チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

雑貨屋 2 香港

2015年01月31日 | 香港

曇、15度、86%

 香港で雑貨を買いたいと思っても、アンティークのまがい物や古具、しゃれたものはなかなか見つかりません。ここ5、6年のことです。北欧の雑貨やヨーロッパからの雑貨を専門に売る店ができ始めました。

 香港島セントラルの市場から一本西よりの坂道はアバディーン街といいます。10年程前までは、セントラルのオフィスの印刷を一手に引き受ける小さな印刷屋が軒を並べていました。昼下がりには、輪転機の音がこの通りを満たします。暑い夏の日に輪転機の音だけのこの街は、からからに乾いているようでした。その合間には、牛のバラ肉の麺を食べさせる有名な店があります。 いつ行っても人が並んでいます。この店と階段に添ってある屋台だけは変わりません。様変わりの激しい香港の街、今や印刷屋は一軒もなくなりました。この通りの入り口はラルフローレンの路面店。その隣はアニエスbのカフェ。そして雑貨屋が次々に出来ました。

 10年程前、 雑貨屋はこの一軒だけでした。ここしかありませんでした。我が家から坂を下って、10分程。一軒だけの雑貨屋によく足を運びました。欲しいものはないのに、見るだけで楽しい雑貨屋です。今やこの通りに、この同じ店が3軒、もちろんワンチィやトンローワンにも支店があります。

 今、ハト時計を探しています。ハトが出て来て鳴くあのハト時計。ある方の家にかかっているのを見て以来、ハト時計を買おうと心に決めていました。主人には、日本製を探しなさいと言われています。昼過ぎとトコトコと坂を下って行ってみました。 ありました、なかなかしゃれています。お店のお兄さん、イタリア製だと言います。これしかないので、もう一軒、今一番私が好きな雑貨屋へ行ってみました。 坂の途中にあるこの店は、以前パグのピアスを友人に求めた店です。パグの陶器のペンダントも指輪もまだあります。ピアスは私が買ったのが最後だったとか。この店にハト時計があるのは知っていました。昔ながらのからくり時計。 これはドイツ製です。一番大きいものがこの写真のものですが、どれもこれも可愛い。ところがその横に、見出し写真のストライプのこれまたハト時計です。この感覚好きです。聞くと、日本製とお店のお姉さん。実は、このハト時計の振り子とはじめの店で見た白のイタリア製と言われたハト時計の振り子は同じ物です。果たして、日本製なのかイタリア製なのか。最終的には主人に決めてもらうつもりです。

 この両方のお店、店内撮影は禁止です。私のように足繁くいくお客には、写真とってもいいよとおおらかです。

 日本のように何もかも揃いはしませんが、香港人が選ぶ雑貨は、日本人のバイヤーが選ぶものとはひと味違います。IKEAのような巨大雑貨屋からちょいと良いものを扱う雑貨屋、香港の雑貨屋も面白くなりました。

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靴下の穴

2015年01月30日 | 日々のこと

曇、15度、86%

 毎日チクチクをしていた一月半の間、自分なりに決まり事を作っていました。とにかく朝座ったら、切りのいいとこまでとか、この糸が終わるまでとか、いろんな理由付けをして少しでも刺す時間を延ばそうとします。そりゃあ、1分でも長く座っていれば、一目でも二目でも先に進みます。主人が朝いる時は、それなりに普通の朝の仕事をするのですが、出張が多い人ですから、いないときは起きたらすぐにでも刺したくなります。

 朝は、いつものように掃除をすること。朝ご飯の食器はすぐに洗うこと。新聞2紙には必ず目を通すこと。当たり前のことですが、モモさんと二人じっとしていますから、散らかるのは私が座っている周りだけです。夕方にその周りと台所をさっと拭けばよさそうなものです。昼ご飯の食器もすぐに洗っておくこと。これは夕飯の前に洗うとなると夕飯の用意に差し支えます。そして、家にいるのですから、モモさんと私の食べるパンぐらいは焼くこと。一日の刺繍が終われば、糸くずは始末して休むこと。

