埼玉 寄居町・深谷市・熊谷市 ピアノ教室Andante/アンダンテ

~「音楽は楽しい!」から「本物の音楽」へつながるレッスン~

優位感覚

2009年05月27日 | コーチング
「優位感覚」のセミナーは、確か桐生のヤマハで受けた。

講義を聞いて、いろいろなことがスッキリしたのを覚えている。


優位感覚は、4つの分類される。

・視覚    絵や写真などの情報に強い、映像のようなイメージをもつ
・聴覚    聞いて覚えるのが得意、擬音語が多い
・言語感覚  論理的で分析が好き、文字を読むことや数字にも強い
・触感覚   体を動かすこと、体に触れることが好き、体が覚えたことは忘れない


私は、視覚、聴覚、言語感覚のミックス。
おそらく視覚が一番強い。

なので、
初見演奏が好き。
曲のイメージを映像のように持つ。
目をつぶると覚えやすい、思い出しやすい。

そして、
鼻歌や独り言が多く、擬音語も多い(聴覚)。

さらに、
調べること、考えることが好き(言語感覚)。


触感覚は「0」に等しい…。

それまでのレッスンは、私にとって練習しやすい方法、分りやすいレッスンをやってきた。

でも、それがどうも通じない生徒がいた。

それが「触感覚」。

触感覚は、ミスをすると「先生、もう1回!」と言って弾きたがる。
楽譜は見ずに、何度も弾いて覚えるタイプ。

視覚の私は、「楽譜をちゃんと見てね。」
言語感覚の私は、「自分のミスの原因は?」など。

でも、触感覚の生徒には、それらがすべて理解しにくいことなのが分かった。

それからは、「もう1回!」と言われたら、原因を考える前にまず弾かせてみた。

それがうまく弾けても、うまく弾けなくても、
「もう1回!」が弾けると、私の話に耳を傾ける余裕があることが分かった。

触感覚は、取扱説明書が苦手なタイプなので、
楽譜をじっくり読んでから弾くのも苦手。

でも、間違って覚えてしまうと、それがなかなか直せないのも特徴なので、
新しい曲を始めるときは、最初にレッスンで「聞いて」「歌って」「リズムを叩いて」と、
正しいものを体に染み込ませるようにしている。


視覚の生徒は、私も一緒になって乗れるので、イメージが広がる広がる!

聴覚の生徒には、そのイメージを話しても「???」なので、
「どんな音で弾きたい?」と聞くと、話してくれる。

言語感覚の生徒には、曲や作曲者について調べさせたり、練習状況を分析させたりすると、
紙にい~っぱい書いてくる。


それぞれの感覚がミックスされていることも多いし、
成長とともに変化することもある。


この講義を聞いてから、分析好きな「言語感覚」が人の言動を分析したくて、ウズウズしている。

航空管制官

2009年05月26日 | プロフェッショナル
普段、そんなにテレビを見るほうじゃないと思う。

好きな番組や気になる番組を録画して、ひとりでご飯を食べる時や、洗濯物をたたむときに見ることが多い。

必ず録画するのは、NHKのプロフェッショナル。

ニュースなどは、暗くなるものや恐ろしいものが多くて、なんだか見ていられない。

日本は、世界は、壊れていると感じる。

でも、プロフェッショナルを見ると、
日本にも素晴らしい人がいるじゃない!と思える。

こういう人たちの声をニュースなどでも伝えたらいいのに、と思う。


視聴歴はそんなに長くないけど、
今までで一番印象に残っているのが、航空管制官の堀井不二夫さん。

その中で言っていたこと。

・パイロットの気持ちの寄り添い、共に空を飛ぶ。
・それは、技術以上に伝えたいこと。
・「あなたを見守っています」というシグナルを送る。
・声はきっと届く。
・何を残せるかではなく、どう伝えるか。


たくさんの命を預かり、乗客に安心を与えながら、
多くの操作を行って着陸するパイロットを気遣い、指示だけでなくさまざまな声をかけていく。

それが、「あなたを見守っています」というシグナル。

パイロットからは、感謝のメッセージやサインが送られてくる。

そのやりとりと、その思いを新人に見せて伝えていく様子に、涙が止まらなかった。


残すことは簡単。

こうやって書き記していけば、残すことはできる。

でも、それだけじゃ、心に届けることはできない。
思いを伝えていくことはできない。

そのもどかしさを感じしているときに見たから、余計に印象に残っているのだろう。


これをきっかけに、「どう伝えるのか」「何を伝えるのか」を考えて、
私の思いが覚めないように、振り返ることができるように、
こうして書き記していくことにしました。



才能

2009年05月25日 | こころ
ピアノに関しても、ほかのことでも、才能の有無はどうやって計るのだろう。

よく「才能がある」「才能がない」という言い方をするけれど、
ものすごく表面的なところで計っている気がする。


昨日も、コーチングのことを「持っている能力を引き出すための勉強をしている」とある人に話したら、
「でも、それは一握りでしょ?」と。

確かに、ピアニストになる「才能」ということで言ったら、一握り。

でも、私はピアニストを育てているわけではなく、「人の心」を育てていると思っている。


私は、指だって動かないし、筋力だってないし、
そういった意味では「才能がない」部類に入るでしょう。

でも、私自身は「才能がある」と信じている。

もちろん、生徒たちも。

ピアノをやりたいと思っている全員に「才能がある」と、ピアノで輝ける部分があると信じている。


以前に行ったセミナーで、
「なかなか上手にならない子や、やりたがらない子は才能がないのだから、
 ピアノはすっぱり諦めて、ほかのことに向かうべき」というお話を聞いた。

