goo blog サービス終了のお知らせ 

チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

日本の布装丁本

2025年03月31日 | 

晴、3度、55%

 昨日、「ペンギンクラシック」の布装丁本のことをこのブログで取り上げました。すると「日本では布装丁の本はありませんね。」とコメントをいただきました。古い本になりますが、日本の「布装丁本」を数冊持っているなと本棚を開けました。

 香港からの帰国に伴う本の整理、この家の親達の本の整理、年齢による身辺整理での本の処理、本の数を減らしています。最近は日本の本はすぐにでも手放せる「文庫本」もしくは「古本」を求めます。ある程度溜まると古本の業者に引き取ってもらっています。

 日本の「布装丁の本」、どの本だったかすぐにわかります。「布の装丁」が忘れられないからでしょう。数たくさんあるのは「幸田文」の単行本です。見出し写真は全て「幸田文」の「布装丁本」です。 どの本も巻末に一文添えられています。「装丁に使われた布は幸田文の好みの着物地です。」本の内容に合わせて編集者達が選んだ生地でしょうか。 どの本も手に取ると感触の良さが伝わってきます。紙の装丁より若干重みがあるかもしれません。

 「井伏鱒二」のこの2冊も「布装丁本」です。 どの本を「布装丁」にするかは本の内容、出版者たちの意向を反映していると思います。

 もしかして?と取りだしたのは、「北大路魯山人」と「永井龍男」の2冊でした。 とりわけ「永井龍男」の「東京の路地」の布は「しぼ」のあるいい生地です。 本を読むと同時に布を肌で感じます。

 出版社は「新潮社」「岩波書店」さまざまです。本屋で「布装丁本」と気づかないのはカバーがかかっているからでしょう。紙のカバーです。中には本に薄紙をかけ、箱入りの物もあります。古典でなくとも文芸作品と呼ばれる内容のものが多いと感じます。

 この家の本を整理した折、「夏目漱石」の全集を捨てました。「岩波書店」から出ており30巻近くありました。大型本で「布装丁」でした。父の本です。その朱赤の「布装丁本」がおそらく私が手にした初めての「布装丁本」だと記憶しています。明治の作家を映し出すかのようなあの布が目に浮かびます。

 本屋で本を求めるとき、紙カバーを外してみてください。箱入りなら箱から出してみてください。きっと、「あっ!」と「布装丁本」が見つかりますよ。


布の装丁本

2025年03月30日 | 

曇、6度、47%

 先日、香港に帰った折、通っていた本屋さんへ行きました。イギリスやアメリカの本、雑誌が発売日すぐに売り出されます。いまではe-bookなどを使えば日本でも可能です。でも私いまだに紙の本を読みます。セントラルの本屋の一角に高く積まれた本、「ペンギンクラシック」です。 英語で書かれた本の古典版。昔から読み継がれてきた本達です。ペーパーバックもありますが、このコーナーは「布装丁」の本達です。ちょっと贅沢な本です。

  1冊「布装丁」の「ペンギンクラシック」を持っています。「アンデルセンの童話」です。アンデルセンの刺繍を刺していた頃ですから、30年ほど前に買いました。刺す図柄の話を読んでは刺しました。「布装丁」の本は読むだけでなく、本自体を楽しみます。

 香港の本屋の一角で欲しい本が2冊ありました。2冊を手に取ってしばらく考えました。「荷物が重たくなる。」機内持ち込みスーツケース一つですが、ココのお迎えにも急ぎたい、身軽が一番です。本を元に戻しました。

 日本に帰っても「布装丁」の「ペンギンクラシック」のことが頭をよぎります。検索したら、ありましたよ!Amazonで売っています。しかも欲しかった2冊を含むセット売りが、26%オフのセールです。香港で買うのよりずっと安く売られています。嬉しくなって、ポチ。

