チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

中秋節 香港

2012年09月30日 | 香港

晴れ、24度、60%

 今年の中秋節、香港でも、きれいにお月様が見れるようです。お月見ばかりでなく、中国人にとっては大切な節句のひとつです。香港は、この中秋節の翌日が、祭日になります。これは、イギリスの統治下の1997年以前からの祝日です。中秋節の翌日が休みとは、なんて粋な計らいでしょう。中秋節の当日は、個人経営のお店などは昼過ぎから店仕舞。夕飯は家族みんなでとって、高いところに提灯を持って、お月見に行きます。夜遅くまで起きてますからね、それで、翌日がお休み。誰がこんな、休みを考えついたのかしら?いつも素敵な休日だと感心します。香港は、中国返還前から、中華的な祭日とイギリスの祭日が、共存していました。

 明日は、中秋節翌日で祭日ですが、10月1日、国慶節の祝日でもあります。この国慶節は、中国返還後の新しい祝日です。そんなわけで、香港、中秋節翌日の祝日が一日延びて、10月2日までお休みです。国慶節のほか、仏誕節などがここ15年新しく加わった、祝日です。中国返還後も、イースターとクリスマスの休日はまだ続いています。やはり、エリザベス女王のお誕生日の休日はなくなりましたが。中華と西洋が融合した、不思議な町です。

  町では、こんな金魚や鳥の形をした提灯を売っています。20年以上前の香港の子供たち、こんな素朴な提灯を買ってもらって、喜んでぶら下げて歩いていました。最近、こんな提灯、持って歩いている子供を見かけません。

 町中も、 提灯が飾られています。見出しの写真は、我が家のマンションの入り口です。お休みで、海外に出かける香港人。国慶節の長い黄金週間で、香港にやって来る多くの中国人。住宅街は、静かなお休みです。きっと繁華街は、観光客で一杯です。

 明日は、国慶節の花火があがります。モモさんが興奮しないように、我が家で待機します。

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私の好きな道 CHANCERY LANE 香港

2012年09月29日 | 香港

晴れ、24度、65%

 香港島セントラルから、世界一長いと言われているヒルサイドエスカレータ沿いの道を山向きに上ります。一番始めに出会う大きな道が、ハリウッドロードです。この交差点を、左手に見ると、石造りの立派な建物が見えます。 つい数年前まで、セントラルの警察署でした。 1941年から3年8ヶ月の日本占領時には、この建物は、日本軍の司令室として使われていたそうです。この一角は政府の建物が並んでいますが、再開発の予定地として、現在、機能してる建物はありません。

 ぐるっとひと回りすると、香港とは思えない石造建築です。 

  裏手に廻り、やや坂を上がるとレンガ造りの建物が見えます。ちょうど警察署の裏手にあたります。ここは、監獄として使われていた建物です。

  ご覧のように鉄条線が張られています。監獄と言っても、軽い刑の人ばかり、就業ビザなしで働いていて、捕まったような人たちが入れられていました。この政府の土地の一番上、監獄の高い塀の横の道が、CHANCERY LANEです。

   道と言っても、車は通り抜けで来ません。一方が階段になっています。私が歩いても3分とかからず、行き抜けてしまいます。 緩やかなのぼりで、 セントラルに向かっては下りになります。 こんな貼り紙も。もちろん、人通りは少ないのですが、塀の向かいに何かこれと言った店があるわけでもありません。不思議な空間です。左手に監獄の壁、緩やかに上り始めると、次第にセントラルのビルが見えてきます。階段を下れば、角には こんな見張り塔のような建物があります。この屋根には、 こんな煙突が。この道を選んで歩くとき、香港の昔と今が混ざり合う、その端境を歩いているようにすら思えて来ます。

 再開発の工事が始まりました。 昔の道路標示が残っています。英語、広東語、2通りの表示は未だに変わりませんが、広東語が今では左書き出しになっています。こんな、素敵な建物は、残しておいて欲しいと思うのですが。

