チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

パグのマグカップ

2015年03月31日 | 身の回りのもの

ガス、22度、94%

 パグって、犬のパグです。パググッズなるもの、非常に沢山あります。あの変なお顔ですし、ちょいと太めな所もご愛嬌、日本のみならず、世界中で考えてもパググッズは他の犬種より多いのではないかしら?と思います。パグと生活してる人ももちろん、パグに興味がある方までが買って行くようです。私など、紀州犬グッズを探すのですが、何処にもありません。当然我が家にも初老のモモ爺がおりますので、パグのような絵や置物を見れば必ず手に取ってみます。

 挙げ句に、友人知人から頂くパググッズの多いこと。見ればギャーとまで喜ぶ私です。何処から探してみえるのか、次から次にと頂きます。リアルなパグからすっとぼけたパグまで、ありますあります。一つ心に決めてることがあって、実は当の本人、私はパググッズを自分からはあまり買いません。大袈裟なことではないのですが、モモさんがいつも私の周りにいます。それで充分、それ以外はいらない、モモさんが側に居てくれることが一番です。ところが先週は、日本でフェルトのパグのエッグウォーマーを買ってしまいました。あれから一週間も経っていないのに、昨日、パグの絵のマグカップを買ってしまいました。パググッズの頂き物で一番多いのはマグカップです。にもかかわらず買ってしまいました。

 いつもいく本屋さん、このパグと同じデザインのノートを売っています。手に取ってみましたが、これまたパグのノートパッドも使わずに一杯持っています。昨日はその棚の一番上に、ひょいと目がいきました。あれあれ、マグカップが、、、。背伸びして手に取ります。持ち手の具合、大きさ、口に向けてやや拡がっているこの形、とても手に馴染みます。レジに行き、2つ欲しいのですがといいました。だって、主人にも買ってあげないとね。探してくれますが、香港ではこれが最後だそうです。

 パッキンに包んでもらい、一つ大事に抱えて帰ってきました。食器の類いは、充分過ぎるほど持っています。もう買わないが今の原則なのについつい。 五匹のパグが描かれていて、一匹だけ、こんなパグが。これはイギリスのFENELLA SMITHという人のデザインだそうです。

 もちろん、今朝一番のコーヒーミルクをこれで飲みました。手の納まり具合もですが、口当たりの優しいカップです。食器を増やさないの原則を破って、もう一つ主人に探すつもりです。

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アンジェリーナジョリーの話に思う

2015年03月30日 | 日々のこと

曇り、21度、90%

 ハリウッド女優のアンジェリーナジョリーが、2、3年前でしたか、遺伝的にみても乳房の癌の罹患率80%と診断され、乳房切除の手術を受けたと聞きました。つい先日、今度は卵巣も同じ理由で摘出したとききました。母親や伯母が癌で苦しみ、早世したことを思い踏み切った手術だと思います。女性の場合、こうして摘出することで癌から未然に身を守ることが出来る器官を体に持っているわけです。

 この手術、日本ではまだ認められていない手術らしいのですが、費用もかなりのものと聞きます。その上、失った乳房の再生手術もしなくてはなりません。普通とは違うハリウッドなどという世界に住む人だから出来る話です。アメリカ本国でも意見は賛否両論とか。

 先月、私自身、もしかしたら、子宮に異常があるかと診察を受けました。最終的には異常なしと診断されましたが、結果が出るまでの間、子宮摘出は覚悟をしていました。一人ですが子供もおります、もう、60に手が届く年齢です。それでも、異常なしと診断されてからは、尚更、自分の体が愛おしくなりました。

 父は40年以上前に癌で逝きました。火葬場で父の骨を迎えたとき、真っ白な骨に数カ所人工的な赤と青の斑点がありました。今、初めてこんなことを書きます。ずっと心にあった情景です。そして、子供心にその赤と青の斑点は、薬のせいではないかと思ったのです。手術こそしませんでしたが、ストレプトマイシンを打ち、抗がんのためのコバルト照射も続けていました。医学的なことは分かりませんが、薬は病も治すけど、体を蝕むものでもあるのではとその頃から思っています。