 最近Amazonで英語の本を頼むとインドから送られてきます。以前より早く手元に届きます。昨日手元に届きました。布張りの箱に5冊揃いです。1冊1冊手に取りました。

 昔ながらの本好きは紙の質や文字のフォントまで楽しみます。読むだけなら「ペーパーバック」で十分です。読むこと自体を楽しむ、贅沢な「布装丁」の本です。5冊揃い、計算すると香港で1冊づつ買う半額でした。贅沢な買い物をした後はこうして言い訳をします。

 「ペンギンクラシック」読み始めるのはまだ先になりそうです。本が溜まっています。


「お手玉」

2025年03月29日 | 思い出

曇、10度、74%

 一週間に2度、「小豆」を炊きます。鍋に「小豆」を開けるとき、「小豆」はいい音を立てます。その音を聞くたびに、目に浮かぶのが小学校の頃母が作ってくれた「お手玉」です。

 小学校の3、4年の頃ですから昭和40年代の初めでしょうか。「お手玉」が流行りました。「お手玉」は売っていませんから、女の子たちはこぞってお母さんの手製の「お手玉」を持ってきました。私も母に「お手玉」を作って欲しいと頼みました。母が作ってくれた「お手玉」は洋服の残り生地、ピンクのストライプの間に小さなバラの模様がありました。私のワンピースの端切れだったと思います。友人たちは薄い着物の端切れで色目の明るい「お手玉」もあれば地味なものもありました。

 「お手玉」の歌はこの地方では「あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ」と始まるものだったと記憶しています。速さを競ったり、高く上げて腕を交差させたり、遊び方は色々でした。油染みた教室の床に座って遊びました。姉妹がいる友達は上手でした。私の「お手玉」はみんなのとは色柄だけでなく大きく違いがありました。それに気付いていたのはきっと私だけです。「音」です。

 友人たちの「お手玉」には「小豆」が入っていて、手に取るたびに袋の中の「小豆」mが小気味好い音を立てました。私の「お手玉」には「米」が入っていました。しかも「お手玉」いっぱいに入っていました。掴み辛くもありました。でも音が「米」ですから鈍い冴えない音でした。友人達の「小豆のお手玉」が羨ましかった。でも母に「小豆のお手玉」を作って欲しいとは言えませんでした。そういう母娘の関係でした。甘えて「小豆のお手玉が欲しい。」など言える母ではありませんでした。

 慣れてくると私も腕を上げましたが、いつも「音」が気になりました。軽やかな響きある「小豆のお手玉」の音。流行りものですからそのうち「お手玉」は私の生活から消えました。母が作ってくれたあの「お手玉」はどこに行ったのかしら。

 週2回、艶のある「小豆」の軽快な音を聞きます。その度、「お手玉」の記憶が浮かびます。

 


ラベンダーを半分に切り詰めました。

2025年03月28日 | 庭仕事

雨、13度、91%

 十代の頃から憧れていた「ラベンダー」を庭に植えたのは帰国後すぐ、8年前のことでした。涼しい土地の植物です。果たして福岡にような気候に適応してくれるかと、恐る恐る家の西向き、表の一番目立つところに植えました。私の心配などなんのその3年ほどで立派な株に育ちました。ほぼ一年中花を咲かせています。その上、去年の夏のあの猛暑の最中にも水を一滴も与えていません。小さな苗は木質化して巨大になりました。 道ゆく方々からは「素敵ですね。」「大きいですね。」と声をかけていただきます。だだ一年に一回、梅雨が来る前に大きく張り出した枝の下に潜り込み、古い枝、不要枝を払いました。蒸れに弱い「ラベンダー」です。

 まだ梅雨でもありません。なのに2日前、急に切ろう、と思い立ちました。実際鋸を手に木の横に立つと切ろうという気持ちがグラグラします。ここまで大きくなった、私の憧れの「ラベンダー」です。 木の下の大枝は全て払いました。大きな枝は直径が5センチより大きく育っています。黄砂と「ラベンダー」の花粉の中、鋸を使いました。