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プールへ泳ぎに

2012年09月28日 | 日々のこと

晴れ、26度、64%

 我が家が住んでいるマンションは、香港島の斜面に建つ典型的な建物です。世界一長いといわれる、セントラルからのエスカレーターを上り詰める少し手前に、下の入り口が直結しています。下の入り口のすぐ上の階から10階部分は、住民の駐車場です。その上の階が、オープンスペースで、プールがあり、ちょっとした遊び場もあります。そこから上は、29階の居住スペースです。つまり41階建てのビルという事になります。我が家は、3階ですので、すぐ下にプールが見えています。

 考えたらこの夏は一度も泳いでいません。何故かしら?そうそう、ずっと刺繍をしていましたからね。刺繍を始めると、寸暇を惜しんでという生活パターンになります。昨日はぐっと晴れ上がりました。ちょっとひと泳ぎ。

 プールに行くといっても、エレベーターで3階降りるだけですから、家で水着に着替えて、短パンをはいて、タオルひとつで出かけます。ウィ−クデ−ですので、人がいないかと思えば、泳ぐ人、日に焼いている人、先客がいらっしゃいました。

  水面を秋風がなでて行きます。このプール、ビルの下にわたって作られているので、日当りが悪く、真夏でも水が冷たいのですが、ここ、数年、軽く温水になっています。泳ぐといっても、まじめに泳いでいるわけではありません。プカプカ浮いているといった方が正解です。浮いたり、沈んだり。水面を水中から見上げるのが好きなので、泳いでいる人の邪魔にならないように、潜ってみます。

 4月から10月の終わりまで、開いていて、ちゃんと監視のお兄さんも2人います。今年のお兄さんたちは、子供たちに泳ぎの指導もしてくれていました。夏休みの間は、子供たちのにぎやかな声が聞こえます。泳ぎが下手な方が、ドボンドボンと大きな音を立てていると、我が家のモモさん、プールめがけて吠えています。

  プールの中から、香港島の太平山の頂上が見えます。いつまでも、プカプカしていたいのですが、仕事に出かけなくてはいけません。今週末からの連休、気温が下がりそうです。ちょっと暑い日にもう一度、プカプカしに行きましょう。

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金継ぎ

2012年09月27日 | 日々のこと

 晴れ、24度、78%

 小文字でjapanと書いて、日本の漆器の事を表します。ここ中国にもタイにも韓国にも漆器はありますが、その精緻さに至っては日本の漆器は秀でています。蒔絵がなければ、お椀もお重も一年中使えます。

 漆器に欠かせないのが漆。私は小さい頃、漆に痛い思い出があります。生まれ育った福岡市から南に、さて、今ではどのくらいで着くのかしら?柳川という町があります。北原白秋の故郷として有名な水郷の町です。うなぎが美味しいので、よく家族で訪れていました。川下りの船が通る水路沿いには、ハゼノキの並木があります。小学校に入ったばかりの私は、そのハゼの並木を歩いただけで、顔は真っ赤、熱は出る、ハゼに負けてしまいました。ハゼは、漆の仲間です。以来、生の漆には恐れをなしていました。

 茶碗などを欠いたとき、修理の方法として金継ぎがあります。その継がれた跡が、またいい景色を作ると言って、金継ぎされたものが尊ばれる事すらあります。その継ぎに、漆が使われている事を知ったのは、10年ほど前でした。漆は強力な接着剤なのです。漆で、繋ぎ合わせ、半乾きの漆の上に金粉を蒔いて作るのが、金継ぎです。

 我が家にも、何時出来たか解らない欠けやひびの入った器がありました。大好きな器、ひとつしか作られなかったものなど、思い切りよく捨てられずにいました。漆にかぶれるのが怖かったのですが、5年ほど前から金継ぎを始めました。と言っても、ここ香港、教えてくださる人などいません。本で読んだり、ネットで調べたり。

 金粉をケチっているわけではないのに、金がうまくのりません。漆の乾き具合がつかめていないからです。見出しの皿は、正木春蔵さんのもの。これは、金が薄くても、中の赤色と呼応してそんなに違和感がありません。

  このミルクピッチャーは、買って来て、包みを明けたら、取手に小さい欠けが出来ていました。これは、珍しく金がよくのっています。

  正木春蔵さんの一点ものの徳利です。これは、欠けが大きく詰め物をして補っています。でも、まだ下手ですね。

 今回は、 やはり、正木春蔵さんの染め付けです。15センチほどの取り皿。大好きな皿です。外からは見えないくらいのひびでしたが、音が鈍い音でした。この、ベンガラ漆の線の部分がひびです。ひびが埋まると、音がまた高く変わります。あと2日ほど乾燥させて、砥石で余分なベンガラ漆をきれいにとります。もう一度漆を塗って、その上に金粉を蒔くわけです。

 ちょっと悩んでいます。この染め付けに、金線はね? 銀粉も持っていますから、銀線にしようかな?いや、ベンガラの赤い色のままでもいいかな?