 書出してみると、笑ってしまう程当たり前のことばかりです。もちろん、食料の調達にも出なければなりません。モモさんの散歩はこれまた必須事項です。思わぬところからの長電話、思わぬところからの断れないお呼ばれ。この分なら1月以内に終わるなと見通しがついたのは、1月の10日過ぎでした。2月には旧正月の休みがきます。ハンドキャリーで届けたいと思っているので、尚更、カレンダーが気になります。一応決めたこと、どうにか一日のけじめですから、続けることが出来ました。よしよし。

 一昨日、モモの夕方の散歩の途中、刺し終えた刺繍を手に額屋さんに行きました。2月の第1週には額装が仕上がります。ほんとにやれやれと家に戻ってきました。そして散歩用の靴をを脱いだときです。左足の中指の先っぽが妙な感じです。靴下の先っぽに穴が空いています。たった今あいた穴ではなさそうです。

 洗濯を終えた靴下を昨日繕いました。繕いながら思います。きっと、掃除をしたつもりの家の中も、ここかしこの隅っこには、ほこりが溜まっていそうです。自分の靴下の穴も気付かぬほどですから、主人のものの穴やシミにはまして気付くはずもありません。そういえばこのひと月、主人のワイシャツの襟や袖口をゴシゴシした覚えがありません。なんだ、自分がすることなんてこんなことなのね。開き直っているのではありませんが、まあ、好しとしましょう。

 刺繍の針はニードルブックに戻しました。花糸と呼ばれる刺繍糸も缶に戻りました。

大事なお供の糸切りばさみも、定位位置の裁縫箱に帰りました。

 しばらくは、自分にうんざりしながら、隅っこのほこりや穴繕いに励みます。

 

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1ヶ月と17日、やっと、チクチク終わりました。

2015年01月29日 | 日々のこと

曇、15度、81%

 毎日毎日、座ってチクチク。クリスマス、年末、お正月、どんなに忙しくても、暇を見つけてチクチク。とにかく先が見えて来たこの1週間は、時間が欲しいと、思い続けていました。

 昨日の夕方、一番最後に取って置いた目を入れて、やっと刺し終えました。アイロンをかけて、早速、20年来の付き合いの額屋さんに持ち込みました。

 出来上がりサイズは38センチの49センチ、これより大きいものも刺してきましたが、大きさではなく期日がある刺しものは久しぶりです。日本帰国の記念にと友人たちに刺して贈りました。それ以外は、自分用。私自身のために刺した立ち雛は、おそらくサイズにすると今回のものより大きいかと思います。でも期日制限なしですから、ゆっくりと1年かけて刺した覚えがあります。しかも、ここ2年は眼鏡のお世話になり始め、夜は針を持ちません。ですから、実際に刺し始めたのは9月でした。そんなに用意万端にしていたのに、読みたい本に出会って、3冊も続けざまに読んでしまいました。それに、日本の家に送り返す荷物造り、相変わらず2月に1度は日本に向かいます。全部、言い訳です。そろそろ、時間制限一杯となった、12月の11日、ドンと座ってチクチク開始です。

 小さな目の麻の布に刺すこのクロスステッチは、刺す人の目の善し悪しで、スピードが違ってきます。とはいっても、30年以上も刺し続けて来たこの刺繍、ある程度の勘は持っているつもりです。しかも、集中すると端で見ている人もびっくりする程手が早いそうです。このデンマークのクロスステッチを刺したことがある方はお分かり頂けると思いますが、9つの穴でひとますと考えて刺します。刺し始めると9点のますが見えて来るのですが、穴一つ違うと、どこかで合わなくなり始めます。どこで穴一つ刺し間違ったか、そこからやり直しです。何度糸を切ったことやら。間違う日には幾度も間違います。

 模様の込み入ったところでは、目数を数えるのすら息を殺して数えます。膝の上のモモさんに、動かないで、と言うのもこういうときです。大事なところを刺している時に限って、モモさん、大あくびをして起きてきます。顔なんか上げたら目でも刺しかねません。寝てなさい。