 一昨年逝った母は、大きな手術を晩年、70代でしました。股関節にヒビが入ったために、人工の骨を入れたのです。逝った年齢がもう80も半ばすぎでしたので、骨粗鬆しようだったのでしょう、拾った骨はカスカスでした。それよりも驚いたのは股関節の人工の骨です。金属とセラミックスで出来たその骨は、そこだけが、奇妙に生々しく今にも動き出しそうに見えました。

 この58年間、大きな病気もしませんでした。皆さんに元気ねと言っていただきます。それでも、自分の体です。今後どんな病気や事故があるかもしれません。その時はその時で、臨機応変に立ち望むつもりですが、出来るなら、生まれた時からずっと一緒の私の体の器官とは、損なわずに一緒にいたいと思います。

 月並みな言葉でいえば、健康ですが、健康体であるにもかかわらず、将来に罹患率に気を奪われ、自分の体の一部を取り除くなどということは、病気ならいざ知らず、体に申し訳ないと思います。

 皆さん、私を見ると元気の上にあぐらをかいているように思ってらっしゃいます。一番身近な主人ですら気付いていないかもしれません。実は、非常に臆病なくらい健康に気を使っています。体に取り入れるもの、体を動かすこと、睡眠。ズボラをしていません。

 やはり父が癌で逝っています、アンジェリーナとは次元も向き合い方も違いますが、その底にあるものは、自分の体への愛情だと思っています。

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コットンツリードライブ 木棉径 香港

2015年03月29日 | 香港

晴れ、20度、88%

 香港島の北、セントラルと金鐘の中間に山向きに3車線の広い道があります。この道は上り専用、下る道はほぼ平行して走る花園道です。この道の歴史に付いては知らないのですが、ドライブという名前から、以前は小さな道で、花園道で上り下りしていたのだと思います。

 そして、名前の如くコットンツリーが道沿いに植わっています。とても背の高い木です。しかも落葉しますので、冬場は筒立ちの趣の無い木です。葉より花を付け始めるのが早く、ちょうどこの季節、真っ赤なボッテリとした五弁の花を付けます。 先週4日ほど香港を離れました。行く前には殆ど咲いていなかったその赤い花が、この径の両脇に花を咲かせ始めています。葉の無い木に赤い花だけつけるので、際立って目立ちます。

 昨日の香港、この時期にしては珍しく快晴でした。しかも、湿度も窓を開けれるほどにまで下がっています。金曜日から始まっているラグビーのセブンス、セブンスがやっている3日間というのは、例年雨かジトジトとした嫌なお天気です。お天気の良さにつられて、家のことも放っておいて散歩に出ました。

 このコットンツリードライブの下り切った所は、昨年日本でもよく報道されていた、学生の道路占拠があった場所です。我が家に車で帰るには、この径を上がるしか方法がありません。2階建てバスもミニバスも全てこの径を上がってきます。2日前、陽のあるうちに香港に戻った私は、エアポートエクスプレスの香港ステーションからミニバスでこの径を上って帰ってきました。コットンツリードライブに入った途端に、赤い花が目に入ります。季節の移り変わりをちょいと忘れるほど忙しかったこのふた月。赤い花が、私に香港の夏が近いことを教えてくれます。

 ちょうど一週間前、散歩の途中でヘタクソな蝉の鳴き声を聞きました。鳴き続けれない、途切れ途切れの蝉の声。昨日は、晴天の元、少しずつ長が鳴きが出来るようになっています。先日までの堅い新芽が一斉に新緑に代わった木々、今、この数日が香港の山々の一番きれいな時です。

 香港の短い春で私が待ち望むのは、蝉の声、アカシアの花、そして、木々の新緑です。 このコットンツリードライブ沿いにあるアカシアの木は日当りがいいので、近所では一番早く黄色い小さな花を付けます。一瞬にしか香らないアカシアの花の香を捕まえようと、息を殺して次に深呼吸。短い短い春の香りです。

 今日も、お天気良好。この金曜日からは長いイースターと清明節のお休みに入ります。ジトジト天気が戻って来るようです。このジトジト天気も五月の終わりになれば、一斉に夏雲が空に見られるようになり終わります。そしてその頃、このコットンツリードライブを通ると、白い木棉が空を舞っているのが見られます。初めてその様子を見たとき、もう随分と前のことですが、いったい何だろうと少しばかり幻想的なその様子に見とれていました。木棉だと気付くのに、随分時間がかかりました。綿といえば、木には出来ないとばかり思っていましたから。

