チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

コットンツリーの花

2014年03月31日 | 

雨、19度、99%

 車を使って我が家に帰るとき、必ず通る道があります。香港島の北、金鐘からピークに向かう木棉道(コットンツリードライブ)です。道幅の広いこの道を車が上り始めると、あー、我が家に帰って来たと思います。この道の両側には背の高い街路樹が植わっています。とても背が高い上に、葉っぱはほとんどその上の部分にしかないので、たとえ二階建てバスの上に乗っていても、その木がどんなものか見ることが出来ません。

 背は高すぎて、幹しか見えないその木が存在感を示すのが、この3月の半ばから6月にかけてのことです。気温がだんだん上がり始める3月、このやや灰色っぽい木の下に、それは目にも鮮やかな赤い花が落ちています。ボッテリと椿のようにガクから花の姿を残したまま落ちています。そこで、道行く人は初めてその木を見上げます。この木がコットンツリーです。首をしっかりと空に向けてその木を見上げると、葉のない木の枝に赤い花が付いている様子が見えます。葉っぱがなく大きな花です。決して見栄えのいい花のつき方とは思えません。そのうえ、この赤い花のコントラストが下から見上げる者の目には、奇妙にすら見えます。

 コットンツリーの赤い花は、落ちるとその重みで、ごろっという大きな音を立てます。そして、この花が落花するこの季節、香港は気温の上昇とともに霧がかかったような薄暗い天気が続きます。香港中どこにでも見られる木というわけではありません。私が朝走るボーエンロードにも1本コットンツリーの木があります。この肉厚な花弁を持つ花が、大きな音を立て落ちて漂っている水気を一杯に含みます。うっかりとそんなコットンツリーの落花を踏みつけたら大事です。バナナの皮と同じくらい滑ります。15年以上走っている道ですから、どの季節にどこに何が咲くか、踏んだらどうなるか、頭より足の裏が覚えています。

 香港のこの重苦しい季節が終わりを告げるのは、遅くても5月の終わりです。初めて香港に赴任して来た方達にいつも、5月の終わりまで辛抱してくださいと話します。それが過ぎるとお布団だって外に干すことが出来ますからと。窓も開けることが出来る、まだ気温もそんなに上がり切らない5月の終わり、車の幌を上げて気持ちよくコットンツリードライブを上がって家に向かいます。上り始めると白い綿がフワフワと宙を舞っているのが見えます。コットンツリーの種です。心地よく晴れ上がった空の下、白い綿が舞うその景色は、幾度見ても楽しいものがあります。道行く人はここでまた、背の高い木を見上げます。花が終わって、葉を茂らせたコットンツリーは、下から見ても綿毛を付けているのは見えません。大きな葉っぱの間から、フワッと綿毛を吹き出しているかのようです。

 朝から薄暗く、時折雷を伴った大雨が降るここ数日の香港です。昨日、雨の合間を縫って主人が散歩に出かけました。帰って来た主人がお土産といって渡してくれた袋には、真っ赤なコットンツリーの花が一杯入っていました。首から落ちた花です、大きな皿に水を張って浮かべてみました。部屋の中が一遍にぱーっと明るくなります。沢山落ちているコットンツリーの赤い花をひとつひとつ選んで、主人が持ち帰ってくれました。21個もあります。落花ですから、長くは持たないでしょう。綿毛の舞う気持ちよい季節まで、あと一息ですよ。

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ミント

2014年03月30日 | 日々のこと

曇、21度、88%、雷注意報

 ハーブ、ハーブというけれど、所詮、雑草よね。と言いながら、毎年春になるとハーブの種を蒔きます。花の種を蒔くことを望んでいるのは主人です。確かに、窓辺に色取り取りの花は気持ちを明るくしてくれるはずです。それでも、頑としてハーブを植えるのはもちろん食べるため。特に一番場所を割くバジルにいたっては、あのバジリコのスパゲッティを食べたい一心です。ちいさなパセリの葉の一枚が、私が作った料理を何倍にも美味しくしてくれます。ちいさなミントの葉一枚が、私が作ったアイスクリームを美味しそうに見せてくれます。私にとってはハーブは、私が作る食卓に欠かせません。