 大きなゴミの袋に3つ、あの小さかった苗を思い出します。 

 昨朝、急に広くなった前庭でボーッと佇みました。切ってしまった後悔ではなく、心の中でホッとしている自分がいます。大きく茂り過ぎた「ラベンダー」を気持ちのどこかで鬱陶しく感じていたのかもしれません。

 出先から帰り、車を入れるとき、車の接触物を知らせるブザーが鳴りません。この大枝を支えるために入れていた太い支柱は5本、全部裏庭に置きました。身軽になった「ラベンダー」、私の大事な大好きな木です。


手紙

2025年03月27日 | 日々のこと

雨、22度、89%

 切手がたくさん貼られたお手紙が郵便受けに入っていました。 便箋二枚に優しい文字で綴られた、友人の近況、心持ちでした。真面目な性格は会ってお話ししててもわかります。手書きのその手紙にはじんわりと彼女の性格が滲み出ています。デッキに座って、ゆっくりと二度読み直しました。

 私よりずいぶん年下の友人です。一見、面白いこと言いそうにないとお見受けするのですが、ネーミングさせるとユニークな言葉が返ってきます。私はそんなところが大好きです。生きること、自己表現が不器用な方です。波に乗ってスイスイと泳ぐタイプではありません。その彼女がご自分の最近の変化に気づいてのお手紙でした。素直なお手紙でした。

 一晩置いて、お返事を書きました。

 いざ切手を貼るときになって「今いくらかしら?」110円が封状定型郵便の切手料金です。110円切手は海外郵便料金でした。高くなったわね。買い置きの「絵本シリーズ」の110円切手を一枚貼りました。

 手書きのお手紙をあらためて読み直しました。二枚の便箋に封筒、その紙の重みが手の中に温かく広がります。お返事着いたかな?


マグロのオリーブオイル煮

2025年03月26日 | ワインと一緒に

晴、19度、90%

 マグロの落ち身を見つけました。脂ののりもよく、塊で欲しかったのですが、ぷつぷつと切ってあります。私を見つけた奥のおじさん、「白ネギと炊くと美味しいよ。」と声をかけてくれました。「そうするわ。」と返事したのですが、「オイル煮」を作ろうと心は決まっていました。遠海ものではありません。対馬沖で獲れたマグロです。贅沢な「オイル煮」を作りました。

  お鍋にマグロとニンニク、月桂樹の葉、オリーブオイルをヒタヒタと注ぐだけです。高価なバージンオリーブオイルでなくてお安い方で十分です。 アルミ蓋をして、いい香りが立つまで数分火を入れます。そにまま冷めるまで置くと出来上がり。

 味見にワインと一緒につまみました。脂の濃い部位でしたので、バルサミコ酢をちょっぴり垂らしました。オリーブオイルとニンニクの醸し出す香り、控えめに月桂樹が口に広がり、マグロが溶けるように喉を過ぎます。濃厚マグロですから赤ワインでいただきました。

  残りはオイルと一緒に瓶に詰めます。フォークで身が解けます。春の野菜と一緒にサラダ、サンドイッチにするつもりです。残ったオイルは旨み十分、炒め物に使います。

 「塊肉が欲しいなぁ、そうだ!デパ地下のあのお魚屋さんにある!」白ネギとの煮物もいいけど「オイル煮」はマグロの違った美味しさを味わえます。


「乙女色」

2025年03月25日 | 

晴、17度、85%

 「乙女色」この言葉の響き、ふと目の前に立ち上がる色合い、好きな言葉です。初々しい女の子を彷彿とさせる柔らかい香りまで感じる言葉です。

 五十代も半ばの頃、年甲斐もなく「乙女色」の帯を買ってしまいました。 手に取って見ていると、お店の方が「その染め色は乙女色です。」と声をかけてくださいました。その「乙女色」の一言で買い物をしてしまいました。