 さて、あと2日の間に決めなくては。

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大きくなりすぎたテラリュウム

2012年09月26日 | 日々のこと

 小雨、22度、88%

 大きなガラスの入れ物やガラスのドームの中に植物を植え込んだテラリュウム。作る時は、箱庭造りのような楽しさがありました。四季がはっきりとしない香港、切り花だけでなく、鉢植えの植物も種類が少なく思います。それでも、背の高いビルに住む香港人、小さな鉢を、買って行く姿を目にします。

 テラリュウム、日本ばかりかこの香港でも昨年の流行でした。金鐘のレンクロフォードのインテリアコーナーに飾られたテラリュウムに目が奪われました。ちょうど、テラリュウムの手入れをしているお姉さんがいたので、作り方を教えてもらいました。その彼女に、日本でも流行っている事を教えてもらった始末です。

 動物などのフィギュアを入れずに、植物だけで作りました。ただひとつ、サボテンも寄せて植えたのが、気がかりでした。水やりの頻度がサボテンと普通の植物では違いますからね。

 11月で、一年になります。春先まではよかったのですが、 夏に入ると、それはすごい勢いでのび始めました。ご覧のように、ガラスの容器から顔を出す有様です。

  しかも、ガラスの容器の中の空間が、小宇宙を作るものなのに、これまた、縦ばかりか横にも拡がって、密集状態です。 ウォードのはこのようにドームをかけたものは、天井に着いてしまいました。

 ただ、当初心配だったサボテン、 サボテンも、他の植物の負けず、水を一杯吸って大きくなりました。それでも、肉厚のバラの形のサボテンは、いつの間にか溶けてグシャグシャになりました。さて、この肥大気味の植物をどうしましょう?外の植木鉢にまとめて植え替えようか、このまま、大きくなるのを見守るべきか、悩める私です。

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リチャードジノリ MUSICA

2012年09月25日 | 身の回りのもの

雨、22度、83%

 香港にやって来た当初、既に、この地で駐在歴の長かった方の奥様たちが、皆さん口を揃えて同じ事をおっしゃいました。食器を揃えるなら、早いうちにしなさいね。毎年毎年、値段が上がるからね、と。

 それならばと、当時はまだイギリス統治下、沢山あった食器屋に足を運びました。マイセンのような高いものには手が出ません。花柄は、好みでありません。やはりスタンダードなものがいいと思っていました。リャードジノリのベッキオホワイトがいいわ、と思いました。そこで家人に話すと、折角だからいいものを買いなさい。とおっしゃいます。それに、家人は、ベッキオホワイトがお好きでないようでした。

 リチャードジノリに目が向いていたわけではありません。沢山並んだ中から、すっきりしていて、それなのにシャープすぎない食器が目につきました。8人組で、フルセット揃っています。

 一人分のティーセットです。 左端のシュガーボウルにも、ティーポットのようなドーム状の蓋が付いていました。

 一人分の、ディナー皿。 一番縁は金線です。そのひとつ中が、ブルーグレーの素敵な色のラインが入っています。アールデコのような柄は、鉄赤です。

  サービング用の、オーバルプレートとソース入れ。

  とっても大きい、サラダボウル。そして、見出し写真の、スープチュ−リンです。8人セットを6人にする事も可能でしたが、家人が私が割ることもあるだろうと、8人分いただきました。

 この食器で、お客様を招いても、どなたもリチャードジノリのものとは気付かれません。

 実は、この後、あと2セット、フルセットの食器を求めました。

 20年ほど前、シュガーボウルの蓋が落ちて壊れてしまいました。本当に愛らしいドーム型をしていましたから、残念でした。まだ、今のようにネットが発達する前の事です。お店で、同じシリーズがないかと探しますが、一度も見かけたことがありません。