 まだ海洋性の霧がかかっていますが、昼間晴れたら、束の間のお日様を楽しんできます。

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点検終了 モモ

2015年03月28日 | もも

曇り、19度、91%

 昨日の福岡 香港便、朝、福岡発で台北経由です。珍しく陽があるうちに香港に戻ってきました。香港のイースターのお休みはもう少し先、でも、日本の春休みです。家族連れ、卒業旅行のグループで満席の飛行機です。

 途中の台北も大雨、香港に着くと曇ってはいますが、路面は雨が降った後でびっしょり。そんなお天気のせいもあるのでしょうか、エアポートエクスプレスの香港ステーションのタクシー乗り場は長蛇の列です。その上、やって来るタクシーの数も少ない。そうだわ、この時間、タクシーの運転手さんの朝シフトと夜シフトに替わる時間でもあります。こんなとき、このセントラルの上に住む人は強い。荷物が軽ければ、上向きになっているヒルサイドエスカレーターを使います。荷物がやや重ければ、香港ステーションの反対側から出ている16人乗りのミニバスで、家の近くまで連れて行ってもらいます。

 飛行機が香港着陸するや、私の頭の中はモモさんで一杯です。ただでさえ速い足が、超が付くほど速くなり、どう帰れば最短かをパッと割り出します。昨日はミニバスを使って帰ってきました。

 昼間は、お手伝いさんと一緒に過ごしているモモさんです。鍵を差し込み顔だけ出して、モモさんを抑えてくれるようにお手伝いさんに頼みます。今回、私はスーツのまま帰ってきました。いえ、スーツしか持たずに出て行ったという方が正解です。スーツをガリガリされては堪りません。私を見て悲鳴に近い声を上げるモモさんにちょいとKissしてトイレに駆け込み着替えます。出て来た所を猛ダッシュのモモさんに掴まります。小さいながらもしっかりと肉玉のモモさん。ダッシュしてぶつかって来ると、私ですらヨロリ。そこを受け止めて、顔中歓迎のベロベロ洗礼を受けます。それでも家を走り回り、いよいよ感極まったのか、所定の場所におしっこまでなさいます。

 まだ、興奮覚めやりません。次は荷物を開ける番です。今回も、買い物らしきものは何もありません。フキに菜の花、空豆。トランクを開けると、まず中に入り麻薬犬よろしくクンクン。異常ありません。と、私が件のフェルトのパグを見せた所が、見出し写真です。「見るだけよ!」確かに見るだけで関心を示しません。これを頻繁に使うようになると話はまた違ってきます。

 荷物の整理を簡単に済ませて、膝の上に乗せると、やっと落ち着きを取り戻すモモさんです。もう何回、こんな儀式みたいに決まり決まったことを繰り返して来たことやら。普段は、外出先から帰宅しても起きても来ないモモさんです。でも、数日のご無沙汰の後は、全身全霊で迎えてくれます。ありがとう。

 ちなみに、今回出かける前のモモさんです。 私がよそ行きの靴を履くと、それと分かったのか、自分のベットに上がります。枕の上の黒いのは、ついさっきまで私が着ていたポロシャツです。このポロシャツを抱え込むようにして、 この状態でお休みします。あと3時間もすれば、お手伝いさんが来てくれますよ。と言って出かけようとしたものの、何度も、モモさんお様子を見に戻って行く私です。

 主人が随分甘やかしたのか、帰って来るといつも太っていらっしゃいます。

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カラスの落とし物

2015年03月27日 | 日々のこと

晴れ、4度、福岡

 3月も下旬、この時期に日本に帰るとなれば、口にしなくても、心の奥底で桜に会えると思い抱いています。下りたのは夜、まあ、明日の朝まで待ちましょう。

 朝起きると、何やら肩先に寒いものを感じます。朝のニュースでは、気温4度と言っています。あれ?外にでると、見事なお天気ですが、思わず薄手のコートの前をしっかりとしめました。

 福岡の何処のどの桜の木とは決まっていませんが、福岡城趾のお堀端、一重の桜に始まって、八重の桜まで見事に咲き続けます。寒いのにちょいと足を伸ばします。桜の木、花芽は膨らんでいますが、花が付いていません。これまた、口にしませんが、がっかりです。桜の木の間には、3月26日から桜祭りなどと書かれています。

