チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

「湯だね」の食パン

2016年05月31日 06時35分00秒 | パン

晴れ、28度、83%

 「湯だね」と書かれた食パンが日系のパン屋さんで見られるようになったのは、随分前のことでした。山崎、パナッシュ、リトルマーメイド、大手のパン屋さんのパンが香港では買うことができます。ドンクだってあります。「湯だね」のパンは少しお値段がよく、見た目は普通のパンと変わりませんが一度だけ買ってみました。確かパナッシュのパンでした。柔らかだったことしか記億にありません。

 自家製の酵母で作った食パンは、実のところあまり美味しいとは思えませんでした。私の酵母は食パンには向いていないのかもしれません。工業化された均一の酵母ではありません。発酵の力も匂いも味も継ぐ度に違います。元はレーズンの種ですが、我が家を浮遊しているモモ菌、マナ菌だって混ざっています。天然酵母の食パンは焼いた次の日には、モロッとして来ました。食パンはイースト発酵の方がおいしいなあと思っているとき、ふと「湯だね」のことが頭をかすめます。「湯だね」ってどんな菌なのかしら?

 調べて見ると、菌ではありません。粉と砂糖、塩を熱湯で捏ねたものが、「湯だね」です。 熱湯で捏ねることによってでんぷんの形成を強くしています。出来た「湯だね」を半日以上冷蔵庫で休ませて使います。

 食パンは普通のパンよりやや水を多目に使って柔らかさを出します。今回は、粉の85%まで水を入れました。「湯だね」も使っていますので、ベタベタの生地です。果たしてうまく出来るか心配になって来ました。

 昨日は朝の9時には香港、既に30度を上回りました。湿度も80%、室温で発酵可能です。見る間に大きく膨らみます。天然酵母に慣れて来ているので驚きです。それでも長め長めに一次発酵を続けてみます。ベンチタイムのあとからは、扱い易くなって来ました。型に入れて二次発酵です。

 プルマン型に入れて焼く食パンはこの二次発酵が決め手です。蓋をしますから、発酵が少なくても多すぎてもうまくいきません。久しぶりにイースト発酵のパンの匂いが台所に拡がりました。型から出しただけでは、普通のイースト発酵の食パンも天然酵母発酵の食パンも「湯だね」食パンも区別がつきません。

 完全に冷めて切り分けます。この時程ドキドキすることはありません。 見事な気泡です。柔らかいのですが、ぐっと引くような柔らかさです。この写真の後、直にかぶりつきました。モッチリしています。焼き色がしっかり付いていますが、縁がこれまた美味しい。このまま食べてもトーストしてもおいしいパンに仕上がりました。私が焼いて来た食パンの中で一番の出来です。

 今回普通の「カメリア粉」を使いました。次は「ゆめちから」で作ってみようと思います。国産の小麦粉と「湯だね」の相性はいいと思います。「湯だね」のパンは劣化が遅いそうです。今も焼かずに食べていますが昨日の食感と変わりありません。

 私のパン作り、まだまだ続きます。

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孫娘とお嫁さんが焼いたパン

2016年05月30日 06時41分51秒 | パン

曇り、28度、89%

 息子のお嫁さん、腰を悪くしてしまいました。入院などの心配もありましたが、自宅で安静に療養することになり、お仕事は長い休暇を取ったそうです。緊急の時は飛んで帰るつもりでいましたが、なまじ私などが行かずとも、こんな時こそ若い家族はお互いが助け合って絆を深めて行くことだろうと、遠くで見守っています。

 お嫁さんが近況を知らせてくれたとき、孫と一緒にパンを焼くのでレシピーを送ってくださいとメッセージが来ました。孫娘の好きなはちみつパン、我が家では「あこのぱん」と呼んでいます。何度か手直しを加えて、孫娘が香港に来る前にこれでよしと出来上がったレシピです。孫娘、香港にいる間ずっとこのパンを食べていました。