 随分昔、やはり大作を刺していました。その時、知人のポネラリアンを一時帰国の間預かっていました。ちょっと刺してる手を止めて立った隙に、そのポメさん、私の刺繍におしっこを掛けました。ショックで刺し続けることが出来なくて、なおし込んだことがあります。数ヶ月後、気を取り直して刺し続けました。今見ても、そのおしっこのシミがうっすらと見えます。

 今回も、終わりが近付いて来て思ったのは、これは好きでないと刺せないということです。しかも大きな作品は、肩、腰、肘にも負担がかかります。寝る前にバンテリンを塗るのは欠かしませんでした。座ってる間の姿勢も注意していました。おかげで痛みが出ることもなく刺し終えました。やれやれ。

 この1週間は、10分程の市場やスーパーに買い物に行くのも億劫です。とにかく刺したい。主人には随分迷惑を掛けました。モモさんも夕方のお散歩の時間、もう少し待ってね、と我慢をさせました。

 額装が出来ると、もう一度お見せします。親しい額屋の彼女と考えて考えて、いつもの私が作る額とは随分違ったものが出来て来ると思います。後1週間で仕上がるはずです。大きな木枠から外したばかりの、今回の刺繍です。

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京菓子 3品

2015年01月28日 | 日々のこと

曇り、16度、83%

 京都パリ、このふたつの名前に日本女性はすっかり弱いそうです。はい、この私もその中の一人、街の景観ばかりか街を歩く人を見るだけでも、目の保養になるのではと思う程です。その上、食べるものまで美味しい街ときています。このふたつの街を訪れるときは、きっと散財しそうな自分が見えてきます。あれ食べて、これ買って、そうそうあの美術館もこのお寺にも行きたい、考え始めると切りがありません。

 観光客だって、あの分厚い旅行案内片手に廻れば、美味しいところに行き着くことは出来ます。有名なお菓子屋さん、有名なお店は、いざとなればデパートの地下に潜り込めば見つけることもできます。でも、その土地で生まれてその土地で育った方が選んでくださったお土産は、路地裏の地元の人しか知らないお店のものだったりするわけです。

 京都からお客様がみえました。2年前とちっとも変わらない様子に一安心。またね、と別れ際に紙袋を手渡してくれました。家にかえって開けてみると、小箱が幾つもはいっています。京都らしい包み紙。旅立つ前の忙しい合間を縫って用意してくださったと思います。

  柏屋光貞の空豆の州浜と押し物の音羽山という名前のお菓子。空豆の中にもあんが入っています。きな粉の香りが、もうひとつもうひとつと誘います。 箱の奥には、「おおきに」という名前の砂糖菓子。箱をひも解いたときの、私の顔はご想像に任せます。

  こちらは、二丈若狭屋のふく栗と焼き栗。丸のままの栗に栗餡を被せて焼き栗に見立てた物と、あんを被せたふたつです。コロンと栗がはいっている贅沢なお菓子。日本茶はもちろんですが、私は濃いめに入れたセイロンティーといただきます。

 京都の和菓子はつとに有名、でも洋菓子も美味しいと聞く京都です。きっと京都の人は食べることが好きで口が奢っているのでしょうね。コーヒーだって、京都のコーヒーは美味しいといいますから。

  加加阿365というチョコレートも入っていました。見出し写真が、その箱ですが、なんと私の誕生日の日付が書かれています。その日その日に生まれた人用のチョコレート、365種類あるそうです。チョコレートはその配合で、薬にもなったといわれる代物、蓋をとった途端にあっと鼻孔をくすぐるカカオの香りが豊かです。

 実は紙袋を手渡してくださる時に、「賞味期限が近いので急いで食べてね。」と言われました。見ると一番遅いもので明日までです。そんなわけで、お茶を入れ替えてはお菓子ばかり食べてます。州浜や栗は、ちょっぴりモモさんにも。ところがチョコレートばかりはモモさんに上げれません。モモさん、熟睡のときを見計らって、台所で一人こっそりとお口に入れました。このチョコレート効きます。何に効くかって、なんだかすごく元気になれそうな、じわじわと美味しさが口に拡がりました。

 私が一番食べたいアップルパイ、一番食べたいクルミのタルトは京都のお店のものです。あー、京都にも行きたいなあ、もちろんパリにも行きたいなあ、至極、ミーハーな私です。