これが現実なのかな…と思った。


樹原先生は、ある公開レッスンで、なかなかできるようにならない子に、
さまざまな手法で、あるひとつのことができるようになるまで、その子と向かい合ったそう。

それに対して「あの子にあそこまでする必要があるのか?」と聞かれたときに、
「その子ができるようになりたいと思うならば、必要です。全力で向き合います。」とおっしゃっていた。

私は、その言葉のほうに魅力を感じます。

もちろん、本人がやりたくないと心から思っているなら、
ほかに集中したいと真剣に思っているのなら、
ピアノから離れるほうが良いと思うし、気持ちよく送り出してあげたいと思う。

でも、「やりたい」と思っているなら、私も精一杯向き合っていきたいと思っている。


以前に、発表会が終わって、生徒のお母様から

「お友だちに“こんなのも弾けないの”と言われているのを見て、
 うちの子は才能がないのだからやめさせたほうがいいのかも、と考えたことがありました。
 でも、今日のステージで楽しそうにしているのを見て、やめさせないでよかったと思いました。
 大切に育てていただいて、ありがとうございます。」

というメールをいただいたことがあった。


私自身も上手にさせたいあまり、焦ってしまうこともある。

でも、無理させて心の無い必死な演奏をするよりも、その子の音楽を楽しんでいる、
ステージを楽しんでいる気持ちを大切にしたかった。

それが、その子にとっては、すばらしい「才能」だから。

お家の方の協力もあって、年々、輝きを増している。


「ピアノを弾きたい」と思う気持ちは、すべて「才能」。
「音楽を楽しい」と思える気持ちも、すべて「才能」。

その「才能」をどう引き出していくか、どう生かしていくかは我々ピアノ講師にかかっている。

樹原涼子先生からのお葉書

2009年05月24日 | こころ
樹原涼子先生から与えていただいたことは、本当に大きい。

時々、感謝の気持ちが溢れそうになる。
でもお会いしたときに直接は、なかなかうまく伝えられないので、
その度に手紙を書いている。

今まで3回書いたかな。

1回目は、コード塾でのご指導への感謝と初めて行ったライブの感動を書いた。

それに対して、ご自身のステキなポストカードでお返事をくださった。
結婚したばかりの私を気遣って「今はお二人のペースを大切に」と、
樹原先生らしいやさしいお言葉が添えられていた。

2回目は、発表会で表れた成果と生徒のお母様からのうれしい言葉を書いた。

それを、ピアノランドメイトという会員に送られる冊子に、載せてくださった。

私が勉強してきたことを認めてくださったこと、
それを技術的にも精神的にもレッスンに役立てられていることを
喜んでくださっていることが伝わってきて、とてもうれしかった。

3回目は、先月の発表会での私の成長と生徒の成長、生徒からのうれしい手紙のことを書いた。

そして、またお葉書でお返事をいただいた。

「いろいろなことが、どんどんうまくいくようになって本当に素晴らしい!
 私もコツコツ続けるタイプなので、ずっとあとに花が咲く喜びがよくわかります。
 これからもたくさんの花が咲きそうですね(*^_^*)
 応援&お手伝いします。嬉しいお便りありがとう!」と。

お忙しい中、手紙を読んでくださっただけでもうれしいのに、
お葉書が届いた前日の勉強会の中の樹原先生からのメッセージで、
「本の執筆とピアノの練習で、腕の筋肉が悲鳴を上げています」という
その腕で返事を書いてくださったかと思うと、郵便受けの前でウルウル…。

子どもたちへの愛のあるレッスンも素晴らしいし、
セミナーなどでの私たちへの指導も勉強になることばかり。

その上、こういう気遣いも忘れない。

本当に素晴らしい方。

出会えたことを幸せに思います。

そして、私も樹原先生のように、愛をもって心をこめて、
すべての人と関わっていきたいと思う。

水のような筋肉と巨大な樽

2009年05月23日 | からだ
ムジカノーヴァ 2009年5月号

「解消!手首、肘の痛み、肩の凝り」という特集があった。

ピアニストの田尻洋一さんのお話が興味深い。

内容は、とにかく「楽に弾く」ことに専念してください、と。

  「その“楽に”が簡単にできないのよ。」と思いながら読み進めると…

骨だけの状態ならどんな動きも簡単にできる。
それに筋肉がつくから自由に動けなくなる。

  ほうほう、なるほどぉ。

関節の動きを妨げないためには、「ますで水のような柔らかい筋肉」が必要。
超一流のスポーツ選手たちも、「柔らかい筋肉」を持っているとか。

  私の筋肉は、足も腕も確かに硬い。
  人と比べて、「なんで硬いのだろう」と思ったことがある。

「柔らかい筋肉」を作るには、1日中「柔らかくな~れ」と願えばいい。

  ホントでも「柔らかくなれ」なんて思ったことなかった。

腕が動くと慣性の法則で胴体も揺れ、重心がずれる。
さらに、これを食い止めようとして「力み」が生じる。

  そういうことだったんだ

腕や手を柔軟に動かすには、どっしりした「重い胴体」が必要。

  これは、川井先生もおっしゃっていた

巨匠たちの胴体は、「巨大な樽」のよう。

ピアノも上手になりたいが、ダイエットもして美しいプロポーションを保ちたい!…それは無理な話です。

  でも、最近腰回りのお肉が気になっていたけど、ピアノのためには必要ってことね


体の使い方が、また少しイメージできました。