 昨日、いつものように市場で買い物をしているとメッセージが入って来ました。「真奈お母さん、パンの生地がいつまでもベタベタしています。」SOSです。すぐに電話を入れました。このパンのレシピは卵も入ります。砂糖ではなくはちみつです。気温の上昇もありべたつき易い生地です。2,3アドバイスをして電話を切りました。まだ2歳の娘と二人で台所に立ってパンを捏ねているお嫁さんを羨ましく思います。

 しばらくすると、順調に行ってるとメッセージ、添えられた写真は、 お手伝いして一緒に捏ねたんでしょうね。どうも捏ねるというよりニギニギしていたそうです。

 今頃は息子の家にはパンの匂いがしているかなと想像します。パンの発酵する匂い、パンの焼き上がる時の匂い、時折オーブンを覗くとパンが膨らんで行く様子が見られます。パン焼きは楽しさが一杯です。

 焼き上がったと送られて来た写真は、お嫁さんらしいきちんとしたまん丸なはちみつパンです。焦げてしまいましたね。息子の家のオーブンは癖があって、右奥が焦げ付き易かったように記憶しています。次回は途中で天板を入れ替えるといいかな。

 お昼には二人してパンを食べたのでしょうか。仕事から帰った息子も二人の焼いたパンを食べたのでしょうか。

 私が作ったはちみつパンのレシピは、お嫁さんの手に受け継がれました。パンの匂いに囲まれ、パンを囲んでいるその家族を思いながら、胸の中が温かくなりました。

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主人からの贈り物 レネレイドのネックレス

2016年05月29日 05時40分56秒 | 身の回りのもの

雨、27度、92%

 先週の土曜日のこと、夕方早く家に戻って来た主人が小さな箱を私に手渡してくれました。蓋をとるときれいなネックレレスです。主人からネックレスを貰ったのは初めてのことです。

 レネレイドというフランスのアクセサリーのお店が香港島セントラルのリンドスタットテラスに出来たのはほんの数ヶ月前のことです。小さな間口にウィンドーの作りもまるでヨーロッパの店作りです。リンダスッタトテラスは市場からすぐ上がった道です。朝の市場での買い物帰り、まだお店が開く前によくそのウィンドーを覗きます。女性なら老も若きも、「ワー可愛い!」と言って覗きたくなるウィンドーです。色遣いが目が覚めるようにきれいで、その小さな作りは精巧そのもの、モチーフもバレリーナがあったりジャングルと名付けられたシリーズには猿も登場します。

 数週間前にこの店の先の「ヨンキー」で夕飯をとりました。上りですがエスカレーターを使えば「ヨンキー」からは歩いて帰れる距離です。坂を上がって主人と二人、もう店が閉まったレネレイドのショーウィンドーを覗いたのはその時でした。「きれいだよね、可愛いよね。」と小さなイヤリングかブレスレットなら私でも身に付けれるかなと思います。

 まさかのネックレスの贈り物に驚きました。しかもこのネックレス、飾りが一番多くついたタイプです。その翌日は、お客様との夕飯の予定がありました。貰ったネックレスをとあの服この服に合わせてみますが、どうもしっくりきません。私をご存のじ方なら頷かれると思います。こんなきれいなネックレスが似合う服を持ちません。小さな細工ですがとても派手に見えます。気恥ずかしさも手伝います。一週間箱に仕舞ってありました。

 昨晩も夕飯は外と決まっていました。外は大雨、薄暗い中パッと明るくと思い、紺のシャツにこのネックレスを合わせてみました。まだ、私もネックレスも互い距離がありますが、付け慣れるとその距離も縮まるような気がします。

 昨晩喜んでくれた主人です。「これよりひと回り長いのをもう一本どうかな?」と仰ってくれますが、自分のパターを我慢して買ってくれたこのネックレスだけで充分です。手作りですがこれだけ飾りがついているのに、ちっとも重いと感じませんでした。猿が4匹、あっ、主人は申年です。