 おごちそうさま。

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痛みの表現

2015年01月27日 | 日々のこと

曇り、17度、88%

 昨日は、行く先々で肉体的な痛みについての話が持ち上がりました。この痛みの話が出る度に、私は両親を思います。痛みの表現が全く対照的な両親でした。

 父は46年前、癌で逝きました。放射線治療、ストレプトマイシン、一日も入院もすることなく、通院治療でした。大柄な父は、ごっそりと体重を落とし、頬骨がたった顔になりました。癌ですので痛みも伴います。幸い親しい先生が、一日に2度モルヒネを打ちに来てくださいました。それでも、痛みはいつ襲って来るか分かりません。先生がみえる前に痛みが来ると、父は横たわったまま寝室の天井を見つめて、じっと息をひそめて痛みを耐えていました。それでも我慢ならなくなると、かすれた声で私の名を呼び、先生に早く来てもらうよう電話を頼みました。痛みをこらえているときの父の姿は、当時12歳だった私は何か見てはいけないもの、父の尊厳を傷つけるように感じていました。

 対照的に母は若い時から痛みを口に出しました。そして、その傾向は年々強くなり、逝く前の数年、肩を傷めてからは目に余るものがありました。自分で服の脱ぎ着をしていて肩の上げる高さで痛みが走ると、大声を上げて痛いと言ってうずくまります。ヘルパーさん、施設に入ってからは介護職員の方達に服の着脱を手伝ってもらうときは、痛みが来ると、大声を発し、助けてくれる人の手を振り払い、睨みつけて「人の痛みは分からないでしょう。」と言います。もちろん私にも同じ事です。確かに、他人の痛みは分かりません。それでも言い方、別な表現の仕方があってもいいのではないかといつも思いました。ヘルパーさん、介護の方達にはほんとにお世話になりました。皆さん、よく我慢してくださっと感謝しています。

 父の癌の痛みと母の肩の痛みを比較しているのではありません。どちらの痛みが大きいものかも、私には分かりません。この両極端な痛みに対する反応を見て育った私は、痛みを得た時には、布団に潜り込んで丸くなってじっと耐えます。痛みは分からないだろうと、睨みつけたり、手を払ったりする母の姿は汚く私の目には映りました。父が逝った年齢を10歳も超してしまった私です。今からどんな病に会うか分かりません。その時、目を閉じて父が痛みを我慢していた姿を思い描こうと思います。父も我慢していたのだから私にだって出来るはずです。

 痛みは心の持ち方でも違って来ると聞きます。痛みは他人には分かりません。同じ病名だって、痛みは違うはずです。ただ、目に見えるのは痛みに反応する人の姿です。

 私には、父というありがたいお手本がいてくれました。

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スノーボール

2015年01月26日 | 身の回りのもの

曇り、17度、84%

 ハリソンフォードとミッシェルファイファーが共演と聞き、興味あって映画館に足を運んでみた映画、数年前のことです。映画自体、それほど面白みがなくて少しスリラーがかった筋立てでした。邦題は知りませんが、確か、[WHAT LIES BENEATH] が原題です。

 この映画の中で、たった一コマ記憶に残るシーンが窓辺に飾られたたくさんのスノーボール。ハリソンフォードとミッシェルファイファーが演じる夫婦の歴史のように窓辺に飾られていました。

 スノーボール、丸いガラスの中の液体の中に舞う白い雪、様々なフィギュアが中には入っています。ひっくり返すと、雪がまあるいガラスの中を舞います。単純なお飾りですが、繰り返し繰り返しひっくり返しては、雪の舞う様子を眺めます。小さいときからこのスノーボールが好きですが、何故か買ったことも頂いたこともありません。数年前のクリスマス前、ウェッジウッドの店先に、スノーマンのスノーボールが並んでいました。お土産屋さんのものとは違って、いい作りです。2,3度通って手に取って眺めました。欲しいのですが、置物が増えると掃除が大変です。ほこりを被ったスノーボールなんていただけません。次の年、やっぱり頭からは慣れないスノーマンのスノーボール。ウェッジウッドに行き在庫があるか尋ねました。スノーマンのスノーボールは、前年限りの生産だったそうです。非常にがっかりしました。いえ、今でもがっかりしています。そんなに高い買い物でもなかったのに、何故買わなかったのかな、こんな思いは意外に何年経っても忘れません。