 出窓の向こうの狭いスペースにプランターや植木鉢が並びます。流石に冬場は、ここ香港でもシソ科のものは、冬を越せません。バジルの刈り込みが終わり、シソも全部食べ尽くすと、パセリとミントが残りました。月桂樹、ローズマリーはびくともしない大きさに育っています。ミントは出番の少ないハーブです。冬に我が家でミントを養ったのは、今年がはじめてのこと。日本より遥かに暖かな香港です。放っておいたのにランナーを伸ばして、小さな鉢から隣の空き家のプランターに子孫繁栄を企てました。見事にその企みは成功して、気が付けば、ミント王国になっています。

 暑い夏と違って、ミントの緑は鮮やかです。冬の間は、存分にその緑を楽しみました。ところが3月に入り、そろそろ種を蒔こうかと思うと、ミント繁栄のおかげで種を蒔くスペースがありません。申し訳ないけれど、一旦刈り上げる事にしました。ランナーは、1m近くも伸びています。しかもその1mに脇芽がでているので、両手で握れるほどのミントの束が出来ました。目にも鮮やかなグリーンのブーケ。

 早速、部屋のここかしこに生けてみます。ハーブは置いているだけでは香りません。風が吹く、手で触るとフワッと匂いがたちます。ガラスの花瓶に生けて私の枕元に置きました。わずか3日で、白いひげ根が出始めました。ほら、やっぱり雑草だわ。強いものねえ、とひたすら感心する私です。

 写真のピッチャーの中もきっとひげ根で一杯になっているはずです。暑さにはトホトホ弱いミントです。4月に入ったら、植木鉢に戻します。伸びたランナーは掘り起こしておいたはずですのに、見るとプランターの脇に小さくミントの芽が出ています。ランナーの色は緑ではなく薄紫色。しかも、普通の茎の倍近くも太いものです。バジルの芽がやっと出始めたその横にミントの芽、共存してくれると思います。なにぶんにも、どちらも雑草ですから。

 あと数日、花瓶のミントを楽しみます。

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モモさんの夏支度

2014年03月29日 | もも

ガス、22度、98%

 朝から20度を超す陽気になりました。やれGパンはもうはけないだの、サンダルでないとすっきりしないだの、冬の寝具は朝起きると全部蹴り散らかしていたり。毎日、冬物の整理と薄着に向けて準備を始めます。しかも、外はガスで真っ白。除湿器とクーラーが同時にかかっている始末です。

 バタバタと家の中を動き回っていると、モモさん、いつものお昼寝の場所が変わっています。ご飯が終わると柔らかい羽布団の上に上がっていたモモさんが、気が付くとソファーの上かベットの下にいます。家の中で、冬なら一番暖かいところ、夏なら一番涼しいところをご存知なのは、モモさんです。

 そういえば朝の散歩の時も、やや息が上がってきました。いよいよ、モモさんのトリミングの時期がやって来ました。ちょうど半年ぶりです。天気の1週間予報でも、20度から下がる日はありません。私がトリムを始めて4年目です。電気バリカンを使います。素人ですからスキニーにするのは難しく、週一度の割合でトリムをします。金曜日のお風呂前、これもずっと決まり事です。

  これは、トリムをする前のモモさん。暑くなるとお散歩の途中で、このように休憩を取ります。涼しいうちはかなりの距離を歩くモモさんですが、暑くなると、歩くよりこうして休んでいる方が長くなります。つまり、夏も冬もモモさんのお散歩の時間は変わりません。トリムする前のモモさんです。オリジナルの毛の色は、やや濃いめ茶色が背筋に通っています。これがトリムの後には、どちらかというと色白なモモさんに変わります。夏中、色白です。

 はじめてトリムをした時は、まだらを作ってしまいました。でも、4年目です。モモさんが寝てようが、パグ座りをしていようが、お構いなしに刈って行きます。首周りのお肉の波波も、伸ばしながらバリカンを進めます。時間にして10分ほど、すっきりモモさんの出来上がりです。