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「うまし美うるわし 乾山 四季彩菜」

2016年05月28日 06時44分46秒 | 

小雨、26度、92%

 滋賀県の信楽にMIHO MUSEUMという美術館があります。桃源郷を模したという山間の美術館だそうです。この美術館でこの秋、陶工尾形乾山の特別展示が行われるそうです。秋口から年末にかけてこの私チョイと忙しくなります。そんな事情を知っている友人がMIHO MUSEUMから出版されている乾山の図録を贈ってくれました。

 乾山の焼き物も絵も好きです。なかなか本物を見る機会がありません。日本にいませんから当たり前ですが、いつもこうして写真を眺めるばかりです。この本は、乾山の焼き物に実際に日本の四季折々の料理が盛り付けられています。見るのも楽しい器ですが、どんな高価な器でも使うためのものだと思います。そして使い手の料理の腕に盛りつけに器の価値はまた変わって来ます。そんなことを思いながら、溜め息混じりにページをめくります。初めて見る器も数個、目を見張ったものと言えば、「色絵阿蘭陀写市松紋猪口」江戸の時代に青と白の市松紋です、口は一線金が引かれています。今の時代に見てもモダンの一言。写真には十個のその猪口にそれぞれ違った珍味が盛られています。大きな椿はよく見る図柄ですが、写実とは違って一息呼吸を抜いたその絵には微笑ましさも感じます。

 古い物ですから貫入、欠けも見られますがそれがまたひとつの姿に納まっています。日本の持つ静けさを料理に器に感じる図録です。

 そして、彼女がもう一冊忍ばせてくれていたのが、葉室麟「乾山晩愁」。 恥ずかしい事に葉室麟という作家を知りませんでした。ここ20年、ほとんど日本の小説から遠ざかっています。どんな作家かも知らないで読み始めました。乾山とその兄光琳を乾山の晩年に時代を当てて書かれたものです。乾山、京の陶工ですが晩年は江戸でも窯を持ったことを知りました。この本は4つの短編からなっています。4話とも江戸の絵師の話です。最初の乾山晩愁と最後の一蝶幻景にうまく赤穂浪士の討ち入りの話を絡ませています。久しぶりに面白い話を読みました。葉室麟、若干私よりお年が上ですが福岡の大学を出た方で、この乾山晩愁がデビュー作だそうです。

 実は、この乾山の本をルーシーリーの本と代わる代わるに読んでいました。ベットの上でひっくり返ってはいますが、読みながらなんと贅沢な時間かと感じます。こんな贅沢をいつもさりげなく私の手元に届けてくれる友人です。

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朝9時半から夕方5時まで停電でした。

2016年05月27日 05時12分34秒 | 日々のこと

雨、21度、91%、シグナル1

 電気系統の検査があるというので、昼間の間、停電しますとお知らせが出たのは随分前でした。 エレベーターの中に英語と広東語で貼り出されます。まだまだ先のことと思って詳しく読みませんでした。しっかりと読んだのはその前日25日のことです。3基あるエレベーターは全部止まります。電気はつきません。トイレも水道の水も出ません。パブリックスペースの電気も消えます。火災警報も鳴りません。と書かれています。

 真っ先に思ったことは、クーラーです。ガハガハ犬、モモさんを昼間どう過ごさせるか考えます。そうだわ、確か扇風機が何処かにあると思い扇風機を出して来ました。扇風機も使えないと気付いたのは夕方です。扇風機も電化製品でした。恥ずかしくなって、元に戻します。兎に角、モモさんを涼しく保ってやることが先決です。そこで、蓄冷剤をあるだけ冷凍庫に入れました。もちろん冷蔵庫も止まりますから、目一杯冷やしておこうと一番冷たいところにダイヤルを合わせました。これで朝までに冷蔵庫は冷え冷えです。

 私だって一旦外出すれば、エレベーターが動いていませんから14階を真っ暗な裏階段を上らなくてはなりません。9時半以降外出するのは取りやめで、モモと家にいる事にしました。家にいればすることは沢山あります。PCもWi-Fiが切れるでしょうから、インターネット接続が出来ません。頼みはスマフォです。そこで用心のため、充電器も 満タンにしました。