 3年ほど前に、別のシリーズのマスタード入れの蓋をやはり壊してしまいました。アメリカにREPLACEMENTという会社があります。食器が蓋だけ、カップだけでも見つけて売ってくれる会社です。流石に洋食器の歴史の長さで、在庫の数も、扱う食器、カトラリー、グラスも多種多様です。在庫がなければ、登録しておくと、探してくれます。マスタードの蓋は、すぐに見つかりました。

 気をよくした私は、早速、このシュガーボウルの蓋を頼もうと思ったところ、このリチャードジノリのシリーズの名前が解りません。裏には、製造年1986としか書かれていないのです。そこで、REPLACEMENTに皿の写真をメールしました。20年近く経って、初めて、このシリーズの名前が解りました。MUSICA。  とても数少なく作られたのか、滅多にないシリーズだそうです。未だに、シュガーポットの蓋はウェイティング。

 確かに、皆さんが仰っていたように、年々値上がりする、食器です。そればかりか、1997年の中国返還を境にお店の数がぐっと減りました。器を選ぶ時、好きかどうかが一番先行しますが、なんといっても、料理を作って皿にのせるのは、私です。自分の料理の域を超えた食器では困ります。この、MUSICA、中華にも使います。パン皿は、和食の時の取り皿としても使います。

 

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月餅  香港

2012年09月24日 | 香港

曇り、26度、87%

 今月の30日は、中秋節です。中国人にとって、大切な祝日のひとつです。中秋節の前には、日本のお中元のように贈り物が交わされます。その贈り物となるのが、古来この月餅です。今では、ブランデー、高い食材をかごに詰めて送ることもあります。縁起物ですから、他のお菓子とは一線を画すほどお高いお菓子です。

 日本の月餅とは違い、中のあんは、蓮の実から作るあんに、塩卵の黄身を蒸したものを入れます。この一般的なものの他に、バリエーションは様々です。

  ともあれ、私は、この月餅が届くと、やっと、中秋節と思います。ペニュンシュラホテルの、月餅です。これは、本来の月餅とは違って、カスタードが入った洋菓子です。ペニュンシュラが、欧米人のために考えたのだと聞いたことがあります。

  一口サイズ。東京のペニュンシュラでも、この時期売られているそうです。ありがたいことに、家人の会社の取引先から、毎年届けられるペニュンシュラの月餅。もちろんペニュンシュラ、普通の月餅も作っています。

  実は、私が一番好きな月餅は、こちら、ナッツが一杯の伍仁月餅。これに、金華ハムが入った月餅もあります。甘いものに、少し塩辛いものを混ぜる、この感覚になかなか馴染めない日本の方が多いようです。

  こちらは、塩卵が入らないただの小豆あん。豆や蓮の実や芋のあん、中国のあんには、たっぷりとピーナッツオイルが入ります。月餅を切り分けると、ふっと香るあの匂いはピーナッツオイルです。

  こちらは、香港の月餅ではありません。先週、ベトナムに出張していた家人が買って来たものです。華僑のいるところでは、この季節必ず月餅が作られています。シンガポールやタイなどではドリアンの月餅もあります。これは、

ラムレーズンが入ったものですが、あんが何なのかさっぱり解りません。芋でもないし??変な言い方をすると、ボソッとしたカスタードみたいなあんです。世界中に住む華僑のために、月餅を販売する店では、海外配送もしてくれます。ところが、3年ほど前から日本だけは、月餅が送れません。日本の郵便局側から要請で、禁止されています。腐ったり、虫が付いたり、脂が滲んだり、理由はいろいろでしょう。

 香港に来た当初、私は、この時期になると月餅を一度に2、3個ペロッと食べていましたが、流石に最近はひとつで十分。外の皮も、以前はブタの脂が使われいました。糖分も高く、健康によくないと最近は健康月餅、などと書かれています。

 甘いものの少なかった、昔からのお菓子です。お年寄りも楽しみにこの時期の月餅を待ちます。ところが、甘すぎる月餅、脂の多い月餅、中秋節の後、健康状態を崩すお年寄りが多く出たそうです。健康月餅なるものが出るのも頷けます。