 いいお天気の中、昼過ぎに実家のお墓に向かいます。先月は家族3人が参ったお墓ですが、ちょうどお彼岸にはいつものように、クスノキの落ち葉で一杯だったに違いありません。

 大きなクスノキの懐に抱かれるように建つ実家のお墓です。クスノキは常緑樹、新しい葉を付ける早春に大量の葉を落とします。つまり、この時期です。木を見上げると、葉は無く丸裸、お墓に向かう道も、お墓に近付くにつれガサゴソと靴の下で大きな音がたちます。春彼岸のお参りの時には、この音はつきものです。一人でお墓に向かうのに、いい道連れです。

 もちろん、我が家のお墓だけ、落ち葉をすっぽりと被っていました。あらあら、他所のお墓はお彼岸の後ですから、お花もきれいに飾られています。日差しを楽しみながら、落ち葉をかき集めはじめました。

 この大きなクスノキには、博多の町中のこれまた大きなカラスが住んでいます。カアカアと大きな声を上げて夕方はお戻りになります。このカラスさんたち、木の上でいろいろなものを召し上がります。一度は、我が家のお墓に白骨が散らばっています。鶏ではありません。ネズミか子猫でしょうか、か細い白骨でした。

  これは千両。昨年末、この3倍もあった丈を刈り込みました。この千両は、植えたものではありません。この千両が芽を出したとき、母が残そうといいました。下向きの花を付け、下向きの赤い実をつける千両が墓の横にあるのはなんとも微笑ましい。

  こちらのシュロの木、シュロなんて墓に植える人はいません。これも自然に芽を出しました。母の納骨のとき、墓守のおじさんにこれは抜かないかん、と言われましたが、新芽が出ると根こそぎ抜く気にもなりません。可愛いじゃないの、などと思ってしまいます。今日はこのシュロの下に紫の小さな花を見つけました。タツナミソウです。落ち葉に埋もれず、きれいな緑の葉っぱを伸ばしています。よしよし、と落ち葉を払ってやりました。

 いつもこの墓の前で手を合わせて、上を仰ぎ見ます。クスノキの清々しい香りが上からおりてきます。そして、心の中で、これらの草木の種は、このクスノキの住人、カラスの落とし物に違いないと思います。

 クスノキは樟脳の木です。まん丸の黒いいい香りのする実を秋には落としてくれます。秋も深まると、クスノキのにおいは深くなるように感じます。春は、涼しげな香りも陽気とともにフワフワと何処かに飛んで行っているのでしょう。

 カラスの落とし物、時折迷惑なものもありますが、このまま放っておくつもりです。 これはカラスのいたずらではありません。花入れの横に水を落とす小さな穴があります。ここにはずっと、苔が付いています。これも、母の納骨のとき、墓守のおじさんに抜かれてしまいました。でも、また見事に復活しました。1センチにも満たない苔が墓についていようが、お構いありません。それよりこんなもの達が息をしていてくれること、墓の中の者に外の息吹を伝えてくれることでしょう。

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フェルトのパグ

2015年03月26日 | 日々のこと

晴れ、4度、福岡

 昨日、福岡で照明器具を探していました。改築した家の照明はまだ半分も付いていません。折角ですから、気に入った物をと思いゆっくりと探しています。まだまだ住まない家です。

 素敵な北欧の照明器具を見ていて、ちょいと目の片隅に入って来たのが、 フェルトで作られた動物です。うんと高い棚に乗っていたので、お姉さんに言って降ろしてもらいました。このふたつ、じっと見ていたのですが、パグかしら?耳の垂れ具合、しっぽの巻き方、パグよね。お姉さん、パグをご存じないので、私のスマホのモモさんをお見せしました。パグのようですね。心もとないいお返事です。

 パググッズを見ても決して飛びつかない、変な私です。だって、よく動くモモさんが私のお膝にいつもいます。このフェルトで出来たパグは、エッグウォーマーだそうです。ゆで卵を暖めておくためのカバー。

 珍しく頂くことに決めました。ふたつしかないそうなので、顔を良く見比べて、モモさんに似た方の大きいのを包んでもらいました。ドイツのHUTUPという所のもだそうです。大きさも色合いも一つ一つ違います。