 掃除、洗濯は朝の9時半前にいつも終わっています。水も出ないので、昼ご飯のおかずをひとつ、夕飯のおかずをひとつ作っておきました。よしよし、これで電気が切れても大丈夫。そしてもう一つ、冷蔵庫ばかりか家中のクーラーを朝からフル回転にして、家の中を氷室のように冷たくしておきました。

 伊勢志摩サミットの生中継を見ていると、テレビがブスッといって切れました。家中のクーラーも音が無くなりました。ドアを開けてエレベータールームを見ると既に真っ暗です。エレベーターも動いていません。時計を見ると10時少し前。

 昨日、香港薄曇りでした。家中の冷気が切れたら、窓を開けるつもりです。風が吹いてくれることを望みます。家中かなり冷えていますから、モモさん平気で休んでいます。私はせっせと棚の拭き掃除。お昼になってさあご飯。あれ!ガスがつきません。そうだ、スパークは電気です。チャッカマンで点火すればいいのでしょうが、怖くて出来ません。ガスコンロを出して来ましたが、ボンベのガスが少なくて使い物になりません。仕方ない、朝作って置いた物を冷たいまま食べました。

 お昼過ぎ、気温が29度まで上がりました。まだ、家の中の冷気で間に合っています。いつものように本を持ってベットにひっくり返りました。私もそんなに暑くありません。モモさん、いつものようにべったり私に張り付いています。ところが、2時前、モモさん急に起きたかと思うと、ガハガハ言って板張りに腹這いになりました。気温30度を超しました。窓を開けて見ましたが、外の空気の方がまだ暑い。そこで、窓を締めたまま、モモさんにいよいよ数年ぶりにクールエプロンを装着してもらいました。友人からの頂き物のクールエプロン、この2年程殆ど使わずに過ごしました。

 その後クールエプロンが程よく気持ちよいのでしょう、モモさんベットの私の横でおへそを見せて寝ています。朝から家中を冷やしたおかげで、私は暑いと感じません。時計を見ながら、あと3時間、あと2時間と夕方5時を待ちます。

 4時半少し過ぎ、急にテレビがしゃべり始めました。換気扇が舞い始めました。クーラーの低い音が聞こえ始めました。電気が戻って来ました。

 モモさんにさほど辛い思いをさせずに済みました。

 誤算は、ガステーブル。ただ、電気が戻って来たあともWi-Fiに繋がりません。プロバイダーに電話で尋ねると、我が家だけではなくこのビル全体が繋がっていないとのこと、7時前にはWi-Fiも戻って来ました。

 モモさん夕方のお散歩に出るとき、クールエプロンを拒否します。家の中で着ていたのになぜか外出には嫌がります。まあ、お外も気温が下がり始めています。

 こんなに沢山の電気のおかげを蒙っているとは、たった短い時間でしたが実感します。私が香港に来て30年近くの中で、全ての電気が止まったのは今回が初めてでした。高層ビルがあり観光地でもある香港で、電気の供給が止まったらおそらくパニックになるかもしれません。天災で電気を絶たれた人たちの大変さを実感しました。

 家の中でクールエプロンをつけているモモさんです。

 

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ラムレーズンは常備品

2016年05月26日 06時34分43秒 | パン

曇り、26度、88%

 結婚したての頃は、料理を習いたくともそんな余裕はありませんでした。インターネットなんてない時代、しかもテレビも持ってませんでした。新聞の料理欄が唯一の頼み神。子供の成長とともに、お菓子も焼きたいパンも焼きたい、家計は豊かではありませんでしたから、図書館に通っては作り方やレシピの本を読んでいました。人様に手解きを受けないまま自己流で始めたお菓子作りやパン作りです。