 トップコートがなくなった分、ムッチリとみえるモモさん。主人やお手伝いさんが、若返ったと言ってくれます。ご本人が涼しいのが一番です。若返ったといわれて嬉しいのは私。

 香港の暑い季節が始まりました。台風が来ようがお散歩に行くモモさんです。この夏も、元気で乗り切ってくださいね。

 

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キルトカバーに当てをする

2014年03月28日 | 日々のこと

曇、21度、97%

 モモさんは10歳です。モモさんが我が家に来る前の10年間は、主人と二人だけの生活でした。私も仕事をしていて家を空けます、家の中はいつも整然としていました。ところが、モモさんがやって来たその翌朝から、床はモモさんの抜け毛で真っ白、まだトイレの場所も定まらず、暗い中を歩くのは要注意。寂しくないようにと一緒に置いておくぬいぐるみは、あちらにこちらに散らかったまま。挙げ句に、歯の生え変わりが始まると、歯ごたえのあるものなら何でもいいよと、噛みまくります。靴に椅子の足、戸棚の角もモモさんの歯型が残ったままです。

 モモさんが来た時には主人のベットには、白いキルトカバーがかかっていました。新品ではありませんが、汚れもなくいい状態のキルトでした。モモさん、小さい頃から高い所に飛び乗ります。ベットは恰好の遊び場ですから、白いキルトカバーは瞬く間に黄ばんできました。洗っても、漂白しても、モモさんの定位置の辺は黒ずみすらあります。そのうち、寝てる主人を起こすようになりました。起こされまいと布団に潜る主人をキルトの上から、ここ掘れワンワン、とガリガリとキルトを掘ります。モモさんの後ろ足の爪は、トイレの後の砂かけ行動でいつも短いのですが、前足の爪はしっかりと伸びています。とうとう白いキルトカバーに穴が空きました。繕っても繕ってもまた穴を作ります。黒ずみにも閉口して、うぐいす色のキルトカバーに買い替えました。

 新しいキルトカバーはリバーシブルで、裏は濃いめのカーキ色。部屋は明るい方がと、使うのはいつもうぐいす色のサイドです。そして、これまた、主人とモモさんのここ掘れゲームで穴が空きました。空いたって、裏側を使えばいいと呑気に、この冬はカーキ色の面を使い続けていました。

 暑くなり始めた香港です。主人の羽毛の布団を夏用に替えているとき、カーキ色のキルトカバーがやけに陰気にみえます。明るい方がいいに決まってますね、と裏返したら、例の穴空きです。

 辛気くさい色もイヤ、さりとて穴の空いたまま使うのも恥ずかしく思います。そうそう、得意のワッペンを貼付けようとワッペン入れを探しますが、どれも穴より小さいものばかり。仕方なく緑の古裂を探し始めました。ちいさな布の切れ端までとってあります。見ると可愛い人形のプリントが目に飛び込んできました。よしよし、この人形プリントで穴当てです。

 穴の大きさに布を切って、周りをチクチクやっていると、やって来ました張本人、 いい顎枕だと高いびきです。 穴にかぶせて縫い付けます。手先の器用な方が見たら子供のお遊びのような当て縫いです。でも、穴が空いてるよりは気持ちよく使えます。これからは穴が空けば、人形を切って、穴当てを続けます。この穴のところ以外はまだ、しっかりしたキルトです。

 モモさん、ここ1年ほどあの穴掘りゲームをしなくなりました。少しお年を召したようです。

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桜ロール

2014年03月27日 | 菓子

曇、20度、94%  

  福岡に戻っていた主人、昨晩帰って来ると、桜の写真をみせてくれました。福岡の友人も桜は八分咲き、ところによっては満開だと知らせてくれます。今年もまた、どんなことがあってもこの桜の季節がやって来ました。日本中が南から徐々に桜色に染まります。やはり、日本人ですね、海外の地にいても日本の桜を思います。