 家人のお腹まわりが気になる昨今です。自分たちでは買わないのですが、頂き物が既に冷凍庫に溜まり始めました。家人にはあげないように、私が少しずつ楽しみます。

 

 

 

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鳥たちが運んでくれた緑の種

2012年09月23日 | 香港

晴れ、25度、90%

 我が家の窓辺で、鳥たちにえさを与えるようになって、4年ほど経ちます。朝ご飯に必ずサツマイモをひとつ食べるモモさん。お芋の両端をあげ始めたのがきっかけでした。やって来るのは、香港でも一番身近に見られる、コウラン、シロガシラ、小さな鳥です。それに時々、鳩とすずめが加わります。今では、モモさんの残りのお芋では足りません。当然、私が焼いたパンも、鳥たちのために取り分けておきます。 コウランは、タイでは鳴き声コンテストがあるように、本当にきれいな声で鳴いてくれます。台風の日だって、雨風の中をやって来ます。ストロベリーポットの上にあるかごにえさがないと、そのきれいな声で、ありませんよ、と声をかけてくれます。外出から戻ってドアを開けると、左手にみえるガラス窓の外から、ジッと中をうかがっているコウランのつがいの姿がみえます。これも、ご飯の催促です。

 8月の半ば頃、少し早口な甲高い鳴き声が聞こえます。やって来ました。今年も、巣立ち前のひな鳥を親鳥が連れて来たのです。やかましいやらパンはあちこち食べ散らかすわ、それでも、その光景を見ているだけで、一年分のご褒美をもらったような気分になります。

 パンやお芋を食べた後、オリーブや、イチジクの枝でくつろぐこともあります。鳥ですから、食べたらすぐに排泄します。鳥の糞が、鉢の土にポトポト。春になると、その土から、何やらきれいな緑の芽が出てきました。私が蒔いたハーブとは、似ても似つかぬ芽です。毎日水をやっていると勢いよくのびてきました。蔓科の植物です。

  鈴のように膨らんだつぼみが開くと、こんな花が咲きました。蔓が伸びて行く様子も面白く、飽かずに眺めています。 しばらくすると、こんな丸い実がつきました。オリーブの木に巻き付いているのですが、枯れるほどではないので、今のところ共存させています。香港の図鑑で探すのですが、まだこの植物の名前は解りません。

 モモさんと山側に散歩に出ると、同じコウランたちがよく群れている薮があります。ふと、その薮の低いところに目をやると、あらあら、我が家の蔓と同じ花や実が木に巻き付いています。そこで初めて、我が家の緑の蔓を運んで来てくれたのは、コウランだと気付きました。コウランの糞に、この蔓の種が混じっていたのでしょう。

  蔓に巻き付かれてオリーブが、少し惨めな様子になっています。

鳥たち、我が家のこの実も食べるのかしら?蔓ものですから、冬には枯れてくれると思っているのですが。

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ベトナムの赤米

2012年09月22日 | 日々のこと

雨、25度、97%

 香港人の主食は、お米だと思います。しかもその主流は、中国のロングライスではなく、タイのロングライス、香米、フレグラントライス、ジャスミンライスと様々に呼ばれているものです。ところが、スーパーなどの米売り場、中国、タイばかりではありません。台湾、韓国、日本、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリア、インド、パキスタン、イタリア、ベトナムからのお米も見られます。その上、日本同様、雑穀が体にいいというので種類も豊富です。

 日本米は、台湾、韓国、ベトナム、ニュージーランド、日本、イタリア、アメリカからのものです。日本から、お米が入り始めたのはここ数年前からでした。もちろん高嶺の花は、日本米。それでも、日本人ばかりか香港人も買って行きます。我が家は、家人が、日本産日本米、私がタイ産のロングライスを主食にしています。1キロ辺りの値段、日本米はタイ米の10倍です。タイのロングライスは、香りの良さ(臭いという日本人が多いのですが、)軽くもたれないところが私は大好きです。