 最近ではネットでレシピも頂戴出来ます。YouTubeでは、料理人の手元まで流してくれます。手で作るものは、手の動きを見るか見ないかでは大きく違うと思うこの頃です。この主婦歴そろそろ40年の間、どれくらいのパンやお菓子の失敗を重ねたか知れません。型通りに焼き上げらない食パン、膨らみが悪いスポンジ。オーブンから出して来てがっかりします。失敗ですから目の前から早く消えて欲しい。でも、バターに粉に卵、主人が働いたお金で買ったものです。ゴミ箱に入れてしまえば目の前から消えてくれますが、粗末に出来ないので私のお腹に入れます。

 食パンがきれいに焼けるようになるまで半年はかかったと思います。当時は、モモより大きな中型犬のテツがいました。お昼は毎日焼き損ないのパンをテツと私とで食べました。飽きて来るとフレンチトーストにして食べました。それでも量が減りません。そこでパンプディングを作ります。乾かしたパンにカスタード液を流して蒸し焼きにします。これはお腹に沢山入ります。卵とミルクのカスタードは大好きですが、ちょっと物足りない、そこでラムレーズンを入れました。なんと蒸している間もラム酒のいい香り、以来もう何十年も常にラムレーズンの作り置きが我が家にはあります。簡単にレーズンにラムを振り入れただけのものです。パンに入れることも焼き菓子に入れることもあります。失敗したパンプディング、スポンジプディングに使う量が一番多いと思います。

 ラムレーズンは私の失敗の妙薬です。出来損ないのパンも膨らまないスポンジも美味しいものに変えてくれます。きっと、60になっても70になっても、お昼の私のご飯にはラムレーズン入りのプディンが食卓に上りそうです。

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鳳凰木と羽アリ、香港の夏を告げています。

2016年05月25日 06時41分46秒 | 香港

晴れ、25度、90%

 香港島の北と南では不思議なくらいにお天気が違います。南は南シナ海に面して海が拡がり、高い建物も少ないので空も拡がっています。北側がどんよりと曇っていても、南側は青空が見られます。湿度も低く、気温は高めです。南側のポッフラム道の街路樹はいち早く季節の移り変わりを知らせてくれます。5月に入ると、花は見えませんがこの道を窓を開けて車で走っていると、アカシアの花の香が満ちています。ああ、春が来た、この濃密なアカシアの香りはうっとりとさせてくれます。ところがそれから10日もすれば、赤いこんもりととした高木がこの道を彩ります。鳳凰木です。

 鳳凰木の赤い花が咲くと夏の訪れです。信号停車のとき撮った写真、花の一つ一つは見えませんが、ランのような花形です。そして暑い、暑い夏中花をつけています。香りはありません。この花と青空とのコントラストは、亜熱帯の香港の夏です。この鳳凰木は、木ですが豆科の植物、秋も深まると30センチもの長いナタのような豆のさやを付けます。赤い花は散って、茶色いナタ豆がぶらりと下がる頃には香港も寒くなり始めます。

 ちょっと迷惑な夏を告げる虫がいます。セミではありません。セミは4月ともなれば鳴き始めます。夏に入る前大量に発生するのが羽アリです。ほんの数日ですが、その数は荒ましい。 外灯に群がる羽アリです。家の窓を開けていると、もちろん闖入して来ます。そして夜も明けると、羽を落としてアリに変身。外灯の下は出来立てのアリと無数の羽で異様な風景となります。この羽アリの洗礼がなくては、香港は夏に入れません。

 日増しに気温が上がり始めました。数字からすると、日本の方が高めですが、いやはや湿度の高さで暑さは倍に感じられます。5月も終わりに近付くと、いよいよ青空にムクムクした雲が拡がります。

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ペットショップ 香港

2016年05月24日 06時35分36秒 | 香港

曇り、24度、92%

 つい先日の新聞では、香港でも犬の繁殖に関する規制が法律化されると書かれていました。日本と同じ頃、生きた動物の店頭販売の時間が規制され始め、最近では犬猫を店頭で販売する店が減りました。まだ産まれて数ヶ月の動物を夜遅くまで電灯の明かりに晒すのは忍びないことです。思い出せば11年程前、9ヶ月になってもまだ店頭にいたのはモモでした。そのまま見過ごすことは出来ませんでした。