 そんな桜を思いながら、桜ロールを作りました。 あれ、見た目は抹茶ロールのようです。いえ桜ロールなのです。実際に口に入れていただくと、あっと思われます。スポンジが微かに桜の葉っぱの香りがします。極端にいえば、桜餅の香り。桜の葉っぱは、生でも微かに匂いがあるのですが、それを塩漬けにするとその香りが強くなるそうです。先日、帰国したおりに、 こんなものをみつけました。桜の葉っぱのフレークと桜花のフレーク。即座に、スポンジは葉っぱの緑、クリームは花の色の桜色、と思って求めました。ところが、この花のフレーク、思うようにクリームが桜色の染まりません。何度繰り返しても、桜色にはほど遠い色です。それならばと街にサクランボを探しに出かけました。日本のサクランボはまだでも、アメリカ産ならもう出てるはずです。これまた、どこを探しても見つかりません。仕方なく缶詰のダークチェリーを使いました。

 このスポンジの生地は、普通の粉の半分も使っていません。しっとりと柔らかく、とても軽い軽いスポンジです。モモさんにも、主人にも食べてもらいたいので、甘さは控えます。クリームは、ライトタイプではなく普通のダブルクリームです。軽い口当たりのおかげで、ついつい、一切れ、もう一切れ。

 先日、香港の日本料理屋さんのデザートに桜アイスクリームがでました。もちろん、桜色のアイスクリームです。その桜色の中に小さく見え隠れする、緑のつぶつぶ。桜餅の葉っぱが刻まれて入っています。色は人口色でも、この葉っぱのおかげで桜アイスクリーム。

 まだまだ、日本中、桜の話題で持ち切りですね。桜を見れない分、食べ物で桜を偲びます。

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モモさんのネームタグ

2014年03月26日 | もも

曇、20度、92%

 香港は暖かいし、モモさん洋服を着るのが好きでありません。ご飯もほとんどドックフードをあげていないので、所謂ペットショップなるものにほとんど行きません。なんだかモモさんに便利そうなものをみつけても、すぐに手を出すことは稀な私です。

 パグつながりでお知り合いになった、香港在住のKellyさん、私の息子年代の日本人の女性です。若いのに、ものつくりの会社を経営しています。発注する工場は、中國や世界各地、そんな話を聞いていると、見かけとは違ったバイタリティーにいつも楽しませてもらいます。KellyさんがFBに犬のタグのを作り始めたと載せていました。迷子タグとでもいうのでしょうか。 モモさん、仮にこの近所で迷子になっても、誰かが連れて来てくれると信じている私ですが、写真入りタグと書かれています。その写真の一言で、ひとつ作ってくださいな、とお願いしました。

 早速、使う写真やモモさんの情報を尋ねてみえました。写真は、背景がごちゃごちゃしていない座ったものがベスト。生年月日、電話、名前の表示の仕方を取り決めました。すぐに、こんなモデルになりますよと、映像を送ってくださいました。彼女はこれが本業ではありません。他のお仕事の合間に作ってくれています。

 Kellyさんは、香港生まれのパグのVIVI君と生活をなさっていたそうですが、今、VIVI君は日本のご実家でおじさんの介護犬として活躍中です。そのVIVI君の姿を、毎日Skypeで見てお仕事に励むKellyさん。画面に写るKellyさんをVIVI君は認識しているそうです。ご実家で大事に可愛がられているVIVI君です。

 出来ましたよ、とご連絡いただいたものの、Kelliyさんは九龍サイドにお住まいです。島から出るのが億劫な私を気遣って、お仕事の合間に、わざわざ海を渡って(フェリーなら8分、地下鉄なら4分です。)届けに来てくださいました。

 これが、 出来上がったタグです。裏には、連絡先の電話番号も入れてもらいました。モモさんはチップが入っていますが、チップで確認するより、一目見てわかるタグは便利です。長さにして5センチほど、そんなに重くもありません。名前だけでなく、写真が入ることで、ますますモモさんのものという感じです。