 先月、家人はベトナムに出張がありました。ベトナムの、蓮のお茶に恋いこがれて、昨年ホーチミンに行った私は、匂いのきつさにちょっと辟易して、未だに、茶壺に入ったままです。お土産は何にもいらないからね、と念をおしたにも関わらず、買ってみえたのがロングライスの赤米でした。 赤米も香港では、紅米、このパッケージには、パープルライスと書かれています。赤の捉え方の違いですね。

 日本では、お米に少量混ぜて炊くようですが、パッケージに書いてある通りに、全部赤米で炊いてみました。初めは炊飯器にセットしたのですが、この手のお米は後始末が大変なので、お鍋に変更。 独特な匂いです。嫌な匂いではありません。小豆を炊く時の匂いをきつくしたような。

  まるでお赤飯のようですね。民俗学者の柳田国男は、古来赤飯は、赤米だったと言っているそうです。食べると、でんぷん質が少ないのか、甘みはなく、ちょっと渋い味です。タンニンが入っているからでしょう。沢山炊いてしまいましたから、さて、どうしましょうね。

 まずは、おぞうすいに。 かつおだしで炊きましたが、鶏のスープなどの方がいいかもしれません。

 つぎに、 クスクスサラダをイメージして。普通のドレッシングより、マヨネーズが合いそうです。

 最後に、 フライドライスにしてみました。合わせたのは、ワケギだけ。味も塩こしょうのみ。これ、美味しいです。

 折角の食べ物、粗末には出来ません。3食、赤米を食べました。

 古代米とも言われる、赤米、黒米。稲の雑種だそうです。赤米の穂が垂れる頃は、田んぼが真っ赤になるそうです。きれいでしょうね。我が家には、まだ赤米、1,5キロも残っています。

 

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[In an Antique Land] AMITAV GHOSH

2012年09月21日 | 

小雨、26度、83%

 (In an Antique Land)アミタブゴーシュの新しい本ではありません。1990年に初刊。この6月、Joanne Harris  の新刊を求めたおり、偶然、旅か歴史かの棚に並んでいたゴーシュのこの本を見つけました。見つけた時に買っておかないと、その後いつ入荷されるか解らないという、香港らしい事情からです。

 わたしが、ゴーシュを読み始めたのは2001年刊の[The Glass Palace] からです。日本語にも翻訳されている彼の代表作のひとつです。以来、4冊の彼の新作は、ゴーシュの生まれ育った、インド コルカタから東の世界のことでした。昨年の新作、[River of Smoke]は、今私が住む香港の隣、広州が舞台でした。

 ところが[In an Antique Land]は、舞台がインドから西、エジプトに向いています。2つの時代の違う話が、平行して進められます。12世紀のころの奴隷の話、それと、1980年後半から1990年代にかけての、ゴーシュ自身のエジプトへの旅の話です。

 オックスフォードでのゴーシュの研究が、エジプト、ナイルデルタとインドとを結ぶものだったのかもしれません。アレキサンドリア大学に在学したこともあるようです。

 ゴーシュの産まれた、インドを東西に舞台を変えたとしても、彼の作品の根底には、植民地としてのそれぞれの国の持つ様々な様子が描かれています。彼の評価は、インド本国よりアメリカでの方が大きいようです。 2003年にインドに行ったおり、ニューデーリーのコンノート廣場の本屋に行きました。ゴーシュの本を探すためでした。ところが見つけたのは、この一冊。

 2007年の訪印の時は、コルカタに行く機会に恵まれました。ゴーシュの生まれ育ったベンガル地方の町です。何でここまで、ゴーシュのことが気にかかるのでしょうか。ゴーシュは、ほぼ私と同世代です。同じ50数年を異国の作家はどう生きて来たのか、何を見て来たのか、本の後ろにあるそんなところに惹かれています。

 6月にこの本を求めたのは、香港のオーストラリア系のチェーンの本屋でした。チェーン店らしく、いつもはユニフォームを着た若いお兄さんお姉さんが立ち働いている店です。その時レジの中にいたのは30代後半の男性でした。支払いを済ませ、2冊の本を手渡してくれた彼は、ゴーシュの本を指差し、いい本ですよ。と言ってくれました。思わず私、ゴーシュが好きなんです。と応えました。本屋で働く人に、こんな言葉をかけられるとは、うれしい限りです。

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