのご両親にご挨拶も兼ねた、お顔合わせでした。相手さまのご両親、結婚する二人、そして、私たち二人です。昼過ぎには朝からの雨も上がりました。新宿のビルに用意した部屋からは、遠くディズニーランドの花火が見えました。
母になれたことに感謝しています。喜びごとも、子供が一人ですから、一度だけです。二人の将来のこと、私たち夫婦のこれからのこと、親たちの今後、考えると喜びばかりではありません。それでも、ほんのひととき、しみじみと良かったと感じています。