 最近の香港のペットショップは、フードからお洋服、おやつ、しっかりしたところはトリミングもしてくれます。このフードもお洋服も二分化が甚だしく、どれも輸入品ばかりですがタイやマレーシア、中国から入って来る安いもの、日本、アメリカ、イタリア、フランスの値段の高いものに分かれます。

 滅多にペットショップを覗きません。おやつは私と一緒だし、ハーネスなんか7年も同じ物を使ってます。お洋服不要な香港です。年に数回、ロイヤルカナンのパグの絵の付いたドライフードを買いに行きます。

 昨日、ちょっと思い立って出かけました。ここは、ビルの10階にある犬猫連れでも来れるお店です。広い店内、南シナ海に向かってのバルコニーは犬たちに解放されています。小さなドックランです。 これは3月にモモを連れて行った時の写真です。昨日はお留守番。

 この店は広いばかりか、品揃えがしっかりしていて安心してものが選ぶことが出来ます。 アメリカのNUTROのドックフード、パグの絵が付いているのでよく見ると、体重をコントロールするためのフードです。パグは太り易いですからね。 日本の方達がヒマラヤンチーズと言って歯磨き代わりに与えているチーズもはじめてみました。 ここではヒマラヤにかけて、イエティー(雪男)です。いいお値段です。日本の物は、この店では殆ど扱っていなくて紙おむつのみでした。

 メッシュのハーネスのモモサイズはなかなか見つかりません。やっぱり寝てるモモさんを起こして連れて来るべきでした。

 昨日は午後から、子犬の里親会がありますとおねえさんがおっしゃいます。飼えなくなったちょっと大きめの子も中にはいるそうです。みんな貰われて行きますように。

 そうそう、モモさんお写真の後ろの犬たちはここで里親が見つかった犬達です。躾けに自信がない人のために、トレーナーの人がアドバイスをします。アフターケアーもしっかりしています。

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「LUCIE RIE」を読みながら

2016年05月23日 05時39分28秒 | 

曇り、24度、84%

 アメリカのAmazonに頼んだつもりのイギリスの女性陶芸家ルーシーリーの本がイギリスから届きました。自伝を書いた唯一の本だというので頼んだのですが、届いた本は大型のグラビア本です。 沢山の作品が写真で収められています。この2週間、この大型の重たい本をベットでひっくり返って読み続けました。

 20世紀初頭にウィーンの裕福な家庭に産まれたルーシです。ウィーンで陶芸技術を学びヨーロッパ大陸では名前が知られ始めた頃に、ナチの弾圧を逃れるためにイギリスに渡ります。ウィーン時代、ハンスリーと結婚して住んだ家にも陶作の作業場を設けていました。戦時下ということもあり、イギリスに渡ってすぐには陶作を始められなかったようです。アメリカに渡ると言う夫と離婚して、イギリスに残り陶作をはじめます。この結婚生活は13年続いたと言います。以後、結婚をしていません。子供もありません。この夫であったハンスリーとは、その後も生涯交流があったようです。

 日本の民芸運動で有名なイギリス人のバーナードリーチと交流が始まります。常々、リーチから日本的な焼き物の何らかの影響をルーシーは受けていたのではないかと、私は思っていました。確かに、戦後イギリスを訪れた柳宗悦、濱田庄司に会っており、濱田庄司はルーシーの工房を訪ねています。ところが、日本的な陶作を聞き知ってはいても、それを自分に引き込むことは無かったようです。私が日本的なと思ったのは、ルーシーの作品の形よりよく彼女が使っていた書き落としの技術でした。書き落としをルーシーが始めたのはギリシャの焼き物の影響のようです。絵付けを施さなかったルーシーは、釉薬と形作り書き落としのような技法で作品を作り続けます。