 フェルトの物の温かさは、ホッとします。まだ携帯だった頃、主人がエンジェルの形をした真っ白なフェルトの携帯カバーをプレゼントしてくれました。今のスマホは大きいので使えませんが、大事にとってあります。

 ちょっと大きめなエッグカバー、出来立てのゆで卵、2個入りそうです。モモさんに見せたら、いたずらされかねません。大事に持ち帰り、ちょっとだけ、モモさんにも見せてあげるつもりです。あと一晩お留守番頼みます。

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見つかった無くし物

2015年03月25日 | 香港

晴れ、4度、福岡

 主人は、よくものを無くします。香港、中国の行き来は日常、海外にも行きます。それに夜のお付き合いもお仕事です。眼鏡、携帯はその筆頭。4年ほど前は、眼鏡を年間4つほど作りました。夜帰るタクシーに置き忘れ、時にはスリにだって狙われます。

 ひと月ほど前に、「名刺入れを見なかった?」と電話がかかってきました。何処を探してもありません。何処かに置き忘れたようです。名刺入れにはたくさんのカードが入れてあったそうです。銀行のカードなどではなく、ホテルなんかのポイントカード。中身よりは、そのカード入れ買ったばっかりでした。買ったばかりの物をなくすことよくあることです。主人が物が無いと言うと、私は、主人のスーツのポケットからベットのマットレスを上げてあるかないかを調べます。一仕事です。今回の無くし物、主人も諦めよく忘れていました。

 日本では、落とし物、無くし物、よく見つかります。電車で無くせば、駅に届けられ、道に落ちていれば、警察に。ほんとにまじめな国民です。私たち、香港のような所に長く住んでいます。落とし物、無くし物は家以外なら絶対に見つからないと信じています。これは確信しているといっても間違いありません。これも国民性です。落ちていれば、頂戴するか、無視するか。お金目の物なら、それこそ出て来ることはありません。

 二日前、仕事に出かけたばかりの主人から電話がかかりました。何か忘れ物かな?長いエスカレーターを下って地下鉄の駅に向かっている途中のはずです。やれやれ、と思っていると、意外に晴れやかな声です。

 この長いヒルサイドエスカレーターは、飲食街SOHOを抜けています。朝は、静かな街になります。そんな所ですから小さなセブンイレブンがすぐエスカレーターの脇にあります。日本のコンビニのようではありません。それでもマネーカードのチャージや簡単な食べ物を扱っています。私など、ちょくちょく切手を買いに寄ります。主人も、出勤のとき、水を買ったりしているようです。その店に寄ると、顔見知りのおばさんが居ると言っていました。そのおばさんが、2日前、主人に「もしかして。」と言って、カウンターから出して来てくれたのが、件のカード入れ。あり得ないことです。余程嬉しかったのでしょう。繰り返し、おばさんのことを話します。お礼にとお金を渡そうとしても受け取らないので、カウンターに置いて来た、といいます。そして、私にも行ってお礼を言ってくれと。

 朝の市場に行く途中寄ってみましたが、いるのはおじさんでした。どんなおばさんかな?

 香港の人も、余裕が出て来たのか、いえ、道徳のようなものが少しずつ浸透しているのかもしれません。電車の乗り降りも、降りる人が下りてから乗るようになりました。電車の入り口でぶつかりあうのは、今や中国人です。主人と同じくらい、カード入れが見つかったことより、こんな人が香港にいてくれたことに、喜ぶ私でした。

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義父が逝って、ひと月経ちました。

2015年03月24日 | 日々のこと

曇り、18度、82%

 老人施設に入ったばかりの義父の様子が思わしくなくなったのは、私が孫におひな様の額を届けるために帰国する二日前のことでした。病院に搬送され、酸素吸入を受けているとのこと、主人もチケットの手配をしますが、何分にも旧正月前のことで思うように事が運びません。とりあえず私は東京に入りました。翌朝の一便で福岡に戻った私は、その足で義父の元に向かいました。義母から聞いていた様子とは違って、確かに吸入器や点滴はしていますが、しっかりと目を開けています。「真奈よ。」と手を握るとしっかり握り返してくれます。あとふつ日したら、主人が来るからね。と言うと、大きく頷きます。

