豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

滋賀の旅・彦根その2(3月21日)

2024年03月28日 | あれこれ
 
 3月21日(木)正午ころ、彦根城を後にして「栄町1丁目」を目ざす。
 滋賀大学経済学部を通り過ぎ、外堀も渡って、琵琶湖岸から彦根市内、京都方面に向かう大通りに出る。交差点の手前に、近辺の町内案内図が立っているのを見つけた。
 これを見ると、道を渡った左側が「栄町1丁目」となっていて、しかも道を渡って左折して2、3軒行ったところに、なんと「xx組」と表示されているではないか! これこそ祖母の本籍地である「xx町」の幕藩時代の地名である。町内案内図に幕藩時代の旧地名まで表示してあったことに感謝。
   

 交差点を渡って、「xx組」と表示されていた辺りを2ブロックほどくまなく歩き回って、わが祖母の旧姓の表札がかかった家がないかを探したが、残念ながら見当たらなかった。佐賀で祖父の旧本籍地を訪ねた時と同じように、ひょっとして子孫の誰かが今でも住んでいるのではないかと期待したのだったが・・・。
 祖母がこの辺りで生まれたのかどうかは分からないが、幕藩時代から明治の初期に曽祖父かそのまた祖先がこの辺りで生活していたことは間違いないだろう。この地の雰囲気を味わうことができたので良しとしよう(下の写真)。
   
   

 「栄町1丁目」を後にして、昼食をとるために、「夢京橋キャッスルロード」という観光街に向かう。
 江戸時代の街道沿いを模した建物と通りになっている。ひとまず端から端まで往復する。道幅も広く街路樹が植えられていて、風情があるのだが、いかんせん車の通行量が少し多すぎる(下の写真1枚目は夢京橋通りに面した近江牛の「千成亭」。昨日近江八幡の「千成亭」で食べたが、彦根のほうが本店らしい)。
 ガイドブックに、琵琶湖周辺は近江牛だけでなく、うなぎも名物と書いてあった。案内書でおすすめの「源内」という鰻屋に入る(冒頭の写真は「源内」の外観)。通されたカウンター席は日本風の内庭に面している。
 東京と違って「うな重」というのはなく、「うな丼」だけである。※というのは間違いで、ちゃんと「うな重」もあったと同行者に指摘された。ぼくがメニューを見落としていたらしい。
 彦根のうなぎの蒲焼きは、外はカリッとしていて、中は柔らかく仕上がっていた。蒸してから焼くので皮までふっくらと柔らかい東京の蒲焼きとは違う食感であった。関西のうなぎは初体験だったが、これも美味しかった。うなぎ自体は三河産とのこと(下の写真2枚目)。
   
   

 ついでに夢京橋の通り沿いで見かけた飛び出し注意の看板「とび太くん」。
 「翔んで埼玉」という映画で有名になったらしいが、滋賀県が発祥だという。大津、近江八幡でもそこかしこで見かけた。東京で見る定番の赤シャツに黄色ズボン姿ではなく、着物姿や学生服姿などの変形バージョンも多かった。
   

 夢京橋から外堀沿いを歩き、「たねや」(この店は近江八幡のほうが本店らしい)を眺め、これもガイドブックで美味しいと褒めていた「どら焼き 虎てつ」で孫たちに「ひこドラ」(ひこにゃんが刻印されたどら焼き)を買って、彦根駅に向かう。
   
 
 彦根駅から琵琶湖線で米原駅に出て、15時56分米原発のひかり号で帰京。
   

 こうしてわれわれの大津、近江八幡、彦根をめぐる旅は終わった。

 桜を見ることができなかったのは残念だったが、なぜか旅行の間は花粉症の症状が治まっていた。琵琶湖周辺にはぼくを悩ます物質が漂っていなかったようだ。
 
 2024年3月27日 記
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