 ハンスクーパーという同じような境遇のユダヤ系のルーシーより遥かに若い男性が、工房で一緒に働くようになります。ハンスはルーシーとともにイギリスのひとつの陶芸の時代を作り上げた人です。また、ウィーン時代からの友人で建築家のプリシュケやガラス作家のランプルという男性達とも長く交遊を繋いでいます。

 こうして戦後、ルーシーの名前は世に広く知られるようになります。日本に紹介されたのは1989年、三宅一生が中心となった東京、大阪での展示です。この時の会場内の設計は安藤忠雄だったと聞きます。この翌年、88歳のルーシーは能卒中で倒れます。それ以後93歳で亡くなるまで、作陶から遠のいて行きます。最初の能卒中の後に作られた書き落としの作品は、あの緻密な線が彫られずに残っていたそうです。後年は、「私は充分なポットを作ったかしら?」と言葉も不自由な中尋ねたと書かれています。

 私生活では独身を通し、お菓子を焼いたり、マーマレードを作るのを楽しみにしていたそうです。好き嫌いのはっきりしたルーシーは、人の好みもうるさかったようです。何事にも最後は自分を貫いた人だから出来たあの作品達ではないでしょうか。

 この本を読みながら、ルーシーが残したというメモを元に2度目のルーシーのチョコレートケーキを焼きました。最初は作り方も全く同じにしましたが、今回は配合は同じ作り方をやや変えました。卵液に次々足して行くやり方ではなく、卵白を泡立てて最後に加えました。ルーシーオリジナルより軽くなります。卵白が立っている分、嵩が少し持ち上がっています。重いチョコレートケーキがお好きな人はオリジナルの方がいいと思います。このケーキ「ルーシーのチョコレートケーキ」として我が家の作り続けるお菓子となりました。

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桜鯛の季節 香港

2016年05月22日 06時39分54秒 | 香港

曇り、25度、84%

 春から夏にかけて、香港の市場の魚屋さんの店先も賑やかになります。お野菜、果物は世界中から入って来ますから季節感がありません。それに比べて、お魚は季節を教えてくれます。回遊しているサバの子供が市場に並ぶのは春先、日に日にそのサバ子も大きくなり成長すると脂が抜けたパサパサのサバになります。美味しいのは10センチ程のサバ子です。日本のかつおより小振りのかつおも出ますが海水の温度の違い、ちっとも美味しくありません。鰆は一年中あります。イトヨリダイも一年中あります。私のこの季節の楽しみは、なんといっても桜鯛。小ぶりなチヌ(クロダイ)よりやや大きい30センチ程の桜鯛が魚屋の店先に並ぶと喜ぶのは、やはり私が日本人だからでしょうか。

 鱗取りが大変な鯛、魚屋のおじさんに丁寧にとってもらうように頼みます。お腹を出してもらうとき、おじさんの手元を見ていると用心深く大きな釣り針を抜き脱しています。鯛はやはり一本釣りです。さて家に持ち帰り、何の料理にするか考えます。日本ならお刺身だって食べれますが、香港の近海魚、お刺身だけはこの私でも遠慮します。一匹買いすると、薫製がいいか、酒蒸しがいいか、グリルがいいか?と悩みます、主人に尋ねれば、最近のお好みでグリルとおっしゃいます。

 酒蒸しだって、薫製だって、グリルだって、一匹丸のままの料理は簡単で主婦に取ってはありがたいものです。 オリーブオイルを薄く塗って、沢山赤いパプリカをしいた上に鯛をのせます。お腹の中に内緒で梅の清酒を振り入れました。軽くエクサンプロバンスの香草を振って、たっぷりオリーブオイルを垂らしてオーブンに。お魚ですから、焼き過ぎにご注意。

 トロトロになったオリーブオイルと鯛の汁をすった赤いパプリカが白身の魚のいいソースになります。

 もうひと回り小振りの鯛ならやっぱり鯛めしだわねと、丸々一匹をのせた鯛めしを思い浮かべているところです。

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