 吸入器がどうも邪魔らしく手で払いますから、元の場所に戻しながら「ダメ、ダメ。ちゃんと付けてないと。」と言うと、いつものようにいたずらっぽく目で笑います。私は、義父の様子からまだまだ大丈夫だと思ってしまいました。電話が入ったので、病室を出て廊下の突き当たりで小声で話していると、病室から大きな声がします。「真奈さん、お茶!」飛んで行って寝飲みでお茶を飲ませました。ゴクゴクと大きく喉を鳴らします。一杯飲んだね、と褒めると、また目でニッコリと笑います。大きな声を聞いたのでまたしても安心します。大丈夫、主人も会うことが出来ると。

 病院を出るとその足で主人の実家に向かいました。実は、こういう時がいつか来るかもしれないと、義母と相談していたことがあったからです。二日ほどの病院での付き添いですっかり元気が無くなった義母に、万が一の為に、葬儀の手配に行くからね、と告げました。「頼むわ。」と言ってくれます。葬儀会社に向かう私の気持ちは複雑でした。

 主人の家庭は、身近な肉親の葬儀を出したことがありません。葬儀の手配は、微に入り細に入り細々しています。義母もこのままだと疲れが増します。主人や私も香港からだと、葬儀の手配に間に合わないかもしれません。少しでも義母の不安や負担を取り除いてやるためには、誰かがこんな仕事をしなくてはならないといい聞かせて、葬儀会社に向かいました。

 葬儀会社を出ると、私はその足で東京に戻りました。旧正月ですからチケットの変更も出来ません。それに、義父の様子から私と入れ違いに福岡に入る主人が義父に会うことが出来ると信じていました。

 翌朝、携帯が鳴ります。義父が逝きました。

 主人は一日間に合いませんでした。

 後で聞いたことですが、義父は私が病院から帰った後も大声を出していたそうです。それで、少し休ませるために、点滴に睡眠薬を入れたので、義母たちが行くと寝たままで、お茶ともいわず、手を握っても握り返しもしなかったそうです。そのまま義父は逝きました。義父と家族の中で最後に話をして、お茶を飲ませたのは、私でした。

 私がこの家に嫁いで来て38年。日本に居た頃は、冬になると霜焼けがひどくなる私の手を、義父はよくさすってくれました。香港行きが決まった時に、「香港は温かいから、霜焼けはもう出来ん。」と言ってくれました。義父の言葉通り、この30年近く霜焼けとはご無沙汰しています。

 一緒の食事の時には、蟹や蝦蛄や海老の殻を剥いてくれます。義父も好きな海老、蟹です。一度など、我が家の家族3人で行くと、食卓で義父が海老を剥いています。おそらく、100匹近かったと思います。義父に感謝しながら、ただひたすら息子とエビを食べました。

 義父は俳句で随分賞を頂いています。本にすればと私が言ったとき、義父はもうそんな元気が無いと言いました。私が義父にしてあげれることは、彼の俳句をまとめてあげることかと、このひと月考えています。

 92歳、長い時間でしたね。ありがとう、お父さん。

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一枚の写真の重さ

2015年03月23日 | 日々のこと

曇り、19度、60%

 我が家のアルバムの最初を飾る写真は、生まれてひと月目の息子の写真です。未熟児室のガラス越しに撮ったその写真は、大切な大切な一枚です。

 この15年ほどの間で、つまり2000年に入る少し前から、カメラ、写真のあり方が変わってきました。携帯電話の進歩ほどではないにしても、写真というものに向かう人々の気持ちが日常化してきました。高級な貴金属に位置していたカメラが小型化、低価格化して来て、ついには電話と一体になって、赤ちゃんだって写真を写すことが出来そうな勢いです。写真を撮ることばかりでなく、写真の保存だって紙に焼き付けること無く、アルバムに貼ること無く保存できます。紙に焼き付けるのも、お家で簡単にいくらでも焼き増しできます。プリンターの普及、プリンターの値段もお手頃になってきました。あと一つ、プリクラの貢献度も見逃せません。

 フィルムを使わないカメラ、これは、随分と気楽に撮ることが出来ます。何枚撮ろうが、好きなだけとっても嫌な写真ならゴミ箱マークにポイと捨てれば言い訳です。我が家の30数年の歴史の中で、最初のカメラは一眼レフの当然フィルムカメラです。息子を撮るために買ったカメラです。それ以来、一体何台のカメラを使って来たことか。人から頂いたカメラも含めて10台は越します。今、目の前にすら一眼レフのデジカメ、小型デジカメ、スマホがデンと構えています。