 その年のクリスマスに、主人が買ってくれたのが、見出し写真のスノーボールです。これはスノーではなく、キラキラしたものが中を舞っています。オルゴールもついています。私の枕元、出窓のところに一年中置いています。スノーボールを通して、向こうの景色を見るのも面白い。たった一つですから、こんな私でもほこりを直ぐに払います。ひっくり返して、キラキラが中を舞うのを見ると、顔がほころんでいます。

 一つで充分、そう思ってはいるのですが、スノーマンのスノーボール、どこかで見つけたら今度は即買うつもりです。2つまでならほこりだって、払ってやることが出来そうです。

 でも、大小様々なスノーボールが並んでいた映画のワンシーン、かなり強烈に心に刻まれました。

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石焼き芋の思い出

2015年01月25日 | 日々のこと

曇り、17度、83%

 香港も北風が吹く頃になると石焼き芋のリヤカーが、毎年同じ場所に留っています。石焼き芋専門のリヤカーもありますが、たいていは塩卵や銀杏も一緒に売っています。うずらの卵や銀杏も石焼にします。芋の焼けるにおいはしないのですが、風に乗って暖かな空気がリヤカーの居場所を教えてくれます。

 私が通った中学校は、松原の中にありました。校庭はそのまま浜に繋がっています。玄界灘の風を毎日受ける学校でした。冬になるとこの海風は、寒さを運んできます。九州の福岡といっても、あの頃は雪もよく降りました。学校の校門を出ると、一本道の脇には昭和40年代の低い日本家屋が続きます。海寄りの住宅街は人も少なく、寒い冬は寂しさが漂っていました。

 この一本道に下校時間になると、時々、石焼き芋のリヤカーが出ていました。一本道ですから、リヤカーがポツンと遠くに見えています。友達数人とあの年頃ですから、たわいもない話をしながら帰ります。友人たちは、石焼き芋を買おうと話しています。私はお金を持たせてもらえないので、こういう買い食いには付き合うことが出来ませんでした。お店屋さんなら、お店にはいって行く友人たちを見送ってそこで別れて一人で帰るのですが、リヤカーです。石焼き芋を食べながら帰る友人たちと一緒に帰ろうと、みんなの後ろに一人いました。欲しい石焼き芋を指すと、おばさんは計りにのせていくらと言い、薄いハトロン紙の紙袋に入れてくれます。みんなが焼き芋を手にした後、おばさんが手招きして私を呼びます。おばさん、何にも言わずに私の手にもハトロン紙の石焼き芋を握らせてくれました。その時、私がなんと言ったか、すっかり忘れています。おばさんの顔ももう忘れてしまいました。ただ、手の中の石焼き芋の暖かさだけが今でも思い出されます。

 この中学校は校門を出るとすぐ左手には、公の母子寮がありました。右手には、孤児院(今では児童養護施設というそうです)がありました。そんなことちっとも感じませんでしたが、日本が急成長の道をずんずん歩んでいる頃の話です。それでも、まだ、暗いものが日本のそこかしこに見られた時代です。

 今は埋め立てが進んだこの中学校の辺、学校はそのまま残っていますが、周りの様子はすっかり変わってしまいました。それでも、冬の寒い日にそのあたりに行くと、あの一本道の石焼き芋の暖かさが幻のようにふっと目の前を横切ります。

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雑貨屋 1

2015年01月24日 | ステイショナリー

曇、15度、72%

 私が大学生になった頃、東京の渋谷に『文化屋雑貨店」という有名な雑貨屋がありました。後にファイヤー通りと呼ばれた道沿いにあるその店は、間口は狭くいつも人が一杯でした。雑貨といっても、古もの、ガラクタに近いもののように思いました。それに価値を見いだす人にとっては、ワクワクのお店でしょうが、私は心躍りませんでした。その「文化屋雑貨店」、数年前香港にも店を出して紹介されていましたが、未だ行ったことがありません。私が大学生になった頃、40年前のことです。