 当のご本人、何をされているのかさっぱり気付いていません。リーシュが外れた時を思って、ハーネスの方に付けてみました。モモさんのアクセサリー、第1号です。

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影蔵歳月 香港歴史博物館

2014年03月25日 | 香港

曇,19度,81%

 私が住んでいるのは、香港島の北斜面、セントラル(中環)と呼ばれるところから山向きに歩いて20分ぐらいのところです。セントラルは一般的には、高級なブランド店が立ち並んでいるところとして有名ですが、高層ビルの上階は、銀行、金融関係、証券会社などのオフィスがあります。しかも、このオフスで働く人は地元香港人ばかりでなく、世界中から集まって来た多種多様な人種です。ウィークデイの昼間は、その人種の坩堝が見られます。その人の多さにはいつも閉口です。もちろん、オフィスで働く人ばかりではありません、ものを売る人、食べ物屋の人、挙げ句は観光客です。私など、生活の場ですからこの人ごみを避けて通るわけにはいきません。閉口だといいながらも、自宅の窓から見える超高層のビルたち、その下にいる人の多さにすっかり慣れ切っています。

 こんな大都会の香港ですが、17世紀後半までは、ビクトリア湾に面してちいさな漁村があった島だったようです。その漁村が何でまた、こんな大きな町になったのか、ぼんやりと思うことがあります。パールリバーから上流、広州には租界がありました。その租界から上海向かう海外の船が、見つけた島が香港島だそうです。香港より当時はマカオの方が大きな町だったとは、知ったとき驚きでした。

 2月半ばから4月の21日まで、香港歴史博物館で香港の古い写真展が開かれています。最近、滅多に香港島から出なくなっている私が、海の向こうの九龍サイドまで足を伸ばしてみました。香港島よりは道幅も広いチムサッチョイもやはり人人人です。

 写真の発明以降の香港、18世紀半ばに、ヨーロッパから来た写真新技術者によってその様子が残されています。香港は、香港島、中國と地続きの九龍、もっと北の中國と隣接する新界とで出来た街です。ヨーロッパの技術者が捉えた街の様子は、ほとんどが、香港島、しかも、セントラル一帯です。18世紀中葉といえば日本ではまさに、江戸時代が終わりを告げ、明治が始まる頃。驚いたことには、その時代に既にこの香港島のセントラルには、軒並み石造建築の3階建ての建物が建っています。今も残る山向きの石の階段には、痩せた小さい中国人がこれまた、今の昼時と同じく人の山です。

 街路の名前は当時と変わっていません。今ほど、山向きには開けてはいませんが、それでも上からセントラルを見下ろす景色はその石造建築の多さをはっきりとみせてくれています。時代が進むと、その石造建築が大型化し欧州の銀行の名前が掲げられ、ホテルも出来ています。しかも、その看板の多くは横文字です。

 未だに、ごくごく一部にその3階建ての面影が残る建物があります。その姿が消えるのは時間の問題です。実は、私が香港に来た当時は、こんなに超高層はありませんでした。日本に比べれば高いビルでしたが、古い町並みがまだ残っていました。数年前、壊されたセントラルのクイーンズ映画館などなど、記憶に残る建物です。 入場券のこの写真、セントラルよりやや西の上環の海に面した、砂糖や米の問屋です。海からそのまま陸揚げ出来るようになっています。19世紀末の写真です。この海との境をトラムが走るようになりました。私が来た当初はこの景色、まだそのままでした。埋め立てや再開発でこの場所とわかる人には、数軒残る店がわかるかもしれません。

 平日の昼過ぎ、人が少ないだろうと行ったのですが、なんと、学校の授業の一環に組み入れられているらしく、後から後から、引率された中学生がやって来ます。マナーの悪い香港の子供たち、そんな子供を見ながら、昔の香港の姿を子供たちが少しでも心に残してくれたらと願います。

 土地にはそれぞれの歴史があります。この展示を見てから5日、やはり毎日セントラルに下りて行きます。でも、人ごみを見ても古い石の階段を下りていても、私の気持ちは以前と変わりました。人が多いことも、香港特有の花崗岩の石造りも、歴史があるのだと。古い建物を見ると見上げます、3階建てです。この街の歴史を少しわかり始めた自分がいます。

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Gパン

2014年03月24日 | 身の回りのもの

晴れ、16度、78%

 今、私のタンスには6本のGパンが入っています。Gパン頼りの生活始まったのは、息子が公園デビューをした頃ですから、35年近く前のことです。公園の帰り道、汚れた砂場の道具に眠たげな息子の手を引いて、自分のスカートも泥で汚れています。周りを見回せば、みなさんGパンです。よく寝る息子を家に残して、急ぎデパートに駆け込んで買って以来、Gパンなしの生活は考えられません。随分と沢山のGパンをはいてきました。