 「乙女色」の由来が「乙女椿」だと知ったのは帰国してからのことです。嬉しいことに近くには数本の「乙女椿」がありこの季節花を咲かせます。「乙女椿」の前を通るたび、私は立ち止まり花に魅入ります。姿形、色合いが「乙女」そのものです。生憎、香りのある品種ではないようです。自分の家の庭にもと思いますが「乙女椿」の苗との出会いはまだです。

 「ピンク」「桃色」でも良さそうなものですが「乙女色」と聞くと心が躍ります。自分勝手に「乙女色」と思い込んでいるものがもう一つ、古い古い皮のスカートです。 しばらく履いていないこのスカート、今年の椿の季節、履いて出かけましょう。


チューリップ「ゾンビ」

2025年03月24日 | 

曇、17度、75%

 この2日、福岡は気温20度を超え、空もすっきりと青空でした。庭の花芽たちはひとまわり大きく膨らみました。

 毎年50個から90個の「チューリップ」の球根を植え付けます。そのことを知る友人が昨夏「チューリップ」の球根を送ってくれました。面白い名前がついていました。私が植える普通の球根と混ぜずに花畑の一角に友人の球根を植えました。寒い冬でしたが、例年通り、球根から新芽が出てきます。葉が大きくなっても花が開くにはひと月以上かかります。花芽がうっすら色を帯びてきた「チューリップ」が4つ、友人からの「チューリップ」です。

 昨朝、3つが大きく開いていました。 花弁の色、形も従来の「チューリップ」とは違います。友人から以前もらった球根の名前の写真を探しました。 「ゾンビ」です。写真の「ゾンビ」は赤が強い花色、我が家の「ゾンビ」は優しい薄黄色です。命名が面白い。そして但し書きをご覧ください。「超早咲、とび抜けて早く咲きます。大きな花です。」はい、その通りです。

 他にも2種類いただきました。私が選ぶ普通の「チューリップ」はやっと花芽が見え始めたばかりです。一斉に咲きそろうと「チューリップ」は豪華に見えます。でも、早咲の花は何もない庭に喜びを一足先に連れてきてくれました。「嬉しい!」

 友人が送ってくれたあと2種類も普通の「チューリップ」とは形が違います。園芸品種の品種改良が遺伝子段階で進められているそうです。ますます、様々な花色、形が出てくるのでしょう。

 近くの桜並木、夕方の散歩時、蕾の膨らみを見ましたが、まだ硬い蕾です。桜前線が昨日スタートを切りました。日本中に花咲く日が来ました。季節は確かに巡っています。

 


香港の春の花

2025年03月23日 | 香港

晴、15度、75%

 香港は日本より南に位置します。香港から帰った翌日、ご近所の方に「香港って北ですか?」と尋ねられました。小さな土地ですのでご存じない方もいるのでしょう。亜熱帯気候、年間を通して気温、湿度ともに高く、厚手のコートを羽織る日は数日です。自然にある木々や鳥たちは日本のそれとは違います。紅葉はほとんど見られません。

 在住の日本人たちが「香港桜」と呼ぶ花があります。4月には香港島の北の斜面に薄ピンクの花が煙るように咲きます。その色と咲く季節から日本人は「桜」を思ってそう呼んでいるのでしょう。 まだまばらに咲いている「香港桜」は「ブーへニア」というのが正式な名前です。そしてこの花は香港の「国の花」です。香りはありません。

 「ブーへニア」を見上げていると、ふっと鼻先を甘い香りが掠めました。 「銀木犀」です。金ではなく銀、花色は白です。香港のこの「銀木犀」は日当たりのいい場所なら真夏を除いて年中咲きます。「金木犀」ほど香りが重くありません。ふっと一瞬香るとそれっきり。花もポツポツと枝につきます。

 高いところに真っ赤な花が見えています。「カエンボク」、火の炎のように見えるからこの名前です。 洋名は「チューリップツリー」。チューリップを大きくしたような花です。