 子供の頃、最初に出会った雑貨屋は、文房具屋ではないでしょうか。文房具も昭和30年代は、今ほどカラフルではありませんでした。鉛筆だって、一種類それでも2Hから2Bまであります。紙石鹸やモールやリリアン、縄跳びだって売っていました。私の雑貨屋好きの根っこは、文房具屋にあります。

 私の育った福岡には、小さい頃から『丸善」がありました。当時、賑やかだった中洲から古い博多駅の中間、土居町というところに古色蒼然とした2階建てのビルでした。1階は日本の本、2階はがらんとした洋書売り場の奥にバーバリーのコート売り場があり、その奥に文房具が置いてありました。この文房具売り場は、私にとって福岡でも数少ない楽しみな場所でした。「丸善」に行くのは親と一緒です。お小遣いなど持たせてもらっていません。ほんとに見るだけです。「丸善」の文房具売り場は、あの頃、唯一海外からの文房具が置いてありました。

 日本の文房具は、実用本位。それに比べて海外の文房具は夢がありました。ブックマーカー、栞一つとっても、小さな木の動物に革ひもがついたものなんかありました。見出し写真は猫とサルです。自分では買えないのですが、母が時折買って来ては机の上にのせておいてくれました。 この3センチ程の小さな皮のケースの中には、鉛筆削りが入っています。 しかも、芯の先のサイズが3サイズ選べます。これは、ドイツ製です。猫とサルの栞は、はて、どこの国の物かしら?

 今では日本の文房具もとても楽しい。しかも、世界中の文房具がステーショナリーの雑貨屋に行くと揃っています。北欧は北欧らしい、イギリスもイギリスらしい、それぞれの国柄を反映する文具の雑貨たちです。

 「丸善」の文具売り場を雑貨屋だと言ったら叱られそうですが、私の雑貨好きの根っこは、揺るぎなくここにあると信じています。

 この鉛筆削り、猫とサルの栞、小学の5年のときから私とずっと一緒にいます。そろそろ半世紀。

 もちろん、家を持ってからは生活雑貨、台所雑貨にもドッポリ浸かっています。

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花豆

2015年01月23日 | 映画

晴れ、13度、75%

 花豆、正確にいうと赤花インゲン豆。乾燥しているときでも4センチ程もある大きなお豆です。濃い赤と紫のまだら模様が特徴です。この豆との出会いは、ただでさえ豆好きな私の豆経歴の中でも、大きな位置をしめてます。小豆や大豆のようにいつも見慣れた側にある豆とは違いました。ある日偶然に出くわした花豆です。

 今や全国的に店舗を拡げている「富澤商店」、元々は東京町田の乾物屋さんだったそうです。息子は、町田に大学入学以来10年近く住みました。町田の駅からほど遠くないところに古い商店街があります。急に町並みが低くなり、昔ながらの商家の作りが見えてきます。そのあたりで、一軒、やたらに中年の女性の出入りの多い店がありました。軒の低い、大きなのれんをくぐると、あまり明るいとはいえない店の中には整然と乾物、製菓、製パンの材料が並べられていました。どれも、きちんと袋詰めされています。今から18年ほど前のことです。

 日本に帰れば豆を探します。香港でも、かなりの種類の豆が手に入りますが、美味しさや豆の鮮度は日本のものが優れています。もちろん、昆布やワカメ、海苔の類いもあの当時は、日本から持ち帰っていました。

 豆の棚の前で、見たこともない奇妙な色の豆を見つけました。それが花豆。 お値段は、黒豆に次いで高く、500g入りの袋を手に持って、はて、買おうか考えていると、お店の方が近付いて来て、花豆の美味しさや炊き方を説明してくださいました。それ以来、花豆は私の豆のチャートの中では女王様です。