 Gパンも流行があります。高校の頃は、それこそ裾の拡がったラッパ型、最近のものより裾広がりでした。ピタピタのスキーパンツのようなGパンもありましたね。近頃のGパンは、形も長さもこれっといった流行がなくなったように思います。好きなようにはくGパン。

 仕事着だったGパンです。そして、どんな体型の人にだって似合います。トップに持ってくる色も、すんなりと受け入れてくれるGパンです。上着の素材だって、選り好みせずに何でもいいよと太っ腹、こんな着るもが他にあるかしら、と絶賛します。繊維の進歩で、薄めのものも、柔らかいものも出てきました。ごわごわとしたGパンのイメージは今やもうありません。しかも、5星のホテルですら靴さえちゃんとしていれば、ドレスコードのない日には,Gパンでも大丈夫。これはほんとにありがたいことです。おかげで、私はますますGパンをはくことが多くなりました。とはいっても、香港の蒸し暑さ、一日中はいていられるのは、11月から3月までです。日中25度を越すと、そそくさとGパンを脱ぎます。

 ブランドものの高いGパンを買ったこともありました。いかんせん、私は背も低く腰などもペッシャンコ、出来るだけ体に添うGパンといえば、地元香港ブランドの一番ちいさなサイズです。ウェストも腰もピッタリと納まるGパンが好きです。一日はくと、やや伸びてしまいます。洗い立てのGパンほど気持ちのいいものはありません。

 11月から3月までは、毎日Gパンです。それでも、ちゃんとよそ行きのGパンというのがあります。色もやや濃いめ、一番大事なのは膝が白くなっていないこと。掃除のとき膝をつく癖があります、外で犬猫に出会うと、これまた膝をついて挨拶などします。おかげで両膝とも白く色抜けしています。

 Gパン好きは、お気に入りの一本があるといいます。写真のGパンが私のお気に入りの一本です。もう10年以上はいているので、洗っても洗っても、ややサイズが大きめになってしまいました。膝は白く、ベルトをしたって両手がウェストに入ります。それでも、このGパンをはいている時は、なんだかいい感じです。6本の内一本だけ白いGパンがあります。これは日本でいえば、春や秋用、もしくは、機内用。旅先でどんな方にお会いするかわかりません。ブルーのGパンではちょっとね、と思う時には、白いGパンはお役立ちの一本です。

 今年も秋までGパンとお別れの時期になりました。昔、少しずつ色が違った(つまりブルーのグラーションのように)Gパンを18本も持っていた頃があります。タンスを開けて、そのブルーの色を見るのが好きでした。もうそんなことはしませんが、きっと、もっと歳がいってもGパンをはいていると思います。

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京都のコーヒー

2014年03月23日 | 日々のこと

曇、15度、72%

 さあ、ここ5,6年でしょうか、中國のホテルのコーヒーが、まずまず飲めるようなコーヒーになったのは。5星のホテルですら、コーヒーがコーヒーでない中國でした。香りもない、ただの茶色い液体。余程インスタントのコーヒーの方が香りも味もいいなどと思っていました。スターバックスが中国に出始めてからは、あの緑のマークを探します。ここ香港、流石にホテルのコーヒーは、美味しいいのですが、実は、コーヒーの流行はつい最近のことです。地元の食べ物屋さんでコーヒーを頼めば、中國のコーヒーのようなものにたっぷりのコンデンスミルク入り。そうそう、一昔は、そのコーヒーに3つか4つの小袋の砂糖が付いてきました。周りを見ていると、その砂糖を全部入れて、ガリガリと音を立ててスプーンでかき混ぜます。どうも香港人、苦いコーヒーは嫌いなようでした。それがまた、スターバックスのおかげか、留学、移住の多い香港人ですから、コーヒー文化もさも昔からといいった風情で、今やコーヒー片手に街を歩く人も当たり前の景色です。