 中高木の木に垂れるように咲いている赤い花は「ボトルブッシュ」と呼ばれるものです。見出し写真がその花です。「ブラシの木」と呼ばれます。よくご覧ください。ボトルを洗うブラシにそっくりな形です。

 真っ赤な花をこの時期に咲かせる木がもう一つ、「コットンツリー」です。高木で大きな赤い花、4月になると花が丸のまま落ちて、踏むとバナナの皮より滑ります。そして5月には綿毛を飛ばします。白い綿毛が香港島の「コットンツリードライブ」の坂道を上る時舞い降りてきます。少し、時期が早いのか空港に向かう道で数本咲いているのが見えました。 この写真は「コットンツリーの花」で検索したら出てきた私の2014年3月31日に書いたブログの写真です。

 真っ赤な大きな遠目にも目立つ花が咲く、亜熱帯ならではの景色です。「ミモザ」の花の時期は過ぎたのでしょうか?車に乗っていても花を探して落ち着かない私でした。


「飲茶」香港

2025年03月22日 | 香港

晴、11度、74%

 8年前の帰国から「パンデミック」の期間を外せば一年に一度は香港に帰っています。なのに「飲茶」の行ったのは今回が初めて。もちろん30年の居住中はカフェ感覚の「飲茶」でした。「飲茶」は香港の日常です。

 向かったレストランはセントラルの古くからの建物の中にある老舗です。 階下からでもこのレストランのざわめきが聞こえます。香港人は声が大きい上に賑やかに円卓を囲んで食事をします。長い中華箸の触れ合う音も天井の高いレストランに響きます。懐かしい音、匂い。午前中の大きな用事が終わった安堵感、この匂い、音で体が急に目覚めました。

 トロリーに乗せて料理を運ぶタイプのレストランです。 もっと古いタイプは日本の「駅弁売り」のように首からトレーを下げてレストランを回っていました。一番新しいタイプは、メニューから注文します。トロリーが回ってくるまでテーブルに座っていてはお目当てのものは手に入りません。注文票を片手にトロリーを追いかけて自分でテーブルに運びました。

  何はなくても「蝦焼売」この3品は浮き粉から作る透明な皮「水晶餃」と呼ばれるものです。透けて見える中身が華やかです。 黄色い皮の「蟹子焼売」椎茸の香りと「蟹子」のプツプツ感がたまりません。 大きな「干し貝柱」がころんと入っているおおきな水餃子、このスープは絶品です。煮るのではなく蒸して作るスープの美味しさを堪能します。 「蓮粽」品よく作られた粽、蓮の葉の優しい香りが嬉しい一品です。餅米でなくお米の粽でした。 見た目は雑な一皿、「腸粉」です。レストランの「飲茶」の「腸粉」は緩めにエビやチャーシューを巻いているものが一般的です。この太めの棒状タイプはストリートフード、つまり屋台などで売っている「腸粉」です。学生が学校帰りにつまんでいる「腸粉」。早朝、会社に向かう人たちの朝ごはんです。このレストラン、わざとこれを出しているのだと思います。茶色に染まっているのは甘めの醤油味。そこにレストランらしさを添えたのがまぶされている「XO醬」これで一気に高級「腸粉」に変身。 「焼売」といえば豚肉を思うのですが、うずらの卵を一つころんと包んだ「鶏肉焼売」です。ご覧のように蒸し物が「飲茶」の主体です。

 「エッグタルト」や揚げ菓子のスイーツのトロリー。 もうお腹いっぱいで手が出ません。

 香港は安いストリートフードも美味しい。もちろん高級なレストランは美味しい。「食べる」ことが好き、事欠かない香港です。

 ビクトリア湾を見渡す眺め、どのテーブルも真っ白なクロスがかかっています。大きなシャンデリアも雰囲気があります。主人と二人の楽しい「飲茶」でした。