 今回は、福岡のデパートの地下にはいっている『富澤商店」で新豆を買い求めてきました。昔とは違い、豆の袋詰めの量が300gと小さくなっています。お正月気分もすっかり抜けて、またしてもお豆の優しい甘さが欲しくなってきました。一晩漬けるつもりで、午後遅く水に入れた花豆、ほんの4時間程で水を吸い上げています。さすが新豆です。インゲン豆の仲間ですから、ざらっとした豆の食感があります。このお豆本来のフンワリした美味しさを生かそうと、お砂糖でなく蜂蜜で炊いてみました。しっかりとお砂糖を一杯に入れて炊くと、身はしまりまた違った美味しさを持ちます。今回はとにかくふんわりした花豆に仕上げました。炊き上げた花豆6センチ強の大きさです。

 度々登場する花豆、今回は豆が少ないのでこの蜂蜜煮だけ。いつもは、スープに入れたりトマトソースで煮たり、マリネしてサラダにします。

 今、書きながら思ったこと、『富澤商店」が大きくなった秘訣は、あのお店の店員さんたちの力だと思います。町田のお店にはお客も多くいましたが、お店の人も多くいました。そして、彼女たちが、商品知識に深く通じていてこうして召し上がったくださいとアドバイスしてくれました。店舗数が増えると、いつまでもそんな訳にはいかないかもしれません。乾物の戻し方、製菓材料の扱い方にあの頃の『富澤商店」のお店の人は長けていました。

 私にとって女王様の花豆、日本では長野と群馬のものが一番大きいとされています。高地でしか採れない花豆です。以前、福岡産の花豆を買いましたが、大きさが半分、甘みも少なく感じました。香港では、白花インゲン豆が手に入ります。色合いがもっと白いものです。ひと頃、健康によいと売られていましたが、豆の管理が悪いのか、非常に硬かった。たまに、台湾から花豆がはいってきます。これまた、半分は硬くて食べられない代物です。

 昨日は、味見と称して花豆を次から次にお口に入れていました。主人と一緒に夕飯のテーブルについた頃には、お腹が一杯でした。

 

 

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スタンプ

2015年01月22日 | 身の回りのもの

晴れ、15度、44%

 もうすぐ友人の誕生日です。とりあえずカードだけは送ろうと、チクチクの合間にカードを書きました。カードや手紙を書く道具だけはわんさか準備しています。カードの封をシールを貼ろうか、蝋印をしようか迷いました。でも、彼女は随分お若いので、そうそう使っていなかったスタンプを捺すことにしました。

 先月日本に戻った時に買った、陶器のスタンプです。以前から欲しいなあと思ってはいたのですが、売り場に2個しか残っていません。なんだか、売り切れてしまうのではと2つとも買い求めました。

 消しゴムスタンプを作っていたのは、20年以上前のことです。紙ばかりでなく、布にもそれ専用のインクでスタンプすることが出来ます。 何にもないハガキもスタンプ一つで、不思議に愛嬌がよくなります。スイカやビーチパラソル、カブトムシは暑中見舞いに使ったものです。 一番のお気に入りは、私の名前を入れたスタンプです。あちこちペタペタ捺しましたから、少し写りが悪くなりました。香港に来てひょんなことから、子供たちの勉強をみるようになりました。私のノートや手帳に押されたスタンプを見て、わいわいと欲しがります。作り方も教えましたが、一番作ってあげたのが右下の男の子と女の子が手をつないだスタンプです。これを並べて捺すと可愛い。真っ白な紙ナプキンもスタンプを捺すと、どこにもないオリジナル紙ナプキンの出来上がりです。

 教えていた子供たちがまだ小学生だった頃に、主人が買って来てくれたのが、 この怪獣のよくできましたスタンプセット。香港のLOFTで売っていたのですが、高くて買えずにいました。ご主人様、私が欲しいものをよくご存知です。中には木で出来たゴム印が4つ入っています。

 取って置きがインドのウッドプリント用の木型です。チクチクの合間に、スタンプを見て思わず時間が経ってしまいました。

 友人のカードの封は、 このスタンプ。しばらくは、お誕生日のカードは、このスタンプ付きで届くと思います。

  窓辺の女の子です。普通のお手紙はこちらのスタンプを捺しましょう。既に、窓辺の女の子、本の裏などにペタペタされています。

 

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