 今のところ一番多い被写体は、モモさんです。動く方ですから、ああでもないこうでもないと何枚もパシパシ。その上、いい写りでもないのにあのゴミ箱マークなどにモモさんをポイするわけには行きません。ただでさえ変顔なモモさんの超変顔がPCに一杯保存されています。もちろん、息子夫婦から送られて来る孫の写真も、一枚足りとて粗末には出来ません。

 フィルムカメラの頃は、旅行から帰って来ると、フィルムをカメラから出して急いで写真屋さんに現像印刷に持って行きました。出来上がるのを待ちかねて取りに行く、家に着く前に一枚一枚眺めたものです。あの時のドキドキ感、焼き上がるのが待ち遠しかったあの気持ち。今ではすっかり忘れています。お家でPCから、デジカメをそのままつないで、プリンターからジコジコと出て来る写真を待ちます。

 私は写真屋の娘です。まだ白黒写真のあの頃、父が暗い現像室で写真を仕上げる様を見ていました。現像液の中で徐々に形作られ浮かんで来る映像、その魅力とその手間を肌身で覚えています。

 カメラという機械も好き、写真という映像も私は好きです。

 先日久しぶりに写真をプリントアウトしました。義父と義母が歩く後ろ姿です。遠目に撮られた写真は、撮った主人の気持ちをぐっと包み込んだようないい写真です。

 昔の人は、白黒の写真を大事に大事にとってありました。家族の写真、自分の晴れの日の写真。大事な一枚が必ずあったものです。身近になった写真ですが、この一枚、これだけはという写真が無くなったのも現実です。

 一枚の写真が持つ重さが随分軽くなったと感じます。この義父と義母の歩く後ろ姿の写真、きっと大切な重みのある写真となってくれると思います。

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僕はテーブルで寝るのが好きです。モモ

2015年03月22日 | もも

曇り、20度、92%

 香港、先週半ばから初夏の気温です。昼間は27度近くまで上がりました。その上湿度は90%近く、ちょっと想像し難い状態です。当然のように、大きなショッピングモール、公共の乗り物は空調が効いています。人間でも不快。ましてや鼻ぺちゃ族のモモさん、家の中でも「はっ、はっ。」と口で息をしながら歩いています。急にこんな日がやって来ることは想定内、早々とクーラーの補修は済ませてあります。これから、10月半ばまで、フル回転するクーラーです。クーラーは効いているのに、「はっ、はっ。」

 よしとばかりにバリカンを持ち出しました。いよいよ、週一回のトリミングの始まりです。「モモさん、刈りますよ!」あら?テーブルの上でお休みです。気温の上り下がりで、モモさん休む場所替えをなさいます。暑くなると、ベットの下や廊下の真ん中、よく見ていると、空気が抜けて一番涼しい所をご存知です。テーブルの上が今は涼しいのかな?あまりに良くお休みですから、起こすまいと思いますが、毛も刈りたい、テーブルクロスにシミが付いたので、ちょうど洗う所でした。テーブルの上でトリムをすることにしました。当のご本人、バリカンを当てられても、横になったまま。なんとまあ、横着なこと。お腹の毛を刈ろうとすると、自動ドアーのように足が上がります。

 寝ていますから、体の半分しか刈れません。そこで、ヨイショと裏返します。刈る方もテーブルの上でやるくらいいい加減、刈られる方も目も開けずに裏返しなされていい加減。毎年、週一回刈りますから、寝てようが、立ってようが、見られるようには刈ることが出来るようになりました。初めて刈った日のことが忘れられません。主人が、モモが可哀想だというほどムラムラ。モモが可哀想というより、連れて歩くのが恥ずかしかったのかもしれません。

 刈り終わって、ブラッシングをしていると、 寝ぼけた顔で起きてきました。やれやれ。

 新しいクロスを掛けようと見ると、またしても  この状態です。

 散歩の時間も急に短くなりました。散歩の途中で、のんびりと横になられます。11歳の夏、モモさん、元気で乗り切ってくださいね。

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