 香港のコーヒー豆は、デパートやスーパーでも買えます。イタリアやスイスブランドのものが主流でしたが、もちろん日本のUCCの豆も手に入ります。香港島のセントラルには、コーヒーが流行らない頃からもう80年という、老舗のコーヒーを焙煎、販売してる店もあります。そんな焙煎をしながらコーヒーを売る店が、今では我が家の一帯だけで6軒もあるという始末です。香港人の順応力には、いつもながら頭が下がります。お店の人に話を聞くと、ヨーロッパで焙煎を学んで来たと言います。

 さて、我が家はコーヒーは専ら主人の飲み物です。以前は、イタリアのイーリーの豆を買っていましたが、ここ数年私の帰国の回数が増えました。そこで、日本のスーパーで売られているコーヒーを買ってくるようになりました。やはり、香りも味もホッとする日本のものです。そして、最近は、京都の小川珈琲店のものをずっと使っています。 はじめての小川珈琲との出会いは、デパートの京都物産展の催し物場でした。その後、スーパーでも売られるようになりました。種類も豊富で、お値段もさほど高くありません。コーヒー好きの主人は、昔から京都のコーヒーは美味しいと言い続けています。

 先日、京都の友人が香港にやって来ました。お土産は何がいい?という彼女の言葉に、厚かましくもコーヒーをお願いしました。コラソンというお店のカーヒーです。コラソンブレンドとエチオピア。碾かれたコーヒーの色からしても深煎りです。あまりに香りがいいので、多めに入れて私も一杯。エチオピアは、少し不思議な味がします。コラソンブレンドは、ストレートに美味しいコーヒーです。

 日本中で一番コーヒー豆の消費量が多いのは、京都だと知ったのは、この京都のコーヒーを飲みながら、読んでいた新聞からでした。京都といえば、日本茶の産地、しかも日本文化の集約したような街です。新聞では、京都人の味覚の多様性をあげていました。日本のコーヒー文化は、明治に入ってのことですから、100年少々。植民地も持たない日本がコーヒーに払う外貨は、かなりの金額だそうです。この100年、京都の人は、独自の繊細な感覚で、コーヒーを育てたのでしょうね。別の友人が、よく有名なイノダコーヒーでの写真をアップしています。一歩我が家を出ると、完全にコーヒー党に変身する私です。京都に行けば、私は、日本茶ではなく、コラソンやイノダコーヒーでコーヒーをと心に決めています。

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春の落ち葉 香港

2014年03月22日 | 香港

曇、15度、77%

 一昨日の晩、大陸からの季節風が吹きました。日中25度を超えていた気温が、一気に下がります。しかも細かい雨混じりの風でした。3月に入ると、香港の木木は次第に葉を落とします。秋にはほとんど見られない現象です。この季節風のおかげで、一斉に葉を散らしてしまいました。

 朝の散歩のとき、吹き寄せられた落ち葉がここかしこに見られます。しかも、まだ風があるので、大きな葉が道を舞う音は、静かな朝の空気を揺るがします。この枯れ葉の音を聞くと、肌寒くとも春の訪れを感じます。秋でなくて、春の落ち葉です。もちろん日本も春に落葉する木があります。香港の春の落葉は、秋口の落葉が少ないので、殊更に目に留ります。大きな音をあげて舞う落ち葉。

 そして、意外にもこの落ち葉に気付く人が少ないのも事実です。というのが、香港の道路は早いところでは、7時前から清掃が始まります。大きいな竹箒は、いつもの倍以上ある落ち葉をかき集めてしまいます。落ち葉に会う、落ち葉の音を聞く、これも、早朝ならではの楽しみのひとつです。

 後数日、この冷え込みが続きます。もう一度、暖かさが戻って来たら、今度は柔らかな緑の芽が一遍に木木を彩ります。よく見ると、裸になった枝には、大きな新芽が硬く付いています。 この時期の霞んだ山の斜面には、香港桜などと日本人が呼んでいるブーへニアが、山桜のようにほんのりとピンクに山を染めます。ポツポツと新芽は開くのではなく、あらっと思ったら緑の木に変身します。あと幾晩寝るとあの新緑に今年もようこそって、声をかけることが出来るでしょうか。

 

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