チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

高峰秀子と美空ひばり

2013年06月22日 05時44分16秒 | 

雨、25度、94%

 ここ2,3年、日本に帰り本屋に行くと、亡くなった女優の高峰秀子の本が再販されたり、写真入りの本も幾つか刊行され新刊の棚を飾っています。女優と言ってもとても味のある文章を書く方だと、生前は雑誌の連載などはよく読んだものです。ところが、このようにして没後1年記念とかを企て次から次に本を出して来る出版社の意図には、おいそれとも乗りたくないと、あまのじゃくの私は本屋で立ち読みで済ませます。確か、高峰秀子さんの養女になった方はその出版社の編集者の方だと聞いています。ますます頂けません。

 まだ、小学校の頃ですから、昭和の30年代です。テレビで「カルメン故郷に帰る」を見ました。でも、子供ですから女優の名前など覚えてはいません。その後、週刊誌的な情報とか、昼のワイドショーのようなもので、高峰秀子は小学校もほとんど通わずに、沢山の親族を養った人だと聞きかじりました。

 同じ頃、「真っ赤な太陽」という曲をミニスカートをはいて歌う美空ひばりも、やはり小さい頃からの収入で家族を食べさせていたことを、何かで知りました。演歌は苦手、邦画もあまり見ない私は、この二人の区別がずっとつかないままでした。そのうえ、ある程度の年齢になると、二人の区別はつくものの、小さい頃から沢山の親族を養ったなどということは、こんな職業だから人が取沙汰してくれるだけで、無名の人でも家族の犠牲になった人は沢山いるわよ、とうそぶく私でした。今考えると、なんとまあ傲慢な考えでしょうか。この年になると、それぞれ、苦労があったのだろうと、察することが出来るようになりました。

 新潮社刊とんぼの本「高峰秀子 旅の流儀」は、主人が先月日本に帰国しており、私への土産に買って来てくれました。高峰秀子自身の文章と写真、養女の方の文章で構成された本です。自身の文章は、他の本でも読んだものと重なりますが、歯切れの良いものばかりです。女優という職業柄からは窺い知れない人となりが、文章から匂ってきます。まじめに生きて来た方ですね。

 何々の流儀って本、このとんぼの本のシリーズによく見る題名です。我が家の本棚にもありました。「白州次郎の流儀」。流儀という筋の通った肩肘張った言葉、男性的とでもいうこの言葉を高峰秀子の本にも使った人、なんだかよく解る気がします。

コメント (2)
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